江戸の文化・文政・天保の時代に,奥三河の花祭の里・振草郷(現東栄町)の山村に,1人の村医者がいた。名を「菅沼昌平」といった。 飯田,江戸で医者の修行をし,京都の吉益南涯の門人となり,振草郷,新城で医業を営んだ。儒学者でもあった。 この時代,天然痘がしばしば流行し,感染力は強く,高熱を発症して死亡者は多く,命が助かっても顔などに醜いアバタを残し,人々におそれられていた。 菅沼昌平は,文化14年(1817),三河で初めて天然痘予防の種痘(人痘法)を自分の子に実施し,村人にも広げていった。近年,この功績は『愛知県史(近世編)』にも取り上げられている。 人痘法は,寛政元年(1789)に,秋月藩藩医緒方春朔が人痘法接種を成功させており,これが伝来したものと思われる。1796年にイギリスの医師ジェンナーは,より安全・確実な天然痘予防の牛痘種痘を開発したが,鎖国下の日本に入ってきて広まり出すのは,遅れて嘉永の時代(1850年代)に入ってからだった。 村医者菅沼昌平は,先祖代々の家伝や自分の代になってからの村の出来事,自らの取組や思索などを日記『坂柿一統記』(さかがきいっとうき)全9巻(天・地・人の3分冊)に残している。種痘の話は,その中に出てくる。 家伝の中では先祖の逸話が語られ,日記では,儒学者らしく,論語,孟子等の中国古典,徒然草,一休等の名言を引用して人の生き方を語り,医者としての仁の道を説き,男女の仲を取り持つ話,山持ちと山なし者の入会地をめぐる確執,長年経過した借金の訴求の問題,殺人事件への対処,雨乞いの儀式,動物殺生の是非,種痘の是非・効果をめぐる問答,博奕に対する考え方,商人と百姓の間の議定論天保騒動(「江戸の裁判」参照)への関与,江戸へ旅の途中に起きた大塩平八郎の乱に思うこと等,多方面の内容が取り上げられている。 今回は,今まで公開されていなかったこの古記録『坂柿一統記』から,その一部を抜粋し,記事ごとにタイトルを付して構成し,『坂柿一統記(抄)』として出版するものである。 本書の「はじめに」に書いたが,「この書では、論語や孟子など先哲の言葉を交えて、人間を、人生を、いかに考え、対処すべきかを考えさせてくれる。これは著者の体験記ではあるが、父が子に語る人生の教科書、リーダー育成の指南書にもなっている。 本書によって、江戸後期の歴史と山里の暮らしぶり、医者兼儒学者(知識人)の生き様と思想、中国古典の知恵力の奥深さを知ることができる。それは、現代人に生きる我々に、改めて「人間」や「人生」、「仕事」等の基本を考え直すきっかけを与えてくれるだろう」と思う。江戸時代を知る第一級の史料と思われる。 令和2年9月1日,書店に並ぶ予定です。 『坂柿一統記(抄)』 9月1日発売 |