はたと気が付いたのであるが、今現在「国民的作家」と言えば、誰のことになるのだろう?
ここでいう「国民的作家」とは、司馬遼太郎氏のような存在である。ひょっとするとこの称号(?)は、司馬遼太郎にのみ捧げられるものなのかも知れないが、「代表的歴史/時代小説家」くらいの意味で考えてみることにする。
ついでながら、私の個人的趣味で、歴史小説と時代小説を厳密に分けたりすることがあるが、ここではあまり厳格な区分はしないことにしてみる。
年齢不詳(?)の私も、吉川英治とか海音寺潮五郎とかヒダリ嫌いの山岡荘八とか、はたまた山本周五郎とかその辺の作家の現役時代は知らず、位置関係もピンと来ない(周五郎は違うような気がするが・・富士山レーダー・新田次郎というのもいたな)。何しろ高度経済成長を知らない、かわいそうな世代(と言われた)なものでして。あら、巨人V9?何のこと?おほほf(^ー^;
と言うわけで、司馬遼太郎前後以降の作家について考えてみよう。
ある日、私は「国民的作家」の系譜のバロメーターとなり得るものに気が付いた。
池波正太郎が亡くなった時・・それは、誘拐されたおまさはどうなったのかとか、もうすぐ梅安完結だったのにとか、おーい小兵衛さんよお、とか読者を泣かせたもののであったが・・新聞に載った追悼文を読んだのである。実家では2紙講読していたのであったが、うち一つで追悼文を書いたのは司馬遼太郎、もう一つは藤沢周平であった。なるほど〜、という人選である。大雑把に言って、歴史小説家としての司馬遼太郎、時代小説家としての藤沢周平がそれぞれ自分の立場から追悼文を書いたと考えてみても、文句の付けようはない。
そして月日は流れ、司馬遼太郎が亡くなった時のことである。追悼文を書いたのは、私が確認した限り、やはり藤沢周平であった。うんうん、と頷く。
その後、藤沢周平が亡くなった時・・個人的に言って、司馬遼太郎の死よりもショックは大きかったのだが(汗)、つまり司馬遼太郎の場合、私個人的趣味としては高度経済成長期の青春小説であるのがこのトシになってはしんどく(高校生のときに読んだ『竜馬が行く』は面白かったけど)、よほど藤沢周平の方が性にあったりするが、それって佐高某氏の意見とほぼ同じだったりする・・ははは(汗)
ま、それはさておき、藤沢周平の追悼文を書いたのは(私が読んだのは)、宮城谷昌光であった。ははあ、そう来ましたか!司馬遼太郎も『項羽と劉封』なんて書いているし、中国ネタもOK、それにみやぎたにん(謎)は、天下国家を論ずる対談とかもしているらしい。おじさん族に人気があるかも知れないし?(ホント?でも、「天下国家」と「おじさんの愛読書」は重要なファクターかも)
すると、現時点での司馬遼太郎後継者は、みやぎたにん?
だが困った。私は、みやぎたにんこと宮城谷昌光の小説を読んだことがなかった・・今もない(おい!)陳舜臣の『秘本三国志』なら立ち読みしたことがあるんですけどねえ?(謎)誰か他にいないかな?(これこれ)