私個人的には、用明と菟道皇女の子が鏡王で、鏡王と推古の孫の山背姫王の子が額田王というのは、説を唱えた方の妄・・想像の域を出ないのでは、と思います。ちなみにこの「説」は、神田秀夫という人のものですが、『シャーマン誕生』(小島信一)という本に載っていると、山中智恵子『斎宮志』という本に紹介されてます(ややこし〜) まず、「古事記」には、推古の孫・・敏達天皇の皇子(押坂彦人皇子)と推古の娘との間に、「山代王」なる人物がいることが書かれてます。やましろ、ですね。この書き方では、性別はいちおう不明です。 しかし・・もしも、この「山代王」と「山背大兄王」が同一人物だとしたら・・? もう一つ言うと、額田王の素性として、用明系の子孫というのは不自然でないように思われます。私は、天智=漢皇子(用明の孫?の高向王と皇極との間の子)だと思っているのですが、額田王は、天智の身内・近親と考えてもおかしくないと思ってます。天智=漢皇子だったら、天智はいわゆる「聖徳太子」と近い関係にあるわけですね・・(^_^;) |
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