ホームページへリンク
ギャラリー1
携帯トップ
マイペースで更新してます。
2023(令和5)年度
@ A B C D E F GHI
@10千日回向開始 、現在・B1
※前ページ・C1 後ページ・B2
12 3 4 5 6 7 8 910←開始時
1・4/18〜 4/ 9 2・4/ 8〜3/30
3・3/29〜 3/20 4・3/19〜3/10
5・3/ 9〜 2/28 6・2/27〜2/18
7・2/17〜 2/ 8 8・2/ 7〜1/29
9・1/28〜 1/19 10・1/18〜 1/ 9
≫4/18/23(火)はじめまして300です。
ことばや数値だけで人にランク付けし、集団の中に人為的に縦社会を作り、白を黒といわなくて済むように、私が教職を離れる時期には職場体験学習(トライアルウィーク)や相対するグループに分け討論をし合うという学習を通じて今後の課題を見つけるという学習(ディベート)などで利害の対立を克服する時間を設けて取り組みはしたものの、所詮はことばだけで現実に今生きている人に寄り添う事はできない。ましてやことばを知らないこどもや選挙権を持たない学生の身ではどうしようもない。そういう意味でその中に立つ教育者がこどもから学び現実社会に生かしていく立場にある。
≫4/17/23(月)はじめまして299です。
“正論はどうでもいい。辞めるのか辞めないかどっちなんだ!”パワハラを遙かに超えたことばが集団の中でこうしたことばが使われたとすると、排除の意識と論理が蔓延する。それが教育の場で使われるとなると事は重大である。それを見て見ぬ振りをしたものも問題を残すことになる。前日のコメントでもわかるように、やってはいけないもの中にも絶対守らなければならないものと、異質な考えを理解し合うという感情を醸成することで自分自身の免疫力や創造力を醸成する土壌を保つことが大切で、その逆の流れは世の中を住みにくくしてしまうだけでなくその職場での仕事もやりづらくしていしまう。どちらも容認するグレーゾーンを日常的に作っておくことも必要だ。特に公務員の仕事に従事している場合は特に必要なはずで、そういう柔軟性が人間力として評価されなくなるのはなぜか、改めて自分自身に問うてみる必要がある。
≫4/16/23(日)はじめまして298です。
今日は朝からカラーで見るハリウッド、マフィア、ロシアの歴史の映像を延々とかすかな視力で視聴した。ことばや切れ切れの映像がカラーによって今まで気がつかないもまで伝わってきた。なぜ原爆が投下へといとも簡単に時代が進んで行ったのかという原因を突き止めようとの思いからだった。まずアメリカの方は酒、麻薬、薬物、ギャンブルを押さえ込む強攻策がかえってマフィアを拡大させてしまい、一方では映画を通じてプロパガンダ、エンタメによって正義をとり戻す文化を創っていながら当時新興勢力である共産主義へ防衛開始したことが下地になったことは確かだ。一方ロシアはロマノフ王朝の威光の継承が保守本流として現代に至るもその拡張的伝統が残っていく過程がよく表されていた。しかし今日のグローバルな情報化社会での影響力の拡大はもっと永劫的未来に寄与できる形で進められなければならない。
≫4/15/23(土)はじめまして297です。
またしても民主主義を揺るがす、岸田首相襲撃事件が起きてしまった。日本独特の格差社会が生んだひずみだ。確かに最後の一手で核廃絶ができたかも知れない、中国への呼びかけがあれば、急速な台湾有事の緩和策も実現できたと思うが、今となっては後の祭り。相変わらずの“秘すれば花”でいくしかない。“座して死を待つ”という極度のストレス状態から一日も早い解放される為の勇気あることばや行動を期待する。
≫4/14/23(金)はじめまして296です。
20日前一隅のチャンスがあった。このブログで示唆しておいたのだが、今となっては再び長い時間をかけて着々と努力し危機を軽減していく道が始まった。ことばの限界を突破することができなかったようだ。例えその呼びかけを反故にしたとしても、呼びかけたことは歴史的に刻まれ人類の原点として集団のリーダーのこころに刻まれることになっただろうと思うと、残念に思う。しかしまだG7広島サミットまでにやっておくことが何かあると思う。一人一人考えていこう。
≫4/13/23(木)はじめまして295です。
大阪万博まで今日から2年後になった。1970年の大阪万博参加に向けての鼓笛隊の指導に余念がなかったことを思い出す。あれから53年、そして55年後の開催となる。その後中学校に転勤、音楽への余韻が残っていたので美術でレコードジャケットのデザインという課題を先輩の先生の課題を引き継ぎ取り上げた。その先生は新たに改装する校舎の設計と工事を進める程の偉大な方でした。その当時生徒の作品にKISSのロックのデザインを描いているのが思い出される。今日朝KISSの最近の大阪公演で若い頃見に来た青春期の人が我が子とともに見に来てくれたことに感激したというドキュメントをみた。差別への憤りがああ友演出になった。そして日本の武道を通して死と向き合い、礼に始まり礼に終わる時に交わされる“あいさつ”の大切さを知って一層確信に近いものを得たという。差別がことばから始まる以上はことばを通しての解決しかないと思い指導に当たってきたが、いつも自分の体の不調に遮られ、いつもそのことで誤解を招き、自らに選択とは異なる方向に流され、今から思えばコロナ禍で自爆しかかるところまでいったようだ。要は血液の流れをコントロールできなかった訳だ。2ナノのラピダスが戦略の要、いよいよ人間の神経に置き換わろうとしている。リアルな人間がいてデジタルだ。本末転倒にならないよう“みゃくみゃくくん”の活躍に期待しよう。
≫4/12/23(水)はじめまして294です。
戦後、教員養成の地方分権化と民営への拡大へと舵を切り、タテ構造を駆逐すため旧高等師範の東京は東京教育大から筑波大へと、広島では広島大教育学部へと改善させた。教育活動なるものは、そもそも国家権力になじめないので大いに指導者の創意工夫が生かせる職域であるにも拘わらず、時に現場から離れた職域の声が強くなることが新たな発想を生み出すこともあるが多くの場合は本来の教育と別の方向に流れる危険性があるので注意しなければならない.
≫4/11/23(火)はじめまして293です。
今日も至福のコーヒータイム。昔、自民一強の時、民主党を立ち上げ、政教分離が民主主義では大前提なので、早々と政治と絶縁したが、あまりに左にふれた反動から大阪に維新の会が設立。大阪万博を前にして今回も維新の風が強かった。会社だったら校長の権限を強めなければ、組織として成り立たないと当時の維新は主張していた。当時社会はリストラが蔓延、私は“頭の中のリストラ”を主張していたが、現場への締め付けは留まることを知らない状況だった。今から考えるとその時が日本の転落の始まりであることがわかった。今回の戦況の勝因はコロナ禍の実績が買われたものだが、IRに賛成したわけではないことを理解してほしい。
≫4/10/23(月)はじめまして292です。
今日は駅までマスクを取って歩いてみた。五分の一ぐらいがマスクを取って歩いていた。天気も良かったのでコロナ以前の生活を思い出すことができた。それ以前からYouTubeでパンデミックが起こる2,3年前からリサーチしていたので、これが実際に自分にとってどのようにかかってくるのかは全く想像もできなかった。夕食は早めにとりTVで高倉健と田中裕子共演の零戦特攻の在朝の“ホタル”を鑑賞し、長くなりそうなので録画予約し早めに寝た。在職中は道徳の年間カリキュラムの中で“日本に一番近い国”ということで朝鮮との歴史の学習に取り組んだことを思い出し。道徳に関しては難しいが学級担任によって任せられるのが自然であろう。
≫4/9/23(日)はじめまして291です。
@ A B C D E F G H I
@10千日回向開始 、現在・B1
※前ページ・C1 後ページ・B2
12 3 4 5 6 7 8 910←開始時