変貌するマニラシリーズ1
◆モラート&ティモグあたり◆
フィリピンは本当に貧しい国なのだろうか。
私はいつもそのことを考え続けている.....。
確かに産業は十分に育たないし、国の経済もあいかわらず小さいままだ。ありあまる労働人口をもてあましている。それを吸収する仕組みが貧弱なので、人々はいやがうえでも海外に出稼ぎにゆかなければならない。

世界有数の大学進学率を誇り、しかも英語をネイティブに話せる国でありながら、その恵まれた才能を国内で生かすことができす、人々は海外に出ていきその国の底辺の労働に従事し、自分は生活を切り詰めながら送金し、家族をそして結果として国を支えている。
現象的にみれば、それはまず貧しい国の典型的なありようにみえるのだ。

しかし、その一方でマニラの中心部マカティ地区に行ってみれば驚く。「
グロリエッタ」などという八角形の吹き抜けの超モダンな巨大ショッピングモールがあり、連日おびただしい数の人々でごったがえしている。たとえばこれと対極にあると思えるカンボジア、その首都プノンペンにはいまだにショッピングモールどころかデパートさえもない。そのことを思えば、フィリピンの貧しさは、どうやらカンボジアの直面している貧しさとはかなり質が違うもののようだ。

ファッションのセンスにも、この国の貧しさを疑っていいような現象がみられる。歴史をさかのぼればフィリピン人はヨーロッパ人や中国人の血を一部受け継いでいるせいか、女性の容姿や体形には混血の優れた面が表出し、それは賛美に値するといっていい。当然の帰結として彼らは流行に敏感で、世界的なファッションモデルもこの国から多数排出されている。

この国の貧しさの正体とはいったい何なのだろうか.....。
マニラのすぐ北、ケソンシティの
モラート・アベニューを歩きながら、その日も私はいつものように、とりつかれたような疑問を何度も自分に問いかけていた。

モラート・アベニュー。正確にいえば「トーマス・モラート・アベニュ(Tomas Morato Avenue)」。近頃私はこのおしゃれな街をうろつくのが好きになった。
フィリピン大学の本校(ディリマン)が近くにある。また番組の人気で競争しあうふたつのTV局「ABS-CBN」(チャネル2)と「GMA」(チャネル7)もあり、いわばフィリピンの文化情報発信センターともいえる洗練されたエリア。マカティのグロリエッタのように、マニラ市内や周辺部からとにかく無数の人が集まってくるのとはちがい、肩が触れ合うような人ごみはなくいたって閑静なたたずまいである。いずれにせよ、世界中に出稼ぎ労働者を派遣するフィリピンのある意味での国際的なセンスが、この街に集約され開花しているような印象を受ける。

かつてはマニラといえば、旅行者の誰もがそうであるように、私も夜な夜なナイトライフの拠点ばかりを徘徊していた。時には昼の日中でさえそんな情報を探し求めていたことさえあった。いまでも、日本からマニラに向かう人々の多くは、同じ興味を抱いて海を渡ってくるのに違いない。
しかし、そうしたフィリピンを追う自分が虚しくなった。

なぜなら、ナイトライフの施設は、多かれ少なかれどの国のどの都市にも存在するからだ。もし濃密な刺激を求めるならマニラよりはむしろバンコクのほうが目的にかなっているといえるかもしれない。もし、安さを追求するなら、そのどちらももはや「先進国並の物価」で、たとえばカンボジアのプノンペンや各国の首都を離れた深奥部の都市に入り込む必要があるといえるだろう。

いずれにしても、ナイトライフの施設というのはどの国にもあり、しかもその多くは過去に戦争とともに欧米人が残していったGOGOバーか、日本人が移植した置屋ないしカラオケ施設なのである。
とにかく、下世話な言い方をすれば、お仕着せの観光だけではつまらないが、かといって「オンナ」だけでもその国が見えないし、飽きがくるのである。そんな自戒と反省を繰り返しながら悶々とした日々を過ごすうちに、私はいつか気がつくとモラート通り辺りに入り浸っていた。

向かいのカフェの二階からみたバージン・カフェの正面ABS-CBNから南に下るモラート通りを歩くと、ほぼティモグ・アベニューに達しようというあたりインペリアルホテルの手前に有名な「
バージン・カフェ(T.Morato Avenue,Quezon City:Tel 926-8039/926-7982)がある。ここでは連夜9時から深夜の2時までフィリピン全土で有名なバンドが生演奏をする。
たとえばフィリピンの若者に人気のSide-AやSouthborderなどはここを活動の拠点のひとつにしている。

バージンカフェの向かいにはしゃれたケーキ屋「
FLEUR DE LYS PATISSERIE」(FLP building, 305 T.Morato,Quezon City)があり、二階部分が数卓のテーブルをおいたカフェになっている。私が覗いたときには若い女性のグループが午後の早い時間にランチをとりながらおしゃべりに興じていた。客の身なりを見ると、フィリピンのある種の豊かさを実感する。一階にファッション雑誌を置いたラックがあり、二階の客はそれを自由に持って上がり読むことができる。

サークル。ケソンアベニュー側を背にティモグをEDSA方面に見やっているモラートとティモッグとの交差点は「
CIRCLE」と呼ばれている。ご覧の画像はティモッグを東の方角に見やっている。木立と左にかすかに見える建物(インペリアルホテル)の間にティモッグ通りがありEDSA大通りに達している。その角にGMA(チャネル7)のTV局がある。

ティモッグはケソンシティのいわば歓楽街ともいえる通りで、モラートの洗練された町並みとはうって変わり、東端のEDSAから怪しげな町並みが西端のケソンアベニューまで続く。

パサイやブルゴス、あるいはロハスといったマニラ名うての歓楽街に飽きた連中は、ひそかにこのエリアに出没するようになったときく。サービスのクオリティや料金などは不明だが、どうも外から観察する限り、通りには韓国人や中国人系の看板を出している飲食店が目立つ。パサイのEIECは、オーストラリア人とドイツ人をオーナーとするGOGOバーの集まりだが、もしかしたらティモグは、チャイニーズや韓国系の資本が支配的な歓楽街なのかもしれない。

ディスコ&カラオケの老舗クラブ「レクサス」。いまは寂れてしまった感があるサークルからティモッグを西に向かう起点のあたりに高級ナイトクラブで知られた「
レクサス(Lexus)」がある。
ハリソン通りの「
ミス・ユニバース(なぜか英語のスペルはMiss.Universal)」に行ったことがある人なら、このナイトクラブのシステムはわかりやすい。

いわゆる「DISCO&カラオケ」というやつである。大きなステージ上に次から次とダンサーが登場し全裸に近い格好でセクシーダンスを踊るのであるが、気に入れば1時間単位で席に呼ぶことができる。LD(レディースドリンク)込みでP480からP680くらいまである。後学のために足を踏み入れたが、席の呼ぶ興味もなく20分ぐらいで出てしまったので、詳しいシステムは聞かなかった。全裸に近いという表現をあえてとったのは、ブラとパンティは身につけている。しかし、それはほぼ透けて見える(見せる?)ための合法を装うもので、完全なる「シースルー」である。

セクシーダンサーが応じるのは、オープンスペースの席に呼ぶかVIPルームに連れて行くかのどちらかで、BF(Barfine)には応じないと聞いた。そういうニーズのある人のために「ショールーム」があり、細長い窓から金魚蜂をのぞき部屋のひな壇にいるババエを選び連れ出すことができるシステムである。ティモグもケソンアベニュー沿いのほとんどすべてのナイトクラブが、このスタイルのようである。マニラのダウンタウンでは私の知る限り「ミス・ユニバース」だけで、ロハスでいえば「
インフィニティ」がそうである。

はっきりいって、閑古鳥がないていた。セクシーダンスもうらぶれた感じだったし、ショールームのGROたちもレベルが低く、かつて隆盛を極めた「Lexus」の面影はもうどこにもない。このままであと何年、いや何ヶ月持つのかという寂れた印象をもっていたたまれずに早々に退散した。

確かにモデルクラスや芸能人級だから、バーファインでP6000〜P8000などといわれ一時期話題になったが、いまはそんな法外な金を支払う客は稀有に近いだろう。当然客はセクシーダンスを観るだけになり、気がつくとシケた地元の客がかぶりつくようになり、いい女たちも店を去って行った。今になればもう化石のようなナイトクラブというほかはない。

サークルを回りこんでモラートをさらに南下すると、こぎれいなカフェやレストランが軒を並べている。通りこそ痛んだ路面の補修が行き届いておらずあいかわらず埃っぽいが、建物はデザインや内装に工夫を凝らしたしゃれたものが目につく。

マニラのダウンタウンはどこに行っても人ごみが目につくが、このあたりは日中の人影があまりなく、あってもエアコンの効いたしゃれたカフェなどに入って快適な時間を屋内で過ごしている。この街は日が落ちてからあたりからたくさんの人が集まってくる。本格的に動き出すのは夜の9時からである。

二階に最高のマッサージを受けた「SPA168」があるモラートの南のハズレ、ロチェス通りと交わるあたりに小さなショッピングコンプレックスがある。そこで「
SPA168」という緑の丸いパラボラアンテナのような看板を見つけた。

マッサージには目がない人間なので、本能的に何かピンと感じるものがあって試しに入ってみた。1時間の正統マッサージである。ここで私は生まれて初めて完璧にテラピストに翻弄されてしまった。

基本コースで1時間P350。シャワーを浴び、スチームサウナに浸かったあと、マッサージ着に着替え大部屋の台にうつぶせになってまっていると、「G」という20代後半と思しきやや美系のテラピストが現れ、無言のうちにマッサージは始まった。

「あの〜、このへんがマサキット(疲れて痛い)なんで...」と腰のあたりを後ろ手にポンポンとたたくと
「オーバー・ユース(使いすぎ)?」
彼女、か細い声で顔に似合わぬ軽いジョークをいったりした。
はじめは背骨の両脇を筋に沿って握りこぶしの背で軽くさするしぐさをしていたが、数分してひとこと「ハード、OK」という声が聞こえた。私はもともとハードマッサージが好きなので、即座に「オーケー」と返事した。

するとそこからがすさまじかった。まったく手抜きのない、よく訓練された抜群の施術。しかもポイントを心得たハードマッサージが休むことなく延々と1時間続いたのである。当然、なまけもので暮らしてきた私は全身の筋肉も弛緩し退化しかけていたのだろう、しだいに圧力がかかるにつれてハードマッサージの傷みがジンジン走るようになった。そのたびに私は大部屋でその痛みに必死でこらえ続けた。

彼女の方もだんだんリズムに乗ってきて、オイルの上をすべる指の腹や先、そしてエルボーが楽器のように調子づいている。私は情けないことに、力をかけられるたびに「スィーッ、ハアーッ」と、歯茎を吸い込むような風きり音を立てて、声を出せない苦しさを息に託して我慢した。痛いけど気持ちがいい、その微妙で複雑な感触をなんと表現していいものやら....。

その女のわざの巧みなことといったらない。私は次第に自堕落と怠惰で暮らしてきた自分が筋肉を通して翻弄されいたぶられているのではないか、これは明らかに「彼女の挑発的攻撃」なのではないかという感覚にとらわれていた。よく観察していると、ふだんやらないようなヒネリや反りが縦横に組み込まれており、そのたびに使ったこともない筋肉がゴシゴシと攻め立てられる。
(キャーッ、気持ちいい!でも、イタ〜い!)
心の中でそう悲鳴を挙げつつベッドにうつぶせになりながら、両手はシーツを固く握りしめ、私の「スーッ・ハアーッ」は脂汗にまみれて次第次第に高揚し加速していく。

仕上げがまたすごかった。残り10分というあたりに「ストレッチOK?」というので、すでにまな板のグロッキーな鯉状態の私は断る理由も見つからず「OK」というしかない。すると「G]嬢、私の上体を起き上がらせ、両腕をアメ車のバイクのハンドルを悠然と後ろから握るような格好をし、肩ラインの斜め上、肩のライン、肩ラインの斜め下をいたぶるように後方に引っ張るのである。

それが終わったかと思うと、今度は彼女自分も台の上に寝転びその膝を私の背中の重心に鋭利に突き立てたかと思うと、アメ車バイクのハンドルの手首を後ろ手に抱えたまま、あっというまに巨体を空中に持ち上げ、私を「ヤジロ兵衛」状態というか「逆さとびうお」状態といおうか、グーの音もでない格好にして喜んでいる。そのままでヒトの体重をいいことに重心を膝で突き刺しゆさゆさごぎごき圧迫。最後には膝を突きたてられたままで虫の息のわが身に数分間の黙祷....。逆さとびうおやじろ兵衛の玉砕である。

生まれて初めて「わざ」を体感したすさまじいマッサージがこのケソンシティのモラートにあった。私は癖になりそうな予感がした。隠し立てしても始まらない。白状すると、実はわたくし、翌日もノコノコ出かけていきこのG嬢を指名しふたたび「やじろ兵衛」状態になり轟沈したのである。
(Spa168:3rd Flr,168 Tomas Morato Ave and Don A Roces Ave,Q.C Tel:920-0235)

ライブ・バー「RATSKY」の夜景モラートを歩く限り、それは表参道や代官山の通りを連想させる。この国の品格や豊かさが、町並みに表れている。しかし、陽が落ちかけるころになると、次第にようすが変わってくる。このあたりのしゃれたレストランでディナーを摂ろうという客足が増えるにつれ、店の外には子供の物乞いが湧き出したやぶ蚊のように現れだす。マラリヤにかかる心配こそないが、手を差し伸べてけっこう通りの端から端までしつこく付きまとって離れない。

通りを見渡せるガラス張りのレストランもかたなしで、外からガラスごしに陽に焼けた子供が窓際の席の客に声をかけたり手を差し伸べたりする。食事のようすをじっと観察していて、料理が終わりかけだとわかると、じっとガラス窓に顔をくっつけて客が出てくるのを待ち構えている。モラートで豊かなフィリピンを結論づけようとした人々は、陽が落ちかけるころの子供の物乞いに、ふたたび悪夢のような貧しいフィリピンに引きずり戻される結果になる。

食事を終えてクルマに乗り込もうとすると、子供たちは走って行きさっとクルマのうしろにまわり手で「オーライ、オーライ」と、頼まれもしない誘導を始める。なかにはまれに、そのことでチップをくれる人もいるのだろう。子供たちの手つきは、大人顔負けの真剣さだ。道で渋滞にはまり込むと、どこからともなく人が現れフロントガラスをささっと拭き、そのまま手を伸ばす。フィリピンには地の底から芽を出したようなサービスの珍商売が無数にある。なにひとつ技術をもたない人間は、親切やおせっかいを商売にするしかない。そのことを、小さな子供のころから叩き込まれるのだ。

「RATSKY」の屋外に出ていたレジーン・ベラスケスの垂れ幕広告モラートの一角に円形のガラス張りの面白い建物がある。ディスコやバーを兼ねたライブハウス「
RATSKY」である。「バージン・カフェ」やマカティの「ハードロック・カフェ」に並ぶモラートきっての情報発信基地である。

ちょうどレジーンエ・ベラスケスのライブの案内が目についた。とにかくこの国は、トップスターのライブがわずか1500円〜3000円程度、日本のアマチュアバンドのライブの料金で簡単に楽しめる国なのである。

DIVAと呼ばれる大物シンガーでも、近寄りがたい存在ではなく、ファンとは気軽に言葉を交わす気さくさが共通した彼らの態度である。そうでなければ、熱狂的なフィリピンのファンのハートをつかむことは到底できないのだ。

フィリピンの芸能界あるいは歌謡界には日本と違う点がある。大物歌手はみな30歳を優に超えているということである。10代のいわば「ジャリタレ」というのは、フィリピンに存在しない。正確にいえば、10代のバンドグループやダンスグループはいるにはいるが、彼らは言ってみれば「ステージの花」で、決して単独で活動はしない。この「ジャリタレ」がいないということがフィリピンの特徴である。

これはファンの側からみても同じことがいえる。TV局の音楽番組たとえばどちらも日曜日の正午から放送される「ASAP」(チャネル2)もSOPのスタジオ。レジーン・ベラスケス、ジャヤ、ジュディアン・サントスなどがいる。「SOP」(チャネル7)も、視聴者がスタジオに入って見学し応援しながら放映される公開生番組である。私は1999年に「ASAP」、2002年に「SOP」のスタジオに招かれた経験があるが、スタジオに集まる視聴者の年齢層が実に幅広いことに驚く。基本は家族どおしで、動機としてはややピクニック感覚に近いものがあるように思える。

娯楽に乏しいフィリピン社会だから、クーラーの効いたスタジオに座って、TVのブラウン管でしかお目にかかったことのない超大物芸能人の歌う姿を、ごく間近でしかも無料で見れるのだから、こんな贅沢はないといえよう。スタジオ入場は11時からだが、朝8時頃からTV局の裏門の前に列ができる。炎天下で二時間や三時間待つのは平気な人々だから、番組が終わったあとの彼らの満足げな顔といったらない。金のかかるピクニックよりは、はるかに安上がりで得るものは多いといえるだろう。幼児をそっちのけで、夢中になって声援を送る母親の姿は珍しくない。

豊かで貧しいフィリピン人。モラート周辺を歩いてみると、そのふたつの要素が背中をすり合わせようにして同居して、潮の満ち引きのように時々刻々と現れては消える...。新しいフィリピンは、どちらに向かっているのだろうか。もう少し周辺をじっくり観察し、深く考えてみたいと思う。