ブルゴス伊藤の盗撮館


そもそも、オレがなぜ「盗撮」などという隠微な世界に足を踏み入れてしまったのか、誤解のないようにまずそのいきさつについてみなさんにお話しておく必要があるだろう。
それは約半年ほど前のある日の夕方のことだった.......。
下町の裏通り都心の某PPのオキニと、その日オレは「同伴」の約束をしていた。

午後6時に浅草の奥にある彼女のバハイ(アパート)の前でピックアップをすると約束していたのだが、元来臆病に加え貧乏性で、なにごとにつけ慎重なオレは、やはりその日も予定より1時間も早く現場に着いてしまい、さてどこで時間をつぶそうかと迷っていた。

彼女のバハイの通りを1本隔てた場所には、オレがよく足を運ぶ別な店のバハイもあり、そこにもオキニがいたので、同伴出勤ラッシュアワーにその近辺をうろつくことはニアミスの危険がある。そこで、オレはクルマを徐行させながら、彼女のバハイから遠からず近からず、どこか安全な場所を探してそこで待機することにした。

もう日はすっかり傾きかけていた。
浅草から千束や三ノ輪に向かう国際通りやその周辺は、以前から実に面白いエリアだと注目していた。町並みを見るとそこに「人間」を感じる。「ヒトの暮らしがあり、街とともに生きている」ことを実感できる。根津や千駄木、谷中、いわゆる「谷根千」エリアもどちらかといえばそうしたたたずまいを感じさせるのだが、そことはまた少し違う庶民の息吹を肌で感じることができる一帯なのである。

古びた建物のひとつひとつをよくよく観察してみると、そこに暮らす人々が下町らしく生真面目に物事を考え、そして仕事をしている姿が目に浮かんでくる。何を考えこんなことをしでかしているのか、自動車のボディショップその心のヒダまでもが手に取るようにわかるから面白い。

たとえばご覧の画像。「下町版ボディ・ショップ」である。何のボディ・ショップかといえば、これがすごい!クルマのボディだ。聞きはしなかったがおそらく「自動車修理工場」か「ボディ塗装」の工場なんだろう。

こういう謎かけ絵解き遊びをついついしたくなるような零細商店や町工場が、このエリアには数え切れないほどある。

かつて有名な赤瀬川源平の「路上観察日記」というのがあったが、そういう興味で見ると、この一帯は「底なしにハマりそうな面白さ」がある。いずれにせよ、(生きてるんだなあオマエたち)と、ついつい建物の肩をぽんぽんと叩いて励ましたくなるような衝動が湧き起こってくるのである。

その反面、理解不能の面もある。「なんでオマエこんなことしてるのさ?」と皮肉っぽく問いかけたくなるような店構えもあって、謎めいた町並みに映るときもある。
例えばご案内の画像である。「バトル・ショップ」とある。何だろう。すぐには答えが見つからない。幸か不幸かシャッターが閉まっていたので、謎はますます深まるばかり。次回もこの辺に来てみなくちなぜかバトルショップゃという気にさせている。なぞなぞの答えはそのときまでオアズケということだ。

しかし、いずれにせよこの手は「工夫の凝らしすぎがアダになった」例ではないのか。想像するに、考えに考えて、力が入りすぎのまま「え〜いやあ」で看板を出したのに違いない。しかし、こうした声高で息遣いの荒さが目立つところも、それはそれで下町らしい弱点で、いじらしいほど人間臭く見える。

それはともかく、このあたり実にポスト・モダンなエリアであることは間違いがない。いつか、わずかな期間でもこんな場所に住んで「死ぬほど歩き回ってみたい」と思わせる、不思議な空間である。

町並みと奇妙な対話を楽しみながら、オレはある一軒の小さな店の前にクルマを停めた。もう日が暮れ始めて、どこかしら人恋しくもあったのだろう。オレはごく自然の衝動で、小さく明かりが灯っているその店の玄関先に居心地のよさを見つけ、中に人影が動いていて外からでもようすがうかがえる位置にクルマをすり寄せ、そこでエンジンを停めたのだった。
間口はおよそ1間ほどであろうか、奥行きも大して深くないそれは店というにはあまりにも小ぶりな構えだった。のぞこうという意図など、そもそもまったくなかったに等しかったのだ。

下町の夕暮れはなぜか底知れずわびしく、ただオレの心を人肌で暖めてくれる明かりが恋しかっただけだった。だから、店の中のようすは初めからオレの興味の対象外で、中で動く人影にぼんやりと視線を振り向けていただけだった。始めは確かにそうだった。しかし、オレはしだいにそのうらぶれたマッチ箱のような店の中の光景に引き寄せられていったのだ......。

生きていればオレの父親ほどの歳だろうか。店の中には老人がぽつねんとひとり、古びた蛍光灯の下で何か熱心に手を動かしていた。丸くなったその肩越しに、黒いミシンが、蛍光灯の光を鈍く反射して顔をのぞかせては消えた。目線を上方に向けると、屋外の色あせた幌に「テーラー」という文字が見えた。

老人とミシン___。それは特に妙な取り合わせでもなかったはずだが、オレはなぜかその光景に吸い寄せられ、しばらく食い入るように見入っていた。あたりはしっぽりと暗闇に包まれていた。

不思議な光の空間。暗転する舞台の片隅がぼんやりとスポットライトに照らされ、そこから物語の新しい幕が始まる...オレはそんな場面に紛れ込んだかのような錯覚にとらわれた。小さなマッチ箱の中にぽつねんと収まり、丸い背中に首を埋めながら何かにせいを出している蛍光灯の下の老人は、どことなく絵になり、路傍の「観客」の心を徐々に捕らえはじめていた。

(つぎにどんなことが起こるのだろう)
オレはその先のドラマの展開を、息を詰めて待っていた。

飾り気のない黒いつるの眼鏡。残り少なくなった後頭部の白い髪の毛。光沢のある頭皮には老人特有の褐色の斑点がいくつかあった。

老人が不意に真後ろを振り向き立ち上がった。目線が合いそうになりオレはハッとして、思わずクルマの運転席に身を沈めた。外の暗がりにいるオレに、中の老人が気づくはずもなかったのに、オレは犯罪でも犯している人間のように、心臓を高ぶらせていた。ふたたび目線をもとの高さに戻したそのとき、老人の顔が真正面にはっきりと捉えられた。

歳を経て縮んでしまったような体躯に比べれば、やや大きめな丸顔だった。そこには、人のよさそうな情感があふれ出ている。無欲に、ただ真正直に生きてきたのであろう人間を連想させた。そして、老人の表情には、羨ましいほどの落ちつきが感じられた。

老人の背後にはもう一台同じような年代モノの黒いミシンが置いてある。分厚いメガネのレンズを通して顕微鏡の検体でも観察するかのようにじっと目を凝らしながら、老人は銀色の輪を手で回しながらミシンの針先の位置を調節している。手に技をもつ老人特有の忍耐とこだわりが迫ってくる。

鈍い蛍光灯の光を反射して、老人のまつげが長い年月で結晶した水晶のように白く透明に輝いている。

(仕立て屋か繕いもの屋だろうか)
オレはなぜか、老人の「職業」を自分なりに解釈し、浮かび上がったものの輪郭をはっきりさせようとしていた。そしていつの間にか、その老人と死んだオレの親父の姿を重ね合わせていた......。


親父は壮絶な「仕事師」だった。とことん家庭を犠牲にし、好きなだけ仕事をしまくった人間だった。いわばノンキャリヤ組の国家公務員。地方の木ッ端役人としては異例の出世をし、周囲の賞賛と妬みと揶揄、そしておのれの屈辱を一身に浴びながら、始終人の目を気にしながら不遇の最期を遂げた人間だった。

学業が優秀でありながら家が貧しく、行きたい学校にも行けなかった。終生学歴のない自分の過去を恨みその負い目を引きずりながら、虚勢を張り生き抜いていった男だった。そのことが、親父の職業人としての性格を歪めていたことはうすうす気づいていた。仕事の手法は強引で、敵には容赦なく厳しく、その一方で権威者の前では情けないほど卑屈に見えた。

その親父が、夜になればTVの安っぽいドラマを観てはいつもひとりで涙を浮かべていた。その光景は子供の眼に不思議に映った。しかし、家を一歩外に出れば強引で恥知らずに見えた親父は、子どものためとなれば同じように捨て身の態度で何でもしてくれた。子どもが学校や友だち関係で何かあったとき、学問や教養のないことがむしろ幸いしたかのように、恥も外聞もかなぐり捨て「野生の親父」を剥き出しにして何度もオレたちを救ってくれた。

この世にもし「親父道」があるとしたら、親父のそれは愛と憎しみ、尊敬と軽蔑がないまぜになった、それでいて繊細でしかも力強く、まるで矛盾に満ちたでこぼこの田舎道のようだった。

その親父が現役で病にたおれ、無念の闘病生活を強いられ、周囲に見捨てられるようにして屈辱的なほど孤独のうちに死んだ……。

しかし、目の前の老人は、あきらかに違っている。同じ「仕事師」でも、蛍光灯の光に包まれた老人は実に穏やかで平和に見えた。老いを生きる幸せとはこういうものであると、語りかけているようにも思えた。老いのみじめさをいやというほど引きずって生きた親父に比べれば、はじめから地位も名誉も学問も教養もまるでかなぐり捨てたように思えるそのマッチ箱の中の老人は、なぜかまぶしいくらい幸せに見える……。

(オヤジ、もう時間がない。また来るよ)
オレはふと我にかえり、時計の針を見ながらつぶやいた。このときオレは目の前の老人に激しい「撮意」がこみあげてくるのを感じた。そしてジーンズのポケットにいつも忍ばせている薄い超小型のデジタルカメラをそっと抜き出した。「ノー・フラッシュ・モード」に設定し、左腕をL字に折り曲げカメラのボディを隠し、レンズだけが顔を覗かせるよう固定した。すかさず右手の人差し指で思い切りシャッターを押した。そして、老人に気づかれぬようにババエの待つアパートへとクルマを静かに発進させた.........。




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