漫画・劇画よもやま話
1.磯田和一氏の話―知られざる「さいとうプロ」結成時メンバーの一人 ふとしたご縁で,絵本作家・イラストレーターの磯田和一氏に知己を得た。磯田氏は,かつては熱心なマンガ少年そしてマンガ家であった。大阪在住であった磯田氏は,中学を卒業するやいなや上京し,永島慎二氏の所に転がり込んでマンガ修行をしていたりした。 |
2.磯田和一氏にお会いしました―2005年2月17日・東京医科大病院 |
3.磯田和一氏にお会いしました―2005年6月17日・新幹線名古屋駅口〜居酒屋「世界の山ちゃん」 磯田氏が大阪での仕事の帰りに名古屋で途中下車してくださいました。午後5時半に待ち合わせして、気がつけば10時頃まで話しこんでいました。 実の所、お会いしてからかなりたってこの文章を書いていますので、記憶が曖昧な部分もあり、細かいことまでは書けません。が、この時一番心に残り、悔やまれ、そして、悲しく思ったことは、永島慎二氏のことでした。 その頃、必要があって「劇画集団」のことを調べていた私があれこれと質問をしていた際に、磯田氏が何気なく「永島さんに会わせてあげましょうか」、と言って下さいました。本来なら、一もニもなく「お願いします」と言っておかしくないはずのことでしたのに、なぜか私は何も言いませんでした。そして、家に帰ってから、「どうしてすぐにお願いしなかったのか」、「馬鹿だな俺は」などと悔やんでいたのでした。 その数日後、新聞で永島慎二氏が既に亡くなられていたことを知って、暗然とした気持ちになっていました。不思議だなと思う気持ちと同時に、なぜもっと早く永島氏にお会いできるように努力しなかったのかと、臍を噛みました。 後のお話で私の記憶に残っているのは、園田光慶(ありかわ栄一)氏がデビュー前にCMアニメ制作会社(「大阪コマーシャルフィルム(株)」)でアニメーターをしていた時代の話です。漫画家としてプロデビューする以前に既に、園田氏は描くことのプロだったようです。 もう一つ記憶に鮮明なのは、私が持っていった小冊子に掲載されていた川崎のぼる氏の作品(「俺をこの淋しい丘に埋めてくれるな!」『モーゼル96』23号・昭和40年)を見て、磯田氏が「懐かしいなあ〜」「この部分は僕がベタを塗ったんだよ」と、まるで子供のように(青年のようにというべきか)話していたことでした。 その他、もっと細かなこともいろいろと教えていただいたのでしたが、とにかくこの日の思い出は、永島慎二氏の死去ということがらに塗り込められてしまっています。K氏いわく、「川原君の青春も終わったね」というのも、あながち的外れではないような気もしています。 |
4.磯田和一氏にお会いしました―2005年8月4日・東京国分寺 8月2日〜5日まで上京しました。 8月2日は、横山まさみち氏の「マイティジャック」出版のお願いでマンガショップを訪問しました。社長の後藤氏に快諾をいただき、一安心。 8月3日は、久松文雄氏と打ち合わせというか、まあ懇親会でした。この間お世話になっている横山プロダクションの、横山晃彦氏と山口千枝子女史を久松先生にご紹介できました。 8月4日は、まず東浦美津夫氏のお宅を訪ねしばし懇談。 その後三鷹で時間をつぶし、夕方駅で磯田氏と落ち合い、国分寺へ。 国分寺の駅を出ると、磯田氏は、青年時代の国分寺の風景を現在の風景とひきくらべて、一つ一つ説明してくださりながら歩いていきました。で、目的の場所(そこでゆっくりお話してくださるつもりのようだった)へ行ってみると、残念ながらお休みでした。そここそが、かの有名な「でんえん」でした。しかたがないので、また次の機会にということで、駅方面へと戻り、近くの喫茶店で話しこみました。 ※「でんえん」でアルバイトしていた美人と永島慎二氏を巡るエピソードは有名な話しですが、これはまた別の機会に書くべきでしょう。 磯田氏の主目的は、彼の青春時代の回想記「国分寺物語」を私に読ませてくださるということでした。そこでは、かつての若き劇画家たちの青春時代が、平明な文章で、活き活きと描かれていました。本来それは、某ウェブサイト上で発表予定のものでしたが、些細な問題からペンディングとなってしまったとのことでした。 あらかじめそのことをお聞きしていた私は、ぜひ発表すべきと思い、心当たりに持ち込むことを了承していただき、原稿をお預かりし、またしばしお話を続けました。帰りは、私の最寄の駅まで電車に同乗していただきました。 8月5日には、お預かりした原稿と重たい荷物を抱えて本郷のあたりを右往左往していました。今にして思えば、わかりやすい場所だったのかも知れませんが、思いもしないようなビルの小さな一室でした。そこで原稿を預け、少し話し込み、バックナンバーが欲しいと申し出ると、うれしいことに在庫をくださったので(10冊ほども)、 荷物こそはまた増えましたが、喜びいさんで帰途につきました。帰りの新幹線の中で、それらの本をむさぼり読んだことは、いうまでもありません。 (後日談)原稿は掲載こそ決まりましたが、出版側の磯田氏への連絡不足(無し!)により、結局、原稿引き上げという事態となりました。しかし、何とか公にしたいという私の気持ちもあり、また磯田氏の好意もあり、うまくすればこのホームページ上で発表できるようになるかも知れません。 これまで、細かなことまでは語れなかったこの「よもやま話」のコーナーですが、やっとそれらしいものになるかも知れません。 乞うご期待!! |
5.一峰大二先生に園田光慶氏のことを聞き取りしました―2008年7月31日・ご自宅にて |