No.12  7月30日
  ジャガイモで思い出したのでまた再録です。
    全校生徒たった7人

  北海道のヘソ、富良野。スキー場で有名な富良野に、義雄君は両親と

三人で住んでいた。

  「頭髪の毛根から鼻の穴はもちろん、パンツの中まで塗料にまみれ、

風呂で流しても何だか流しきれない程です。そんなところだからみんな一年

か二年で退職していくので、三年もいる僕は古参に近いんです。」

  こう話していた義雄君が、「親が帰って来いとうるさく言うし、父親もだん

だん年をとってきたから来年は富良野へ帰ります。一度遊びに来て下さい。」

と言って東京を離れてから三、四年後、やっと約束を果たしに二晩、お世話

になった。四月初旬だというのに、まだ雪が一メートルぐらい積もっている。

  「雪がたくさん積もった方が、土が凍らないので、作物の出来が良いの

です。」こういう義雄君の家には、馬が一頭いた。

  「馬のカイバ用に麦も作っている。ワラをとるためだけれど、麦は採算に

合わない。しかし、借金までしてブルドーザーを買っても結局は地味が落ちる

から、畑の土のことを考えると、どうしても馬は手放せない。だから、老いぼ

れ馬でも家では大事にしている。」と義雄君はいう。

  翌日、彼が通っていた小学校へ行った。

  雪の中で、門がどこだか、玄関はあるのか、まるで白色世界だが、鉄棒

が一つ、サッカーゴールが一つ見える校庭から、職員室兼宿直室で教頭先生

に会い、校舎内を案内していただいた。

  「全校生徒七人で、入学式や卒業式も、主役になる生徒の数が少ないの

で、ものたりない気もしますが、子供たちはとても元気です。」

  「先生も一人しかいないので、一年生から六年生までが一緒に勉強します。

時には上級生が下級生を教えている間に、先生がそのほかの生徒を教えた

りもします。」 こう説明しながら、体育館兼講堂を見せてくれる。結構広い。床

もきれいだ。義雄君が、「運動会なんかは、生徒だけでは競技もすぐ終わっちゃ

うんですが、そのかわり、村の人達がみな来ます。嫁に行ったり引っ越しして行

った人までが戻って来て、まるでお祭りです。」と解説を入れる。春休みだとい

うのに教室や廊下に図画や習字の作品が貼ってある。 お書初めは、長く幅広

い紙に肉太で大胆な字が元気いっぱいに躍っている。すばらしく子供らしい。

  一回り見せてもらってからお茶をいただきながら、温かい教育論を聴いた。

私の耳には「個の中にあるものを引き出して、それをまた個に返す。」と聞こ

えたので、「あ、具体的事物から抽象した普遍的なものを、また具体的な個々

の事物に還元するということだな。」と一人合点しつつ、相槌を打った。教頭先生

もとてもうれしそうに小一時間お話された。

  ところが、学校を辞去してから、個から個へ返すなんて、すばらしい理論だ

と思わないかい。」と言ったら、妻はそうではないと言い、「子から引出し子に返す。

子とは子供のことよ。」という。ソウダッタノカナ。

  その七人の子の小学校が生徒数不足を理由に廃校になるという。ほかの

学校に吸収合併され、町まで通わなければならないという。一度廃校になると

再建するのはほぼ絶望的らしい。

  その後7年今では義雄君も結婚し、男児をもうけ、今冬もジャガイモやカボ

チャを送ってくれた。じつに実がしまって美味しい。

       (西台中学校生徒会記念誌『けやき』30号(昭和昭和61年3月)

     義雄君一家とは今でも交流が続いています。






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