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No.24  10月30日

音痴の李さん
そろそろ紅葉狩りの季節だ。
日光のいろは坂は、車が渋滞して、ニッチもサッチも行かないことになるだろう。


そこで思い出すのが、中国見本市の時のことだ。
1974年に「中華人民共和国展覧会」が、東京晴海で開かれた。
中国から展覧団員が100名近く来日し、設営やら説明に当った。
その時に私は、友人数名と共に「警備」の手助けをした。


初めに展覧団副団長の李さんと面談した。
私も少しは中国語が解せるし、もう一人の友人も中国語を話せるので、
通訳もなくご挨拶をした。

その際にどうにも解せずに困った一語があった。
李さんが中国語で「私たちは
イッギャーレンです」と言ったのだ。
この
イッギャーレンは初耳で、二度三度聞いてもわからないので、
とうとう指で書いてもらった。

何のことはない、「一家人」だった。
李さんは「私達は一家のようなものです」と言ったのだ。
しかし、、「一家人」は
イージャーレンと発音するのが普通だと思っていたので
判らなかったのだ。

そういえば、中国語の餃子は
ジャオズだが日本語ではギョーザという。

これは、
中国の東北部(いわゆる「旧満州」)に多数の山東省出身の中国人がいて、
ジャオズを山東なまりでギョーザと言い、
それを聞いた日本人が餃子の作り方を覚えて日本に
ギョーザ
広まったのだ

と学生時代に聞いたことがあった。

念のため李さんに出身地を尋ねると案の定「山東省だ」といわれた。

中国展覧会も約4ヶ月に及ぶロングランが盛況裏に終了し、
日光へ慰安旅行に行った
李副団長はじめ40名程が「日光見ずして結構というなかれ」
とばかり観光に出かけたのだが、
帰りのいろは坂がノロノロ運転で困った。

そのバスの中で、展覧団員達が
マイクで歌を歌い出した。
一人、二人歌った後で、、李副団長にお声がかかった。
すると、バスの中が急に活気づき、口々に囃し立てている。
李さんはマイクを少し離して歌った。
声量はあるのだが、何か変だ。歌い終わるとヤンヤの拍手。
そしてアンコールの声。
そうだ、李さんは音痴なのだ。
それも悪びれずに歌うものだから、展覧団員達は面白おかしくて愉快になって
囃し立てているのだ。
中国にも音痴がいて、それも人気があったのは痛快であった。