no.33   2003年1月1日                    

      供 養 碑


元日そうそう縁起でもないと思われるかも知れませんが、
元旦ぐらい硬い話をしてもいいかな?と・・・


昨年11月末に、友人から一冊の本が送られて来た。
父親の遺稿をまとめた本で、読みごたえがあった。

『開かれた郷土愛、渥美と共に』(276頁)
ここにそのサワリを、少し長いが引用する。

 そこへたまたま、うちのほうで墓地整理の問題が起きて、

初めて私、お墓の問題に取り組んだんです。『墓相の見

方』(石川雅章著、東栄堂、一九七四年)という本なんか

買いましてね。そうしたらなんとその本に、高野山に文禄

・慶長の役―秀吉の朝鮮出兵ですわな―の敵味方供養

碑が建っている、と書いてある。薩摩の島津義弘侯が敵

味方なしに建てたものだという。これを明治になってから

『ワシントンポスト』がアメリカに紹介しているんですね。

「日本の国は紳士の国だ」と物凄く賞賛して・・・。それが

アメリカの対日感情をよくして、日露戦争の外債募集に

大きな寄与をしたというから大変なものです。事実、アメ

リカ人でこの高野山の碑を訪れる人が多く、そのため島

津家ではわざわざ傍らに英文の碑を作っております。

: 日本は戦後、まさにそれをやるべきだった。新憲法の

精神にもとづいて、ヒューマニティの次元で、日本が被害

を与え苦しめた中国はじめアジア諸国の人々、アメリカ

や連合国軍の兵士そういう人々を含めて、戦争で死んだ

すべての人々を弔うべきであった、と『墓相の見方』の

著者、石川雅章氏は書かれている。これは5年前のこと

ですけれど、私はびっくりしました。こんなこと、それま

で誰も教えてくれなかったし
話てもくれなかった。それ

で早速、高野山に行きまして、今も文化財として保存

されている碑と対面し、これが島津家の人が赤十字の

総裁になるいわれであることを知りました。 

 この作法は日本人が戦死者、不幸な犠牲を祀る伝統

の一端なのですね。敵味方を超えて祀る。そういう歴史

をたどってみると、たとえば鎌倉の円覚寺には元冦の役

のものを元軍の兵士も含めて供養してある。藤沢に行く

と一遍上人の遊行寺に関東公方、足利持氏に抗した上

杉禅秀の乱(一四一六年)の犠牲者が敵味方はもちろん、

草木・畜生に至るまですべて祀られています。これは日

本で一番古い敵味方の供養碑といわれています。

 そこで靖国神社ですが、この神社は明治天皇の意向

によって創建された(明治二年〔一八六九〕)もので、明治

維新前後の殉難者をはじめ、佐賀の乱、西南戦争、日清

戦争から第二次世界大戦に至る間の戦死者の霊が合祀

されている。しかし調べてみると、これはその始まりから

慰霊に加えて勲功顕彰という性格が強く出され、官軍と規

定した者しか祀っていない。ここには日本人の本来持って

いた御霊信仰や仏教の怨親平等の教えというものがまる

でない。日本的伝統とは全く無縁の神社である。(後略)



この本をお求めになりたい方は、下記にご連絡下さい。

〒441-3615 愛知県渥美郡渥美町中山字丸田38-2 清田 明 様

清田は、25年位前からの友人で、いいヤツだ。 御父君の御冥福を祈る。