No.39 2006.10.19    もくじへ   閑話一欄へ


    
2006年8月

1988年出土。揚州博物館蔵

     井垣清明

  今年は梅雨が長い。7月末になってもまだ明けない。
 7月31日、ようやく梅雨明けの夏空がまぶしい。家を
 出るときにはあまり聞こえなかった蝉の声が、上野公
 園ではさすがによく聞こえる。油蝉の蝉時雨だ。
  それにしても、今年は蝉が少ない。拙宅の狭庭では
 蝉が見えない。暑くてたまらなかった一昨年(甲申)は、
 やたらと蝉の抜け殻が目についた。 油蝉の抜け殻が
 40匹以上も、梔子(くちなし)や紫陽花に鈴なりになっ
 ていた。しかし、今年は全然見ない。 8月7日、立秋の
 前日だが、庭に出て探してみると、「あった。あった。」
 ようやく、山梔子に一匹、紫陽花に一匹、青木に一匹、
 みな葉の裏にしがみついた空蝉を、計3匹見つけた。
 一昨年の一割にしかならない。年毎に波があるとは聞い
 ていたが、一昨年が特別であり、今年もまた逆の意味で
 特別なようだ。

   葉の裏に爪立てて居り蝉の殻

 蝉は地中の生活が長く、七年前後を暮らした後、地上に
 出て親となってからは一週間程で寿命を終える。黄泉(よ
 み)の国を連想したり、復活を暗示したりするという理由か
 らか、お墓の副葬品に蝉がモデルになったりする。漢代の
 玉器には極めて精巧な蝉型の白玉かんが作られた。中国
 では、清らかな露を飲んで物を食べないので「清高」の象
 徴とされ、冠の飾りなどにも用いられた。
  唐の三大家の一人として有名な虞世南(ぐせいなん)の
 詩に、「蝉」と題する一首がある。
   スイ(冠のたれひも)を垂(したた)らせ清露を飲み、
   響を流して疎桐を出づ。
   高きに居りては声は自ずから遠し、
   是れ秋風をかりるにあらず。
 有徳の士、虞世南らしい語として有名な一首である。
 日本では、蝉といえば芭蕉の句である。
 山形県の立石寺で詠んだという

    閑かさや岩にしみ入る蝉の声

  これはもう余りに有名なので、解説の要もないが、蛇足
 ながら記すと、芭蕉はこの句を三回も推敲を重ねたという。
 初案から順に記す。
  @ 山寺や石にしみつく蝉の声
  A さびしさの岩にしみこむ蝉の声
  B さびしさや岩にしみこむ蝉の声
  C 閑かさや岩にしみいる蝉の声
  あの芭蕉にして、芭蕉だからこそ、推敲に推敲を重ねて
 いる。執着心というかこだわりというか、ただ敬服するの
 みである。
            
        (八月七日秋前)(日本書学院事務局長)
     ―ー 月刊『書道』平成18年10月 五禾書房