新潟少年合唱団                                                                         

新潟少年合唱団第2回演奏会


 新潟少年合唱団第2回演奏会 プログラム

 ・新潟少年合唱団の歌  歌は風にのって  相川高子 作詩 久住和麿 作曲 
 ・エーデルワイス
 ・白い花
 ・ずいずいずっころばし
 ・あらののはてに
 ・道を歩くのは君

 ・練習風景

(ソルフェージュ・ワークショップ)

 ・ハレルヤ(3声のカノン)       久住和麿 作曲
 ・キリエ                  久住和麿 作曲
 ・『レクイエム』より           G・フォーレ作曲

 ・パートナーソングを楽しみましょう

 ・だれかが口笛ふいた
 ・フニクリフニクラ
 ・禁じられた遊び
 ・ドーナ ノービス パーチェム
 ・とうげのわが家
 ・海はまねく


 指導者 久住和麿 相川高子 長川絢子 樋口由紀子 吉村陽子

 メンバー構成

 中1→4名  小6→2名  小5→11名  小4→5名  小3→3名

 11月9日(日)新潟少年合唱団第2回定期演奏会を聴きに新潟を訪れた。新潟駅から徒歩で会場の「だいしホール」に向かう。この日は曇り。万代橋から信濃川を見るとカモメが飛んでいるのが目に付いた。吹く風も心地よく東京を離れたことを実感する。旅が好きな自分にとって心ときめく一瞬だ。会場のだいしホールはすぐに見つかった。満席になれば入場不可という旨が書かれた掲示を見て急いで昼食とする。ホールに戻れば余裕で席を確保できた。食後の紅茶をもう少しゆっくり楽しめたがここまで来て席がなければシャレにならないのでやむを得ない。ホールは1992年11月に完成したとのことできれいだ。定員274席というのは室内楽や合唱にはちょうどよい広さだ。当日は団歌『歌は風にのって』でスタート、作詞相川高子、作曲久住和磨でお二人ともこの合唱団の指導者だ。この合唱団を育てていきたいという思いが心なしか伝わってきた。この後『エーデルワイス』『白い花』『ずいずいずっころばし』『あらののはてに』『道を歩くのは君』が演奏された。よく練習している曲とのことで団員に余裕が感じられた。24名という人数はそう多くないが声はよく出ていて清らかな感じだ。

 続いて練習風景としてリトミックとソルフェージュが紹介された。この合唱団がいつも何をやっているのか。こういうことをやっているなら入ってみたいと子がいればということで紹介するそうだ。先ずは絶対音感でピアノの音をドイツ語で発声する。絶対音感は相対音感とちがい、小学校2年までにつくものでそれ以降は確実には身に付かないそうだ。次は斉藤先生のハンドサインでドレミファを提示しそれに合わせて発声するとともに手を音階に合わせて動かすものだ。これは楽譜が読めることが前提になり大変重要とのことだ。初めて見る者にとっては複雑だが子どもたちはしっかり声が出ていた。少年たちに音楽に関し興味を感じさせようという工夫が感じられた。今日は比較的わかりやすいサインだったそうで実際はもっと複雑のようだ。最後に「キンコンカンコン鐘が鳴る」と手をたたいたり足をならしたりしながらの歌があった。このような練習風景を舞台で行うのはよい企画だ。これで入団希望者が来てくれればと願う。ソルフェージュについて久住和磨先生の言葉をパンフレットから引用させていただこう。「音楽の基礎教育としてのソルフェージュの力は、その身体を通して、いつの間にか子どもたちの感覚の中に根を下ろし、楽譜は読めなくてもハンドサインだけで新しいメロディーを歌うことも出来るようになりました。ハーモニーの大切さを学び、美しい声とは何かを追求することが、敷衍(ふえん)して豊かな人間性を得ることにいくらかの貢献をしているようにも思われます。」

 次は宗教曲になり『ハレルヤ』『キリエ』、フォーレ曲の『レクイエム』が歌われた。まだ取り組んで間がないそうだがきれいなハーモニーだ。やはり少年合唱団には宗教曲がよく似合う。『キリエ』は手拍子をする、膝をたたく、足をならしながらの合唱だ。中でも興味深かったのは一人の子がグラウンドピアノの中に向かって「キリエ」と発声したことだ。不思議な残響きがありこういう方法があることを発見した。

 その次は「パートナーソングを楽しみましょう」のコーナーだ。『アマリリス』『きらきら星』『こぎつね』が三つのグループに別れて演奏された。「この3曲を重ねると仲良くハモります」という話の後、聴くことになる。終わると「三つの曲のうち、ある曲の終わりに長さを調整するために付け加えてある部分があります。その曲はどれでしょう」というクイズがあった。客席から反応がないともう一度「どれでしょう」と怒った感じの声で質問が繰り返された。教室で授業を受けているような感じになり笑い声が起きた。正解は「きらきら星」。「3曲合わせるとおもしろいのでお客様も一緒に歌いましょう。」ということで客席も三つに別れ子どもたちと歌うことになった。自分の座った席は「アマリリス」になった。練習という感じで2回やり3回目が本番となった。これは楽しい企画で団員も熱が入っていて「みんなで一緒に楽しみましょう」という雰囲気が伝わった。この楽しさを文章にできないのは残念だ。

 最後のコーナーは『だれかが口笛吹いた』『フニクリフニクラ』『禁じられた遊び』『ドーナ ノービス パーチェム』『とうげのわが家』『海はまねく』という海外のポピュラーな曲だ。誰でも知っている曲を歌い、聴く人を惹きつけるのは簡単なようで難しい。にもかかわらずはっきりした言葉できれいに、時に力強くメリハリの効いた合唱に仕上がっていた。ソルフェージュの練習がこのような合唱をする要因なのだろう。『とうげのわが家』でこの日初めてソロ2重唱が聴けた。素直な感じの声で好感がもてた。演奏が終わり子どもたちのお礼の言葉の後『歌よありがとう』『歌は風にのって』ですべての曲が終わった。

 全体的にきれいなハーモニーで清々しい印象を受けた。指導者の熱意が団員たちにしっかり伝わっているようで今後の成長を楽しみにしたい。

 新潟駅に戻る途中、信濃川のほとりを短時間散策し、川を眺めながら喫茶店で休息した。プログラムに載っている新潟少年合唱団の団歌『歌は風にのって』の詩を読みながら癒された気分になった。

 歌は風にのって

 歌は風にのって大空にひろがる

 風は雲にのって大地をめぐる

 ぼくの心から歌はわき上がる

 人々の愛につつまれて歌う

  

   ひとりぼっちになったとき

   くじけそうになったとき

   ぼくのそばに友だちと

   いっしょに歌う歌声が

   やさしく強く響き合う



 歌は風にのって大空にひろがる

 歌は雲にのって海をわたる

 ぼくらは伸びる清く健やかに

 未来へ夢を輝かせ歌う



ぼくらの歌は

風にのって

世界にひろがる



心に響いた発展途上ならではのエネルギー
             
第3回新潟少年合唱団定期演奏会

 
  2004年11月14日(日)、新潟少年合唱団の定期演奏会のため新潟市を訪れた。上越新幹線が地震で越後湯沢〜長岡間がバス代行になっており余震の影響次第で動かなくなる可能性があるので飛行機にした。JALとANAが運行しているがマイルを貯めている関係でANAを利用したい。演奏会は2時開演だから1時半前後には万代バスセンターから歩いて10分弱の会場であるだいしホールに着きたい。羽田発10:50の便があり新潟空港に11:50着。連絡バスに乗れば25分ほどでバスセンターに着くから1時前には十分着けると計算したが飛行機は遅れることもあり道路渋滞も予想される。そこでその前の早朝6;55発の便を利用して新潟空港に到着。某酒造メーカーの資料館が9時から営業している旨の看板を見つけたが誘惑を振り切りリムジンバスに乗車してバスセンターに8時45分頃着。某ホテルで朝食を食べロビーの電源を拝借して広島BCのレポートをおおよそ書き上げた。これが11時半頃。続けて宝塚のレポートに着手したが目が疲れたことと折角新潟にきたのだからと立ち上がり、町並みウオッチングをしながら絵でも見ようと12時前に市立美術館に到着。作品を見るが幸か不幸か心惹かれるものはなかったので併設の喫茶室でグラタンを食べて昼食とし路線バスでだいしホール近くの本町バス停下車。紀宮様の婚約に関する号外が配られていた。会場内はすでに30名ほどが開場を待っていた。歌声が聞こえてきたのでそちらを見るとモニターテレビでステージでのリハーサルの様子が映されていた。プログラムを紹介しよう。
 外国の歌
・ 美しいチロル
・ 朝の山びこ
・ とうげのわが家
・ 禁じられた遊び
・ 禁じられた遊び
・ モーツァルトの子守歌
・ 私の回転木馬
・ 空を見上げて
・ ホリバ(麦畑)
久住和麿作品より
・ さかな
・ ひるね
・ きりかぶ
・ ハレルヤ
・ 白い花
・ ニッポニア
・ おでんこ
日本のうたメドレー
・ さくら
・ 待ちぼうけ
・ ずいずいずっころばし
・ お江戸日本橋
・ 七つの子
・ ふるさと
・ 浜千鳥
・ 夕やけこやけ
『新潟少年合唱団の歌』
 歌は風にのって
団員構成は小3→1名 小4→4名 小5→4名 小6→10名 中1→1名
 中2→3名で合計23名だ。席を確保してトイレに行き給茶器のお茶を飲もうと紙コップに手を伸ばしかけたら小学3年ぐらいの男の子が「余分に取っちゃったからどうぞ」と紙コップをくれた。その子にお礼を言い横にいた父親らしき男性にも会釈した。なにげないことだがよい気分で席にもどった。 
 最初の『美しいチロル』はハイソプラノを入れた元気な合唱で開幕にふさわしい。終わると団員4名の挨拶がある。今年入団した子が「わくわくどきどきしています」と話すのを聞き全団員の気持ちを伝えているような気がした。最初の部は子どもの合唱団にはポピュラーな曲だが少年合唱団が歌うと清らかで新鮮に感じる。『峠のわが家』の2番を歌った4名は素朴な感じなのがよい。『モーツァルトの子守歌』と『私の回転木馬』はハイソプラノのパートが入り少年合唱団ならではの魅力を表現した。『私の回転木馬』は間奏で軽いダンスの振り付けがあり舞台効果があった。次の『空を見上げて』という曲の題名は知らなくても『ロック マイ ソウル』という題名ならわかる人が多いだろう(黒人霊歌ということを初めて知った)。低声部の中学生2名がテナーのパートを歌い残りの団員がソプラノを歌った。終わると中学生から「ぼくたちと一緒にテナーを歌ってくれる人は舞台に来てください」の呼びかけがありOBが1名、大人4名が舞台にあがった。少年合唱をバックに歌えるのは気持ちがいいだろう。「おまえも出れば」と言われそうだが人前で歌ったことのない曲をいきなり舞台に上がって歌うのは無理だ。それでも人が出てこないようだったら上がる覚悟をしたが幸いにして回避できた。最後の『ボリバ』は韓国の歌で夕焼けに染まる麦畑で人を待つ様子を歌った曲であることが団員により紹介された。ゆっくり目の演奏で団員の声を楽しめた。
久住和磨の作品で最初と2番目の詩は月岡啓輔さんの作品でそれぞれ5歳と7歳の時の作品だそうだ。月岡さんは現在23歳で静岡在住。今でも詩を書いているのだろうか。他に作品があるなら紹介して欲しい。この2曲は今日初めて紹介される曲だそうだ。「魚はいつも水の中。いい気分なんだな」「ぼくはだんごの虫です。今丸くなっています」というような子どもらしい詩で短いながらおもしろい曲だ。3番目の詩の作者である、なぐもすみおさんは有名な詩人だそうで会場に来ていたので紹介された。これも初演。静かな曲で好感がもてた。これらの曲は新潟少年合唱団のレパートリーとして歌い継いでいって欲しい。以上3曲は木琴の伴奏で4曲目の『ハレルヤ』からアカペラとなる。歌う前に久住先生のハンドサインに従い発声してから歌うのを見て昨年のステージで見たソルフェージュを思い抱いた。「アカペラなのでどうなるかわかりません」ということだったがごまかしのきかないアカペラを最後までしっかり歌い上げた。最後の太鼓のリズムを詩にした『おんでこ』はみんなの好きな曲だそうだ。
 続いての「日本のうたメドレー」は「いつかどこかで聴いた歌」を集めたとのことでだれでも知っている曲ばかりだ。久住先生の編曲による合唱は少年合唱の魅力を引き出していた。日本の歌はアカペラで歌う曲もあったが却ってその方が団員たちにいい意味で緊張感が生まれ声がしっかり出るように感じた。自分もいつのまにか歌声に引き寄せられ気持ちが集中し、全部が終わった時、体の力が抜けるのを感じた。休憩なしの舞台だったが観客はだれることなく舞台に集中しているように感じた。それを証明するように大きな拍手が起きた。団員によるお礼の挨拶に続き団歌である『歌は風にのって』が始まった。子どもたちもほっとしたのか伸び伸びと歌っていた。この曲は癒し系の曲で昭和30年代に作られた元気系の団歌と違うのは時代背景だろう。アンコールに応えての『荒野のはてに』は宗教曲をもう少しという自分の思いを叶えてくれた。富士には月見草が似合うように宗教曲は少年合唱によく似合う。続いての『エーデルワイス』は英語も交えた合唱で力強く声が揃っていた。プログラムのメインに入れてもいいぐらいで次回は検討して欲しい。アンコールの最後は『歌よ ありがとう』。これもきちんとした合唱だった。ただ最後のところを歌いながら袖に引き上げてしまうのは中途半端だった。最後まで舞台で合唱し、あらためて挨拶した上で締めくくればと惜しまれる。
 帰り際、自己紹介した上で指導の久住、相川両先生にご挨拶した。「発展途上です」「運営はとても大変です」という話を聞き苦労がたくさんあるのだと察する。今回の印象は昨年よりも声がよく出ており団員は舞台で歌うことに慣れてきた、発展途上ならではのエネルギーを感じることができたことの2点だ。団員の挨拶にもあった「心に響く歌を目指し1回1回の練習を大切にしたい」を踏まえ失敗を怖れず成長していくことを期待したい。


難しそうな練習を楽しめる少年たち
      
新潟少年合唱団の練習風景     2005年2月12日

  2月12日(土)、新潟少年合唱団の練習場所である新潟市万代長峯小学校音楽室を初めて訪れた。今日も突然の訪問だが指導者の久住先生、相川先生、吉村先生は気持ちよく迎えてくださった。置いてある大きな石油ストーブが存在感を示すように赤々と燃えており新しい暖房機にはない温もりがある。本日は次週2月19日に行われる市内の合唱交歓会に向けての練習だそうで普段とは少々違うとのことだ。
 先ずはピアノのリズムに合わせて走ったり歩いたりの練習だ。8分音符 16分音符も入りそれに合わせる。音をよく聴かないとできない。続けて3拍子のリズムになり歩きながら手を横にしたり縦にしたりと決められた動きを行う。終わると席に座りピアノの音を聴いてドイツ語で発声する。更に最初の音を聴きドミソと上がっていくのをドイツ語で発声する。一見難しいが慣れれば大丈夫だろう。続けて先生のハンドサインを見てドイツ語で発声する。2年前の定期演奏会のプログラムにあったこの合唱団独自のやり方だ。手の平を上にして「ぐー」を作ると「ド」。腕がそのまま上がると高い「ド」というようになっている。この練習をじっくり見学したかったが先の理由で早めに終了。続いて4つのグループに別れ最初のグループが発声して声を伸ばす。この間に残り3つのグループが順番に発声する。これだけできれいなハーモニーができるのは少年の声ならではだ。次は先生がピアノの音に合わせてハンドサインを出す練習だ。「みんな夢心地だね」と先生が指摘。考えるのではなく瞬間的に出せるようになるとよいのだが音をたくさん聴くことが必要だ。ちなみに自分は全部はずした。一見難しそうだが少年たちは楽しそうな表情で練習しており、雰囲気がよい。これが終わると先生が黒板に音符を書きそれを見て発声する。「ド」から上の「ラ」までと幅が広いがほとんどの子はしっかり出せる。ここまで約35分。密度が濃い。「全員起立」の指示があるが「もっとすばやく」ということでやり直し。「今日は音がよく取れていました」と褒められた団員たちは両手を伸ばしたり肩を上下したりのウォームアップをし曲の練習に入る。曲目は『わたしの回転木馬』『あさのやまびこ』『眉をあげて』『おんでこ』『歌は風にのって』の5曲。「高い声をねらい、低声を地声にしない」という注意を受けて『わたしの回転木馬』が始まったがストップがかかる。「楽しく伸びやかに指揮させて。なんだか、しぼんじゃう」相川先生の注意でやり直し。歌い終わると「『ぐるぐる』をはっきり言う」「高い音に焦点をあてる」「間奏の振り付けはピアノに合わせて楽しくやるように。仕方なくやってる感じになってる人がいます」と注意がありもう一度。「このあいだ、先生は思わずぐっときました。なぜか。みんなの表情が明るいから」ということで2回目。気のせいかよくなったように感じた。だが注意は続く。「『好きだ』は気持ち込めて、『き』の音がはっきりしない」「『湧いてきて』は湧き出るように」何事もきちんと行うのは大変だ。次は『あさのやまびこ』 「前の曲が終わったら肩を回して心を落ち着かせる。10秒で呼吸を整え気分を変えるように」演奏する者には知られざる苦労があることを認識する。「『エ』と『ア』がつぶれてる。はっきり言うように」ここまで終わると指揮が相川先生から久住先生に交代する。「元気なくなってきたね」久住先生の言葉に気を取り直し3部合唱の『眉をあげて』(メンデルスゾーンの曲に久住先生が日本語の詩をつけた)の練習に入る。これは初めての挑戦だそうだ。しかもアカペラだからなお難しい。歌い終わると「急に下手になったね」と久住先生。「行進曲は得意だけど静かに歩く曲は苦手ですね。お盆を持ってソロソロ歩くような感じで歌うように」ということでつなげて歌う言葉を確認し全員ソプラノのパートで歌う。その後再び合唱を行う。「『すくいぬし』の所、高い音はダーツでねらう感じ。高音から下りるときは直線になるように」と2等辺三角形の2辺が黒板に図が示された。その上でもう一度だ。「集中して最初の音を逃がさない」相川先生は学生時代ボンヤリして音を逃した経験談を話す。歌い終わると「『すくいぬし』の『す』が物足りない。ところで何を救うの?」久住先生の質問に団員たちは?マーク。「『主』は一番偉い人。みんなは『し』が大きい」。指揮者の耳は「すごい」と思う。「指揮をよく見て。小さくする合図だよ」「まとまりの最後を包む」終わると「部分的にいい所がでてきた。最後のまとまりがあるといいです」と話す。「何回もやればよくなるけど本番は1回きりだからね」この言葉に自分もうなずいた。この後、声を休めるためウィーン少年合唱団の『眉をあげて』をCDで鑑賞。「最後の部分を静かにまとめてるね」「フレーズの真ん中がふくらむとよい」こういう手本があるとわかりやすい。2度聴いてからもう一度最初から歌ってみる。心なしかよくなった。続けての『おんでこ』もアカペラだ。相川先生が模造紙に描かれた「おんでこ」の絵を見せながら子どもたちにイメージを作っていく。自分も定期演奏会の時「おんでこ」がなんだかわからなかったのでイメージができた。「おんでこ」は佐渡に伝わる伝統で地域によって差があるそうだ。「悪魔を払い豊年を祈願する神事芸能。勇壮な太鼓に合わせて鬼が舞う。」簡単にまとめるとこうなのだが奥が深そうだ。調べていくと発見があるかもしれない。イメージができた所で練習開始。「おんでこがくる」の「が」と「た」に緊張感をもつように。最後の「おんでこがかえる」を3回歌う部分は同じメロディーを少しずつ小さくしていくようにと大きな山、中ぐらいの山、小さな山の形が相似形で黒板に示された。この歌は主旋律と太鼓のリズムを歌う低声部で「おんでこ」が現れる、踊る、帰っていく姿を表現している。定期演奏会で聴いたときはそれがわからなかったが、今聴いて頭の中でその姿が浮かんだ。今日の練習を見学しなかったらこの曲の良さがわからなかっただろう。曲を鑑賞するにはそれなりの予習が必要と痛感した。次は団歌の『歌は風にのって』だ。相川先生が「この間、この曲を聴いて感動したのはみんなが表情よく強弱があったからです」とポイントを示す。「前奏が始まったら鬼の顔はしないでください」『おんでこ』から気分を変えるようにとの指示だ。この曲が始まると体の力が抜けリラックスしていくような感じがした。知らず知らずのうちに『眉をあげて』と『おんでこ』で緊張感をもって聴いていたのがわかった。「『大空に』の『に』が大きすぎます。『大空』まで大きく。『に』でちいさくしてください」何回も歌っているのだろうがその都度注意がある。気持ちを込めるために必要なのだろう。1分間の個人練習後、「最後は全員音に載るように。ばらけて声が震えてしまう」との指示でもう一度歌う。歌い終わると5分間のトイレ休憩。「男の子は集中力が続かなくてと笑う相川先生に同感と思う。男は瞬発力では女性に勝るが持久力では逆だ。一瞬の集中力に焦点を当てて指導するのは曲の中の高い音を狙って神経を集中させるのと同じかもしれない。その一瞬の集中力を確かめられるのが少年合唱の妙味だろう。休憩が終わると次週の合唱交歓会に向け練習した5曲を通しで合唱。「きょうの『歌は風にのって』がよかったです」相川先生の言葉だ。相川先生作詞、久住先生作曲の団歌はいつ聴いても心がなごむ。これを聴きに新潟に来る価値は充分あると思える曲だ。続いて並び方と入場の方法を確認し全員合唱で歌う『友情の歌』『歌えばたのし』『歌よ、ありがとう』『さようなら』を練習する。しっかり声は出ており注意点は特になし。ここで全員着席し相川先生の話を聞く。当日の持ち物の確認、制服を家で着用しファッションショーをしておく(サイズが合わなくなっていたら大変)などの話しがあり「本番までやれることはなんですか」と質問する。団員が交代で手を上げ「しおりをよく読む」「歌詞の確認」「曲の強弱を調べる」「楽譜を見る」などの答えが返ってくる。「そういうことをプリントしたので配ります」相川先生はプリントを一人一人に手渡す。それによると曲の順番を覚える、1日1回は楽譜を見よう、しおりを見よう、歌ってみようなどと書いてある。これはぜひ実行して欲しい。終わると今日が13歳の誕生日というS君に『ハッピー バースデー』をみんなでプレゼント。更にバレンタンインが近いからとチョコレートのプレゼントが全員に贈られた。自分もおすそわけに預かった。最後に団長が前に出て「集中するようがんばってください」と挨拶して練習終了。この一言はさわやか。団員たちは忘れ物をチェックして元気に出ていった。
 午後は相川先生の好意で昼食をご馳走になったうえ、合唱交歓会の会場である「リュートピア」と高層ビルの最上階の喫茶店に案内していただき合唱の話をたくさん伺うことができた。また「リュートピア」の練習室でこちらも来週に備えて練習中の新潟市ジュニア合唱団(数年前まで相川先生が指導)を見学した。「声が出てますね」と感想を述べると「何を目標にするか、合唱なのか。ミュージカルなのか。それによって指導も変わります」相川先生のこの一言が心に残った。
 先生に駅まで送っていただき時刻表を見るとちょうどよい電車があったので改札を通る。売店の駅弁に目が行くと売り子のおばさんが「いらっしゃいませ。どうですか」と声をかけてきた。ごはんがおいしいので気に入っている「鮭の焼漬弁当」を購入。ホームの売店で地酒ワンカップを買い求めマックスの階下席へ座る。発車後、一人乾杯して相川先生の言葉と少年たちの合唱を思い返すうち来週また来てみようかと考え出した。

訪れて正解 新潟市少年少女合唱交歓演奏会
                        
                       2005年2月19日

  東京を9時28分発の上越新幹線「とき」で出発した。新潟に行くかどうかをこの週は迷ったが「やはり行こう」ということになった。東京は雨。大宮あたりから雪がちらほら目立ちはじめ高崎を過ぎると雪景色になった。通路を挟んだ反対側の席に実家に遊びに行く家族連れがいた。小学生の兄弟はゲームをやりつつ景色を見て「積もってるね」と話している。父親が「まだ国境のトンネルは通過していないのに」と話すと兄弟はきょとんとした顔をしていた。その新清水トンネルを抜けると雪が少なくなったような気がしたが越後湯沢を過ぎると量が増えた。ゲームに飽きた兄弟がじゃれあうのを母親がたしなめるうちに長岡着。ここで家族連れをはじめ大勢の人が下車したがそこそこの人数が乗り込み車内は活気がある。燕三条を出ると雪が次第に少なくなり終点新潟は雪がなかった。
 合唱交歓会が行なわれるりゅーとぴあは車で7分ほどだが散歩がてら歩くのにちょうどよい距離だ。町並みウオッチングを兼ねて歩いてみよう。相川先生に教えていただいた本町通りは市場や野菜を売る露天が並んでいて庶民的だ。魚介類や野菜は新鮮そうで値段も安く食指が動く。おいしそうなせんべい屋もあった。寿司屋のメニューはにぎり寿司ではなく生寿司。そんな光景を楽しむうちりゅーとぴあが近づいた。
 受付でチケットを購入しようとしたが無料。係りの女性は「あちらにお並びください」と短い列ができている入り口を手で示した。クロークがあったのでコート類を預け列に加わりソフト面もしっかりしていると感心。会場内のビュフェが営業していれば完璧なのだがこの日は営業なし。会場内から軽食を用意しているレストランへの通路が閉鎖されてるのは「なぜだ」と思った。まだ昼食時間帯だし入りたい客はいるのではなかろうか。大回りするのも面倒なので昼食は後回しにすることにして席を確保しプログラムを眺めた。
ホールは正面にパイプオルガンを設置し、壁は木目調で落ち着いた雰囲気だ。舞台は低い位置にあり客席が階段状に広がっている。交響曲に最も適しているそうだが歌うという点ではどうなのかわからない。客席数は1884席、残響時間は空席状態で2.23秒ということもわかった。
当日のプログラム 
 はじめのことば        女池小学校児童
1, 西地区公民館 うたごえサークル
クラリネットをこわしちゃった 気球に乗ってどこまでも ともだちはいいもんだ
Tomorrow 世界がひとつになるまで
2, 女池(めいけ)小学校合唱部
大きな古時計 砂山 学校坂道 クスコスの郵便馬車
3, 新潟少年合唱団
私の回転木馬、朝のやまびこ、眉をあげよ、おんでこ、歌は風にのって
 全員合唱
  翼をください
4, 新津少年少女合唱団
 グリーングリーン 七つの子
5, 青山小学校合唱部
 ゆきがふる 青い空に絵をかこう FACE わたしが呼吸するとき
6, 新潟市ジュニア合唱団
 オリバーのマーチ 粉雪のポルカ これが音楽 串本節 「よろこびのハーモニー・四季」より “春”“秋” 
 合同演奏
  友情のうた 歌えばたのし 歌よありがとう さようなら
 おわりのことば        青山小学校児童
 
      プログラムに掲載されていた新潟少年合唱団のメッセージ

  僕たちの合唱団はスタートして5年目に入りました。小学生から中学生まで22名の団員が、土曜日の午前中、元気いっぱい練習しています。
昨年11月には、だいしホールで3回目の演奏会を開きました。合唱団の久住先生作曲のアカペラ曲などたくさん歌いましたが、メロディーを正しく歌うことの難しさ、歌えたときの気持ち良さ、ハーモニーのすばらしさなどもわかり、ますます合唱が面白くなってきたところです。低学年の仲間がもっと増え、今年も皆で力を合わせて、いろいろな曲に取り組んでいけたらいいなと思っています。

  参加する団体は客席前方の決められた席にすわるようになっており順番に入場してきた。どこの合唱団も整然と着席していくのは見ていて気持ちがよい。
順番が逆になるが印象に残ったことを書いてみよう。青山小学校と新潟市ジュニア合唱団だ。青山小学校の最初の曲は37名(男子は6名)での『ゆきが ふる』。シャボン玉をふくらます時のように静かに息を吐く、そういう感じで雪が降る様子を表現していた。静かな合唱にもかかわらず声が響いており高い技量を感じた。続いての『青い空にえをかこう』は待機していたメンバーが加わり46名(男子は8名)で一転して元気な合唱。残り2曲は落ち着いた合唱で締めくくり。NHKの合唱コンクールを思い起こさせる見事な合唱だった。
  続いての新潟市ジュニア合唱団は小学2年生から高校生まで69名(男子5名)の大きな集団だ。こちらは最初から躍動感のある元気な合唱だ。『串本節』からは低学年のメンバーが引き上げ年上のメンバーならではの鍛えられたボリューム感のある声を聴かせてくれた。前の週に相川先生がおっしゃっていた「何を目標にするか、合唱なのか。ミュージカルなのか。それによって指導も変わります」の意味がわかったような気がした。これだけの合唱が聴ける新潟なのに小学校の音楽クラブはどんどん無くなっているそうだ。惜しいが自分には何もできない。合唱文化を市の上層部はもっと理解して欲しいものだ。
新潟少年合唱団について述べよう。舞台に整列したときは表情が少々固く心配したが『わたしの回転木馬』は楽しい感じが伝わってきた。声もよく聴こえるので一安心。『朝のやまびこ』は伸びやかな合唱。メインの『眉をあげて』は良い意味での緊張感がありきれいなハーモニーが楽しむことができた。またアカペラなので少年合唱独特の清らかさも増幅された。『おんでこ』は遠くから次第に近づいて来るおんでこの様子、太鼓が鳴る様子、おんでこが歩き回る様子、おんでこが次第に遠ざかっていく様子を頭の中で絵を描きながら聴くことができた。最後の『歌は風にのって』。練習の時は『眉をあげて』と『おんでこ』の緊張した気持ちを一気にリラックスさせてくれたがこの日は緊張感をもったままの合唱となった。表情がもっと楽しそうになるとよかったがそれだけ一生懸命だったのだろう。短い時間の出番だが「聴きに来てよかった」と満足した。
 終演後、出演者の席と一般席は仕切のため行き来きできないのでメンバーをロビーで待つことしばし。相川先生を先頭にメンバーが出てきた。話が終わると解散前にリトミックで「きんこんかんこん 鐘が鳴る」と歌う。これは見ていて楽しいし、緊張した心をほぐすのによさそうだ。最後に団長の中学生O君が挨拶。「今日は及第点です」という言葉にメンバーは「やった」という表情をした。メンバーが帰宅の途につき一段落したところで相川先生、吉村先生にご挨拶。リハーサルの時、少年たちが大きな声を出しても返ってこないので不安がっていた話を聞き「充分響いてましたよ」と答えた。
 帰りは歴史のある商店街、古町通りを歩き、老舗の雰囲気が漂う菓子屋を見つけ品定め。その中でおいしそうだったよもぎ餅を土産に購入したら大当たりだった。支度ができるまで店内の床几に座ると熱いお茶をサービスしてくれた。それを飲みながら通り歩く人を眺め「旅に出た」という感覚を楽しんだ。


課題に向き合う少年たち
         新潟少年合唱団の練習風景2 
2005年7月16日

       MAXを楽しむ
  東京駅のホームに上がると普通編成の「とき」とMAX編成の「とき」が止まっていた。普通編成の方は出発直前で席もだいたい埋まっている。12分後に出発するMAXは空いている。「君、どっちにする?」道楽さんに聞かれたぼくは「2階建てに乗りたい」と迷わず答えた。「ラジャー。そうしよう」「もしかしてあんたも乗りたかったんじゃないか?」「どっちでもいいけど君の意見を尊重した」「そういうことにしておこう」というわけでぼくたちは2号車の自由席禁煙車に乗り込み2階席の窓際を確保した。
 定刻に発車した「とき」はすぐ地下に入り上野駅に停車。地上に出たのは西日暮里で高架線から京浜東北線と山手線を見下ろす感じで走っていく。田端を通過して京浜東北線の線路と山手線の線路が別れる部分はジオラマを見ているようだ。「5号車で売店営業を行っているのでお越しをお待ちしております」というアナウンスが流れた。「車内販売はなさそうだ。仕方ない。行くか」立ち上がった道楽さんと一緒に売店へ向かった。各号車ごとに階段を昇り降りしなければいけないのでやっかいだ。2階建ても良し悪しだなあと思った。5号車の売店を一人で仕切っている男性にホットコーヒーを頼むとマシンから紙コップに注ぎふたを閉めてくれた。「サイフォンじゃないんだね」ぼくは少々がっかりした。ぼくがサイフォンコーヒーの香りが好きなのを知っている道楽さんは「売店はスピード勝負だから無理だね。新潟にいい喫茶店があるから連れてってあげるよ」となぐさめるように言った。そうなんだ、ぼくたちは新潟に向かっている。もちろん新潟少年合唱団の練習見学をする予定だ。前日に「練習は土曜日の午前中だから新潟に泊まって魚を食べようか」と話す道楽さんにぼくはこう言った。「土曜日は16日だから送り火を焚く日だろ。あんた、いつも言ってるじゃないか。先祖は大切にしようって。13日に迎え火を焚いてご先祖様をお迎えしたんだからちゃんと送ってあげなきゃ罰があたるぞ。」ぼくが強く主張したら道楽さんは「罰があたるのは困るな」とうなずいた。話を戻そう。座席に戻ると道楽さんは鞄から手作りのハムチーズサンドを出して食べ始めた。6枚切り食パンを2枚使ったサンドイッチを大口あけてかぶりつくのは豪快に見える。「男のサンドイッチはこうでなきゃね」と満足そうだ。ぼくはコーヒーの香りを嗅いだ。サイフォンコーヒーというわけにはいかないけどまあまあだ。
 新潟に到着すると駅内にある派出所に行き、練習場所である公民館の場所を尋ねるとお巡りさんが地図を出してていねいに説明してくれた。そのうえで「日帰りですか? 残念ですね。魚でも食べて帰られるといいのですが」と言ってくれた。「次にしようね」ぼくは横から口をはさんだ。今夜はなんとしても送り火を焚いてもらわなければならない。歩いていく途中、リュックを背負った男の子を見て道楽さんが「おや?」という顔をした。「あの子、合唱団の子じゃないかな? 確かめてみようか」と言う道楽さんに「不審者じゃないかと怖がらせたらかわいそうだ。やめたほうがいい。追い抜いていこう」と答えた。目的地が近づいたところで「さあ、ここからはあんたが書くだろ。ユー ハブ コントロール」と声をかけた。「ラジャー、アイ ハブ コントロール」道楽さんは力強く答えた。

  
久住先生が無事、復帰される
  教えられた場所に着くとタクシーが止まり、相川先生が降りてこられたのでご挨拶する。3階に上がり受付で手続きをして4階の音楽室へ通された。話に聞いていた通り小学校の音楽室に比べて狭い。それでも場所があるだけよしとしなければならないのだろう。この日は入院していた久住先生が復帰する記念すべき日だそうだ。相川先生が早目に来ていたメンバーに「黒板に何かお祝いの言葉を書きましょう」と頼んでいたら久住先生が入ってこられた。血管を広げる手当てを受けていたそうだがお元気な姿を見て安心する。
  9時半に練習開始。この時点で小中学生14名のメンバーが集まっている。来る途中で見かけた子はやはりメンバーだった。先ずは入院中の久住先生の様子を子どもたちが手をあげて質問することから始まった。一つ一つに丁寧に答えられる久住先生を拝見しているとお人柄がうかがわれる。なんとなく明るい雰囲気になったところで基礎練習。久住先生のピアノに合わせ室内を行進したり早足になったりする。続いて3拍子になり腕を上げたり横に伸ばしたりしながら行進する。終わると席に戻りピアノの音を聴いてドイツ語で発声する。反応はよく音はしっかり取れている。続いてハンドサインを見て「ド」「ミ」「ソ」などと発声する練習だ。自分もサインを少しずつ覚えてきた。一通り終わると四人一組になり一人ずつ1音階を発声する。最初の子は最後の子が終わるまで声を伸ばすが、かすれたり声が途切れる子がいないのはさすがだ。
  基礎練習が終わると今年の定期演奏会で行う、久住先生作曲ミュージカル『笠こ地蔵』の中の一つ、『笠こ地蔵5』の楽譜が全員に配られた。「最初、なんて書いてある?」「ぴゅー」「なんのこと?」「風の音」というやり取りがあり全員で上のパートを歌う。初見にもかかわらずまずまずの出来だ。「もう覚えましたね」と話す久住先生に対し「いや、まだ」と返事がある。「もう1回やったらアルトいきます」 これが終わると「もうわかったね」ということでメゾとアルトの練習に入る。下のパートが一部メゾとアルトに別れるのだ。ここで2名が送れて入ってきた。1度目が終わると「下を弾くからソプラノの人も歌ってください」との指示で5回ほど練習した。これだけ歌うと合唱らしくなってくるのは普段の練習がしっかりしているからだろう。3部合唱での通しが終わると久住先生が「今までのところを聴かせてもらいますかな」と相川先生に指導をバトンタッチした。先ずは『正月さま』、「はっきり歌って」 次の『笠こ地蔵2』、「丈夫な傘を作ろうよ」の部分は「笠ができあがるまで歌わなければならないから5回、6回歌うかもしれない」 『笠こ地蔵3』、「師走」「右往左往」をはっきり歌うように。『笠こ地蔵4』、「音をちゃんと取って」などと注意が飛ぶ。「ここまでどうですか?」相川先生が久住先生に尋ねると久住先生は団員に対して「何回も歌う歌はなんですか」と質問。正解は『正月さま』で「あたらない人は作曲家になれません」との言葉がある。ミュージカルの練習はここまでで8月の合唱交歓会の練習に入る。相川先生が今日やらなければいけないことを確認し練習に入る。曲は『浜千鳥』『私の回転木馬』『へい おどれよ』『ホーム スィートホーム』『眉をあげて』『歌は風にのって』の6曲で先ずは姿勢からだ。「足を床にボンドでつけるイメージをしてください。どこに力が入りますか? そう、お尻です。そうするとへそに力が入ります。あばら骨を乗せる感じで、肩を上下。首をまわして肩にちょっと乗せた感じ。まわれ右。同じポーズを取れますか? パートに別れます。足踏み」との指示でパート別に並ぶと「もう一度、足にボンドつけて腰を起こします。歌はうまくなったけど姿勢がよくない。息を伸ばすと言ったら胸が起きた人はりこうです」何をやるにしても姿勢は大切で自分も姿勢をチェックした。きちんとなったところで『浜千鳥』の練習だ。黒板に「あいうえお」と板書し母音を意識するよう指示がある。続いてクレシェンドの記号を板書し、どこか頂点になるかを確認し「さあ、息をいっぱい入れて」と合唱開始だ。『ぎん』は鼻をふくらませて。口を閉めない、先生に左肩見せて」「口が開いていない人がいます」注意が次々に飛ぶ。歌い終わると「浜辺の『は』がクレッシェンドの頂点です」「さがしての『し』が虫食いになっています」などとポイントの確認だ。日本の歌曲をきれいに歌うには日本語をきれいに発音しなければならない。当然のことだがこれは以外と難しい。ここで長川先生がお手本にと『浜千鳥』を披露してくれた。さすがにうまい。「高い音の部分をきれいにね。そうでないとイチゴがのっていないショートケーキになります」「ぬれたつばさの『さ』を上げるように。これもポイントです」一つの曲を完成させるのは大変だと実感する。ここで少人数に分けて『浜千鳥』を歌い悪いところを直し全員で通して歌って終了。次は『わたしの回転木馬』だ。「なにに注意しますか?」「乗って歌う」「そうです。浜千鳥とは違います」ということで始まったが間奏に入るとストップがかかる。「振り付けはなんのため? 葬式じゃありません」と相川先生は悪い見本をやって見せた。続けて「途中、ブレスはしないで伸ばす。休符の時にブレスします」と話し最初からだ。注意を受けるとやはりよくなる。2月以来久しぶりに聴いたS君のオブリガードは端正さが加わった。「最後は手をそらす感じで伸ばす」との指示通りうまく決まった。ここで休憩。おおむね、静かに休憩できるのは自覚のあらわれだろう。 

  
工夫次第で合唱は変わる
 休憩が終わると先ずは『へいおどれよ』だ。「だめもとで行きます」ということで通しで歌う。ハンガリーの若い娘の踊る様子を歌うこの曲は独特のリズムで日本人には馴染みにくい。先生が「感想は?」と質問するが誰も答えない。「言いにくいよね。感心しません」ということで楽譜を持つよう指示があり途中まで歌ったところでストップがかかる。「もっとてきぱきと歌いなさい」と指摘がありアカペラで歌う。終わると「へい」という歌詞を繰り返し発声する。「ここは地声がいいな」久住先生から一言ある。パート練習に移り先ずはソプラノ。「一つ一つの音をボールをつくように歌う」との指示で歌うが「溶けたアイスクリームみたいだね」ときびしい指摘。メゾは「『ダタドン』の部分を注意して」アルトは「一番出にくいけどがんばろう。鼻にかける感じでね」との指示を受けながら練習するが思うようにいかない。「アルトとメゾ。この歌一番ダメだからね」とまたまたきびしい指摘がある。パート練習が終わると通しで歌うが思うようにいかない。そこで長川、吉村両先生にソプラノ、アルトと一緒に歌ってもらうよう頼んでもう一度。これでぐっとよくなった。「きれいで軽くなりました」と相川先生。やはり正しく歌える人がいるとあわせやすいのだ。先生の代役を務められるよう、メンバーが成長することを期待したい。「『浜千鳥』は声を伸ばせる分調整できるけど『へいおどれよ』は短いので難しいです」と説明がある。確かに『へいおどれよ』は3拍子の速いテンポの曲なのでゆとりがないのだ。「あきらめますか?」という相川先生の投げかけにすぐに「いいえ」という反応か返った。次は『ホーム スィートホーム』だ。始める前に最近のテレビコマーシャルで3拍子の同曲が放送されていると話があり本来の4拍子とピアノで比較してみる。4拍子でないと「ゆったり」「まじめ」「質素」が表現できないことを知った。歌に関しては最後の「たのもしや」で「たの」はオーラを出すように。「や」はていねいに歌うようアドバイスがある。更に久住先生から「スウィート」を発音してみようと声がかかる。手を挙げたメンバーが次々発音するのを聴きながら、うなずいたり、気になるところを指摘した後「ウを言ってからィを言おう。スとィの間にウを入れてみよう」ということで再び通す。「甘い感じが出てきたね」と久住先生がうなずいた。言葉一つの発音で雰囲気が変わってしまう。いつも思うが歌は奥が深い。次は『眉をあげて』 「出だしが悪いと思ったら指揮とあってない。音が割れている。一つしかないはず」と指摘がある。気持ちを集中させてもう一度。今度はうまくいった。続いて団歌の『歌は風にのって』だ。何回も歌っている曲でも注意が飛ぶ。相川先生はポーズを取りつつ指揮をしながら声を伸ばすよう引っ張っていく。2番に入ると「1番よりボリューム出して」「明るく お話しする感じで」「先生の最後の指揮どうだった? ばんとおわるんじゃないでしょう 最後は声を伸ばさないときれいに終われないのだ。歌い  慣れている曲でも油断があるとうまく決まらないという例を見せてもらった。
最後は長川先生の指導で合同演奏会の時、全員で歌う曲を練習する。注意しないと姿勢が悪くなるのが心配だ。2時間が経過し集中力が途切れてきたのだろうか。終わるとピアノの音に合わせ歌いながら机を元通りに直す。全員着席して先生の話を聞き団長のリードで「きんこんかんこん 鐘が鳴る」とリトミックを行って終了。帰り際、小学生の団員が自分の所へ来て「一番いい少年合唱団はどこですか」と質問した。日本の中ではどこかなと考え「TOKYO FM 少年合唱団でしょう」と答える。「自分が一番好きなのはボーイズ・エコー宝塚です」とも付け加えた。更に「新潟は『おんでこ』がいいですね。これならウィーン少年合唱団にも引けは取りません」と付け加えた。これは先月、ウィーン少年合唱団を聴いた時に感じた偽りのない思いだ。

  
午後の練習
 午後も練習があることを知りそちらの見学もお願いした。「食事に行きましょう」とお誘いを受け近くの喫茶店でホットサンドのランチを食べる。ここで3月までTOKYO FM 少年合唱団に在籍していた4年生のソプラノW君を紹介された。お父さんの仕事の関係で新潟県の某市に引っ越してきたが少年合唱団で歌いたいとのことで新潟少年合唱団に入ったそうだ。食事の席で、W君の通う小学校の航空写真を撮ることになり校庭に校章の形で並んだことが話題になった。「メモある?」の言葉に自分の手帳とボールペンを渡すと迷うことなくきれいに図を描いた。それを見て「センスのある子だな」と思った。更に「ここが赤、ここが水色」などと説明してくれた。色は各自がその色のエプロンをして表したそうだ。そっくりさん人形を見せるとなつかしそうに触りつつ「ここに針金がある」などと言った。探求心旺盛な性格なのだろう。
  午後は近くにある万代小学校の音楽室での練習だ。午前中は部活だが午後なら来られる中学生が対象だそうだが本日は1年生のM君だけ。これに先ほどのW君、午前中も参加した6年生のE君を加えた3名で行われた。ここの音楽室は広くて環境もいいが午前中は使えないとのことで残念。
  先ずは足踏み、手を振る等の動きを鏡で見て正しい動きを確認する。更に肩を上下、膝を曲げて前屈み、元にもどして手を上下するなどして準備運動。歌う姿勢になって半音ずつ上げながら発声練習を行う。「目をあけて明るく」「母音を響かせて」などとアドバイスが入る。ウオームアップが完了すると『浜千鳥』の練習に入る。「『青い月夜』の『夜』が高い声です。『青い月』はそのための準備です」「『生まれでる』の『る』はほっとけば下がります。ホースの水を最後に飛ばす感じでね」「下がるときはけちけちする感じでいきます」「『ぬ』が聞こえません。『ぬれたつばさの』をていねいに」などと次々とアドバイスがある。普段何気なく聴いたり口ずさんだりする曲に様々なことが隠されているのだと実感する。次はミュージカル『笠こ地蔵』だ。音符が正しく読めないことに気付いた相川先生が黒板に音符を書き(ドミソファミファミレド…)一人一人読むように指示。なるほど。なんだかたどたどしい。何回かやるとそれなりにできるようになるが逆から読ませるとひっかかってしまう。ウィークポイントを見たような気がした。午前中と同じく『笠こ地蔵5』の楽譜を使って階名読みをした後、最初の高いレを出してから歌詞を読む。W君が一回でレを決めた。ピアノなしで自主練習をしてさいごの「立ってござる」の部分を一人一人が歌う。「『た』はリラックスしないと歌えない」との指摘を受け2回歌うとそろった。風が吹く様子を歌った「ぴゅー」の部分は「いかにも吹いてきた感じで」「おじぞうさまはおきのどく」の「おきのどく」の部分は声に力を入れる。「つめたかろう」はいかにも冷たそうに。「風にふかれて」の「ふ」が抜けてるなどと細かいアドバイスが出る。その情景をイメージしながら歌わなければならないのがミュージカルで子どもたちは歯ごたえを感じているのだろう。「つらら」が歌いにくいという声に「凧糸で声をぶら下げるようにすれば下がらない」とアドバイスがある。これらのアドバイスを受けて練習するが思うようにはいかない。大きな課題は簡単に乗り越えられないができた時の「やった」という気持ちをぜひ味わって欲しい。ここで休憩。午前中の練習に参加していたR君がグラウンドで野球部の練習をしていた。左投げ投手のR君がピッチング練習をする姿はかっこよく見えた。合唱はやめたくないとのことで頼もしい限り。
  休憩後は『ホーム スィートホーム』からだ。「うらやまじ」は「うらやましくない」「あるじ」は「家の持ち主」など歌詞の意味をみんなで確認する。W君は東京の家を思い出したそうで歌詞を読みながらそこへつながるのはいいことだ。W君とメゾソプラノのE君が二重唱を披露してくれたがこれはよかった。「鼻濁音にするともっと響く」とアドバイスがある。続いての『へいおどれよ』は3人とも大崩れせず最後まで歌えた。聞けばW君は新潟に来る車の中で、E君、M君は家でも練習しているそうだ。E君はメゾのパートを暗譜しているそうでそれに比例して歌えている。このE君、入団当初は歌うことに消極的だったが練習に通ううち、成長したとのことで、人間はやる気になるとすごいなと感じた。このような団員が少しずつ増えてくれればと願う。最後に午前中と同じく合同演奏会の歌を練習しM君のリードでリトミックを行って終了。自分は充実した時間を過ごすことができた。

  長川先生に新潟駅まで車で送っていただき、改札に向かいかける道楽さんに「ねえ、喫茶店は?」とぼくは小さな声で言った。「今日は送り火炊くんだろ。今から帰ればちょうどいい。喫茶店は信濃川の向こうだから来月にしよう。罰が当たるのは君もいやだろう」「そうだけどさ」「良い喫茶店は東京にもたくさんあるから大丈夫だ」送り火のことを強く主張したことと魚をあきらめてもらった手前、ここは道楽さんの言うことを聞かなければならない。仕方ないかと思いつつもぼくは複雑な気持ちで新幹線に乗り込んだ。

10分間の出演に使うエネルギー
新潟少年少女合唱団合同演奏会

                2005年8月28日(日)

 道楽さんはデイリースポーツを熱心に読んでいる。それを横目にぼくは車窓の風景を楽しんでいた。高架線を走る新幹線の景色は遠くまで見えるけど、先週乗った「銀河」に比べると何かが足りないと思った。車内販売のワゴンがまわってきたけど道楽さんは何も買わなかった。「コーヒー飲まないの?」「新潟の喫茶店のコーヒーを飲みたいからここでは飲まない」先月、新潟に行った時、送り火を焚くために諦めた喫茶店のことを言っているのだ。きょうは新潟県少年少女合唱団の合同演奏会に出演する新潟少年合唱団を聴きに行く。演奏会は午後だけどリハーサルの様子から見ようということで朝一番の「とき」に乗車したわけで熱心なことだと思う。先週は宝塚と京都へ行っているのでぼくは少々疲れ気味だ。「なら来なくていいよ」と道楽さんは言ったけど合唱とコーヒーを楽しみたいので一緒に来た。幸いに新幹線に乗ったら気分がうきうきして疲れていることを忘れた。新潟駅には定刻に到着。出口にいる係員がゴミ袋を持って乗客のゴミを回収しているのはテロ対策で車内のゴミ箱を撤去しているからだ。

 駅前からタクシーに乗り会場となるリュートピアに到着。しばらく待つが誰も来ない。「ここじゃないな」と案内図を見て楽屋口に向かい、「どこかな?」とキョロキョロしていた道楽さんは車から降りてきた新潟少年合唱団のS君を見つけ後に続いた。「声をかけようよ」ぼくが言うと「あの子、なんていったっけ。名前が出てこない」「また物忘れ? 将来が心配だな。取りあえずお酒は控えるべきだ」「そう言うなよ。物忘れについて文献を調べ自分の体験と照らし合わせてみたら面白いかもしれない」「あんたは呑気でいいね。それよりあの子はS君。思い出した?」「そうだった」と話しているうちに集合場所に着いた。「おはようございます。早くからお邪魔します」と道楽さんは相川先生、長川先生、吉村先生にご挨拶。きょう参加予定の17名は全員揃ったそうだ。この日、出演する合唱団は6団体で指定された控え室に入り順番にリハーサルを行うそうだ。新潟少年合唱団も控え室に入りイスに座って先生の話を聞く。「きょうは何を歌いますか?『さくら』?」反応が起きないのはまだ目覚めてないかららしい。「『さくら』は歌いませんよ。みんな大丈夫?」これをきっかけに『わたしの回転木馬』『埴生の宿』などと反応が起きた。今回、新潟少年合唱団が歌うのは『わたしの回転木馬』、『へい、おどれよ』『埴生の宿』『眉をあげよ』『歌は風にのって』の5曲だ。「『へい、おどれよ』を入れたんだ。仕上がったんだな」道楽さんがつぶやいた。先月の練習の時はぎこちなかったことを思い出したのだろう。プログラムを確認すると早速練習開始。控え室にピアノはないので持ち込みのキーボードを使っての伴奏だ。簡単な発声練習をして『わたしの回転木馬』が始まった。一番が終わり振り付けに移るとメンバーの表情が固い。「葬式やってんじゃないのよ」とやり直し。朝が早いので体が反応しないのだろう。話は違うけど今日の開演は午後1時30分。4時間以上前から練習をしているわけだ。演奏時間10分のためにこんなに早くから始めるのだから遊び半分の気持ちではできないだろう。「スポーツをやって心身を鍛えよう」という意味のポスターを見ることがあるが合唱だって心身を鍛えられる。ぼくはそう言いたくなった。話を戻そう。次はアカペラの『へい おどれよ』。最後まで合唱するのを聴き先月よりずっとよくなったと感じた。「そんないに時間はたってないのに、ここまで歌えるようになったんだ」と道楽さんは感心している。でも先生の注意を聞くと、うまく歌うのは大変だと思う。続いて『埴生の宿』。「一番の『春』、2番の『秋』。季節の言葉をはっきり歌いましょう」とアドバイスがある。4番目の『眉をあげよ』はアカペラの3部合唱だ。出だしを歌ったところで先生はストップをかけ「メゾソプラノはOK。アルトの音がきたない」と指摘。これを受けて通しで合唱。終わると「徒競走でピストルの音が鳴ると同時にスタートする感じでやるように」と話がある。前奏があればタイミングがわかるけどアカペラは最初のピアノの音と指揮者の合図だけだから気持ちを集中させないといけないのだ。「ピアノの音が『用意』、指揮者の合図が『ピストルの音』か。わかりやすいな」道楽さんが言ったけど徒競走をしたことがないぼくはピンと来ない。5番目の団歌『歌は風にのって』は何回も歌ってるはずだけど出だしの「歌は風にのって」が「『ぶたは風にのって』と聞こえます」と注意が飛ぶ。歌うのをやめ「キリの先で突くように発声します」「『風にのって』の歌詞はいっせいにしゃべる感じで。『大地』の時は目をぎらぎらさせて歌いましょう」などのアドバイスがある。「何回歌っても完璧にするのは大変なんだな」とぼくは思った。再び伴奏を入れて合唱開始。「2番に入ったらエンジン全開」「メリハリつけて」という言葉に団員の声が反応してよくなっていく。空気が揺れてるような気がして「あれ?」と思っていたら「指先が響きを感じてる」道楽さんがつぶやいたので「ぼくだけじゃないんだ」と感心した。終わると舞台に立ったときのナレーションの練習を行う。6名のメンバーは途切れることなく話すことができた。ここで「ステージ練習です」と担当者が知らせに来た。時間は9時35分から55分までと限られているのですぐに移動する。道楽さんとぼくは客席から見学した。ここリュートピア大ホールに関して「客席数約1800でかなり広い。舞台で声を出しても後ろまで届いているかどうかが不安になるらしい」と道楽さんが教えてくれた。相川先生が客席に下りて「ここまで届かす感じで」と指示しているのを見て「そうか」と思った。そしてみんなの声を聴いたらきれいなハーモニーなので心配はないと思った。「お客様が入った時とそうでない時では感覚が違うんだよ」と道楽さんは少々不安そうだったけど「緊張状態じゃないからこのまま歌えれば大丈夫だろう」と言った。先生の注意を受けながらの練習は「あっ」と言う間に終わってしまった。

 控え室に戻りイスに座ると相川先生が「歌と歌の間の並び替えは大きな音をたてずにさりげなくやってくださいさて。歌い終わっての感想が何かあるはずです」と一人一人指名した。「どきどきした」と話すのは新人で最年少の小学2年生K君。「大きな人と一緒にやらなければいけないから大変です」と相川先生が答えた。他に指名された団員が「声が小さかった」「体が少し動いた」「オブリガードがかすれた」「『へい おどれよ』の速さが一定しない」などと発言した。これらに対し「午後は、お客様が入るので声が耳に吸い取られます。ちょっと発声やりましょう」と起立して背中を真っ直ぐにして「イ」「イエア」「イエアオウ」と発声。「顔を使ってない。目をあけなきゃダメ」しばらく続け「ホ、ホ、ホ」の言葉で複式練習をやるなど感想に応じた練習を行う。発声が終わると『埴生の宿』を歌いながら「吸ったら充分息を吐く」「『おー わが宿よ』のタイミングがずれている。一番のポイントだからよそ見をしない」「『おー』は針の穴から光が出る感じで」「手話じゃなく、目話する感じで(表情豊かに)」などとどんどん練習に結びつけていく。このような感じで練習を続けると11時30分。この時間も「あっ」という間だった。最後に長川先生から「『回転木馬』の元気で『へい おどれよ』に入ればハーモニーがよくなります」とアドバイスがあった。11時35分から全体合唱の練習なので再びステージに移動。控え室に戻ると12時40分になっていた。これからお弁当を食べ制服に着替えて1時20分に客席集合だそうだから忙しい。相川先生からスピーチを頼まれた道楽さんは「『へい おどれよ』がよくなっているので感心しました。舞台で楽しく歌えればお客様も楽しめます。がんばってください」と手短に話した。控え室を出たぼくたちは食事のため、ホール内のビュフェへ向かった。

 「この味でこの値段は高いな。ミニサラダでもつけるべきだ」道楽さんはカレーライスを口に入れながらブツブツ言った。「あんたも以外にうるさいんだね」ぼくは応じた。おいしい店を探すのがうまい道楽さんだけど今日は外へ行く時間がないからそれができない。「食べられるだけよしとしておこう」ぼくが言うと道楽さんはそれ以上文句は言わず話題を変えた。「9時集合で時間があると思ったけど忙しいね。少年合唱団だけで練習できるのは2時間ぐらいであっという間に終わりになった」「ぼくも舞台に立つのがこんなに大変と初めて知ったよ。10分ぐらいの出演で楽勝なんて考えは間違いだね」「普段は2時間練習したらお終いだけどこれから本番だから大変だ」「合唱も体力と気持ちの勝負だね」「スポーツと同じだということがよくわかる。男の子が歌をやるのを軽く考えるのは間違いだ」道楽さんの顔が珍しく真剣になった。「良い声を出すには体をしっかり作る必要がある。そのためには規則正しい生活をしなければいけない。生きるために必要なことは身に付くんだ。それなのに…」道楽さんの話が延々と続きそうになったので「ぼくたちこんなに真面目に会話するの初めてだね」と遮った。「そうかもしれない」道楽さんの顔がなごんだ。「さあ、客席で応援しよう」ぼくたちが席を立ったのは1時10分。客席に入り新潟少年合唱団のブロックに近い席を確保した。20分になると新潟少年合唱団が制服(白いカッターシャツ、同色のベスト、黒い長ズボン、青いネクタイ)を着て入場し整然と席についた。ぼくには、とてもかっこよく見えた。「じゃあ文章を交代しよう。君はゆっくり見てなさい」道楽さんの声は気のせいか力があった。

当日のプログラム
オープニング
みんなみんな歌になれ

・三条ジュニア合唱団        
「町の子の五つの歌」より“五羽のつばめ”
月夜のけやきの木  アイヌに捧げる小さなレクイエム  風になりたい
・ アルカディア少年少女合唱団
みどりのマーチ
「うたをうたうとき」より“木”“おおきい木”
「空とぶうさぎ」より“お母さん”“空とぶうさぎ”
・ 長岡少年少女合唱団
「森の妖精」より“ゆかいな仲間”
「虫の絵本」より“テントウムシ”“ガガンボ”“セミ”
小さな世界
・ 小学生のステージ
ゆかいにあるけば
休憩
・ 中高生のステージ
ふるさとの空は
・ 新潟少年合唱団(特別出演)
わたしの回転木馬  へい、おどれよ  埴生の宿
眉を上げよ  歌は風にのって
・ 高田少年少女合唱団
未来への道   「絵の中の季節」より“棗(なつめ)の歌”
「白いうた 青いうた」より“ぶどう摘み”“壁きえた”
合唱組曲「駿河のうた」より“みかんの花はかおり”
君のとなりで歌いたい
・ 新潟市ジュニア合唱団
ワルツはすてき  ともだちの歌  たのしいね  陽気に歌えば
山のごちそう   歌えバンバン  ヘイ・ジュード
・ エンディング
トゥモロー

 気付いたことをいくつか書こう。どの合唱団もスピーチをするが整列し終わってから話が始まるので間が悪い。またアカペラをやる団体の中に最初のピアノの音から指揮者の合図まで時間がかかるところがある。これでは歌いづらいと同時に観客も間延びしてしまう。その点、新潟少年合唱団は整列を始めるときからスピーチが始まり終わる頃には歌う体勢ができているのがよかった。これだと観客も間延びせず聴く体勢になれる。アカペラのスタートもタイミングが良くこの点を他の団体も見習うべきだ。しかし合唱は練習に比べて固さが目立ち力を充分に発揮できなかった。最初の「私の回転木馬」は声は出ているものの団員の表情が固い。緊張しているのがわかり「リラックス」と声をかけたくなった。その思いは間奏の振り付けにも表れた。「なんとか明るくしなければいけない」という気持ちは全員の表情に出ていたが体がついていかない。もどかしい気分は全員が感じていただろう。2曲目のアカペラ「へい、おどれよ」は少ない人数にもかかわらずきれいな合唱に仕上がっていた。終わると躍動感のあるこの曲から一転、静かな雰囲気の「埴生の宿」になるが曲の特徴を捕らえて歌うことができた。4曲目のアカペラ「眉を上げよ」は崇高な雰囲気を感じた。練習で歌い込んできた成果を感じるとともにこの曲を音がよく響く聖堂で聴いてみたくなった。祈りの曲は少年合唱団によく似合う。最後の「歌は風にのって」は最初の固さをそのまま引きずってしまった。何回も歌っている曲だけにもう少し余裕が欲しい。自分が固いと感じてしまう原因の一つは表情からである。良く言えば少年らしい一本気な表情、悪く言うと乏しいのだ。相川先生の話にあった目話を意識するといいのだろうが今後の課題と考えよう。最初のスピーチにあった「ぼくたちの合唱団はとても愉快な人たちばかり。パワー全開で歌っています」これをそのまま出せるような合唱団を目指して欲しい。「アカペラの曲はまだ危ないところもありますが、なぜかみんなが歌いたいと言うので歌います」との意欲があるのだから必ずできるはずである。

 先生方にご挨拶して会場を後にした。「あれだけ練習して10分間勝負なんだね。大変だなあ」ぼくは言った。「勝負は一瞬。これも人生だ。たとえ練習がよくても本番で力が発揮できなければ評価されない。どんな人もその一瞬のために努力してるんだよ」ぼくはそれを聞いて「あんたはどんな努力をしてるの?」尋ねた。「言われてみれば最近、努力してないな。反省しなきゃね。薫君はどう?」「あんたの心を安定させるのは大変な努力が要る」「そうか。ありがとう」ぼくはそう言われてうれしかった。「さあ、コーヒー飲みにいこう」道楽さんが連れていってくれたのは万代通りから別の通りを少し入った場所にある小さな店だった。カウンターに座りブレンドを注文すると先ず豆を挽きドリップする。京都のイノダと同じように注ぎ口の細いポットを使って少しずつお湯を注いでいく。出来上がったコーヒーはとてもよい香りだった。「アップルケーキもおいしいんだ」と注文したケーキはリンゴがスポンジの中に入っていた。コーヒーの香りとケーキの甘い香りが体の隅々に染み渡ってきてリラックスできた。「新潟に来たら必ず来ようね」ぼくはここが気に入った。

 店を出て万代通りを駅に向かって歩いていくと信濃川に架かる万代橋がある。川を見た時、ぼくは「あっ」と声を出した。「遊歩道に降りてみようよ」ぼくが言うと道楽さんが「なぜ?」という表情をした。「いいから早く」ぼくは遊歩道から見る夕方の景色を見ながらさっき聴いた「歌は風にのって」を口ずさんだ。「この景色にピッタリだ」ぼくはそう思った。


この秋、最高の感動。第4回新潟少年合唱団定期演奏会
       上質なオペレッタ「かさこじぞう」
 
                                                             2005年11月20日

  「歌は風にのって大空に広がる 歌は雲にのって大地をめぐる…」
  ぼくは道楽さんといっしょに信濃川沿いの遊歩道を歩きながらいい気分で歌った。定期演奏会終了後、帰京する前に気分転換をしようとここへ来たのだ。ぼくの心はオペレッタ『かさこじぞう』を見たことで温かくなっていた。「あれ? あんな所にガラス張りの店がある。行ってみよう」と道楽さんが言った。そこはケーキ屋さんだった。ガラス張りのテラスがありそこで飲食できるようになっている。「入ってみよう」と道楽さんは中に入りクッキーや焼き菓子を眺め土産にと購入した。「せっかくだからケーキを食べてみようか」と和栗のモンブランとコーヒーを注文して席に座った。「きょうの演奏会はとてもよかったね」道楽さんは静かに話した。「あんたも感動したんだ。感動したらドライマティーニじゃなかったっけ?」ぼくが聞くと「高揚するような感動ならそうだけど、ほのぼのした感動はソフトドリンクがいい」と道楽さんは答えた。「舞台で歌って緊張したんじゃない?」「違う。快感だった。舞台に立つ楽しさを久しぶりに味わった」「案外、目立ちたがり屋なんだね」「そういうわけじゃないけど」ぼくたちはそんな会話を交わしながら演奏会を振り返った。
 会場のだいしホールでは、前回ドラケンスバーグ少年合唱団の演奏会でご一緒したS君のおばあさまと隣り合わせにすわった。S君は『かさこじぞう』でおじいさん役をやることになっており「どうなりますか」と期待半分、不安半分という感じで話してくださった。本日のプログラムは以下の通り。

ゆかいに歩けば 月のかげ エーデルワイス かねがなる 白い花 あらののはてに
ハレルヤ(久住和麿作曲) 
フニクリフニクラ 私の回転木馬 へい おどれよ 眉を上げよ 
埴生の宿 モルダウの流れ
全員合唱 空を見上げて
オペレッタ 「かさこじぞう」

 時間になり20名の団員が舞台に立った。(小2→1名 小4→2名 小5→2名 小6→4名 中1→7名 中2→1名 中3→3名) 中学生の代表2名の挨拶が終わると合唱に移る。最初の『ゆかいに歩けば』はピアノのリズムにのって楽しく歩く様子を表現した。2曲目の『月のかげ』は一転して静かな月夜を思わせる合唱。『エーデルワイス』は落ち着いた雰囲気の合唱だった。ドイツの歌『かねがなる』は練習の終わりや演奏会の解散時にリトミックをつけて歌う曲で、今回は3部の輪唱で歌った。それぞれの声が響き合う楽しい仕上がりだった。次の曲はプログラムにない曲(題名は不明)でイカとイルカを詩にした言葉遊びのような楽しい曲で手を使って表現するのがおもしろく、最後は全員が前に倒れて終わる。この曲で会場がなごやかになった。ここまで心配していた固さはなく良い意味での緊張感があった。声もよく出ている上、言葉がはっきり聴き取れるのがよい。整列し直し「みんな、アカペラが大好きでいろいろな曲に挑戦しています」とスピーチがありアカペラに移る。全員が自信をもって声を出していたので、観客は少年の清らかな声を楽しめただろう。特に『あらののはてに』と『ハレルヤ』はチャペルで聴くような響きがあった。いつも思うが宗教曲は少年合唱がよく似合う。終わると団長のO君(中3)が小2と小4の団員にインタビューを行った。小2の団員に学年を聞き「2年生? それは若い。これからの成長に期待したいですね」と話すと客席から笑いが起きた。宗教曲で敬虔な気持ちになっていた心が再びなごんだ。ここで指揮が長川先生から相川先生にバトンタッチ。『フニクリフニクラ』は強弱のメリハリをつけたリズミカルな合唱、『わたしの回転木馬』はS君とW君がきれいなオブリガードを聴かせてくれた。間奏の振り付けも今日は楽しそうにできた。この雰囲気のままで歌が終わると、ここまでで一番大きな拍手が起きた。『へい おどれよ』と『眉をあげよ』はアカペラで少年特有のきれいな合唱を存分に聴けた。前者は躍動感を表し後者は敬虔な気持ちになるような歌い方で気持ちの切り替えが見事にできた。続いて3部合唱による『埴生の宿』と『モルダウ』だ。『埴生の宿』はポイントになる「おー、わが宿よ」のタイミングがしっかり決まった。『モルダウ』は少年合唱ならではの力強さがあった。いろいろな合唱団でこの曲を聴いているが自分には曇りの日というイメージがある。この日の新潟少年合唱団はよく晴れた日のイメージで「こういう歌い方もできるのだ」と発見した。前半最後は全員合唱の『空を見上げて』だ。全員で一度歌うと「テノールの方、前に来て歌ってください」とお願いがありOBらしき中高生が4,5名舞台に上がった。
 「待て、この部分はぼくが書く」とぼくはパソコンの前に座った。「大人の方もお願いします」の声に「なにしてんだよ。早く行け」とぼくは道楽さんを突いた。「地元の人はいないのかな?」「関係ないよ。そんなの。じれったい人だな」と促していたら隣のSさんが「行ってください」と一言。道楽さんは「待ってました」とばかりに立ち上がった。「なんだ。出たかったんじゃないか。もったいぶるな」と声をかけぼくも後に続いた。道楽さんは曲が始まると譜面を追いながら押さえ気味に歌っていた。「大きな声で違う音を出したらまずいから」道楽さんの心の声だ。ぼくも声を出しつつ合唱団の声も聴いてみて、客席で聴くのとは違う魅力があることに気がついた。聴くのもいいけど一緒に歌うのはそれ以上に楽しい。テノールだけでなく小学生の男の子にも舞台に上がってもらえば入りたくなる子がいるかもしれない。歌い終わって客席に戻る途中、「指揮を見られなかったのが残念だ。ある程度は暗譜しておくべきだね」と道楽さんが言うので「次回の課題だね」と答えた。ここで15分間の休憩。保護者の方々がオペレッタの舞台準備をするのを見ていろいろな人たちの協力があるからできるんだなと思った。Sさんも自宅にある古い着物を提供したそうだ。他の団員のおばあさまが「ゴミを捨てに行く服を提供したので困っています」と笑いながらおっしゃっていた。
 オペレッタ『かさこじぞう』は久住和麿先生が作曲した新潟の民話だ。おじいさんとおばあさんのやり取りを軸に合唱が絡んで進行していく。「正月様」など独特の言い方が新鮮だ。伴奏はピアノとチェロ。チェロの響きが雪降る寒村の雰囲気を創り出していた。おじいさん役のS君(ソプラノ)とおばあさん役のE君(メゾソプラノ)が息のあった重唱で観客を引きつけた。後半、笠が売れずお地蔵さんに笠をかぶせてきた話を聞いたおばあさんが「今年も達者で暮らせたんだからいいじゃないですか」と話す場面はホッとすると同時に胸に響いた。お地蔵さん役の6名、魚屋や古着屋などのメンバーも存在感ある演技と合唱で、場を盛り上げていた。特に「ぴゅー ぴゅー ぴゅー お地蔵様はお気の毒 吹雪の中で冷たかろう」と合唱する箇所は吹雪の風景を見ているような雰囲気を出していた。全体を通してわざとらしい台詞や派手な動きはなく、それ故、素朴で上質のペレッタに仕上がっていた。自分は舞台など見てけっして涙は流さないが、何度も目頭を熱くし、この秋最高の感動を味わった。終わるともちろん大きな拍手が起きた。締めくくりの団歌『歌は風にのって』は、大きな役割を果たした者だけに表れる良い顔をしたメンバー一人一人が伸び伸びと歌った。この曲も何度も聴いてきたがこの日が最高の出来だった。「きょうは、いい子でした」とSさんがうれしそうに話すのを聞き、自分も同じ気分を味わった。
 出口に立って観客を見送る先生方に「うるうるしました」「よかったです」とたくさんの人たちがうれしそうに声をかけていた。来年もこの感動を多くの人に味わってもらいたいものだ。

 
 心に余裕が出てきました
 
リバーコンサートに出演した新潟少年合唱団
                            2005年12月25日


 新潟少年合唱団の定期演奏会で感激した道楽さんは、新潟少年合唱団が出演するクリスマスリバービューコンサート(12月25日)のチケットを申し込んだ。前日の24日に「明日は何時から?」とぼくが聞くと道楽さんはチケットを取り出し「あれ? 5時だって」と答えた。「なんだ。今知ったの?」ぼくは呆れた。「なんとなく2時頃と思っていたけど違ったね。新潟少年合唱団気を聴きたいのが一番だったから気が付かなかった」と呑気に答えた。「明日は午後の新幹線で出発だね」ぼくが言うと「同じ旅費を使うんだから早く出発してあちこち見なきゃ」ということで翌25日は東京を8時52分に出発する新幹線に乗車した。社内放送が、在来線の雪による不通区間を繰り返し伝えるのを聞き、大変なことになっていることを知った。

 新潟市も雪が積もっていて寒い。「ゴム長を履いてくるべきだった」と道楽さんは言いつつ万代橋を渡った。「川沿いの遊歩道を歩こうよ」と誘うと「雪の中を歩きたくない。どこかで、昼ご飯を食べて暖まろう」と本町通りにある大きな食堂のカウンターに座った。「先ず、お酒をお願いします」道楽さんの言葉を聞き、そういうことかと思った。「佐渡のおいしいぶりが入っています。刺身でどうですか?」店の女性が勧めてきたのは酒飲みと思われたからだろう。食いしん坊の道楽さんが注文しないはずはない。出された刺身を一口食べた道楽さんは「おいしいですね」と褒めた。「そうでしょう」と彼女はうれしそうに言った。これをきっかけに22日に起きた停電のことを聞くと「いやあ、大変でした」と店の主人が話しに加わった。それによると商店街は真っ暗になりどの店も早々と閉店してしまった。しかしこの店は水道とガスは停電の影響を受けなかったのでろうそくを灯して営業した。そうしたら、心細い思いをしていた人たちが大勢来てくれたそうだ。こういう話を店の人たちが楽しそうに話すのは以外だった。後から入ってきた女性客も加わり、停電で大変な思いをしたことを話題に盛り上がった。「新潟の人って明るいんだね」ぼくは感心した。食事を終え、図書館で新潟関係の本を探したが、これといった本は見つからなかった。

 会場となる日航ホテルにはかなり早く到着した。雨が降っている上に風が強く、時間のつぶしようがないからだ。会場のチャペルがどんな場所か見ておこうということでエスカレーターを降り、あたりを見回していると顔なじみになったSさんが、中学生の男の子と一緒に歩いてきた。男の子は風邪気味のため控え室になっている宴会場で休むとのことだ。後から、もう一人顔色を悪くした小学生が来てイスの上で横になった。「大丈夫かな?」と心配になったけれど回復を待つしかない。停電の影響で暖房が使えなくなったのも原因なのだろうか。「便利さの裏側には必ず危ないことがあるんだ」と実感した。しばらくすると先生方と合唱団員が集まりミーティングが始まった。このあたりは省略して本番のことを道楽さんに書いてもらおう。
 演奏会場はチャペルというので、木の佇まいを想像していたのだが近代的なガラス張りの造りだった。「これだと音響はよくなさそうだし、クリスマスのコンサートにはふさわしい雰囲気ではないね」と文句を言うと、「信濃川と新潟の夜景が一望できるのがいいじゃないか。良い雰囲気だ」と薫がフォローしてくれたので気分が変わった。では新潟少年合唱団に絞って書いていこう。当日は「日本では珍しい少年ばかりの合唱団です」と司会者に紹介され、トップで登場した。

 当日のプログラム
・気球に乗ってどこまでも ・ジングルベル ・赤鼻のトナカイ ・荒野の果てに
・ もろびとこぞりて   ・ハレルヤ  ・へい、踊れよ  ・眉をあげよ 
・埴生の宿        ・モルダウの流れ

  最初の『気球に乗ってどこまでも』はゆっくり目のテンポで声をたっぷり使っての合唱だ。これは喉を慣らすための効果があった。心配していた緊張はなく声はよく出ていたので、この後の合唱に期待がもてた。終わると代表によるスピーチだ。団長を務めるO君のどっしりした声はこういう場所でも効果的だ。次の『ジングルベル』は鈴を鳴らしながらの明るい合唱。『赤鼻のトナカイ』は変声の終わったメンバーの主旋律と変声前のグループのハミングがうまく調和していた。観客がクリスマス気分になったところで『あらののはてに』だ。アカペラの合唱は、少年たちの澄んだ声を存分に聴かせてくれた。次の『もろびとこぞりて』は伴奏を付けての合唱でクリスマスらしい雰囲気を味わえた。テンポがゆっくりなので聴く方もゆとりをもって鑑賞できる。この曲を速いテンポで合唱すると神様が走って目の前を通過していくような気がして有難味がなくなるのだ。アカペラの『ハレルヤ』は短いながらも美しい。この曲は指導者である久住先生が作曲したもので声の調和がきれいだ。同じくアカペラの『へい、踊れよ』と『眉をあげよ』は合唱団のレパートリーと言ってもいい曲だ。躍動感のある曲とじっくり歌い上げる曲は、良い対象で互いが引き立ち、それぞれの声を楽しむことができる。アカペラを十分楽しんだ後は『埴生の宿』だ。新潟少年合唱団が歌うこの曲は、いつ聴いても心が安まる。本番のステージで何回も合唱しているだけに安定感がでてきた。最後は『モルダウの流れ』。信濃川を眼下に眺める会場で聴くと味わいが違う。この曲は歌い始めて日は浅いがしっかりした合唱に仕上がっている。これからも練習を重ね、より深まることを期待したい。最後に指揮をした相川先生が挨拶をして終了。少年たちは余裕のある表情をしており、舞台に慣れてきた感じだ。

  コンサートを最後まで鑑賞し、相川先生にご挨拶すると「声を出し過ぎていました」とのお話があった。この点に関して同意見の声をいくつか聞いた。この日は、プレッシャーをはね返し全員張り切っていたのだろう。また一人一人が歌うことを楽しめるようになってきたのかもしれない。課題はたくさんあるが舞台慣れしてきたのは事実だ。本番前、体調をくずしていた子たちが舞台ではそれを感じさせなかったのは気が張っていたからだろう。「さすが合唱団員。家に帰ってゆっくり休んでください」と言ってあげたくなった。これとは別にうれしいことを一つ付け加えておこう。小学2年生と4年生の団員が1名ずつ加わったことだ。どう成長していくか楽しみだ。

新潟市少年少女合唱交歓演奏会
                               2006年2月18日


    新潟を歩く
  「みなさん、こんにちは。薫です。今回のレポートは2月に開催された新潟市少年少女合唱交歓会に出演した新潟少年合唱団についてです。会場まで道楽さんと一緒に町を眺めながら歩きました。ぼくの文章を読みながらイメージしてみてください。
新幹線は10時49分、定刻で到着した。ぼくが新潟へ来たのは6回目だ。「新潟の町を一言で表せばなんだろう?」と思いつつ駅の外へ出ると雪が降ってきた。「バスで本町(ほんちょう)まで行こうか」とバスに乗ったけれど走りだしたらやんでしまった。「よし、歩こう」楽さんはあっさり方針を変えてバスセンターで下車。ここまでなら運賃は100円だ。ここから万代橋通りをまっすぐに歩くと信濃川に架かる万代橋がある。ここから見る信濃川の眺めはぼくのお気に入りの一つだ。橋を渡りそのまま歩き広い通りを渡る。次の道を左へ行くとお茶屋さんがあり、ほうじ茶を焙じている時に入るとよい香りが楽しめる。ここでお茶を購入すると一杯ご馳走してくれるのがいい。この道を更に歩くとぼくのお気に入りの喫茶店がある。カウンターに座り注文を受けるとその場で豆を挽いからドリップしてくれる。店員さんがポットからお湯を注ぎながら「おいしく入れるにはお湯の太さを一人前なら蕎麦1本分。二人前ならうどん1本分にするのがコツです」と教えてくれた。この店で作っている紅玉を丸ごと入れて焼いたアップルケーキもお勧めだ。「喫茶店は帰りに寄ろう」ということで万代橋通りをそのまま進むと本町通りと交差する。この通りは市場があり野菜類を売る露天や魚介類を扱う店がある。道楽さんは興味深く見ているけど何も買わない。「旅行中は生ものを買うべきではない」という方針があるからだ。「ここにある材料でどんな料理を作りたい?」と聞くと「そうだね」と料理の名前と味付け方法を口にした。「これに新潟の純米酒をつければ最高だ」「あんたが作るとお酒に合うメニューになるね」「わかってきたね」道楽さんは笑った。昨年の12月にお昼ご飯を食べた食堂の建物がなくなっているのを見た道楽さんが残念そうな顔をした。本町通りを逆戻りして再び万代橋通りをしばらく歩いていくと古町通りと交差する。古町通りを左に行くと老舗という感じの店が何軒かある。この通りには道楽さんお気に入りの和菓子屋さんがある。道楽さんが初めて買い物をした時、「準備をする間、こちらでお休みください」と店内の床几台に案内されお茶がでてきたそうだ。ぼくはそういう扱いを受けたことはなく、暗い顔した店員が商品を説明していた印象しかない。「せっかくおいしいお菓子を作ってもああいう態度では意味はない。良いものを売るにはそれなりの対応が必要なんだ。あれじゃ初めての人は二度と来ない。多少、給料を高く払ってもいい人を雇う方が店の儲けになる。そう考えると良い物は多少高くなるのがわかるね」「演奏会もそうだね」「よい演奏はもちろんだけど、聴きに来るお客様に気持ちよく聴いてもらう工夫がいるね。それと演奏会をたくさんの人に宣伝することも必要だ」道楽さんの言いたいことはわかっているけど補足説明は省略しよう。この後、古道具屋で真空管を使ったアンプを見たり、古本屋に入って立ち読みするうちにタイムアップ。「時間だよ。行こう」古町通りをそのまま歩き国道に出て左へ曲がると昔ながらの洋食屋さんがある。そこに入ってメニューの一番上にあるハヤシライスを注文するとサラダとコーヒーが付く1000円のセットメニューを勧められたのでその通りにした。「ところでさ」とぼくが一言発したらハヤシライスが運ばれてきたので驚いた。壁に貼ってある説明書きによると「早いライス」という意味があるそうだ。中身は肉や野菜がたくさん入っていて「お値打ちだ」と道楽さんは気分をよくした。しかし店を出てから「量もあるしおいしいけれど店のインテリアを考えるべきだ。ミニカーやキャラクター人形など、なんでもかんでも置けばいいというものではない。それと紙ナプキンの変わりにネピアの箱をテーブルに置くのはマイナスだ。もう一つ、トイレをもっと広くして年輩の人に使いやすくしなければお客様が減る」と言った。「経営コンサルトになってアドバイスしてあげれば」ぼくは笑った。この日の会場「りゅーとぴあ」が近づいてきた。この先は道楽さんにバトンタッチしよう。
 コートを預けて入り口へ行くと合唱団員の保護者であるSさんがいらしたのでご挨拶した。そこへSさんのお母様、やはり合唱団員の保護者の方々が集まってきた。「いつものメンバーが揃いましたね」の言葉で仲間入りができたとうれしくなった。ではプログラムを紹介しよう。

1. 西地区公民館うたごえサークル
・ふるさと ・ここにしか咲かない花
2. せいろう少年少女合唱団
・線路は続くよ どこまでも  ・スパゲティ ペスカトーレ
3. 新潟少年合唱団
・ 空を見上げて 黒人霊歌 ・眉を上げよ メンデルスゾーン作曲
・ へい おどれよ パールドシュー作曲 
 ・かねになれたら フィッシャー作曲  ・モルダウの流れ スメタナ作曲
ゲスト演奏
 内野中学校合唱部
・ 女声合唱とピアノのための「ファンタジア」より
   ジプシー  雪ひらひら
・ 道化師のソネット
 関屋中学校合唱部
  ・Ave Maria gratia plena  ・Alleluia
  ・春に    ・青いベンチ
休憩
全員合唱  翼をください
4. 新津少年少女合唱団
 ・千の花 千の空  ・この地球のどこかで
5. 青山小学校合唱部
 ・七色の瞳  ・満月の不思議ポロロッカ  ・地球が大好き
6. 新潟市ジュニア合唱団
 ・大人マーチ  ・野原で手をたたけ  ・アブラハムの子
 ・若き日のよろこび  ・小鳥の結婚式
合同演奏
 ・友情の歌  ・歌えば楽し  ・さようなら

    交歓会を聴く
 プログラムを見て「合唱で有名な関屋中学校が出るのか」と思った。その関屋中学校は1,2年生の女子24名と仮部員の男子16名による混声だ。仮部員(多分、運動部とかけ持ち)とはいえ男子が16名もいるのは心強い。最初の2曲はアカペラによる女声合唱だ。高音部、低音部のバランスがよい。大きな声で歌いまくるのではなく静かな歌声で始まり聴かせどころで徐々にボリューム感を出せるのは正しい指導の成果だろう。特に2曲目は深みもあり「女声合唱もいいな」と感じた。男声(きちんと指導を受けている声)が加わった後半2曲もアンサンブルのよさに感心した。男声が前に出ようとせず女声を支えることに徹していたのが印象に残った。こういう合唱を聴くとチームワークが大切なことがわかる。関屋中学の合唱を聴けたのはこの日の収穫の一つだ。もう一つ、自分が好感をもっているのは青山小学校合唱部だ。メンバーは約40名。そのうち男子は7名だから多い方だ。質の高い合唱団には男子がそこそこの人数いると感じている。この合唱団も歌いまくるのではなく無理のない発声で歌っている。それでいて曲のメリハリに合わせて声をコントロールできるのは普段の指導の成果だろう。聞くところによると市内の小学校で合唱部が残っているのは青山小学校だけとのことだ。今の小学生が民族音楽など様々なジャンルの音楽に関心をもつようになり合唱への関心が薄れているという意見もあるがきちんとした合唱を指導できる教員の数が減ってきているのも原因だろう。最近の教育は改革という美名のもとで目先の変わったことを指導するとまわりが注目し評価してしまう傾向が強いように思う。小中学生の時は、基本的なことを繰り返しつつ人間としての土台作りに力を入れるべきである。正しい発声方法もその一つで一生の財産になるはずだ。市内の小学校に合唱部が一つだけという現状は気になるところだ。
 話題を変えよう。お目当ての新潟少年合唱団だ。先ずはパンフレットに記載されているプロフィールを紹介しよう。「僕たちの合唱団は発足して満5年、現在小学生から中学生まで22名が楽しく練習しています。半数が中学生になり、混声合唱のハーモニーも味わっています。第4回定期演奏会ではオペレッタに挑戦したり、県内の先輩の合唱団や南アフリカの少年合唱団、混声合唱団コールフロイデの触れることができたり、とても充実した活動を続けています。頼もしい中学生、そこに小学生がもっともっと増えるといいなと思っています」
 この日は、21名が舞台に上がった。団員によるスピーチが終わると整列が完了し歌う体勢になっているのは無駄がなく、観客は聴くタイミングを取りやすい。最初の『空を見上げて』はテンポ良く明るい声での合唱で上々のスタートが切れた。次のアカペラによる『眉を上げよ』と『へい おどれよ』は何度も歌ってきた曲だ。それだけに団員も余裕をもって歌えるようになった。後者の『へい おどれよ』は昨年の夏に練習見学をした時から見ると格段の進歩をしている。躍動感のあるこの曲は少年たちの感性に合っているようでそれも進歩の一因だろう。最後は残響を感じたので感心した。同時に広いホールでも臆することなく歌えるたくましさがついたのだとうれしくなった。次の『かねになれたら』は合唱団にとって初演だ。これは静かな祈りの曲でソプラノ2名(中1、小6)のオブリガードが入る。「アヴェ マリア」と歌うオブリガードは強さをもった美しい響きで、聴き応え十分だった。この曲もアカペラで少年合唱の魅力を存分に引き出している。「新潟少年合唱団といえばアカペラ」そんなイメージが自分の中にできつつある。一瞬の余韻に浸っていると『モルダウ』の前奏が始まり現実に戻された。新潟少年合唱団で聴くのは3度目だがうまくなってきた。「どういうところが?」と聞かれても、はっきり答えられないがそう感じるのだ。強いて言えば自分の頭の中に川の流れがイメージできるようになったからだ。今回、新潟少年合唱団を聴き、男の子から少年へと変わっていく時期に似ていると感じた。ここまでの経験が自信となりたくましさが加わっているからだ。発足して5年目。これからもいろいろな合唱曲に親しみ、きれいな声を響かせて欲しいものだ。

 ロビーにて
 すべてのプログラムを終え、客席からロビーに出てきた新潟少年合唱団員の表情はさわやかだった。先生方の話が終わると団長のO君がリードして「きんこんかんこん鐘が鳴る」と歌いながらリトミックを行った。これは合唱団恒例の締めで見ている方も楽しくなってくる。ぼくも一緒に手拍子と膝をたたくのをやってみた。興味のある方は新潟少年合唱団の演奏会にお出かけください。
  解散を見届けた道楽さんはクロークへコートを受け取りに行った。そうしたらクロークは閉まっていた。「終演後30分経ったので事務所へ保管してあります」という説明を聞き「29分ですよ」と道楽さんは時計を見て少々不満顔だ。「細かいこと言うなよ。取りに行けばいいんだから」せっかく素敵な合唱を聴いたのだからつまらないことで不愉快になられては困る。コートを受け取った道楽さんに「コーヒーを飲みに行こうよ」ともちかけ例の喫茶店へ赴いた。ぼくたちはここで楽しい時間を過ごした。


大きな拍手 注目を集めた新潟少年合唱団
               ふれあい音楽会 
2006年7月9日

  新幹線を降りて万代口の改札に向かい1番ホームを歩いていると2両編成の電車が入ってきた。その電車を道楽さんはデジタルカメラで撮影した。「もしかして相原君の影響?」ぼくが尋ねると「よくわかったね。せっかく新潟に来たんだから新潟の電車を撮ろうと考えた」「それはいいけど今回の目的を忘れちゃダメだよ。新潟少年合唱団を聴きに来たんだから」放っておけば脱線するのは明らかなので忠告した。「さあ、コーヒーを飲んですっきりしよう」ぼくは道楽さんを促して改札を出た。雨は降っていたけれど万代通りを散歩がてら歩き、すっかり顔なじみになった「Y」へ入った。ブレンドとアップルケーキを注文し大好きな香りを楽しんでいると「ケーキが甘く感じないな」道楽さんは首をかしげた。「くたびれてるんだ。火曜から金曜までの出張でエネルギーを使い果たしたからだ。昨日も用事で休んでる暇はなかったからエネルギーは補給されていない」「そうかな」そんな会話をしていると別のお客さんがアイスコーヒーを頼んだ。店長がコーヒー豆を挽いてドリップし、出来上がった熱いコーヒーを氷がたっぷり入ったグラスに注ぐのを見た道楽さんが「手がこんでますね。今時こんな店ないですよ」と褒めると店長がうれしそうに笑った。「お客様は市内の方ですか」「いえ。東京です。東京でもおいしいコーヒーを飲める店は少ないです」「私もそう思います。地方にも発送していますのでよろしくお願いします」わが家のコーヒーが切れているからと300グラム挽いてもらい持ち帰りとした。

 店を出たのは12時前。お昼ご飯の時間だけど「アップルケーキで満足したし、別に食べたい物もないから」と話す道楽さんを見て「やっぱりくたびれてる」ぼくはそう思った。きょうは演奏会が終わり次第、帰京した方がよさそうだ。でもそれには触れず「さあ、しっかり聴いてレポートしよう」と道楽さんの気分を演奏会へもっていった。
  会場となる万代市民会館の入り口で整列した新潟少年合唱団の写真に撮っていた長川先生にご挨拶。制服を着た少年たちがやたらかっこよく見えた。「ホールへいらしてください」と勧められエレベーターで6階へ上がる。「大丈夫。国産だ」最近エレベーターのメーカーを見る習慣がついた。ホール内にいらした久住先生、相川先生にご挨拶して席につく。今回の『ふれあい音楽会』は地域の公民館を使って練習している団体の発表会という感じで合唱、ハーモニカ演奏、オカリナ演奏、弦楽合奏などで構成されている。時間になりアナウンサーらしき女性司会者の挨拶、公民館長の挨拶で始まった。続いて『われは海の子』を全員で歌うのだが自分の声がひどい状態になっていることに気付いた。「くたびれてるだけだ。休めば直る」薫が慰めるように言った。

  今回の新潟少年合唱団の曲目は『空を見上げて』『村の教会』『モルダウの流れ』『歌は風に乗って』の4曲だ。ステージに上がったのは22名。この4月に2年生と4年生が1名ずつが新しく入ったのはうれしいことだ。中学生以上が13名になったそうだから貴重な小学生の新団員である。先輩たちは自分たちの仲間になるよう働きかけて欲しいものだ。最初の曲は何度も歌っているだけに慣れているはずだ。しかし慣れは怖い面もあり油断が原因で崩れることもあるがその心配はなかった。高音と低音のバランスがよくピアノのリズムに乗っての軽快な合唱となり上々のスタートを切った。2番目の曲は初めて披露する曲である。「森のかげに真白く見える村の教会」で始まる歌は出だしがきれいに決まった。この曲は19世紀にウィリアム・ピッツという人が作った曲でアイオア州の谷間にあった教会をテーマにした賛美歌だそうで少年合唱に似合う曲だ。選曲のうまさは団員の声に合う曲をと願う指導者の心の表れだろう。高音部がピッチカートで歌い低音部が旋律を歌う箇所は合唱をより魅力的なものにした。3曲目は聴くたびに進化している。この日は、チェコスロバキアがオーストリア帝国の支配を受けていた時代に人々はどんな想いをしていたかを想像しながら聴いていた。終わると客席から大きな拍手が起こり観客の想いが伝わってきた。最後の団歌は締めくくりにふさわしいが残念ながら低音部のパートがない。相川先生によるとパートを作るそうで楽しみだ。この歌も混声で歌うと違う魅力がでてきそうだ。終わると中学3年生の団長と高校1年生の団員がインタビューを受けた。二人とも小学生の頃、担任の先生から勧誘のプリントをもらい歌が好きなので入ったとのことだ。二人とも運動部との両立でここまでやってきたのは賞賛に値する。団員増加のきっかけになることを願いたい。ひいき目かもしれないがこの日は新潟少年合唱団への拍手が一番大きかったような気がする。

  最後に全員で『マイ ウェイ』を歌った。指揮者が小学生に向かい「漢字読めるか?」と聞いたり、観客にこの部分を盛り上げるようにとジェスチャーたっぷりに指示するのが面白かった。道楽さんは最初の『われは海の子』より持ち直したが声のボリュームは上がらない。「こんなはずじゃないんだけど」と不満そうな表情も見ていて面白い。やっぱり歌は体調が悪いとだめだ。ぼくが何も言わないのに「帰った方がよさそうだ」と言い出したのは元気が出ないからだろう。帰りの新幹線の中でも飲食はせず眠ったり車内誌をざっと読むだけだった。これでまっすぐ帰宅すれば満点だったが「元気を出したいから付き合ってくれ」と馴染みのバーへ立ち寄り、カウンターにいた新人のバーテンさんに「ジントニックをお願いします」と注文した。「きょうは、どんな感動したの?」「ほのぼのだけど、コーヒーは午前中飲んだし、ジュース類も飲む気はしない。すっきり系が欲しくてさ」出来上がったジントニックを一口飲んだ道楽さんは「おいしいですね」と褒めた。「自分は、この味できなくて」「単純なカクテルほど難しいです。微妙なことで味が変わりますので」バーテンさんは別の注文が入ったのでぼくたちの前からいなくなった。「薫君。新潟少年合唱団が一番大きな拍手をもらったわけがわかるような気がする。馴染みのある曲をしっかり合唱できたからね」「態度も服装もよかった」「新潟少年合唱団に乾杯」道楽さんはグラスを軽く上げた。


歌やリズムを楽しみながら力をつける少年たち
新潟少年合唱団ミニコンサート 
2006年3月25日

  「今年度はこのコンサートが最後です。新潟で締めくくれてよかったです。きょうはありがとうございました」挨拶を終えた道楽さんに相川先生が「他にどんなところにいらしたんですか?」と尋ねた。「今週は、栃木少年合唱団、ボーイズ・エコー宝塚の定演、昨日が暁星小学校のコンサートに行きました」ここで道楽さんは「えっ?」という顔をして「今週は4回目ですね。『ばかじゃない?』と思われそうですね」と照れ臭そうに言った。人によってはそう思うかもしれないけれど、ぼくは違う。やろうとしてやったことではないし好きなことを追いかけた結果なんだ。ぼくも4回の演奏会につきあった。これは新記録でこれを上回ることは今後ないだろう。この日、ぼくたちは万代長嶺小学校の音楽室で新潟少年合唱団のミニコンサートを鑑賞した。では新潟駅に到着したところから書いていこう。

  新潟市はきれいに晴れ上がっていた。ぼくは、新潟に何回も来ているけれど青空を見るのは久しぶりだ。日差しはもう春で歩いていると気持ちが良い。万代橋を渡って本町通りに入り、市場の近くの大衆食堂でサバの味煮定食でお昼ごはん。この後、ぼくの好きな喫茶店ナッツで時間調整をしてから万代長嶺小学校へ向かった。では道楽さんにバトンを渡します。

 集まってきた少年たちは音楽室の机を隅に寄せてイスを並べ、紙で作った花や飾りを壁に取り付けるなどしてコンサートの準備を始めた。少年たちだけで飾りつけをする様子はなぜか微笑ましい。準備が整うと発声やグループ別での歌の練習、コンサートの進行の打ち合わせなどと短い時間を有効に活用していた。相川先生からインフルエンザや家庭の事情で休む団員がいるのでグループを一部変更することが伝えられた。それに対して騒ぐことなく「わかりました」という感じで受け入れることに感心した。「もし、アンコールが出たら何を歌いましょうか」という話しが出ると薫が「またやろう」と言ったので「わかった。またタイミングを取ってくれ」「OK」ということになった。この頃になると、保護者の方々もぼつぼと集まりコンサートらしい雰囲気になってきた。

 時間になり司会役の中学生が「それではこれから新潟少年合唱団のミニコンサートを開始します。先ず始めにS団長の開会の言葉です」とスピーチした。S団長は中学2年生。前団長から指名されたほやほやの団長である。前に出たS君は「これからミニコンサートを始めたいと思います」と淡々と話した。前団長とは違うキャラクターだがそれは意識せず、自分の良い面を生かせばよい。続いて司会から「きょうの進行はAと私Iの2名でやらせていただきます。よろしくお願いします」と挨拶があった。事前に練習していたのだろう。落ち着いた聴き取りやすい声だった。先ずは全員で『気球に乗ってどこまでも』だ。発声を兼ねてゆっくりしたテンポで声を十分にだせるようにした歌い方だ。続いて6年生のS君が「次に『私の回転木馬』を歌います。元気に歌います」とスピーチすると「元気に歌っいますって。S君を裏切らないようにね。大丈夫かな? 春だけど冬のような顔よ。肩上げて…、降ろして」と相川先生から指示が出た。この日はコンサートと同時に公開練習でもあるのでこういう注意が飛ぶのだ。この歌は合唱団のレパートリーとして定着してきており、間奏での振り付けとソプラノ2名のオブリガードがポイントになる。振り付けはややぎこちなかったがオブリガードはきれいに決まった。次の『空を見上げて』を歌う前に「体の中からぱっと声がでるようにね。できるかな?」と相川先生が話した。軽快な伴奏に乗っての歌が終わると「テノールを含めた混声合唱で歌いました」と中学生が紹介した。ここからグループ合唱へと移る。グループが前に出て学校名と学年を紹介し「水泳部に所属しています」「好きなことはインターネットです」「好きな食べ物はステーキです」「好きな歌は『あらののはてに』です」などと付け加える。最初は3名で『美しいチロル』だ。変声期前の声はこの曲に合っていてきれいに歌うことができた。2番目は中学生3名で『フニクリ フニクラ』。なじみ深い曲だが意外と難曲だ。しかし3名は気持ちを合わせて歌うことができた。3番目のグループ4名が並ぶと「大きな声ではっきり言うように」と注意があった。自己紹介が終わると「休みの子がいる関係で30分前に結成したグループです。もしうまくいかないことがあっても割引してください」と相川先生がフォローした。4名は『あらののはてに』をややぎこちないもののしっかり声を出して歌った。知らなければ30分前の結成とは感じない歌だった。最後のグループが出て最初の1名が自己紹介すると「先生の我慢もここまでです。もっと大きな声で話しなさい」と先程からの注意が繰り返された。これをきっかけに声が出てきたから注意されることは必要だ。このグループは8名の編成で曲は『モルダウ』だ。一人一人一生懸命歌っていたがハーモニーがもう一つだった。しかし難しい曲を選んだことは評価できる。

  続いては久住先生によるリトミックとハンドサインの練習だ。リトミックは先生のピアノに合わせて歩きながら手を前後上下に動かす。これは手で拍子を取り足でリズムを取る練習で新潟少年合唱団独自のものだ。自分がやるとなると頭で考えてしまい体の動きがおろそかになるだろう。しかし団員たちは体が自然に反応しているように見えた。途中、久住先生は間違いを指摘してもう一度と指示した。間違えたことは全員わかっていて笑顔でやり直した。終わるとピアノの音を聴いて音階をドイツ語で発声する練習だ。これは絶対音感が必要で小学校3年生前半までに身につけなければいけないそうだ。残念ながらこの日参加している2年生は1名だけで残りは年をとってしまっている。この練習は短時間で終えハンドサインに移った。久住先生のハンドサインに合わせて発声するやり方で、これは繰り返せばできるようになるそうだ。低声部と高音部に別れての練習に入るとあやしい箇所が出てきて笑い声が起きた。それでも団員たちは前向きに練習を続けた。見学に来る男の子がこの練習を見て難しそうと入団を躊躇することがあるそうだ。しかしこの日の様子を見れば「自分にもできそう」と気が楽になるだろう。練習がリズムを取ることに移ると和気あいあいの雰囲気になった。これはその場所にいないと伝わらないが少年同士ならではの楽しさがある。この日の見学者で唯一の男の子H君(小学1年生)が笑いながら眺めていた。リズムをやっている少年たちは楽しそうでこういうことが音楽指導の本来なのだと思う。相川先生も「始めにリズムありきです。今年はこの表情を大切にしたなにかをやりたいです」とおっしゃっていた。次のコーナーは見学に来ている小学生と団員の交流だったそうだが残念ながらH君一人なので省略。ミニコンサートのもう一つの目的は小学生の男の子に見学してもらい入団を勧めることだ。予定では何人か来ることになっていたそうだが、その子たちを連れてくる団員がインフルエンザで来られなくなったのは残念だ。次は保護者と一緒の合唱で楽譜が配られた。曲名は文部省唱歌の『春のまきば』。残念ながら歌ったことはないがどうにか声を出した。終わると新潟少年合唱団が練習やコンサートを終えて解散するときに行う歌とリトミック『かねが鳴る』を全員で体験した。「きんこんかんこん鐘が鳴るよ きんこんかんこん鐘が鳴る」と歌い、膝をたたき手拍子をする。何回か繰り返し、最後に「る」の部分で手のひらを滑らせるようにして終わる。難しいことではないが気持ちがそれると間違える。何度もやっているうち覚えることができた。

 最後のプログラムは再び団員全員による合唱だ。始まる前に「定期演奏会で保護者の方々も一緒に歌ってみませんか」という呼びかけがあったが残念ながら反応はもう一つだった。しかし、時間がたてば状況は変わるかもしれないから楽しみにしておこう。合唱は『フニクリ フニクラ』『へい 踊れよ』『かねになれたら』『モルダウ』『歌は風にのって』の5曲を聴かせてくれた。『フニクリ フニクラ』は強弱をつけて、『へい 踊れよ』は声はきれいだが舞台発表の時の躍動感がやや足りなかったが、同声3部で歌うのは立派で昨年共演したドラケンスバーグ少年合唱団の先生が「この歌が一番よかった」と褒めたそうだ。『かねになれたら』はソプラノ2名のオブリガードが入る美しい曲だ。今は1番だけしか歌えないが2番を練習しつつあるそうで楽しみだ。『モルダウ』は息を吸う前に切らないことがポイントだそうだ。正しい呼吸法はこういう曲で養われるのだろう。相川先生によるとこの日は80点ぐらいの出来だそうでポイントを正しく指摘した効果だろう。最後の団歌『歌は風にのって』を聴くと新潟少年合唱団のコンサートに来ていることを実感できる自分の好きな曲だ。ここ新潟市の気候や空気にとても似合っていると自分は思っている。全員が新潟少年合唱団という誇りをもって歌い続けて欲しい曲だ。歌い終わり拍手が起きたところで「アンコール」を出すと「ぼくは合図してないぞ。まだ早いよ」と薫が不満顔で言った。「ごめん。つい合唱に心を奪われた」「しょうがないな。ぼくを忘れるなよ」

  アンコールはみんなで相談した結果、『眉を上げよ』と『埴生の宿』に決まった。どちらも進化を続けている曲で新潟少年合唱団のレパートリーになってきた。歌が終わると、団長の「1、2」の合図で『かねが鳴る』を歌いながらのリトミックをして終了。合唱団の特徴をプログラムに入れたミニコンサートは団員たちが楽しそうに歌っていたのがなによりだった。この雰囲気を多くの人たちに直接感じてもらえればと願うばかりだ。今回は団員募集という視点からは残念だったが「またやろう」という声が出たのは頼もしい限りだ。定期演奏会同様、ミニコンサートにも力を入れていくことを望みたい。


 今年は合唱ファンタジー『半日村』
       
第5回新潟少年合唱団定期演奏会
                          2006年11月26日

 「あれ、ここじゃなかったっけ?」「違うよ。一つ向こうだよ」ぼくが言った方向に行ってもだいしホールはなかった。「薫君も間違えた」「なんだよ。うれしそうに言うことないだろ」「そう見えるかい? これであいこだ」道楽さんは通りかかった人に道を聞き、ホールへは無事に到着した。「くたびれてるね。お互いに」道楽さんはため息混じりに笑った。この日は11月26日の日曜日。新潟少年合唱団の定期演奏会の日だ。10月15日の日曜日以来、ぼくたちは毎週のように少年合唱団の演奏会へ出かけた。その結果、ぼくも道楽さんもくたびれ気味なのだ。しかし「行かないでおいて後から『行けばよかった』という後悔はしたくない。体力が続く限りやろう。こんなことはいつまでもできないんだから」と道楽さんは粋がっている。「ぼくも元気な限り、ついていくよ。休日にあんたが一人で出かけるとろくなことがないから」「人形に心配されているのか」「いいだろ。あんたを本気で心配してくれる人間なんていないんだから。情けないったらありゃしない」「こいつ、言ったな」「やめろ。離せ。大切な人のために言いにくいことを言うことも必要だってあんたいつも言ってるじゃないか」「確かにそうだけど、君に言われたくない」そこに神様が現れた。「いつも仲がいいですね」「違います。争っていたんです」「わかってますよ。この話はくたびれている時にしてはいけません。続きは別の機会にしてください。さあ、ここまでにして気分を変えて演奏会に臨みましょう。楽しみにしていた新潟少年合唱団ですよ」「わかりました」「休戦にします」ぼくたちはハイタッチを交わしロビーへと向かった。
  ロビーにはリハーサル中の合唱団の歌声が聞こえていた。『かねになれたら』という曲が聞こえると「チャペルのような響きだね。感動だな」と団員の父親らしき人が話していた。こういう反応は応援する者としてはうれしいことだ。ではプログラムを紹介しよう。

 日本のうたメドレー
 ・まきばの朝  ・せいくらべ  ・てるてるぼうず  ・われは海の子
 ・浜千鳥    ・野ぎく    ・冬景色      ・スキー
 外国の歌
 ・村の教会   ・かねになれたら ・おやすみ  ・おちば
 ・とうげのわが家  ・フニクリフニクラ  ・草競馬
 ・森にひびく歌声  ・モルダウの流れ   ・空を見上げて
合唱ファンタジー
 「半日村」

  時間になり22名の団員が2列に並び終えると代表の子が代わる代わるマイクの前に立ちスピーチをした。「みなさん、こんにちは。新潟少年合唱団第5回演奏会にようこそおいでくださいました」と歓迎の挨拶を始めた。続いて「ぼくたちの合唱団はこの10月で満6歳になりました」「初めは5人の合唱団でしたがこれまでこのステージで歌った仲間はぼくたちを入れて38名になります」「今年入団した3人にとっては初めての演奏会。合唱団誕生の時、入団したぼくにとっては5回目となる演奏会です」「きょうは日本や外国の歌、そして合唱ファンタジー『半日村』を初演します」「みんなで力を合わせて歌います」「始めに日本の歌をメドレーで歌います」「歌いつがれてきた日本の童謡や唱歌には知ってる歌もあれば初めて習う新鮮な歌もあります」「一つ一つの歌の世界を大切に歌いたいと思います」これらのスピーチはいつになく気合いが入っていた。そしてまだ新しい合唱団であることを再認識した。挨拶をした団員たちが列に戻ると指揮の長川先生が登場しプログラムが始まった。日本の歌は自分の世代にはなつかしい歌だ。『まきばの朝』を聴いていると自然に頭の中に歌詞がでてきた。ただ合唱の方は声がばらけ、まとまりに欠ける部分があり、不安を感じるスタートとなった。2番目の『せいくらべ』は1番を4年生のソプラノT君が、2番を5年生のソプラノW君がソロで歌った。1番を歌ったT君はパワーのあるきれいな声で、遠くにいるサッカー選手の蹴ったボールが一直線に顔面まで飛んでくるのと似た感覚、2番のW君は、繊細でそよかぜと一緒に流れてくるような感覚だ。タイプの違うソプラノが歌うことで曲に奥行きがでた。『てるてるぼうず』は歌い方によっては妙に暗くなるが少年たちの歌声はからっとしていた。「首を切る」という3番を歌わなかったことも正解だ。『われは海の子』は素朴な歌い方なのがよかった。この歌に余計な装飾は必要ない。『浜千鳥』は声を伸ばす箇所での息切れがなくしっとりとした仕上がりだった。『野ぎく』は5年生2名と6年生2名が心を合わせてきれいに歌い上げ、日本のうたの中では一番印象に残った。『冬景色』は太平洋側の冬景色をイメージさせる合唱で少年合唱団ならではの明るさだった。『スキー』は直滑降で颯爽と滑っていくようなイメージでこれも少年合唱団ならではの表現だ。終わると指揮が相川先生に交代し外国の歌へ移った。

  『村の教会』は高音と低音のバランスがよく自然に声が出ているのがよくわかる。アカペラの『かねになれたら』は会場全体をやさしく包み込むような歌い方でチャペルで聴くような感覚になるのは不思議だ。オブリガードの美しさはボーイソプラノならではで観客を少年合唱の世界へ招き入れた。3番目の『おやすみ』もアカペラで、夢の世界へ誘われる前半と目を覚まさせるような後半の対比がおもしろく、観客相手にいたずらを楽しむ男の子のように感じた。4番目の『おちば』はピアノ前奏が終わるとアカペラになる。中学1年生のE君がソロで1番を歌うと高音域から低音域へと輪唱のように広がっていく。これは風に吹かれたおちばがひらひらと舞いながら落ちていく風景を見ているようだった。『峠のわが家』は変声後のメンバーだけでの合唱である。この年齢だと大人の男声合唱とは違う初々しさがあるのが良く今までに比べて声が落ち着いてきた感じだ。続いての『フニクリフニクラ』は前半を変声後のメンバーが歌い後半は袖で待機していた変声前のメンバーが加わって賑やかな合唱となった。歌い終わり余韻が残る中、「広い野原に来ました。馬がいっぱいいますよ。楽しい草競馬の始まりです」とスピーチが入ると『草競馬』の始まりだ。全員が伸び伸びと歌い、間奏では一人一人が手を振りながら「がんばれ」などと声を出し競馬場の雰囲気を出しているのが楽しかった。またおもちゃのピストルをまっすぐ上に向けて撃っていた小学2年生H君の一生懸命な表情がよかった。次の『森にひびく歌声』は動から静へと移った。体を左右にゆすりたくなるような躍動感のある曲を格調高く披露した。この歌はメインであろう『モルダウの流れ』へのうまい橋渡しとなった。さて『モルダウの流れ』は団員たちが好きな曲でこれからも歌っていきたい曲と聞いている。どう歌うのが正しいのか、また正しい歌い方があるのかどうかを自分は知らない。言えることは新潟少年合唱団のレパートリーとなったことだ。その日によって違う風景が思い浮かぶが進化していることは事実である。では具体的にそれを話せと言われても説明はできない。今の自分には抽象的な感覚しかないがそれをはっきりしたものにするのが宿題と考えている。少年たちにとって歌い続けたい曲があるのは良いことだ。演奏会の柱にする曲として少年たちと一緒に成長させて欲しいものだ。前半最後の『空を見上げて』は会場との全員合唱だ。「みなさんがお好きなパートを歌ってください」とのことで昨年のようにテナーが舞台に上がることはなかった。「あてがはずれたね。今年はステージで指揮を見て歌う予定だったよね」薫が残念そうに言ので「思い通りにいかないのが人生だよ」と答えた。ここで10分間の休憩となる。ロビーに出てセルフサービスの温かいお茶を飲みながら話をした。「日本の歌に比べて外国の曲は自然に歌っている気がしたよ」「薫君もそう思うかい? 日本の歌と今の生活はつながらないから難しいよ。例えば家の柱に傷つけることはしないだろ。昔の柱はちょっとぐらいの傷は気にならなかった」「その前にわが家の柱は見えないじゃないか。それから、てるてるぼうずを見たことない」「だろう。今の家は軒下がない。吊す場所がなくなった」と言うと薫の顔が?マークになったので昔の日本家屋を説明する必要があると思った。「あんたはここまで聴いてみてどう思う?」「そうだね」とお茶を一口飲み「部分的になんだけどさ、お茶がすーっと胃の中にいかないでどこかに引っかかるような感じと似てる。『あれ?』と思う箇所があるんだ」「やっぱりそう思う? ぼくも同じだ。揃わない部分がいくつかあった」「そうだね。さてと… 時間だ。席に戻ろう」
  合唱ファンタジーの原作『半日村』を簡単に紹介しよう。半日村は高い山と湖に囲まれた村である。山のために日の出が遅く、他の村に比べ太陽があたる時間が半分しかない。それ故半日村と呼ばれている。湖から吹く風が冷たいことと合わせ米は他の村の半分しか収穫できない貧乏な村である。そこで村の子どもである一平が山に登り土を掘って袋に入れそれを麓の湖に捨てて山を削ろうとする。最初は馬鹿にしていた村人が次第に協力するようになり長い歳月をかけて山を削った結果、山の高さが半分になり「一日村」と呼ばれるようになる話だ。この話を題材に話をふくらませ合唱団の指導者である久住和麿先生が曲をつけた作品はこの日が初演である。
  昨年のオペレッタと違い、服装は制服だった。メンバーは合唱体形に整列し場に応じての動きがあった。指揮はもちろん久住先生だ。先ずトランペットが寂しげな前奏曲を流しそれにチェロが加わり寒村の風景が頭の中に浮かぶと長川先生のナレーションが半日村の由来を紹介した。終わると再びチェロの伴奏で合唱団が「寒い 寒い わしらの村は半日村 たかだか山のおかげで半日だけしか日が射さない」旨を歌った。高音部の「ビュー ビュー」と歌う部分も「寒いだろうな」と観客に連想させた。続いて暗いので時を刻まない鶏がやっと明るくなった昼頃に元気に鳴き、それに合わせてひばりやうぐいす、かっこうが鳴き出す、子どもたちが輪になって『かごめ』をやる、大人たちが働く場面で活気が出たと思うとすぐに日暮れになってしまう様子も興味深かった。日暮れの時に鳴く鳥たちの声も効果的だった。次にナレーションは村の子ども一平が「あんまり昼が短く夜が長いので遊ぶ暇がない。腹がたって外で寝てた」ということを紹介した。そして「たかだか山さえなければ」という両親の話を聞いた一平が山を削りに行く箇所に入っていく。子どもたちのわらべ歌『ひらいた ひらいた』と一平が土を運ぶ歌『よいしょ よいしょ』がうまく調和していた。やがて子どもたちが「けずれ けずれ 埋めろ 埋めろ」と土を運ぶのと「夢だ 夢だ 子どもの夢だ」という掛け合いになる。見かねた大人たちが「もっこを使うといい」という場面を境になんとなく明るい伴奏になりやがて村人たちも土を運ぶようになる。何年も経つうち、山が半分の高さになり湖も半分になって新しい田圃が出来て貧乏村でなくなる。全編を通じてトランペットとチェロが次第に明るくなっていく村の雰囲気を効果的に出していたことで頭の中に自然に絵を描いて楽しむことができた。オペレッタも良いが自分でイメージを作りながら見られるこの形式も観客に感動を与えただろう。ここで印象深かった役を紹介しよう。にわとりを演じた6年生のY君と一平を演じた中学2年生のK君だ。Y君は眠たがる鶏と日を浴びて元気に鳴く鶏を声で演じ分けた。またK君は透明感あふれるしっかりしたソプラノでひたむきな一平を演じた。他のメンバーも自分の役柄を楽しみながら素朴な物語を幅広く表現した。「ねえ、新潟少年合唱団だからこの味を出せたと思うよ」「そうかな」「他の少年合唱団だとこのイメージにならないよ」「久住先生がメンバーの一人一人を考えて作ったからだと思うよ」曲が終わってからそんな話をした。大きな拍手の中、「きょうはいろいろな国のいろいろな曲を思いきり歌いました」「合唱ファンタジー『半日村』はトランペットやチェロ、そしてピアノのすばらしい響きやナレーションと共に歌いきることができうれしい気持ちでいっぱいです」「最後まで熱心に聴いてくださりありがとうございました」「ぼくたちはこれからも一生懸命頑張って歌っていきたいと思います」と始まり同様、団員たちが代わる代わるスピーチをした。最後に団長のS君が「みなさん、これからもぼくたち新潟少年合唱団を見守り応援してください」と挨拶し団歌『歌は風にのって』に移った。ここで残念なことを書こう。一つはS君の言葉がつかえた時、客席から笑い声が出たこと。子どもが笑うならいざ知らず大人は黙って見守るべきでモラルの低さを残念に思った。もう一つ、S君が話している間、別の団員がS君を指さし笑い合っていたことだ。本番中それも最後の最後にいやなものを見てしまった。この場面を見て休憩中話題にした「引っかかる」の正体がわかった。舞台に集中できていなかったのだ。「ぼくたちと同じようにくたびれてるんじゃないかな? もうよそう」薫が止めてくれた。「あんたはさっき自分のこと言われて怒ったじゃないか。ずるいぞ」「あれは悪かった。でも意地悪じゃない。大切に思うから言うんだよ」「ぼくも同じだ。あんたが気になるから言ったんだぞ」「大丈夫だ。わかってる」
終演後、ロビーで久住先生から栃木市在住の年輩の女性を紹介していただいた。ソプラノを歌っていたそうで栃木少年合唱団をご存知だった。なによりも栃木市からわざわざいらしてくださったことがうれしかった。帰り際、出口でS君のおばあさまと一緒になったのでお茶をお誘いし顔なじみの喫茶店でお話をすることにした。
 喫茶店に入ると道楽さんはぼくをテーブルの上に置いた。それを見た店長が「お客さんとそっくりですね」と言ったのでぼくたちは顔を見合わせた。ぼくは複雑な気持ちになったけれど道楽さんはうれしそうだった。
さてSさんは今でも合唱団で活動しているそうで楽しい話をいろいろうかがった。1時間ほどを過ごしSさんとお別れして駅へ向かった。「人形も顔が変わるのかな?」「人間はね、一緒にいる人と雰囲気が似てくることがある。それと同じことだよ」「人間はそうでも人形は違うんじゃない?」「難しいことはあまり考えないようにしよう。似ているって言われたことはお互いの距離が近くなった証だ。いいことじゃないか」「もしかしたらあんたがぼくに似てきたんじゃない?」「そうも言えるね。では『そっくりだ』と言われたことを記念してどこかで乾杯しよう」と駅近くの郷土料理屋さんに入った。「飲む口実をつけたいだけだろ。てるてるぼうずみたいに甘いお酒を飲めばどうだ?」「酒は辛口でなきゃね。〆(しめ)張(はり)鶴(つる)をお願いします」「ぼくは、つみれ団子と大根の煮物だよ」と頼んだ。お酒を飲んで酔いがまわってきた道楽さんが「たかだか山を削った結果、環境に悪影響が出るんじゃないかな? 生態系も変わるだろうし」と言い出した。「難しいことはあまり考えないようにしよう。ただの物語なんだから」「でも気になるよ」「そろそろお酒をやめてごはんを食べよう。続きは新幹線に乗ってからだ」放っておけば飲み続けるのは明らかなのでそう言った。ごはんとおみおつけを注文した道楽さんがトイレに立った時、「やっぱり心配だ」ぼくは大きな声で言った。


 第28回新潟市少年少女合唱交歓会
一番大きな拍手をもらった新潟少年合唱団

                             2007年2月17日


  ホテルに荷物を預けると信濃川沿いの遊歩道をリュートピアに向かって歩いた。ぼくは『モルダウの流れ』をハミングして「やっぱりこの景色に似合うな」と思った。東京の隅田川を見ながらハミングしても途中でその気がなくなるがここは違う。「歩くテンポをハミングに合わせてくれ」と言ったら道楽さんはテンポを落とした。「意外とゆっくりなんだね。合唱を聴いているだけだとわからないもんだね」と道楽さんは納得顔をした。ぼくたちは『新潟市少年少女合唱交歓演奏会』のため、新潟市にやってきた。曇りがちだが寒くはなく快適な気分で歩いていくと昭和大橋が見えてきた。ここから道路に上がり橋を渡ると左手にリュートピアが見える。そこを通り越して古町通りと交わる場所にある洋食屋『キリン』に入りハヤシライスを注文した。道楽さんが「大盛りはありますか?」と尋ねると「普通盛りで十分ですよ」と店のおばさんが笑った。道楽さんも体調が良いようで安心だ。

 コンサートホールの入り口近くで新潟少年合唱団の保護者であるOさんにお会いすると控え室へ案内してくださった。ちょうどお弁当の時間で団員たちは思い思いに食事の最中だった。他の団体も昼食中で廊下にシートを敷きそこで食べている子も大勢いた。どこの団体も楽しそうで中には先生に「遊びに行っていい?」と聞いている子もいた。まわりを見渡すと子どもたちはリラックス、大人は緊張気味というのがわかった。昼食を終えた新潟少年合唱団のメンバーは控え室に集まり声出しを始めた。その声を聴き「きょうはよさそうだ」と感じた。ドアが閉じられると声は聞こえなくなり「防音がしっかりしている」と感心した。ここで客席へ向かい2階の左側を確保した。たまには位置を変えるのもよかろう。ではいつものようにプログラムを紹介しよう。

はじめのことば
1.新潟市立沼垂小学校3年生
 ちびっこカウボーイ  この星に生まれて
2. 西地区公民館うたごえサークル
 『子どものための音楽物語』スイミー
3. せいろう少年少女合唱団
 児童のための合唱組曲「虫の絵本より」 てんとうむし ガガンボ
 世界がひとつになるまで
4. 小針小学校合唱クラブ
 はじめの一歩  あたらしいえがお 流星群と空と海
5. 阿賀野市ジュニア合唱教室
 き すいぞくかん カントリーロード 禁じられた遊び アヴェ・ヴェルム・コルプス

休憩

全員合唱 翼をください
6. 新潟少年合唱団
 村の教会 おやすみ 草競馬 森にひびく歌声
7. 新潟市立上所小学校6年生
 アメイジング・グレイス オー・ハッピー・デイ
8. 新津少年少女合唱団
 宇宙に書いたハッピーレター 
 児童のための合唱組曲「メッセージ」より お陽さまになって
9. 児童合唱のための曲集「三つのわらべうた」より ずいずいずっころばし
 同声合唱とピアノのための「イグアナのゆめ」より
 へいきなうた きっとなにか
10.新潟市ジュニア合唱団
  合唱ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」
 朝の賛美歌 ドレミの歌 ひとりぼっちの山羊飼い おやすみごきげんよう
 もうすぐ17歳 エーデルワイス すべての山に登れ
合同合奏  友情の歌 歌えば楽し さようなら
終わりの言葉

 では本題の新潟少年合唱団をレポートする前に気付いたことを書いていこう。今年は10団体の参加である。昨年参加したのは6団体だったから裾野が広がったと考えていいだろう。
初参加の1番と7番について最初に伸べる。1番の沼垂小学校は35名の参加でそのうち男子は10名。(どっちか判断できない子は除く)白いトレーナーにGパンに赤や緑などのバンダナ姿はなかなかよかった。3年生ということで声の力は弱いが素直な歌い方で好感がもてた。特に『この星に生まれて』は高音 低音とも声が揃っていた。7番の上所小学校は前の年に市の合唱祭で歌ったことで「もう一度歌いたい」という気持ちになり有志44名(男子は9名)で参加したそうだ。このような気持ちを大切にした指導者の方針は音楽好きな子どもたちを増やす要因だ。6年生だけによる合唱はなかなか重厚だが概して声が低い。ソプラノの指導に力を入れれば更に幅が広がりそうだ。二つの小学校は次回も参加して舞台に立つ楽しさを味わって欲しい。もう一つ「あれ?」と思ったことを書こう。名前を挙げずに某小学校としておこう。指揮者の女性の表情がけわしく子どもの腕を掴む感じで引っ張っているように見える場面があった。この小学校は昨年までは会場をやさしく包み込むような合唱を披露しており余計な装飾のないいかにも合唱本来を追求している印象があった。今回は、最初の場面を見たことで気のせいか歌が尖っているように思えてならなかった。「もしかして」と思い帰宅して昨年のパンフレットを見て「やはり」と思った。指導者が変わっていた。もう一つ、昨年は○○小学校合唱部になっていたが今年は合唱部が消えていた。この指導者は終了後も険しい表情は変わらなかった。何かがあったのかもしれないが本番まで引きずるようでは困る。この指揮者の元では歌いたくないと思った。「さあ、もういいだろう。新潟少年合唱団のことをレポートしよう」薫が言うので話題を変えよう。

  「今年は後半に出るんだね。格付けが上がったな」「なんのこと?」「寄席に行くと格の高い人ほど後になるからね。それと休憩後すぐは客席がわさわさするだろう。そこへ出ていくのはお客様を惹きつけるのがうまい人なんだ」「あんたね、ここは寄席じゃないぞ。一緒にしてどうする」薫がため息をついた。休憩が終わると全員合唱だ。「みなさん、立ってください」と言う指揮者の声に「めんどくさいな」と言うと「そんなこと言わないで協力しよう。ぼくがちゃんと歌をリードしてあげるよ」と薫が返してきた。高音部がかすれそうになると「逃げないで歌おう」とどこかで聞いた話をした。終わると新潟少年合唱団がステージに整列を始めた。その間に中学2年生のK君が「みなさん、こんにちは。ぼくたちはきょうの演奏会を楽しみにしてきました。気持ちを込めて思いきり歌いたいと思います」と挨拶した。いつもは3人ぐらいで代わる代わるスピーチするがこの日はK君一人が手短に話した。「早く歌いたい。歌で勝負だ」そんな気持ちが伝わってきた。最初の『森の教会』は静かな出だしで始まり、いつものように高音と低音がきれいに混じりあった合唱を披露した。派手さはないが観客の心に染み渡るような感じだ。次の『おやすみ』も静かな出だしで始まりテンポの速い部分を小学生グループが歌うやり方だ。再び静かなテンポに戻った時、ソプラノのオブリガードが入った。これは初めての演出できれいに決まった。歌の最後もオブリガードが締めくくった。「すごい」後ろにいた観客の声が聞こえた。「女の子をいくら鍛えてもこの声は出せないよ」音楽関係者らしい人の話も聞こえた。終わると「ここでぼくたちの合唱団のテノールを二つの歌で紹介させていただきます。先輩たちは今は合唱をリードしたり支えてくれたりしています」とスピーチが入った。良い意味での先輩後輩の関係ができつつあるようでうれしいことだ。その先輩たちは6名で『峠のわが家』を披露した。少年のボーイソプラノはもちろん魅力だが変声後の落ち着いた声もいいものだ。こういう姿を見て少年合唱団の魅力を観客が感じてくれることを願いたい。続いて『フニクリ フニクラ』をテノールをベースに高音部が加わりテンポのよい合唱を披露した。続いては『』草競馬だ。定期演奏会同様、ピストルの音や歓声が入る賑やかな合唱になった。会場から自然に手拍子が起きそれが会場全体に広がった。これに合わせて団員たちは気持ちよく歌えたことだろう。最後の『森にひびく歌声』は『草競馬』で少々テンションの上がった客席を冷ますような静かで清らかな合唱となった。この歌は躍動感を感じる部分もあるが静かなトーンで終了した。客席から起きた拍手はこの日一番大きく観客は少年合唱を十分に楽しんだようだった。「ブラボー 新潟少年合唱団。万歳」薫が自分に代わって両手を上げ大声を出した。話は飛ぶが合同演奏の後の終わりの言葉は少年合唱団の中学生2年生I君が担当した。ゆったりとはっきりした声でスピーチし最後の「感謝の心をもって歌い続けたいと思います。来年もこの会場でお会いできることを楽しみに終わりの言葉にしたいと思います」は胸に響く言葉だった。この日の新潟少年合唱団はかっこよく見えた。
 「3年後ぐらいにこの会のトリを取って欲しいな。それぐらい目指さなきゃね」終演後、道楽さんが言った。「ぼくもそう思う。静かに締めくくれる団体が最後に歌わなきゃ合唱交歓会の意味はない。お客様にも感動を与えたし」帰り際、相川先生にご挨拶すると「まだ足りない所があります。欲が出ました」とおっしゃった。それを聞き道楽さんと「やった」とグータッチをした。益々の発展が期待できそうだ。

 この後、いつもの喫茶店でクールダウンしてからホテルに戻って休憩。夕食は沼垂にあるYという寿司屋に出かけた。ここはホテルからかなり離れた住宅地の中にある普通の家で道楽さんはが偶然見つけた店だ。初めてここに連れて来られる途中、暗い道をかなり歩いたので「捨てられるんじゃないか」と一瞬不安になった。今はマスターと顔なじみになり楽しく過ごすことができる。この日はたまたま一緒になった地元のお客様と話がはずんだ。「ここは水も食べ物もおいしいよ。冬にどんよりするけど住むにはいい町だよ」と教えてくれた。これはどこの町に行っても耳にする言葉で地元が一番ということだろう。「新潟、栃木、宝塚、岡山、広島、呉、小倉だったらどこがいいかな?」店を出てから道楽さんが楽しそうな顔をした。「住むのなら東だよ。西は日の出が遅いから早起きが嫌いなあんたには無理だ」ぼくは思った通りのことを言った。

目標はウィーン少年合唱団?
ふれあい音楽会に出演した新潟少年合唱団

                                      2007年6月23日

  7時48分に東京駅を出発した「とき号」はほぼ満席だった。座席ポケットの車内誌「トランヴェール」に掲載されている「佐渡の世阿弥を旅する」を興味深く読んでいると時間はたちまち過ぎた。新潟には定刻の9時57分に到着。出口へ向かって跨線橋を歩いていくと「きらきら うえつ」の編成が止まっているのを見つけホームに降りてカメラに納めた。「酒田行きか。乗ってみたいな」と考えていたら「脱線するなよ」と薫が見透かしたように言った。「わかったかい?」「やっぱりそうだ。あんたの考えてることぐらいわかるよ」「君は『さあ、気分を変えてナッツへ行こう』と言いたいんだろう」「言うじゃん」薫とグータッチを交わし駅の外へ出た。この日の新潟市は晴れ。にもかかわらず、信濃川は茶色く濁っていた。「いらっしゃいませ。きょうも合唱団ですか?」喫茶店ナッツに入ると店主が話しかけてきた。「そうです。ふれあい音楽会に出演する新潟少年合唱団です」と答えコーヒーを注文した。「どんな音楽会ですか?」「地区の公民館を使って練習している音楽関係のサークルが市民会館で発表するんです。合唱や弦楽器の演奏、オカリナやハーモニカもあります」では会場の万代市民会館で新潟少年合唱団が発表する様子を紹介しよう。参加団体は8団体。新潟少年合唱団は4番目で中入り前の出演だ。「中入りじゃなくて休憩だろ。寄席じゃないんだから」薫が口をはさんだ。先ずは全員で『夏は来ぬ』を歌った。もちろん自分も歌った。声の調子はまずまずだ。では新潟少年合唱団をレポートしよう。
「さあ、かっこいいみなさんに登場していただきましょう。新潟少年合唱団のみなさんです」女性司会者が紹介すると20名の団員が舞台に整列した。制服を着て整列する姿はいつもながらピシッと決まっている。新年度になって新潟少年合唱団を見るのは初めてだ。団員の顔ぶれはほとんど変わっていないので安心した。「話を聞いてみましょう。A君とB君。お願いします」と二人が呼ばれマイクを持った。A君は中学3年生の新団長でしっかり者、B君は成長著しい中学1年生のソプラノだ。入団したきっかけを聞かれたA君は小学校の先生に勧められて入った、同じ質問を受けたB君はおかあさんに勧められて入ったと答えた。そして「合唱団は楽しく、先生は優しいです」とうれしそうに話した。この話が「じゃあ、身内の男の子に話してみようか」と発展することを望みたい。

 先ずは『森にひびく歌声』だ。出だしを聴き「ずいぶん張り切っているな」と感じた。「このホールは響かないから声を出そうとしているにかもしれないよ」薫が心配そうに言った。しかしその心配はなかった。2曲目のアカペラ『鐘になれたら』は静かな歌声になった。中学2年のC君と小学6年のD君のオブリガードはいつものようにきれいに響いた。この歌はまだ先があるそうで、初演の時はまだ練習ができていないということだったがそろそろ考えて欲しい。 終わると5年生のE君が「次の曲から今年新しく入った友だちも一緒に歌います」と紹介すると舞台袖で待機していた4名の小学生が列に加わった。すると客席のおばさんたちから「かわいい」という声が起きた。「別の言い方はないの?」薫が不満そうに言うので同意した。さて、合唱団の悩みは「小学生がなかなか入ってくれない」ことなのでうれしいことだ。新人を加えた初めての曲目はアカペラの『おやすみ』だ。この曲は最初「静かな 夜です どなたも お休みなさい」と混声で響かせた後、小学生だけで「船漕いで 行こうよ 青い 波を ゆらゆら 越えて 夢の国」(『メリーさんの羊』のメロディ)と歌い、その後を全員が同じメロディ歌って最初の部分に戻る。小学生、中学生、高校生がそれぞれの持ち味を生かせる曲なので新メンバーでの初舞台にはうってつけだ。後半はC君の張りのあるオブリガードが入り、この曲を短いながら厚味のある仕上がりにした。続いての『カリンカ』は合唱団にとって初めての曲だ。話は飛ぶが映画『独立少年合唱団』がロシア民謡を歌っていたのを思い出した。吹き替えをしていたのは高校のグリークラブだったはずで男声合唱団が歌うのとは違う魅力があった。この日の新潟少年合唱団も少年ならではの純粋な響きがあった。踊りたくなるような躍動感があるとよいがそれはこれからに期待しよう。最後の曲は『空を見上げて』で、何度も歌っているだけにテンポ良くメリハリの効いた合唱となった。終わったときの客席から大きな拍手は観客の気持ちの表れだ。 司会者が来日したウィーン少年合唱団に日本人のメンバーがいたことを紹介し「すばらしい合唱でした。ぜひウィーン少年合唱団を目指してください」と締めくくった。「ウィーンは混声じゃないよ。新潟が目指すとしたらどこだろう?」薫が言った。「難しい質問だね。海外の少年合唱団のことはわからないから。でも目標をもつのはいいことだ」と答えた。「少年合唱団の声を聴いて若返りました」次のオカリナグループがスピーチしたこともつけ加えておこう。

 各団体の発表が終わると全員で昨年と同じく『マイ ウェイ』を歌った。自分は昨年、くたびれていて声が出なかったので今年はリベンジと思ったがそうはいかなかった。普段、歌っていないと声のコントロールは難しい。指揮者は女声合唱団の恰幅のよい男性でマイクを必要としない声量で次々と注文を出してくる。「この部分はおかまっぽい歌い方はしないよ」という言葉に少年合唱団の低学年がたちまち反応し声を出していた。このように和気あいあいの楽しい音楽会なのだが今年で最後とのこと。残念だ。  


少年合唱は心を癒す薬
患者さんたちへ素敵な贈り物をした新潟少年合唱団

                             
2007年9月22日

 上越新幹線とき号が越後湯沢駅に到着すると隣に座っていた高校生と中学生らしき兄弟が「ありがとうございました」と言って立ち上がった。「礼儀正しいな」と感心していたらホームからも会釈してくれた。もちろん道楽さんはそれに応えて手を上げた。「幸先がいいな」。道楽さんはすっかり気分をよくした。それがあってかなくて新潟駅からバスに乗る予定をやめて越後線の電車に乗り四つ先の小針駅で下車した。「タクシーで5分だろ。歩いてもたいしたことないさ」と歩き出したがけっこう遠かった。「道路が渋滞する東京を基準にしてはいけないな」。道楽さんは呑気なことを言いつつ八百屋や魚屋の商品を眺めながら歩いた。「先輩。いつもこんなに歩くんですか?」風君が話しかけてきた。「道楽さんは歩くの大好きなんだ。これぐらいどうってことないよ」ぼくは答えた。やがて目的地の済生会病院の大きな建物が見えてきた。「下見をしておこう」と病院内に入ると休診日にもかかわらず人がたくさんいた。怪我をしている人とその家族で「大変だなあ」と思った。そう思いつつ辺りを見回すと「ミュージック イン 済生会 〜新潟少年合唱団 演奏〜」というポスターが貼ってあるのを見つけた。この日は入院患者さんのためのコンサートがあり新潟少年合唱団に声がかかったそうだ。この病院はミュージックコンサートを20回開催していて、出演したことのある音楽家が少年合唱団のことを主催者に伝えた。それがこの日の出演につながったそうだ。「時間があるから地域探検に行こう」と道楽さんが出口へ向かうとストレッチャーに乗せられた意識不明の患者さんが運びこまれてきた。手術着を身につけたお医者さんが一緒で「おとうさん、こちらへ来てください」と年輩の男性に呼びかけた。それを見た風君がぼくの手を握りしめてきた。ぼくもその気持ちはわかった。「道楽さん。気をつけて歩こうね」。ぼくは本気で言った。
 地域を歩いた結果、おいしい蕎麦屋さんとパン屋さんを見つけた。おそらく地元の人しか行かない目立たない店だった。満足した道楽さんは、病院に戻り10階の図書館に入ろうとしたら昼休みだった。そこで向かい側にある食堂に入りコーヒーを飲みながら外の風景を楽しんだ。では道楽さんにバトンを渡します。
 1時近くなりそろそろ図書館に行こうと思っていたら廊下から「あーあー」と発声する声が聞こえてきた。同じフロアで練習している少年合唱団のメンバーだろう。伸びのある声だと感心していたら「ターザンみたいな声を出すんじゃないの」と相川先生の声が聞こえた。周囲に対し「申しわけありません」と謝る声を聞き、「男の子の指導は大変だな」と思った。これをきっかけに立ち上がり、トイレに入り手を洗っていると中学1年生のA君がやってきた。「こんにちは」と挨拶する声がとてもきれいになっているので感心した。この後も顔見知りのメンバーが続々とやってきて挨拶してくれた。声の調子はよさそうなので合唱への期待が高まった。廊下へ出るとピアノの吉村先生が控え室へ案内してくださり本番前最後の練習を見学した。先ずは『紅葉』の歌い方だ。「定規で引いたような感じで」「口、動いてる?」「考えて歌う」「そう、上手」。ちょっとしたアドバイスで次第にうまくなっていくのはさすがだ。次は『回転木馬』の振り付けの確認で新しい団員の動きを先輩達が見ながら「激しすぎる」「右手が動いてない」「手は上下に動かして」などと注意する。そうこうしているうちに院長先生が入って来られて「みなさんの元気そうな顔を見て安心しました。患者さんも楽しみにしています。きょうはよろしくお願いします。ありがとうございました」と挨拶した。院長が出ていくと荷物を持って1階へと移動だ。その途中、6年生のB君が「帽子が自販機の上にのっちゃった」と困っていたのでイスを運び、中学生に取ってもらった。「なんでそんなところにのせるんだよ」「知らないよ。だれかがやったんだ」。男の子の集団は想定外がつきものだ。1階の待機場所で整列し「ハッピーな顔をしましょう」と相川先生が指示する様子を見て演奏会場となるホールへ移動した。すでに車いすに乗った患者さんや点滴管をつけた患者さん、その家族の方々が50名ほど待っていた。プログラムが用意されていたので紹介しよう。

空を見上げて 回転木馬 エーデルワイス カリンカ 
子供の世界 とうげの我が家 埴生の宿
ハレルヤ(3声のカノン) おやすみ おちば 
フニクリフニクラ 草競馬
牧場の朝 せいくらべ 浜千鳥 月の砂漠 もみじ 野菊 スキー
おくりもの ビリーブ 少年の日はいま
村の教会 かねになれたら フィンランディア モルダウの流れ

先ずは院長が挨拶し、新潟少年合唱団のことを紹介した。話を聞き、合唱団に好意をもっていることをあらためて感じた。終わると団員たちが整列し「みなさんこんにちは。ぼくたちは年の差はありますが歌が好き、合唱が好きということは同じです」と団長の中学3年生C君が挨拶した。続けて4年生のD君が「毎週土曜日に練習しています。きょうは24名でやってきました。心を込めて歌います。どうぞお聴きください」と挨拶した。最初の曲は伸び伸びとしていて声も揃っていた。ここは音楽ホールではないので響きはないが不利な条件を克服しての上々の滑り出しだった。次の『回転木馬』の振りは個人によって差が出るのが却って微笑ましく、和んだ表情をしている患者さんがいた。低音部と高音部のバランスもよく中学2年生E君のオブリガードもきれいに決まった。『エーデルワイス』は1番を年上のメンバーが中心になって英語で歌い、2番を年下のメンバーが中心になり日本語で歌った。この歌は気持ちが落ち着く曲でうなずきながら聴いている患者さんが目に付いた。『カリンカ』は一転、テンポの速い曲である。途中、ソロを歌った中学1年生F君の静かな声が光った。『子供の世界』は変声期前のメンバーがきれいに歌い上げた。『とうげの我が家』はテノールの中高生5名が落ち着いた声を披露した。『埴生の宿』は合唱団経験3年以上のメンバーが混声で歌った。これら3曲はそれぞれの団員が持ち味を生かしており層の厚さを認識した。次の3曲は合唱団が得意とするアカペラだ。やはり少年合唱の魅力は声がたっぷり聴けるアカペラである。気のせいか観客の拍手は1番多かった。この中で一番印象に残ったのは4つのグループに別れて歌う『おちば』だった。ソロあり、輪唱ありで、最初に落ち葉が1枚だけ落ちる様子から次第にたくさんの落ち葉が舞う光景に変わっていく雰囲気が味わえた。ソロを歌ったA君の透明感あるソプラノも良かった。終わると伴奏が『おちば』を演奏し、そこを利用して体形を整え『フニクリ フニクラ』を力強く歌った。次の『草競馬』は合唱の合間におもちゃのピストルで出発合図を鳴らし、間奏では団員が競馬場の観客となり「がんばれ」などと手を振る楽しい場面がある。この日はピストルに火薬がこめられてなく(患者さんのためだろう)、撃つ役の3年生G君が真面目な顔でピストルを真上に向け「パンパン」と声を出すのが微笑ましかった。続いてプログラムは日本の歌となる。「牧場の朝。一面に霧がたちこめています」「せいくらべ。 ぼくもいつかお兄さんに追いつくよ」「親を捜して鳴いています」などと歌う前に簡単なスピーチがある。『牧場の朝』は全員が気持ちを合わせて歌い『せいくらべ』は5年生H君が端正で強いソプラノを披露した。『浜千鳥』は4年生I君、A君、F君 6年生のJ君の成長著しいカルテットが声を十分に使い、ゆったりと歌った。『月の砂漠』は1番、2番を全員で歌い、3番を低音部と高音部を分けて歌った。4番はB君がきれいなソプラノで歌った。B君は曲が始まった時、急に咳き込み一度退いた。そのため万全ではなかったが歌いきったのは立派だった。「埃のせいじゃないかな」薫が言った。「ほら、自販機の上にのった帽子を取った時、埃が服についてしまった。落としたけどたまたま残った埃が喉に入ったんじゃないかな?」。断定はできないけれど可能性はある。『紅葉』は高音部と低音部が一部を輪唱で歌った。輪唱で聴くのは久しぶりで警告の紅葉を思い浮かべた。『野菊』はG君と2年生のH君がデュエットした。声は細いが声質はよくこれからどう成長するかがが楽しみだ。『スキー』は1番、3番を全員で、2番を中学3年生C君とK君が歌った。中学3年生の歌は着実に滑っていくスキーヤーを思い浮かべた。1番と3番は直滑降のような歌を期待したがややくたびれた感じになった。ここまで休憩なしで歌っているので年下の団員の集中力が切れてきたのだろう。患者さんの中にも引き上げる人が出てきた。それでも元気な年輩の患者さんたちは懐かしそうに手でリズムを取っていた。終わると中学3年K君が「ぼくたちの気持ちにピッタリなおくりものの歌を歌います」と挨拶した。このわずかな時間で合唱は立ち直った。『おくりもの』は「ぼくの歌 聴いてよ 君に贈る おくりもの ぼくの歌 聴いてよ 手渡すものは 何もないから」という歌詞である。大切な人へ心をこめて歌う少年の気持ちが少年合唱ならではの美しいハーモニーになり、これが患者さんへの最高の贈り物になった。続いての『ビリーブ』と『少年の日はいま』は深みが加わり最高の贈り物をより輝かせた。最後の4曲は新しい団員が退き、定期演奏会を経験している団員だけで歌い、先輩の貫禄を示した。新しい団員たちはどんな気持ちで聴いていただろう。「ぼくたちもああなりたい」と思ってくれれば幸いだ。合唱が終わると再び新人たちが列に戻り客席と一緒に『ふるさと』を歌った。歌っている患者さんを見て「音楽は人を元気にする」とあらためて思った。最後は団歌『歌は風にのって』だ。この曲は疲れている時、歌詞と音符が一つ一つ、心に染み込んでくる感じで心を癒してくれる。自分が病気になったら一番聴きたい曲かもしれない。歌い終わり、患者さん達から大きな拍手を受けて挨拶する合唱団を見てそう思った。
時計を見ると開始時間から1時間以上たっていた。条件の悪い場所で長時間にわたって歌い続けた合唱団のみなさん、ごくろうさまでした。
「信濃川沿いを歩こうよ」とぼくが道楽さんに頼むと「また歩くの?」と風君が不満顔になった。そこで「くたびれたらカバンに入ればいいんだから」と風君をなだめて会場を出た。信濃川沿いを歩くとさわやかな風が吹いていて気持ちがよかった。「歩けるところまで歩いてみよう」と道楽さんが言うのを聞き、「合唱を聴いてエネルギーが注入されたな」と思った。信濃川と分かれる関屋分水路沿いを歩き新潟大堰橋まで来ると目の前は日本海で波が押し寄せていた。それを見た風君がたちまち元気になって波が押し寄せてくる様子をうれしそうに眺めた。「どうしたんだろう?」「彼は鎌倉出身だから海が好きなんだろう」道楽さんが言った。適当な場所でバスに乗ろうと考えていたら、元気になった風君が「もう少し歩いてみようよ」と言い出した。「じゃあ、もう少し」と歩き続けたら中心街の古町近くまで来てしまった。時計を見ると会場を出てから約2時間が経っていた。「くたびれた。ナッツに行ってコーヒータイムだ」「賛成」。ぼくたちは馴染みの喫茶店へ向かった。カウンターに座るとコーヒーの香りがぼくを癒してくれた。




クリスマスは少年合唱団のコンサート(2)
                                 2007年12月24日

 明けて24日クリスマスイブの10時48分に、とき号は新潟駅に到着した。空はくもっていたけれど雨は降っていなかった。新清水トンネルをくぐる前はきれいに晴れていて富士山と浅間山を見ることができ得をした気分だった。いつものように歩いて中心部へ向かい万代大橋を渡り始めると自然に『モルダウの流れ』のメロディを口ずさんだ。「きょうもプログラムに入っているかな?」「多分」。ぼくたちは本町通りの市場を眺め古町通り商店街に入った。道楽さんお目当ての古本屋さんは残念ながらシャッターが下りていた。替わりに白山神社の境内をお昼までゆっくり散策し、そば処「山風」に入った。すっかり顔なじみになった女将さんが「お酒ですか?」とニッコリした。「はい」と道楽さんもニッコリして席についた。店は空いていたのでゆっくりお酒を飲みながら置いてあるリュートピアに関する情報誌を読んでいる道楽さんに「よろしかったら」と女将さんが某酒造メーカーの見学案内パンフレットを持ってきた。「余計なことを」「それは家に帰ってから読んでください」「この間のことを忘れていないだろうね。変な気を起こすなよ。早くおそばを注文しよう」と二人で圧力をかけると道楽さんは「仕方ない」という顔でパンフレットをカバンにしまい好物の鴨汁蕎麦を注文した。店を出てからこれも顔なじみの喫茶店「ナッツ」へ行きゆっくりとコーヒーを味わった。この後は道楽さんに任せることにします。
  信濃川沿いのNSTイベントホールに行くと新潟少年合唱団はリハーサルの準備中だった。クリスマスの歌のために相川先生が用意したみどりと赤の細い布をリボン状に結び制服のネクタイに糸で縫いつけていた。リボン状にしてネクタイの上に縫うとネクタイがベストにも隠れるというアイデア品だ。しかも取り外しが簡単にできるという優れ物で自分には考えもおよばないことだ。これは小学生にも高校生にもよく似合っていて「いいな」と思ったがステージの照明が当たると黒ずんで見えることがわかり残念ながら没になった。照明設備の良いステージでは効果がありそうなので次回の楽しみにとっておくことにして、この日のプログラムを紹介しよう。

1.新潟少年合唱団
 空を見上げて
〜クリスマスのうた〜
 ジングルベル 赤鼻のトナカイ あらののはてに もろびとこぞりて きよしこの夜
〜日本のうたメドレー〜
 牧場の朝 せいくらべ 月の砂漠 もみじ 野菊 スキー ふるさと
〜外国のうた〜
 回転木馬 カリンカ 狩りの歌 フィンランディア モルダウの流れ
 少年の日はいま
2.箏、尺八、ソプラノによるクリスマスソング
3.ボーカルとギターによるライブ

  あたりは暗くなり、ステージ後ろのガラスを通して見える、イルミネーションが青い光を放ち、クリスマスイブの気分を盛り上げる中、少年合唱団23名が整列した。先程まで控え室で見せていた顔とは違い真剣な表情になっていた。先ずは『空を見上げて』を軽快に歌い、クリスマスソングへと入っていく。「今夜はクリスマスイブ、クリスマスはこの歌と一緒にやってきます」というスピーチを合図に6年生のA君が鈴を鳴らし『ジングルベル』が始まった。鈴の音が効果的でソリに乗ってやってくるサンタクロースの絵が頭の中に出来上がった。ただ表情が真剣なままなのは堅苦しい。クリスマスイブなのだから「もう少し楽しそうな表情をしよう」と思ったら次第にほぐれてきた。楽しそうに体でリズムを取っている団員を見ると自分も楽しい気分になってくる。アカペラの『あらののはてに』はきれいな声が会場を包みクリスマスらしい雰囲気になった。これで気分がほぐれたのか『もろびとこぞりて』と『きよしこの夜』は声に伸びが出てきて「今夜はクリスマスイブ」を実感した。「この合唱団には優しい癒しがある」と言った地元の人がいる。その言葉通り気持ちが温かくなると日本の歌に入る。「古くから歌い継がれてきた日本の唱歌や童謡はぼくたちにとって初めて歌う新鮮な歌がたくさんあります。ソロデュエットを交えて歌います」というスピーチを聞き、大人になってから聴くとまた新鮮だと思った。歌声はやや固い感じがしたがデュエットを聴き団員たちが「育ってきた」と感じた。印象に残ったのは『紅葉』を歌った5年生と6年生である。輪唱で始まり後半がデュエットになる方法で、透明感のあるしっかりした声を堪能することができた。また『野菊』を歌った下級生3名が一生懸命歌っていたのも収穫だった。気になったことを挙げると目線が下がり気味に見える団員がいたことだ。このホールは客席後方へ行くほど高くなり最後部は2階以上の差がある。自分は最後部にいたから余計にそれを感じた。リハーサルで相川先生がそのことを注意したが徹底しなかったのは残念だ。実際に後方の席で体感してみると良いだろう。もう一つ、お辞儀が半端になっている団員がいることだ。これだと折角の良い歌が割引きされてしまう。お辞儀に関しては普段の生活でも大切なことなので心がけて欲しい。さて次の外国のうたは固さが取れのびのびとした歌になった。これは日本の歌が以外と難しいことを物語っている。外国のうたの中では、カリンカのソロを歌った中学1年生アルトとフィンランディアのソロを歌った中学2年生ソプラノの磨かれた声を聴けたのがよかった。また合唱で歌った『モルダウの流れ』は団員たちの中で一番好かれているそうでそれが歌に表れていた。出番を終えた少年たちは一度退場し、すべてのプログラムが終わると再度整列して『きよしこの夜』を歌い、コンサートを締めた。最初に比べて落ち着いた声を披露しクリスマスイブにふさわしい歌だった。コンサートが終了し、観客が帰る中、マイク類を片付ける中学生を見て頼もしくなったと感心した。

  演奏会後、ゆっくりとイブの夜を楽しみたかったが夕食を食べ、最終の新幹線に乗らなければいけない。「薫君、計時を頼むよ」「OK」。道楽さんは中華料理の店に入り、紹興酒1合と短い時間でできそうな中華丼を注文した。「控え室にいる時のリラックスした表情で舞台に立てるといいね。逆に控え室では真剣な表情になるのがベストだよ」「確かにそれが理想だね。それには中学生がきちんとお手本を示さなきゃね」「グロリアみたいになるといいですね」「でも楽しかったよ」。ぼくたちはそんな話をしながら夕食を楽しんだ。この後、新潟駅の新幹線ホームに駆けつけたら発車3分前だった。



風格がでてきました
新潟市少年少女合唱交歓会の新潟少年合唱団

                             2008年2月16日


  新清水トンネルを抜けると車窓に雪景色が広がった。「わー」と歓声をあげたのはぼくたちだけではなかった。「今年は雪が多いね」車内のあちこちから声が聞こえた。「新潟市も積もってるんですか?」と風君に聞かれたぼくは「多分ね」と答えた。朝の天気予報では新潟県は雪となっていたからだ。浦佐駅付近は更に雪が積もっていて吹雪いている感じだったが新潟市には雪がなく晴れ間が出ていた。「同じ新潟県でも違うんですね」。風君は意外そうな顔をした。駅の外に出ると「寒いな。コートの中に冷気が入ってくるよ」と道楽さんが言った。ぼくもマフラーを通して冷たい空気が入ってくるのがわかった。それでもいつものように万代大橋から信濃川沿いの遊歩道をリュートピアに向かって歩いた。「この風景を見ると『モルダウ』と『歌は風にのって』を歌いたくなりますね」「OK、ぼくはアルトを歌うからデュエットしよう」。ぼくたちは良い気分で歌った。途中、鴨がたくさん川べりに上がっているのを見たぼくたちは「一斉に鳴いたらどんなコーラスになるかな」と想像して楽しい気分になった。それなのに道楽さんが「お昼ご飯は鴨せいろにしようか」と言ったので気分が壊れた。「早いライスにしよう。鴨は見たくないから」「もしかして怒ってる?」。この後のことは省略して道楽さんに本論を書いてもらおう。

 当日のプログラム
1. 沼垂小学校4年生
・カントリーロード  ・パーム パーム
2. せいろう少年少女合唱団
・さんぽ  ・一本の樹
3. 小針小学校合唱クラブ
・歌はどこまでも  ・海がきこえる  ・ありがとう
4. 新津少年少女合唱団
二声でうたう「のはらのうた」より
5. 新潟少年合唱団
・少年の日はいま  ・狩の歌  ・フィンランディア   ・モルダウの流れ
  休憩
6. 上所小学校器楽部
・こきりこぶし  ・ふれあいの歌
7. 阿賀野市ジュニア合唱団
・「合唱のための楽しいエチュードより」 にわとり  どうぶつえん
・森は生きている  ・ブラームスの子守唄  ・アベ・マリア
8. 青山小学校合唱部
・無伴奏同声合唱組曲「グリンピースのうた」より ぶどう はくさいぎしぎし
・同声合唱のための組曲「にんげんとせかいのふしぎ」より  せかいのふしぎ
・あたらしい世界へ
9. 新潟市ジュニア合唱団
・青い空  ・合唱組曲「子馬ものがたり」 ・ミサ第6番より “キリエ”
 ・日本の歌メドレー
   早春賦 砂山 スキー うさぎのダンス かわいい魚屋さんなど
 合同演奏  友情の歌  歌えば楽し  さようなら

 先ず、パンフレットに載っている各団体の紹介文の中から新潟少年合唱団のものを書き出してみよう。
 今年度は、小学生4名が入団、小学校2年生から高校2年生までの団員25名が、毎週土曜日の午前中、久住秀麿先生、相川高子先生、長川絢子先生、吉村陽子先生のもと、元気いっぱい練習しています。上学年団員は、過密なスケジュールや編声も乗り越えながら練習に取り組み、みんなをリードしています。
 昨年9月から、毎月演奏発表会の機会があり11月には第6回定期演奏会を開催、楽しさと緊張感の中、みんなで力を合わせて一つ一つの大きな山を登ってきました。
 
 各団体とも、客席から舞台に上がり整列する間に代表がスピーチを行う。新潟少年合唱団の中学3年生A君とK君がマイクの前に立ち、「みなさん、こんにちは。ぼくたちは5回目となるきょうの演奏会をとても楽しみにしていました」と挨拶すると『小さな世界』の伴奏が流れ団員たちは歌いながら整列を始めた。この間も、スピーチは続き「きょうは、一つ一つの歌に思いを込め思い切り歌いたいと思います」「プログラム3番目の『フィンランディア』は久住和麿先生編曲の『月の砂漠』に変更させていただきます」「指揮は相川高子先生、ピアノは吉村陽子先生です」と紹介した。スピーチが終わると歌声が大きくなり「さあ、歌うぞ」という気持ちが伝わってきた。同時に自分たちと一緒に観客も楽しませようという気持ちが伝わってきた。客席からもひときわ大きな拍手が起きた。

 最初の『少年の日はいま』は1番だけだったが混声ならではの美しいハーモニーを響かせた。続いての『狩の歌』はリズムにのり軽快に歌った。この2曲で十分に観客へアピールすることができた。「きょうはみんなが格好良く見えます」「ぼくもそう思う。なんでだろう?」と言う薫風の言葉に「自信をもって歌っているからじゃないか。月1回の演奏会出演がもたらした効果だ」と口を挟んだ。舞台からレガードを効かせた『月の砂漠』の伴奏が流れると再び気持ちは舞台へ集中した。1番、2番は高音部を前面に出した合唱、3番は6年生のソプラノW君がソロを歌った。『月の砂漠』でW君のソロは何度か聴いたがこの日は完璧だった。途中、低声部が支える箇所はソプラノの輝きが増した。それはきれいに決まった組み体操を見るかのようだった。最後の部分は混声ならではの厚みのある合唱で締めくくった。続いての『モルダウの流れ』は会場を包み込むようなボリューム感ある合唱だった。わめいている声ではなくごく自然な発声での美しい合唱だった。しかもハーモニーは一つにまとまっている。声をきれいに伸ばして演奏を終えると一瞬の間をおいて客席から大きな拍手が起きた。「すばらしい」隣にいた年配の夫婦が感嘆の声を上げた。この日のプログラムで間をおいてから拍手が出たのは新潟少年合唱団だけだった。

 演奏会が終わるといつものように喫茶店『ナッツ』でコーヒーの香りを楽しみながら話をした。「合唱交歓会のトリを取ってもおかしくない合唱だった」。道楽さんが言うので「ぼくもそう思う。でも青山小学校もよかったよ」「確かにレベルは高い。でも振り付けは蛇足だよ」「ダソクってなんですか?」。風君が質問したのでぼくは説明した。「なら、トリを取った合唱団もそうでしたよ」「よく見ていたね」。道楽さんは笑った。「新潟少年合唱団は初めて演奏会に来たときのメンバーが中高生になっても残っているのが大きいね。小学生が彼らに支えられて安心して歌えるからいいんだよ。みんなで力を合わせて歌っているんだ」。道楽さんは満足そうにコーヒーカップを手に取った。


ハードなツアーもまた楽し
新潟少年合唱団と北九州少年合唱隊の定期演奏会

                2008年11月23日、24日

  「秋の演奏会の話を聞かせて」という五月君の一言がきっかけでぼくは風君と一緒にいろいろな話をした。話が盛り上がってくるとソファで新聞を読んでいた道楽さんが「それって早く書けっていうプレッシャーかい?」と声をかけてきた。「そんなつもりないですよ。ただ楽しくしゃべっているだけです」「プレッシャーと取るかどうかは道楽さんの自由だよ」。ぼくが言うと道楽さんはパソコンを起動させメモを準備した。「プレッシャーと感じたよ」。五月君が「よし」という顔で言った。「風君、君が進めてくれ」「OKです」。
 とき301号が燕三条を出発すると新潟市の方向に稲光が見えた。「波乱の幕開けかな?」と言う道楽さんに「それならそれでいいですよ。ぼくは今この瞬間を楽しんでいます」と答えた。「風君は心配じゃないの?」「先輩、考えても仕方ないです。なにかあったらその時にベストを尽くしましょう」「OK。気が楽になった」。道楽さんが笑った。ぼくたちを乗せたとき号は無事に新潟駅へ到着した。雨の中を歩いて先ずはバスターミナルへ行き空港行きのバスの時刻を確認した。「今までの中で最高の移動距離だね」。先輩が言う通りで今回ぼくたちは新潟から北九州少年合唱隊の定演が行われる小倉へ移動するのだ。考えてみれば日本の少年合唱団の中で一番離れているのだ。「日本で一番新しい少年合唱団と2番目に新しい少年合唱団を聴くことになるね」。道楽さんがポツリと言った。バスターミナルから会場のダイシホールに行くと新潟少年合唱団のリハーサルが始まっていた。では道楽さんにバトンを渡します。
 午前中のリハーサルが終わったところで昼食のため外へ出た。時間の関係で馴染みの店へ行くのを諦め、何十年振りかで吉野屋に入り、並盛りとけんちん汁を注文。思っていたよりおいしかった。会場へ戻ると「弁当がまだ来ない」と中高生の少年たちが行ったり来たりしていたが無事届いたらしく定刻の開演となった。先ずプログラムを紹介しよう。
 ・空を見上げて   ・この星に生まれて  ・小さい川の歌  ・月の砂漠
 ・見上げてごらん夜の星を  ・少年の日は いま
 ・はるかな友に  ・雨の中の樹々
 ・私の回転木馬  ・トロイカ  ・野ばら(ウェルナー作曲)  
・フィンランディア  ・モルダウの流れ
日本のうたメドレー
 ・さくらさくら  ・ずいずいずっころばし  ・お江戸日本橋  ・夕焼け小焼け
 ・砂山(中山晋平作曲) ・故郷  ・浜地鳥  ・スキー
GO BOYS
 進め! 新潟少年合唱団
  〜合唱団練習風景より〜
「新潟少年合唱団の歌」
 歌は風にのって
 
  時間になると小学3年生から高校3年生まで25名の団員が2列に並んだ。プログラムトップの『空を見上げて』を明るく歌うと3名の団員が前に出て「みなさん、こんにちは。きょうは第7回定期演奏会、ぼくたちはわくわくドキドキしています」「ぼくたちの合唱団は8年前、ボーイソプラノの合唱団としてスタートしましたが今ではテノールパートも加わり厚みのある合唱にも取り組んでいます」「入団年数や年の差を越えて気持ちを一つにして歌います。どうぞお聴きください」と挨拶した。少年合唱団員の声はいつ聴いても清々しい。大人の司会者が進めるより気分が良い。『この星に生まれて』はややテンポが遅く感じた。声の雰囲気がやや暗い感じで気になったが次の『小さい川の歌』はそれが生きた。『月の砂漠』は中学1年生のW君が3番でソプラノソロを歌った。テノールパートに支えられたソロはより美しく聴こえる。『見上げてごらん 夜の星を』は男声の混声ならではの幅のある合唱が聴けた。歌い方も明るくなり、いつもの新潟少年合唱団になった。『少年の日は いま』はゆったりとしたテンポで声を存分に出すことができた。少年であるこの時の想いを一人一人が歌っているように感じた。曲が終わるとテノールパートを舞台に残し、他の団員は客席後方へ移動。「次はテノール、バスの先輩たちが歌います」と小学3年生のA君がスピーチした。マイクを使わなくても声が通るのは日頃の成果だろう。9名の先輩による『はるかな友に』、『雨の中の樹々』は中高生の少年にしか歌えない初々しさがあった。なお『雨の中の樹々』は指導者の一人である久住和麿先生が19歳の時に作曲した曲であること、難しいけれど一生懸命練習したことが紹介された。武者小路実篤氏作詩によるこの曲は味わい深く男声合唱団向きの曲だった。
   終わると『線路は続くよ どこまでも』の前奏が流れ客席後方で待機していた変声前のメンバーが1列に並んで歌いながら舞台へ戻ってきた。客席から自然に手拍子が起き明るい雰囲気になった。『月の砂漠』でソロを歌ったW君のオブリガードが曲を引き立てた。次の『私の回転木馬』は合唱団のレパートリーで全員楽しそうに歌っていた。中学2年生のS君とさきほどのW君のオブリガードはすっかり板についた。S君は3年前からこの曲のオブリガードを歌っておりますます磨きがかかってきた。オブリガードは次の『トロイカ』でも曲に厚みを増す効果があった。新潟少年合唱団のソプラノは粒がそろっているのが強味だ。そこへまた新しくソロを歌えるソプラノが登場した。合唱団2年目となる6年生のT君だ。アカペラで歌う『野ばら』の2番でソロが聴けた。清らかでボリュームのある声は観客を魅了した。合唱も地に足がついており海外の少年合唱団にも引けを取らない演奏はこの日の白眉だった。次の『フィンランディア』もアカペラだった。『野ばら』を聴いて熱くなった心を落ち着かせてくれる美しいコーラスだった。前半最後の曲『モルダウ』は一番好きな曲にあげる団員が多いそうだ。曲を聴いてモルダウをイメージしたいが残念ながら訪れたことはない。かわりにイメージするのは市内を流れる信濃川である。全国の少年合唱団を訪ねる際にいろいろな川を見るがこの曲を聴いて思い浮かべるのは信濃川だけである。こう考えると新潟少年合唱団の『モルダウ』は地域に根ざした合唱と考えてもよい。歌い終わると客席から大きな拍手が起きた。それが鎮まると5年生のW君が「10分間の休憩です」とスピーチした。あっさりとしているが男の子はその方が良い。自分はロビーへ出て気分転換をした。
  「古くから大勢の人に親しまれ歌い継がれてきた日本の歌を歌います。ここではボーイソプラノのぼくたちと変声してもソプラノを歌える先輩たちと歌います」と中学1年生S君のスピーチで「日本の歌」のプログラムに入った。指揮は相川先生から長川先生に交代した。『さくら』はボリュームある前奏で始まったが合唱に入ると静かになった。自分は河原で満開の桜の下、毛煎を引きその上でお茶をたてる風景をイメージした。。『ずいずいずっころばし』はアカペラでの合唱だった。平坦な歌い方だが真剣に歌う少年たちにユーモアを感じた。『お江戸日本橋』は『さくら』同様、ボリュームのある前奏から静かな合唱となった。こちらも平坦ながらきれいな合唱だった。『夕やけこやけ』は静かに暮れていく山里をイメージした。『砂山』はやや早目のテンポだがこの方が少年合唱には似合う。新潟でこの曲を聴くと日本海に浮かぶ佐渡がイメージできる。『ふるさと』、『浜地鳥』と続き『スキー』が始まると少年たちの表情がややなごんだ。日本の歌は山が作りにくいものが多く仕方がない面はあるがもう少しハッピーな表情が欲しい。『スキー』が終わると待機していた中高生が加わった。6年生のS君が「それではみなさんとご一緒に歌わせていただきます。曲はふるさとです。みなさん、よろしくお願いします」とスピーチし全員合唱となった。S君は背が高いく姿勢がしっかりしているので堂々としている。歌ったことで観客がなごやかな雰囲気になると「みなさま、ありがとうございました」と4年生のH君が挨拶。短いが印象に残るスピーチだった。
 団員はそのまま舞台に残り指揮者が久住和麿先生に交代すると最後のプログラム『Go 新潟ボーイズ』だ。前奏が始まり鐘が鳴ると「新潟少年合唱団の一日、先ず最初はソルフェージュです」と中学2年生のY君が告げるとその場足踏みが始まった。新潟少年合唱団が練習の初めに行うソルフェージュ、発声練習、ハンドサインによる発声を披露し、合間に「Go Go 新潟 少年合唱団」と合唱する。曲の半ばで「ヴォカリーズ(あーと歌う)で歌います」とスピーチがあり、合唱主体に変わった。その合唱はソプラノ、アルト、テノールパートにオブリガードを加えたもので魅了された。文章では表現できないが迫力があり音楽が好きな人なら興味深く見聴きできる。作曲構成は指揮をしている久住和麿先生で合唱団の特徴をとらえた曲だった。最後はその久住先生作曲による団歌『歌は風にのって』だ。できた当時はソプラノ、アルトの2部合唱だったがテノールパートが加わり3部合唱になった。やさしい気持ちを表す前半と決意を示す後半から成るこの曲は男の子の気持ちを表している。曲が終わると団長のS君と5年生のK君が前に出て、「きょうはぼくたちの合唱をお聴きくださりありがとうございました。ぼくたちはきょう歌わせていただいた感激を胸に歌い続けていきます」「楽しく、きびしく、仲良く前進していきます」と挨拶した。続けて保護者代表が4名の指導者に花束を贈呈した。相川先生が譜面台に花束を置いて引き上げるとH君が「忘れてるよ」という仕草をした。忘れたのではなくアンコールに応えるためで相川先生が再び登場した。アンコールは『村の教会』でこの曲も合唱団に似合っている。大きな拍手の中、演奏会は終了した。
 外に出るとまだ雨が降っていた。バスターミナルまで歩き、空港行きのバスに乗車した。空港の搭乗ロビーのテレビで大相撲の千秋楽、朝青竜と白鵬の勝負を見た。決着がつくのを待っていたかのように登場アナウンスが入った。

(北九州少年合唱隊の定演評は、北九州少年合唱隊のコーナーにアップする予定ですが、題名は、遠距離をツアーした道楽さんに敬意を表して、「ハードなツアーもまた楽し  新潟少年合唱団と北九州少年合唱隊の定期演奏会」 とそのままにしました。)
 

歴史ある二つのメサイア演奏会(1)
                         2008年12月21日

  「道楽さんがお酒を飲み過ぎると五月君の身も危なくなることがわかっただろう」「そこだけ注意すれば楽しいツアーになるよ。気をつけて行っておいで」。薫風先輩に送られてぼくは初のツアーに出発した。先ずは六義園でフレーベル少年合唱団の野外コンサートを鑑賞した。同じ少年合唱団でもTFMとは雰囲気が違うなと思った。終わると東京駅から上越新幹線に乗車して新潟に到着した。この季節の新潟は曇りの日が多く寒いと聞いたけれど晴れて暖かかった。だから薫先輩が貸してくれたマフラーは不要だった。「こういう日もあるんだな」と道楽さんは首をかしげた。駅から歩き信濃川を渡ってホテルにチェックイン。部屋から信濃川を眺めつつ一休みしてラウンジに行き、道楽さんはドライマティーニを注文してバーテンさんとおしゃべりをした。バーテンさんが埼玉県蕨市出身とわかると蕨少年合唱団を話題にした。バーテンさんはそれを知らなかったけれど町のことをあれこれと話してくれた。その話を聞き、ぼくは蕨の町を歩いてみたくなった。道楽さんは帰り際、自分の名刺とこれから夕食を食べに行く寿司屋の名刺を渡して宣伝した。もちろん新潟少年合唱団も宣伝した。「そこまでやるの?」「やらない賭けはあたらないよ」。道楽さんの方針だ。沼垂にある寿司屋さんに行くと「うちのボランティアの宣伝部長です」とマスターが居合わせたお客さんに紹介した。それを聞き、噂どおりだと思った。くつろいだ雰囲気の店での夕食は楽しかった。でも寒ブリの刺身で冷酒を飲み終えた道楽さんが熱燗を注文した時に「そこまで」と声をかけるのも忘れなかった。
 翌日、ホテルに荷物を預け信濃川沿いの遊歩道を散策し演奏会会場の新潟市民芸術会館近くの蕎麦屋さんでお酒一合ともりそばで昼食。「なんで昼間から飲むの?」「池波正太郎先生が言ってるよ。蕎麦屋で酒を飲まないなら行くなって」「その人だれ?」。ぼくの質問に道楽さんはあれこれ解説してくれた。それを聞き道楽さんが影響を受けていることがわかったけれど真似る必要はない。「さあ、もう少し飲みたいけれど並ぶ必要がある」とお勘定を頼んだ。店を出てホールの入り口に行くと第41回メサイア演奏会の看板があった。それを見て「伝統があるんだよ」と言った薫先輩の言葉を思い出した。では演奏会の様子は道楽さんに書いてもらおう。
 会場は1階の中央あたりが指定席、他は自由席である。『メサイア』は上で聴いたほうが良いので2階の左ブロック、先頭の席を確保した。日本語訳を映し出すためのスクリーンがあり『メサイア』を理解するため、プログラムをお買い求めくださいと表示されていた。仰せに従って購入し中身を読むと新潟少年合唱団の団員4名(ソプラノ2名、テノール、バス各1名)の名前があった。ソプラノ2名が短いながらソロを受け持つことは前もってわかっていたのでこの席にしたわけだ。新潟少年合唱団員についても少し触れよう。ソプラノの一人は中学3年生のS君で3回目の参加である。2年前には今回のソリストである大島洋子さんと一緒にソロを歌っている。もう一人のソプラノは中学1年生のW君で今回が初参加である。テノールのM君は高校1年生で初参加、バスのW君は高校3年生で2回目である。これは指揮者が新潟少年合唱団の指導者である久住数麿先生であることも関係しているのだろう。久住先生は41回中、40回を指揮という実績をもっておられる。
 時間になるとメンバーが舞台に登場した。演奏は東京バッハカンタータアンサンブル、チェンバロ演奏佐藤さおり、合唱は新潟メサイア合唱協会、ソリストは大島洋子(ソプラノ)、太刀川 昭(カウンターテナー)、五郎部俊朗(テノール)、大島幾雄(バス)である。
 序曲の冒頭の和音が流れると厳かな気分になるのは毎回のことだ。心は自然に音楽へと引き込まれた。中でもカウンターテナーの響きが新鮮だった。曲は進みボーイソプラノの出番が来た。1部の田園交響楽の後のレシタヴィーボ4曲である。先ずはW君が繊細なソプラノを歌い、S君が続いた。初めて歌うW君はやや緊張気味だったがこれが3度目となるS君は落ち着いていた。2年前に比べて声に力が加わりボーイソプラノの美しさを存分に披露した。これだけ歌えるのならアリアを1曲任せてもよいのではと思うぐらいだった。4年前のクリスマスコンサートで中学3年生だった近藤喬之君が歌った『シオンの娘』と重なった。S君はすでに変声しておりテノールを歌いたいそうだがソプラノも歌える。「ソプラノをもっと磨いてみればどうですか」と思うがそれは本人が決めることだろう。さて二人のボーイソプラノが歌っている間、大島洋子さんがやさしく見守るような表情をしていた。
 1部が終わり休憩時間にロビーへ出るとW君のおかあさまがいらしたので「よかったですよ」と声をかけた。「ホッとしました。あとは音楽を楽しみます」と安心された表情をなさった。新潟少年合唱団の中学生からも声がかかったので「来年は歌ってみれば?」と言うと「やってみようかと」という表情をした。若い人たちに新潟市の音楽文化を引き継いで欲しいものだ。
 演奏会が終わり外へ出てから「全体にまろやかな感じのメサイアだったね。優しい気持ちになった」と道楽さんが言った。ぼくも言われてみればそうかなと感じた。メサイアを聴くのは初めてなのでなんとも言えないけれど楽しい時間を過ごせた。「軽く飲んでから帰ろう」「優しい気持ちになっているけれど飲み過ぎは許さないよ」。ぼくは気を引き締めた。

課題が見えた新潟少年合唱団
                                           
2009年7月11日


  女声合唱団「しらゆりコーラス」の第59回定期演奏会場である新潟市文化会館に到着し、席を確保するとぼくたちはロビーに出た。受付あたりに佇んでいると学校から駆け付けて来たと思われる新潟少年合唱団の中学生と高校生が「控室はどこですか?」と道楽さんに尋ねた。それを聞いた道楽さんは受付で場所を尋ね、「こっち」と控室へ通じるドアをあけ「大丈夫だよね」と声をかけた。それを見て「身内同然ですね」と言った風君に「いつも来ているからね。あてにされているんだよ」と答えた。女声合唱団の演奏会に来ることはないぼくたちだけれどこの日は新潟少年合唱団が賛助出演するのでやってきた。加えてこの合唱団には新潟少年合唱団の指導者の一人長川先生と少年合唱団のメンバーS君のおばあさまが所属している。そんな縁があるのもきっかけだった。では道楽さんにバトンをわたそう。
 指揮者は95歳の女性である。腰を痛めているため椅子に座って指揮をするとのことだが上背のあるスタイルのよい方だった。「道楽さんはまだ若いよ」「そう、見習ってください」。薫風が言うと「ところで道楽さんって何歳なの?」と五月に聞かれた。それに対し「妹より3歳年上」と答えておいた。さて新潟少年合唱団は3部構成の2部に登場した。プログラムは以下の通りである。

・空を見上げて ・少年の日はいま ・おんでこ ・Go Boys
 ・へい おどれよ ・かねになれたら ・フィンランディア ・モルダウ
・ 雨の中の木々 ・流れ星

 賛助出演としては曲数が多く、少年合唱団をより多くの人に知ってもらおうという、しろがねコーラスの配慮かもしれない。『空を見上げて』はプログラムのトップに入ることが多い。のどを暖めるにはよい曲なのだろう。この曲でその日の合唱団の状態がおおよそわかる。この日はまずまずの合唱だったが楽しそうな表情でないことが気になった。終わると入団したばかりの2年生が客席に降りた。この子は、2曲だけ歌うそうである。自分が前の週に練習見学をした時、彼は自分が歌う曲でなくても楽譜を見ながら口ずさんでいた。こういう姿には感心する。舞台で全員が整列すると小学生3名が前に出てきてかわるがわるスピーチした。「みなさん、こんにちは。ぼくたちはきょうのこのステージで歌うことをとても楽しみにしてきました」「そしてしろがねコーラスのみなさんの合唱をお聴きしたり、一緒に歌えるのでとてもうれしいです」「入団したばかりの団員も一緒に20名でぼくたちの大好きな曲を心をこめて歌います」。初めてスピーチする子は緊張するが経験のある子は余裕がある。いつものことだが、マイクなしても声が通るのは練習の成果だ。2曲目の『少年の日はいま』は1番のみの合唱でこれもウォームアップという感じだった。3曲目の『おんでこ』は佐渡に伝わるおんでこ伝説を指導者の一人である久住和麿先生が作曲したアカペラの合唱曲である。おんでこがやって来る様子、太鼓が鳴って踊る様子、踊り終えて戻っていく様子を表現するこの曲を初めて聴いた時、おんでこが力強く踊る姿を想像し「すばらしい」と感じた。その結果、おんでこそのものにも興味をもちネットで調べてみたが概要だけで深いところまではわからなかった。ただ佐渡で生まれ育った知り合いに「おんでこって何?」と逆に聞かれた。その一言で有名ではないらしいことがわかった。それでもおんでこへの興味は尽きずいずれ佐渡へ行ってみようと考えている。要するに合唱が自分を駆り立てたわけだ。しかし今回はきれいに歌っているものの気持ちはときめかなかった。おんでこに魂が入っていない。そう感じた。次の『Go Boys』は賛助出演にあたり、しろがねコーラスからリクエストされたそうだ。この曲は普段の練習風景を久住先生が合唱曲に構成したものである。「新潟少年合唱団の1日。先ずはリトミックです」とスピーチがあるとピアノが鳴り、リズムに合わせてその場足踏みとスキップを行う。それが終わると「発声練習です」という言葉を合図に声を出しながら両手を前後に振りながら膝を曲げ体を伸ばす。これを「シュー」という声を出しながら行う。吸った息を完全に吐き出す感じだ。次にピアノがドレミファソファミレドレミレドの音を出し団員はそれに合わせて声を出す。音階が次第に上がっていくのは他の合唱団の発声練習と同じだ。「ソルフェージュです」と紹介されるとこの合唱団独特のハンドサインによりドレミファソラシドの各音階を歌う。これが終わると「ボカリーズで歌います」とスピーチが入り3部合唱となる。ソプラノのオブリガードも入るこの部分は声の美しさを堪能できる。最後に「ゴー ゴー 新潟 ボーズ クワイアーズ」と歌って締めくくるこの曲は少年合唱団だけがもつ純粋さを実感でき、少年合唱ファンなら一度は聴いて欲しい曲だ。ただ一部の団員は音楽に集中していないように感じた。次の『へい 踊れよ』はテノールを歌う中高大学生7名によるアカペラ合唱である。リーダーの合図で始まった合唱はリズミカルで聴き応えがあった。小学生の頃から積み上げてきたことがしっかり表現されていた。終わると再び全員による『かねになれたら』となる。この曲も合唱団のレパートリーと言える曲で何度も聴いてきた。それを基準に考えると今回はもう一つ何かが足りなかった。最後の『フィンランディア』と『モルダウ』は団員が好きな曲ということもあり安心して聴いていられた。このステージ最後はしろがねコーラス22名と一緒に久住先生作曲の『雨のなかの樹々』と『流れ星』を歌った。1曲だけ歌って客席で待機していた新人君ももどってきた。女声合唱団と少年合唱団が一緒に歌うのを聴くことはなかったが、聴いてみてその違いがなんとなくわかった。

 さて、今回新潟少年合唱団が以前に比べてもう一つと感じたことを自分なりに考えた。それは今までソプラノパートを声でリードしていた団員がテノールパートに移った結果、穴ができてしまっていることだ。その穴を埋めなければならない上級生に「ぼくがリードする」という気持ちが足りない。声もよくセンスもありながら力を100%発揮していないことは残念だ。上手、下手を言うつもりはない。練習や本番で自分の役割を自覚し、できることをしっかりやる。そうすれば下級生たちもついてくるはずだ。また先輩たちもその点を指摘して欲しい。合唱は全員で歌うものなのだから。

  すべてのプログラムが終了して出口へ行くとしろがねコーラスのメンバーが観客の見送りをしていた。道楽さんが「大変心地よくなる合唱でした」とSさんに話しかけるのを聞き「物はいいようだ」と思った。心地よくなって夢の世界へ行きそうになったんだから(そうならないよう、ぼくたちが引き戻した)。Sさんと握手し、「来年は60周年です。またいらしてください」という声に送られて会場を後にした。「女声の方が子守唄の効果があるってことですね。道楽さんは少年合唱で寝たことないし」「そう思った。普段、感じないけれど女声合唱はやわらかくて静かな強さがある。少年合唱はまっすぐに声が伸びるけど繊細。ここが違いかな?」「少年と女声の混声もおもしろかったよ。ミックスジュースみたいだ」「年配の女声合唱団は味があるね。女子高生だとこの感じはでない」。そんな話をしながらぼくたちは馴染みの喫茶店「ナッツ」へ向かった。


一服のお茶
新潟少年合唱団のロビーコンサート

                          2009年8月19日


  新潟市内のホテルをチェックアウトしてバスターミナルに行き空港行きの時刻を確認した。次に売店でコインロッカーの場所を尋ね大きな荷物を預けた。「きょうは大丈夫だろうね」と五月君が言うと「何かあったら文句を言いましょう」と風君が応じた。その理由を話そう。昨日、ぼくたちは東京から村上に直行し、町歩きをした。村上駅で大きな荷物をコインロッカーに預け、町歩きをして戻ってくるとロッカーはなかった。道楽さんは「ついに痴呆が始まった」と愕然とした。駅員と駅舎を工事していた人にロッカーの場所を尋ねても「わかりません」という答えしか返ってこないので道楽さんの不安は倍増した。ぼくは「落ちついて。今度は売店で聞こう」と促した結果、係員が「コインロッカーは引っ越しました。鍵はありますか?」と何事もなかったように言った。道楽さんが鍵を渡すと荷物が出てきた。それを見た若い男性が「自分も」と鍵を差し出した。その人は聞くに聞けないでいたのだろう。「引越しするなら張り紙ぐらいするべきです」「そうだ。人と人形を馬鹿にして」。風君と五月君は憤慨した。「いいよ。もどってきたんだから」。道楽さんは暑い中を歩き回ってくたびれているので文句を言う気がないのだ。列車に乗って新潟市に移動して市内のホテルにチェックイン。入浴してサッパリすると、道楽さんはバーに直行して顔馴染みのバーテンさんにドライマティーニを注文した。ロッカーの話をするとバーテンさんは「村上は平和なんですね」と笑った。これでぼくたちの気持は軽くなった。「村上には何か用事がおありだったんですか」「大洋盛という酒蔵を見学するつもりだったんですけれど休みでした」「この辺りでは、はれの日に飲むお酒です」「東京のデパートの出張販売で購入したら気に入りましてね」。これをきっかけに二人はお酒の話を始めた。ぼくたちには関心のない話しだったので、別のお客さんがカウンターに座ったのをきっかけに「道楽さん、ご飯を食べに行こう」と誘った。
 話を戻そう。バスターミナルを出て信濃川沿いを歩き、市役所のロビーに行くと相川先生と新潟少年合唱団のメンバーが集まっていた。この日の昼に行われるロビーコンサートのためだ。市役所では定期的に昼のコンサートが行われていて今回は新潟少年合唱団が呼ばれたのだ。ただロビーは響きが悪くコンサートには向かない。練習のため、控室に向かうメンバーを見送るとぼくたちは市役所を出て馴染みの喫茶店に行き、時間調整をすることにした。「気のせいかな。あの子たち、先月に比べて顔つきがしっかりしているように見える」。道楽さんが言った。「日焼けしているせいだよ」とぼくは応じた。喫茶店に入り、村上の話をしたら店長が「昨日は、お祭りだったんですよ」と新潟日報を見せてくれた。言われてみれば山車が出ていたりビールケースを運んでいる人たちがいた。新聞の写真を見た五月君が興味をもち「来年は行こうよ」と言った。「大洋盛を見学していないし町並みも気に入っただろう。ぼくは城跡を見てみたい」「考えておくよ」。話が長くなってきたのでコンサートのことに移ろう。道楽さんにバトンタッチ。
 暑いにもにもかかわらず年配の人たちが大勢集まってきた。勤め人風の人が少ないのは残念でこれが現代の日本を表しているような気がした。プログラムが会場に準備されていた。曲目は以下の通りだ。
 ・小さな世界  ・少年の日はいま  ・おんでこ  ・見上げてごらん 夜の星を
 ・サモア島の歌 ・海  ・われは海の子  ・うみ ・砂山
  ・浜千鳥  ・浜辺の歌
  ・空を見上げて  ・へい 踊れ ・フィンランディア  ・モルダウ
  ・新潟市民歌「砂浜で」
 12時20分になると団員が整列し、小さな世界が始まった。出だしは少々硬かったが次第に調子が出てきた。終わると「みなさん、こんにちは。新潟少年合唱団のミニコンサートにようこそおいでくださいました」「市役所でのコンサートは初めてなので少々緊張していますが新しい団員を含めて19名で気持ちを合わせて歌いたいと思います。どうぞお聴きください」と2名がスピーチした。コンサートホールだと肉声でのスピーチだがこの日はマイクを使用した。このあたりが音響の悪さを物語っている。それでも団員たちは健闘した。新潟少年合唱団の実力を考えればベストとは言えないが合唱にまとまりがあった。次の『少年の日はいま』でもそれを感じた。先月のしろがねコーラスの賛助出演に比べ、安定感があった。終わると「次は佐渡に伝わるおんでこの曲を歌います。太鼓が鳴り、おんでこが近づいてくる様子と離れていく様子をアカペラで表現したいと思います」とスピーチがあり、新潟少年合唱団のレパートリーの一つである「おんでこ」が始まった。この曲はテンポが微妙に変わることでおんでこが動きまわる様子を表現できる。そのため、指揮をしっかり見ていないとテンポが掴めなくなり、曲本来のおもしろさが表せない。この日はまずまずのできだがやはり物足りなさが残った。全員が集中力をもち、気持ちを一つにした『おんでこ』を聴いてみたい。この曲は他の少年合唱団では聴けないので団員はそれを認識し、大切に歌って欲しい。『見上げてごらん 夜の星を』は男声合唱に似合う曲だが変声前の声が入ることで深みが増す。終わると海の歌メドレーだ。ここで注目したのは『海』(松原遠く)でソロを歌った中学1年生T君。『うみ』(うみhひろいな)でソロを歌った小学2年生TS君と4年生S君だ。3人ともソプラノでその持ち味を披露した。T君は今が旬で安定感があり、夏の美しい浜辺の様子を表現した。もっと自信をもてばよりすばらしい声が出そうだ。彼はソプラノパートを引っ張る力があるのでそれを発揮して欲しい。TS君は先月入団したばかりでソロを歌うのだから期待されているのだろう。歌はまだ未熟だが声量はありそう。彼は練習を一生懸命やるので近い将来が楽しみだ。S君は3年目の団員でここまで培ってきた澄んだ声で歌った。小学校ではクラスの音楽係りで、もう一人の友だちと前に出て歌うそうである。とにかく歌が好きという感じで好感がもてる歌い方だ。彼も近い将来、合唱団の顔になりそうだ。他の曲では『われは海の子』は1番を変声前のメンバーが、2番を変声後のメンバーが歌うことで曲の幅を広げたこと、『砂山』で変声後のメンバーが歌う後を変声前のメンバーが追いかけるように歌ったことが印象に残った。オブリガードを歌った6年生のソプラノも光っていた。続いての外国の曲は5名の中高生が歌った『へい 踊れよ』がよく男声の魅力を披露した。小さい頃から歌い続けていると変声後も深いハーモニーになる。またメンバーが好きな曲『モルダウ』は少年合唱ならではのハーモニーを聴かせてくれた。最後は市民歌『砂浜で』を観客と一緒に歌った。短長の曲だがよく聴くと明るさがあり自然に声が出た。宝塚市歌、鎌倉市歌、京都市歌、北九州市歌同様地域性が表れていた。終了すると「よかったねえ」「かわいかったねえ」と話す声が目立った。自分も一服のお茶を味わったような気分になった。コンサートの特性を踏まえつつ合唱団をアピールする曲を入れたプログラムに工夫を感じた。席を立ち顔見知りの方々と話をして市役所を出ると空港行きのバスの時間が迫っていた。これから宝塚に行き千吉踊りに参加することになっている。

合唱はすばらしい。
              
成長を証明した8名
                           
 2012年1月29

ぼくたちは朝食後、散歩に出かけた。新潟市内はかなり雪が積もっているので歩き方はゆっくりになった。本町通りのアーケードから古町通りを散策し、メインストリートの征谷通りを歩いてホテルへ向かう途中、八時半をまわったばかりの時間にもかかわらずケーキ屋さんが開いていた。窓越しに店の中を覗いた五月君が「ここのお菓子おいしそうだよ。ここで買おうよ」と言った。その言葉でぼくたちは店に入りショーウインドウの中のお菓子を眺めた。「これにしようよ」。食いしん坊の五月君が選んだのはスポンジの中にカスタードクリームとフルーツの入った小さな円盤状のお菓子だった。「了解」。道楽さんは15個入りの箱を包んでもらった。「そちらのイスに掛けてお待ちください」と店員さんに言われて店の片隅に置いてあるイスに座った。セルフサービスのコーヒーを飲めるのがうれしかった。「ホテルのコーヒーよりおいしい気がする」。ぼくたちの意見は一致した。「寒い中を歩いたからでしょう」。風君が言った。
 10時前に万代市民会館にある練習室を訪ね、この日ヴォーカルアンサンブルコンテストに出演するグロースエイト・エイトに陣中見舞いとしてお菓子をプレゼントした。コンテストは夕方に新潟駅から電車で20分ほどの豊栄にある文化会館で開かれる。普段なら練習見学となるがコンクールに出るなら練習に集中してもらわねばと市立美術館で開かれていた「文豪と美術品展」を見学した。「小説を書くためには癒す物や勇気を与える物を身近に置きたくなるのだろう」。道楽さんの感想だ。
 豊栄には早めに到着した。雪の影響で電車が遅れると困るのが理由だったが時刻通りの運転だった。文化会館まで歩いていく途中のバス停にスコップが置いてあり、「雪を一かきしてください」の表示があった。みんなで雪かきをしようということなのだろう。そのせいかどうか道路はきれいに雪かきがされていて歩きやすかった。
 文化会館に到着し、200円でプログラムを購入した。この日は朝10時からコンクールが開かれており、高等学校部門、中学校部門、一般部門に分かれている。その気があれば朝から夜まで聴いていられるがいくら合唱が好きでも食傷してしまうだろう。そのため。お目当てのグロース・エイトが出場する一般部門だけにした。さて、グロース・エイトと言われてもどんな合唱団なのかわからない人が大半だろうから説明しよう。グロース・エイトは新潟少年合唱団の高校生と高校卒業生の8名で構成された男声合唱団だ。この8名が男声合唱団としてコンクールに出たいと新潟少年合唱団の相川先生に指導をお願いして誕生した。いずれのメンバーも小学生の時から歌っているから経験は豊富だ。定期演奏会の時、このメンバーだけで舞台に立つことはあったがそれだけでは足りなかったのだろう。このようなメンバーが育ってきたことはうれしいことだ。さて、このコンクールはアカペラのみなので聴き応えがあった。お目当てのグロースエイトは14団体中、13番目の登場だ。曲目は男声合唱曲「海に寄せる歌」(作詞 三好達治 作曲 多田武彦)から砂上、男声合唱曲「追憶の窓」から雨後、「HFJ、IGAZITSAD!」(作詞 茂手木節子、作曲 BARDOS Lajos)の3曲。3曲目は定期演奏会などで何度も歌っている「へい、おどれよ」。1曲目と2曲目は初めての曲である。この先は道楽さんと交代だ。
横一列に8名が並ぶとS君の合図でコーラスが始まった。男声合唱らしい深い声で強弱をつけながら静かに進んでいく感じだ。歌詞もはっきり聴きとれた。2曲目は1曲目に比べてやや強い感じで山の風景を歌う曲だ。聴きながらその情景を空想する楽しさを味わった。この曲もメリハリがあり男声合唱ならではの美しさがあった。2曲目が終わると8名は間隔を詰め、H君の合図で「へい、おどれよ」が始まった。この曲は手慣れているだけにメンバーは安心して歌っている気がした。何回も聴いている曲だが気のせいかこの日がベストだった。歌い終わると隣の席にいたおばさん二人が「すごいね」「よかった」と話していた。このように客席の反応があったのは自分の知る限りグロースエイトだけだった。すべてのグループが歌い終わると審査結果をの発表準備のため休憩となる。自分はロビーにいるグロースエイトと相川先生のところへ行き客席の反応を話すなどしてしばらく会話に加わった。メンバーが醸し出す雰囲気がとても良く自分も楽しい気分になった。朝、自分が渡したお菓子がメンバーに配られていて自分もおすそわけにあずかった。遠慮したが「せっかくだから食べてみよう」という五月の言葉に従った。「おいしい」。全員がそう話すのを聞いた五月は「ぼくの目に狂いはなかった」と自慢気だ。
賞は、金賞、銀賞、銅賞ですべての出場グループにどれかの賞が手渡される。金賞を取ると更に次の大会に出られるそうだがグロース・エイトは残念ながら銅賞だった。「審査基準に合わなかったんだろう。金賞といっても心に響かなかった」。道楽さんは残念そうに言った。3年ぐらい前にボーイズ・エコー宝塚ののど自慢大会の審査をした時、審査基準に合わなくて1位にできなかった子の話しを持ち出した。「いいじゃないですか。ぼくたちにとって素敵なコーラスだったんですから」「そう、きょうは来てよかったよ」。ぼくたちは言った。「そう考えよう。帰る前にいつもの場所でウィスキーを飲んでリラックスだ」。ぼくたちは会場を後にした。
ウィスキーを飲んでいると、さわやかボーイズが話しかけてきた。「グロース・エイト、素敵な名前だね」「さわやかボーイズももっとかっこいい名前に変えましょう」「そう、お笑いトリオみたいだから。ぼくたちだってコーラスするし」。それを聞いて検討課題にすることにした。さて、これからも歌って欲しいグロース・エイトだが、諸般の事情によりこれを最後に解散するそうだ。残念ではあるがこれでいいのかもしれない。でも、これからの新潟少年合唱団を支える存在であって欲しい。小中学生のメンバーの励みになるはずだ。


                         
  (続く)



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