私自身、病気になる前はうつ病も心の病気も縁のない人間でした。 でも、色々なことが重なって病気になりました 最初はそんな弱い自分が認められない、認めたくなくて、無理して頑張って…でも結局は何もできなくなってしまうくらい症状が酷くなりました 友達との約束ドタキャンは当たり前。仲良くない友達と一緒にいるのは苦痛。勉強ができない。大学の授業だってもちろん出られない(もし行っても一時間半イスに座っているということができない)。実家に帰りたくない。何もできない。彼氏宅から出ることもできない。 ただ食べて、ぼけーっとして、それでも死にたいほどの苦しさを伴う日々 鬱になる…そして自傷したくなる…。 そんな、本当に何もできない情けない自分になりました でもまだまだ世間に認知されていないうつ病は、そういう症状が出てきてもなかなか理解してもらえません 「気のせい」「みんな一緒」「怠けてるだけだ」「気の持ちよう」…等散々なことを言われます きっと健康な人たちの中には、そういう風に言う事で「気にしないようにすれば、また元の貴方になれるよ」って気持ちを込めて言う方もいらっしゃるのかもしれませんが、でもそんなことで元の病気になる前の自分に戻れたら、そんなラクなことはありません でも大半は自分が理解できないコトに対する拒絶という意思が強いかと思います 人間、わからないことは避けたくなるもの 「わからない」と自分の理解力のなさを認めるよりも、「そんなのは普通だ。気のせいだ」と言って逆に相手がおかしいと思うことで、自己正当化したいのでしょう 別に私はそういう気持ちを責めるつもりはありません そういう気持ちは大なり小なり誰にだってあると思います でもご家族、恋人(配偶者)、友人にはわかってもらわないとどうしても困ることもあります。 家族、特に親御さんに理解されないと病院にすら行けない場合もあります 恋人(配偶者)に理解されないと、最悪別れなくてはいけなくなる場合もあります 友人もドタキャンを繰り返されてしまえば、不快な気持ちになり離れていってしまうこともあるでしょう 周囲の理解を得られるかどうかで、病気の闘病期間がかなり変わってくると私は考えます とても苦しい中、理解を求めることはとても困難なことでしょう。でも理解してくれる人がひとりでもいれば、それだけで心が軽くなります。 そして理解がないということだけで、病気のために自分の大事な人を失ったりしてしまうことはとても悲しいことです 「どうせわからない」って諦めたい気持ちはよくわかりますが、それで自分はどんどん追いこまれていませんか? 理解してくれる人が一人いるだけで大分違います ではそんな周囲の方々ににどうやったらわかってもらえるのか ココでは私が実際やってみて、わかってもらえたと思えたコトをあげてみたいと思います 1、まずは自分の言葉で説明する 「今自分は何もなくても凄く苦しい」「苦しくて死にたいと思うことがある」「これはネットを見たり、本を読んでみたりしたらどうやら鬱らしい」「実は自傷行為をしている」「自殺未遂をした」等、まずは冷静にお話してみることです。 まず自分がどういう気持ちで、どのように苦しいのか言いたいことを言う。 それだけでも少し気持ちがラクになります でもこの時点では、周りに心の病気の人がいたことがある人、そして自分自身が病気になったことがある人、病気になる前の自分をよく知っている人などでないとまず理解は不可能でしょう でもまず理解してもらおうという努力は大事です 2、一緒に病院に行ってもらい、先生の説明を受ける やはり専門家である先生の口から説明してもらえば「病気なのか」と思えることもあると思います どういう病気なのか、どう病気をしている本人に接したらよいのか、先生から聞くのも手でしょう(私の 彼氏と母はそれでだいぶ患者である私に対する接し方を学んだそうです) ただこの場合は、理解して欲しい人間が病院に行こうと思えないとダメだというのが欠点です そして、例え病院に一緒に来てくれても批判的な態度で先生の話を聞いていては、結局寝耳に水だったという例も聞いています そして何より病院にまだ通院する前段階の場合は連れて行く以前の問題なので、コレもまた難しいです 3、感情的になっている自分をありのまま見せる 私自身、自分の弱いところを見せるのは本当に苦手です。だからずっとずっと我慢し続けていました。 どんなに苦しくても でも我慢なんていつか無理がたたって爆発してします そんな時こそ、周りの人間は理解できたということが、多かったです そして、どうやらそういう姿を見ないと、経験したことのない人はいくら言葉で言われてもピンとこないということもあるようです。 私も実際に死にたい!って位辛い時に「死にたい!でも自分で死ねないから、殺してぇぇ!!!」って泣き叫んですがったりしました。 ただ、あまり何回も感情的な姿を見せすぎると相手に負担に思われ離れていかれてしまう場合があります 4、自傷行為の跡を見せる、自傷行為を見せる 本当は見せつけることはあまりよいことだとは思いません しかし、理解を得るためには多少はしょうがないと考えます 私の場合、やはり弱さを見せることができなくて、最初は凄く我慢していました。隠していました。 友達に自傷の傷をみせたことがあります。壁で殴ってアザだらけになった私の腕、リストカットの跡。 その時の友人の悲しそうな顔は、確かに私も辛かったです でもやはり、見せないとわからないってことはあるみたいです。 それ以来、私のHPの日記を毎日チェックし、友達同士で私のことを話合ったりしてくれたりしたそうです 私自身がこれほどツライのかとわかれば、やはり周りの態度も大分変わりました しかし、見せ方によっては、「同情されたくて(自傷行為を)やっているのだろう」と受け取られる場合もあります。(そういうこともありました) しかしとても残念なことなのですが…世の中理解できる人間と理解できない人間がいることも知りましょう… あまり「わかって!わかって!」と迫ると相手に負担な場合もあります。 中には配偶者にどうしても理解してもらえず離婚してしまう方もいます 私自身も病気前の私を凄く理解していた人間なのに、どんなに病気だと説明してもわかってもらえず、暴言・陰口を散々吐いた末に離れていった人間もいました。(詳しくは「生まれて初めての殺意〜私の元親友A〜」にあります) 心の病気に対する理解能力について なので同じくらいの言葉での説明しかしてないのに凄くわかってくれて辛い時何も言わずにただ背中をさすってくれた人もいれば、鬱で辛いとメールしたら「病は気からだよ!」と返してくる人もいました。(それは健康な人にとっては心からのエールだったりするのですけどね。やはり鬱の時の私にはわからなかったですね。「気(心)が病だから辛いのに!」って) あと、…こういう言い方は失礼に当たるかもしれませんが、比較的女性の方が理解があるようです 女性は子供の頃から女性特有の、ある意味嫉妬とねちねちした陰口などのある人間関係のなかで育ってきています。なので、相手の気持ちを察する能力が男性よりある気がします(例えばいつもはグループが一緒のAちゃんと一緒にいるんだけど、最近仲良くなったBちゃんと一緒にいたらAちゃんが他の子に自分の悪口言ってたとか、グループ内で意見が合わないCちゃんとは絶対話さない仲になった、などなど)。男性は一般的に女性より人間関係はラクに育っていますよね。ねちねちした嫉妬も陰口もなく、ケンカしてもすぐ仲直りできるような。(もちろんいじめなどは例外ですが) 私の場合大学のサークルの人間(男)は全く理解できない人ばっかりだったのに、女友達は鬱のせいで離れていった人がいません。 でも私の親友の一人は男性でも理解できているので、本当にひとそれぞれ。なのであくまで上記の女性の方が理解がある?は仮説にすぎませが。(ただやはりその親友も過去苦労してきた人ですね) 私は凄く周りにサポートされて生きてきたと思います。彼らがいなかったらきっといつかの自殺未遂が自殺既遂になっていたかもしれないです。 でも理解されるまでは結構大変だったりしたのです。辻くんのが言っていたのですが「理解者がいない、ではなく理解者をつくるくらいの気持ちで」って言い方は的を得ていると思います。私は甘ったれだったのでひたすら「助けて!」って気持ちを吐露していたにすぎませんが…(苦笑) でもそれが結果的に理解者をつくったということになったようです でもやはり今まで安穏と生きてきていたり、相手の気持ちを察することのできない人や、人間的に許容量の狭い人間は、上でも述べましたが自分がわからないことを受け入れられず、自己正当化に走るような気がします そうやって離れていく人間は…あきらめましょう…辛いけれど… 私もそうやって病気で失った人間はたくさんいます。 でも、世の中そんな人ばかりではありません。私の周りにはわかってくれる人間がたくさんいます。 私はわかってくれなかった人間に対して嘆くよりも、わかってくれて支えてくれる人間を大切にしてこれ から生きていきたいと思っています 凄く難しいことだとは思いますが… ただご家族の理解だけはどうしても必要です。経済的な面からも。まだ未成年の場合は親御さんに理解がないと病院に行くこともできませんから… なのでご家族にはしつこいくらい理解を求めた方がいいです。 世の中のひとりでも多くの方がこの病気を理解して欲しいと願ってやみません このサイトがあることで、少しでも心の病気が理解できる人が増えていってくれれば、それだけで私は嬉しいです。 私はこれから一生「うつ病やってました」って言いふらして生きるつもりです。 そうしたら、もし私の知り合いの大事な人がもし心の病気になった時、私がうつ病だったって言いふらしておけば「ああコイツ確かうつ病だったって言ってたよな」って相談してくれるかもしれない。そうしたら私は体験から助言することはできる。それでその知り合いの大事な人が少しでもラクになれたら、私はそれだけでうつ病になった意味があると考えてます 実際に私の周囲の人間が理解した瞬間 (私はこのようなコトで周りに理解してもらえたよ!という方がいらっしゃいましたら是非メール下さい。内容を多少一般向けに編集するかもしれませんが、より多くの体験談が必要です。待ってます♪) 私の彼氏が理解した瞬間 私のそんな弱さをみせたくないという我慢がいつの時か、彼氏の前で爆発してしまったのです。 確か彼氏が病気がわからない人が言いそうなことを言って、それで私がキレてしまった時だったと思います。 散々泣き喚いて「どうして私の苦しさがわからないの?!」って言いました。 彼氏もまだ病気を理解していなかったのでムキになって反論してきたりしました そんな彼氏に絶望して…その時頭がふっと真っ白になって…ふと壁が視界に入ってきました ああ…ココに腕を思いっきり殴りつけたら、ラクになれるかも… と、私はふいに思い、彼氏の目の前で泣き腫らした状態から一転してどこか頭が冷静な状態で、イキナリ自分の腕を思いっきり、壁の…それも角にぶつけたのです。 びっくりした彼氏は凄い強い力で…何度もやろうとした私の腕を掴みました。 心優しい私の彼氏は…私のその行動によって、私がどれくらい苦しいのかようやくわかったらしく、「僕が悪かった」と泣き伏しました 私の彼氏はそれ以来、「(私は)凄く苦しいらしい。(以前の私だったらこんなことしないと知っているので)これはどうやら病気みたいだ」と理解したそうです それ以来彼は鬱に関する本を読み、病院で先生と一緒に診察を聞いたり、私の訴えを真摯に聞いてくれ、自分の家で24時間完全看護などをしてくれるようになりました 彼がいなかったら、共働きで母はなかなか私に構っていられなかったため、きっと今この世にいなかったでしょう 私の母が病気がどれほど辛いのか気付いた瞬間 母は親族に心の病気の人間がいたので、最初から比較的理解してくれました。 でも母自身はとても病気とは無縁の…ある意味図太い性格(笑)なので、やはり私自身の気持ちはわかりづらかっただろうし、どう接したらいいのかはかなり悩んだようです なので、私は母と一緒に病院に行ったり、ネットであった「うつ病の人に対する接し方」みたいなモノをプリントアウトし、私が「ああこれは該当するな」ということや、思うことを端々に走り書きして渡しました。母はその後何度も何度もそのプリントを読んだみたいです。 ただ私が本当に、本格的に重症なのだと気付いたのはきっと私が壁をガンガン殴るようになってからだと思います。 凄い形相で私の部屋に飛び込んできました。優しく声をかけてくれ、私の背中をさすってくれました。 そして私が初めてリストカットした次の日に私が母に打ち明けた時、その時も母は凄く悲しそうな顔をして、今にも泣きそうでした。 私は子供がいないのでわかりませんが、自分がお腹を痛めて産んだ子が死にたいから苦しいからと手を切ったと聞いた、親の気持ちは…治った今少しわかる気がします あの気丈な母が泣きそうだったくらいですから…もしかしたら、私のいないところで泣いていたかも知れません…。 2001年12月、私は解離状態という鬱とはまた別の症状を発症した時は、彼氏と母が常に交代で私を見張っていました。自傷行為と自殺未遂を繰り返していた私から目が離せなかったというのが本音でしょうが…。それで母は私のために12月はほとんど仕事ができなかったようです 彼氏と母の連携プレーで、今私はココに生きています 私の妹が病気を理解した瞬間 私の妹は正直、そういう心の細かいコトに関して無頓着です そして家族に対する甘えから、外では凄くいい顔をするのに家では凄く横柄になります そんな妹は絶対私の気持ちは理解できないだろうと、できるだけ避けていました。 でも本当に些細なことがきっかけで、いつもの妹の横柄な態度が出たのです それで私は…その瞬間泣きながら近くにあった壁をガンガン殴りまくり…壁を壊してしまいました(元々壊れやすい素材だったのです) それを見た妹は呆然とし、「私が悪かったよ…ごめんね」って言ってくれました ウチの妹は頑固で絶対に人に謝らない人間なんです。だから今振り返るとよっぽど私の荒れ方が酷かったのだろうと思います。よほどビックリしたのでしょう 私自身鬱最盛期だったこともあり、それがトラウマになってしまって約半年妹と全く話ができなくなりました でも、そのうちぽつぽつと話をするようになってからは…妹は変わっていました その私が暴れる前から母からは何度も何度も「××(私)は病気だから」って説明はしていたようなのですが、理解できなかったらしく「××(私)ばっかりお母さんに優しくされてズルイ!お母さんは××(私)にばっかり甘い!」と思っていたようです。そして実際目の前で見せられてようやく「ああ、××(私)は病気なんだ」と理解したそうです なので、私が家にいると凄く気を使ってくれるようになりました。以前の横柄な態度も私がいない時は母などにしているらしいのですが、私の前では全く見せなくなりました 私がちょっと調子を崩していると、すぐ「大丈夫?つらいの?」って聞いてくれるようになりました 私と妹の共通の幼馴染達と一緒にボーリングに行った時、突然トラウマのある、ある曲が流れて私はその 瞬間恐慌状態になってしまったのですが、それに気付いた妹はすぐさま他の幼馴染達に「ちょっと××(私)が気分が悪くなったみたいだから、トイレ行って来るね!」と言い、私を引きずってその場を離れて、ずっと私が落ち着くまでついててくれました。 私が母のことで、母の前で言えないことなどをちょっとグチったりしたりした時、どうやら妹の方から母に「それってちょっと辞めた方がいいんじゃない?」と自分の意見のごとく母に言ったそうです。それをあとで母に聞いた時は胸が一杯になりました 今では何でも話せるいい姉妹です。 私の父が理解したらしい瞬間 私の父はいわゆる団塊の世代で、古風な人間で凄く頑固なのですが、いつかの時、たまたま父の虫の居所が悪かったらしくどうってことないことで怒鳴られました。 機嫌が悪いと怒鳴るのはいつものことだったのですが、鬱だった私はブチっと切れてしまい、たまたま台所にいたので目に付いた包丁を手にして大声で泣き叫びながら「じゃあ私がココで腕を切れば、私の苦しみわかってくれるわよねぇ!?」って父につめよりました。 父はひたすらビックリし、でもその驚いているところを娘に見せたくなかったらしく「何バカなことを言っているんだ!」と怒鳴り返すだけ。そしてそんな押し問答が繰り広げられたあと、心がボロボロになった私は母のところにいきました。そして母が私から包丁を取り上げたのでした 治ったあと聞いた話なのですが、それまでは父は母に「お前は××(私)に甘すぎる!鬱?そんなの気の持ちようだ!」と散々母に言っていたらしいのですが、それ以来全く言わなくなったそうです それまではひたすら母が私を庇ってくれて「子供の教育は私に任せて!!」と父に文句を言わせないようにしていたそうです。そのお陰で私は彼氏宅に泊まる事ができていました 私自身もそれまではなんとなく父から凄く威圧された空気を感じていて、逃げ回っていたのですが、その包丁事件以来なんとなくなのですが、父が私に対して気を使ってくれている気がするようになりました。 私が調子がよさそうな時など、わざとらしく私が興味を持ちそうな話題を振ってきたりするんです。凄く気を使ってるのがアリアリとわかるくらい ま、それでも父は変わることなく、相変わらず機嫌が悪いと怒鳴るのですが。 |