4k82:両腕に時計その2 〜あなたとわたしの時間
あの時以来、私の両腕には時計がついている。 「これで会えなくなる訳じゃないから」 あなたは言ったけれど、今度会う時にあなたはわたしを見てなんて言うかしら? 結局、わたしは置いて行かれた。あなたはわたしから逃げていったのだと思う。 でも実際に置いていくことになるのはわたしの方。そうなるはずだとあなたは思っているでしょうね。 今日も晴れた河川敷をポールと一緒に散歩する。 突然、川沿いに生えている草が一斉に方向を変え、緑色の波となって私とポールを押し戻そうとする。強い向かい風が吹いてきたのだ。 川下の方向、ずっと遠く、海に近いところ。そこに空港がある。 あそこにはきっとあの頃のわたしと同じ気持ちであの光を見ている人がいるんだろう。 あなたはわたしを置いて、家族も友人も全て置いて、実験に参加した。 光速飛行実験。光速に近い速度で他の恒星系へと旅立つための有人飛行実験は過去に数回行われていて、既に帰還している参加者もいる。人体への影響はかなり調べられていて、健康への悪影響は極めて少ないということだった。 目を輝かせて人類の未来について語るあなたを冷めた気持ちで見ていたのに気が付いた? その時から、私の左腕には約10分の1の速さで進む、「あなたの時間」を刻む腕時計がついている。じっと見ていると気が狂いそうなほどに、遅い。 ポールに引っ張られ、仕方なく歩きながら左腕の時計を見た。 左腕につけた「あなたの時間」はあと13時間48分と12秒。 あの時と変わらない笑顔のあなたをわたしは出迎えるつもり。 あの時と同じ笑顔で。 9年間を冷凍睡眠(コールドスリープ)で眠り続けたわたしが。
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