アマチュアとプロフェッショナルで基本的に何が違うのかと言えば、自分の言葉に責任を持たず、好き勝手なことを言って、それをそのまま文章に書けるのが、いわゆるアマチュアである。最近、はからずもその好例に遭遇したので、ここに取り上げ、該当する人物には猛省を促したい。
長沢(2001)は、白馬村周辺に生息する両生類の調査をおこない、大町山岳博物館が編集した本の分担執筆者として、その報告をしている。ところが報告書(エッセイ?)の中身は、ほとんどと言っていいほど「思い込み」で書かれ、ちゃんとした引用文献もなく、とてもじゃないが批判に耐え得る代物ではない。
まず、真っ先に目に付くのは「トノサマガエルとトウキョウダルマガエル」の項目の「トノサマガエルとの中間型のトウキョウダルマガエル」とする写真の説明である。いったい何のこっちゃ?
「トノサマガエルとトウキョウダルマガエルの自然交雑で生じた中間型の個体」と書くのなら、まだ話も分かる。でも、この説明で理解できる人は、少ないのではないだろうか。また長沢(2001)は、何の根拠も示さず「雑種の中間形態のもの」と断定して書いているが、問題の写真を見る限りでは「トウキョウダルマガエルの形態形質の地理的変異の範疇に入る個体」と言っても、間違いではないだろう。
「ハクバサンショウウオ」の項目で目に付くのは「冬眠に集まってきたハクバサンショウウオ」とする写真の説明である。これは、晩秋の11月頃に繁殖水域の近くで捕獲した個体について説明したもののようである。しかしハクバサンショウウオでは、4〜5月の繁殖シーズンが終了しても遠くに移動・分散する個体は少なく、多くの個体が一年を通して繁殖水域の周辺に留まっている。このような特異的な生態を知らずに、思い込みだけで書かれたのでは、こちらとしてはたまったものではない。
また「ハクバサンショウウオは流水性のサンショウウオで、水質のきれいな湧水近くの水深1〜10cm、流速0.03〜0.15m(毎秒)程度の所に産卵する山椒魚である」とする記述がある(山椒魚と書くのも、どうかと思う)。この文章の構成を見ると、長沢(2001)が「流水性」と書いたのが、単なる誤植でないことは一目瞭然である。でもハクバサンショウウオは、湿地帯に生息する「止水性」の種である。彼らは、湧き水や山間からの染み出し水が緩い流れを作り、それがよどんでいるところに好んで産卵する(繁殖期の雄と卵嚢)。ハクバサンショウウオが新種記載される以前に、その類縁関係が取り沙汰されたトウホクサンショウウオも、同様の産卵習性を持つ「止水性」の種である。
「ヒダサンショウウオ」の項目では「同山塊の長野県側の記録では、姫川の支流松川の標高900mの左右両岸で、90年10月30日に冬眠中の成体を筆者が採集」とする説明がある。でもヒダサンショウウオは、渓流の水の中で越冬する習性を持っている。長沢(2001)が川の両岸で採集したのは、これから水の中へ移動して越冬する成体であって、冬眠中のものではない確率が高い。この筆者は、本当はサンショウウオの生活史を全く知らないのだと思う。
「環境ホルモンの影響か両生類に産卵異変」の項目では、まず第一に「(ハクバサンショウウオの産卵調査で)昨年までは無精卵は1個もなかったのに、今年はこの日2カ所で2対+1対の計3対の無精卵が確認された」とする記述自体、私には何のことか分からない(無精卵と書くのも、どうかと思う)。白馬村に生息するハクバサンショウウオでは、1対の卵嚢に40〜60個の卵が含まれている。これが全て未受精卵だったのか、一部に未受精卵が見られただけなのか、この記述では漠然としている。それに1対の卵嚢に2〜3個の未受精卵が含まれるのは、この筆者が知らないだけで、ハクバサンショウウオでは珍しくもない。これは「卵を100%受精させるほど、繁殖行動に参加する雄の媒精が上手くいっているわけではない」ことを示しているに過ぎない(Hasumi, 2001)。たとえ全部が未受精卵であったとしても、周りに雄がいない状況で雌が単独で卵嚢を産出すれば、結果的には未受精卵になるのだから、これを環境ホルモンの影響と考える必然性は何もない。また「アズマヒキガエル数匹分の卵紐はほとんどが無精卵であった」とする説明に関しても、アズマヒキガエルでは、ペアを形成する雄がいないと、排卵が完了した雌は単独で卵紐を産出し、結果的に未受精卵になるということが起こり得る。
長沢(2001)は、ここで私が書いたような両生類の未受精卵が出現する理由には何も触れず「そういえば今年の春の調査で、両生類の産卵にも異変が起こり、無精卵が多く見られるようになったことに気付いた」と、いきなり書いている(未受精卵の出現の多少を議論できるほど、何年も継続して調査をおこなっているのだろうか?)。この筆者のように、未受精卵の出現を環境ホルモンと結び付け、さも分かったような気になっている人が、最近は増えてきたように思われる。しかし、それは大きな落とし穴である。説明のできない現象(例えば精巣卵の出現)を、なんでもかんでも環境ホルモンと結び付ければ済むような問題ではないのだが......(1)。
この報告書を詳細に読めば、もっと間違いが見つかることは確実である。でも、詳しく読もうとすると腹の立つ報告書なので、精神衛生上、はなはだ良くない。ここは、これ以上読むのは止めて、お茶を濁すことにする。最後に、このような「いい加減な報告書」しか書けない人は、本当は報告書なんか書いちゃいけないんだと思う。一方で、高校で理科の教師をしている、私の友人の懸川雅市さんは「自分はアマチュアだから」と言って謙遜するが、彼は常に自分の言葉に責任を持って事に当たっている。その意味では、彼こそ本物のプロフェッショナルと言えるのかもしれない。
長沢武. 2001. 山麓の両生・爬虫類. 大町山岳博物館(編), 新・北アルプス博物誌―山と人と博物館, 第1章 山―北アルプスの自然, II 山麓の小さな生き物, 64-71頁. 信濃毎日新聞社. 長野.
[脚注]
(1) 未受精卵かどうかはともかくとして、クロサンショウウオでは、山間の水たまりに産出された20対程度の卵嚢中の胚が、全く発生していなかったところを何カ所か知っている(私の友人の藤塚治義さんによれば、新潟県上越市の某地域にある水たまりでは、2002年に産出された約100対の卵嚢中の胚は、全く発生していなかったそうである)。水たまりに腐敗臭があり、落ち葉などの堆積が著しく、踏み込むと油が浮き上がるようなところであれば、その水たまりが一度、干上がって卵嚢が全滅したと考えるのが、ここでは自然であろう。