14日(水曜日)は、モンゴル航空(MIAT)の13:30成田発「OM-502」便に搭乗する予定であった。そのため○○さん(金沢学院大学)からは「成田空港第2ビルに、遅くとも午前11時までには到着するように」と要請されていた。その時間から逆算すると、6:51新潟発、もしくは7:01新潟発の上越新幹線に乗車して、東京駅に向かう必要があった。それには「6:21内野発―6:43新潟着」の在来線の列車に乗るのが、確実な手段のはずであった。
前日13日のギリギリまで、某ファンドへ応募する申請書の作成に追われ、それを書き終えたのは午後10時30分であった。ダルハディン湿地へ持っていく調査道具の半分は大型の段ボール箱に詰め、11日(日曜日)の段階で、クロネコヤマトの宅急便を利用して、成田空港第2ビルの受付カウンターまで送っていた。しかし、問題の申請書を書き終えてから、大学の部屋で残りの荷物をパッキングできたのは、14日の午前3時を回った頃であった。それからリュックサック(75リットル)を担いで下宿まで約20分間の道のりを歩き、下宿の部屋で残りの荷物の再パッキングをすると、もはや眠っている時間は残されていなかった。風呂に入って気合いを入れ直し、そのまま75リットルのリュックサックを担ぐと、サブの小型リュックサックを右手に持った状態で下宿を後にし、新川沿いに、内野駅まで約20分間の道のりを歩いたのであった。駅に到着したのは午前6時15分で、6:21内野発の列車には、充分に間に合うはずであった。
ところが、内野駅で待っていると「前日の大雨で地盤がゆるみ、在来線徐行運転のため、到着が遅れている(1)」との場内アナウンスが流れた。駅員に尋ねると「14分遅れになっている」とのことであった。これは、もう6:51新潟発の上越新幹線(Maxとき304)には間に合いそうもない。下手すりゃ、7:01新潟発の上越新幹線(Maxとき400)にも間に合わないかもしれない。祈るような気持ちで、遅れて来た在来線の列車に乗り(2)、新潟駅に着いてからは慌てて新幹線のホームまで走ったのであった。その甲斐あって、このMaxとき400には発車1分前にギリギリで乗車することが出来たのだが、これを逃すと本当に危ないところで、OM-502便には乗れない怖れがあったのである。
成田からウランバートルへの直行便は、月・水・金の週3便である。この便に乗れなければ、明後日まで待機する必要があった。そのための手続きも、面倒なものになったと思う。今回は何とか間に合ったからいいが、もし間に合わなかった場合、責任の所在がどこにあるのか、等々、色々と考えさせられた「7・13水害」であった。
[脚注]
(1) 申請書の作成や荷物のパッキングを徹夜でするくらいだから、まさか13日に、このような豪雨災害が近くで起きているとは知らなかった。この時刻に到着する列車は吉田駅が始発で、この度の被災地からは、それほど離れているわけではない。豪雨災害に関する情報を13日のうちに把握していれば、乗る列車を一本、早めたはずである。13日は、余りの忙しさに晩ご飯を食べている暇もなく、その日の食事は、午後2時くらいに採った昼食の1食のみであった。ところが14日は一転して、4食も採ることとなってしまった。その内訳は、以下の通りである。
(1) 午前10時10分: 成田エクスプレス内で、東京駅構内で購入した「あなご弁当(880円)」
(2) 午後0時40分: 成田空港第2ビル内の和食レストランで、他のメンバーと一緒に「天ぷら御膳ソバ(1,480円)」
(3) 午後3時: モンゴル航空(MIAT)のOM-502便で「機内食(ワイン、パン、フィッシュ&ライス、魚介サラダ、等々)」
(4) 午後8時30分: ウランバートルのホテルのレストランで、モンゴルの研究者と供に「夕食(ビール、ウオッカ、ポタージュスープ、牛肉の蒸し焼き(脂身を抜いたソテー?)&ライス、デザート、等々)」
(2) 内野駅から乗車した在来線の列車の中では、齢70歳過ぎと思われる品のいいお年寄りと席が隣り合わせになった。これからモンゴルへ行く話や、それに間に合うかどうか微妙な情勢にあること、等々、色々と会話が弾んでいた。そのお年寄りとは新潟駅で別れたのだが、帰国後の8月8日(日曜日)の夕方、いつものようにスーパー「ウオロク」大学前店で私が晩ご飯の買い物をしているときに声を掛けられたのが、まさに、この方であった。何でも新潟大学の西門の近くで暮らしている方だそうで、やはり品のいい奥さんと同伴で買い物をしていた。「縁は異なもの、稀なもの」とは、よく言ったものである。