キタサンショウウオの新たな生息地


研究者であれば、最も効率の良い調査方法を選択すべきである。しかし、全体調査のために時期が限られるなどして、それが叶わないときは、次善の策を講じる必要がある。

モンゴル・ダルハディン湿地の第1調査地では、倒木の下や中が、キタサンショウウオの隠れ家として使われている。7月〜8月の夏の時期に、繁殖期以外は陸上で暮らすサンショウウオの個体が、こんなに簡単に見つかる場所は他にない。あらゆる種類の、サンショウウオの生息地の中でも「特殊な場所」と思っていただいて結構である。ところが、そのような知識のない方は「倒木を調べさえすれば、サンショウウオなんて簡単に見つかる」と思っているらしく、色んなことを要求して来るので、正直、困惑している。

2005年8月18日〜23日、ダルハディン湿地の第1調査地以外で、キタサンショウウオの新たな生息地の探索に努めた。18日(木曜日)新しいキャンプ地へと移動すると、まずは私ひとりでキャンプ地周辺の池を探索した。数多ある池には水が豊富に湧き出し、一見したところ水棲動物の影も形もないような池ではあったが、繁殖期に両生類が産卵するには申し分ない環境に思えた。ある池をしばらく観察していると、20匹〜30匹のアブラハヤ・タカハヤの仲間が回遊しているのが分かったし、アメンボも多数みられた。

翌19日(金曜日)には、サンショウウオ・チームのメンバーを引き連れて、キャンプ地を中心とした一帯でのキタサンショウウオの探索を開始した。ところが、陸上の環境がサンショウウオの生息に向かないことは、すぐに分かった。なにしろ、どこにも隠れる場所がないのである。倒木の多くは水に浸り、個体の隠れようがなかった。水域から離れた場所にある数少ない倒木に至っては、苔むして透き間がなく、全体が地面にめり込んだ状態で、個体の隠れる余地がなかった。地面に開いた穴や草むらの中も探してはみたが、キタサンショウウオの個体は見当たらなかった。生息することが確実に分かっている場所でも、夏の時期は見つからないのが普通である。ましてや、いるかどうかも分からない場所で、この時期にサンショウウオの個体を探すのは無謀というものであろう。そのため「これ以上は探してもムダ」と判断し、早々に諦めてキャンプ地へと戻ったのだが、キタサンショウウオが見つからなかったことを調査隊長の○○さんに報告した途端に「ちゃんと探したのか!!」と怒られてしまった。やれやれ、である(1)。

次の段階として、地形図担当の佐野智行さんと一緒に、ランドサットから撮影されたダルハディン湿地の衛星写真を検討し、キタサンショウウオが生息する候補地として、水と森のありそうな場所に幾つか当たりを付けた。これらの場所をロシアンジープで訪れ、GPSで位置情報を確認して、キタサンショウウオが隠れていそうな倒木を探そうとする試みであった。

20日(土曜日)は、この日の候補地に行く途中にある「ピンゴ(pingo: 地下の永久凍土がドーム状に盛り上がった構造物。直径10m〜150m、比高1m〜7m)」を皆で見学し(ズラさんに至っては、他のグループの仕事であるピンゴの計測の手伝いまでして)、お昼近くに候補地へと到着した。しかし、探せども探せども、サンショウウオが隠れるのに好都合な倒木は多いのに、肝心な水たまりが無かった。午後1時、漸く水たまり(15.0m×2.5m×0.7m、pH=8.1)を発見したが、ゲンゴロウの仲間が数匹いるだけで、水棲動物は他に見当たらなかった。また、周囲の倒木の下に、キタサンショウウオは見つからなかった。午前の部の探索はこれで終了で、キャンプ地へは午後1時38分に戻った。それから午後2時40分に昼食を採り、午後の部の探索は午後3時半からの予定であった。ところが予定の時刻を過ぎても、キャンプ地にズラさんの姿は見当たらなかった。聞けば「○○さんと一緒に、どこかに行った」とのことで「いつ戻って来るのか?」は、全く不明であった。今回はキタサンショウウオの新しい生息地を探すだけなので、別にズラさんがいる必要はなかったのだが、とりあえず待てるだけ待ってみようと思った。それから待つこと1時間の午後4時35分、漸くズラさんと○○さんの乗ったジープが戻って来た。こうして、午後の部の探索に出発することが出来たのは、午後5時を回った頃であった。

午後5時34分、運命の分かれ道に来た。候補地の近くで道が二股に分かれていて、ここから右に行くか左に行くかで、結果が違って来る予感があった。一瞬の逡巡の後、右側の道を選び、ジープのドライバーに伝えた。午後6時、キタサンショウウオ個体の探索を開始した。この候補地はホドン川流域に発達した森林地帯であったから、まずは水たまりを探すのが先決であった。しかし、なかなか水たまりが見つからない。そうこうしているうちに、雨風が激しくなって来た。サンショウウオ・チームの他のメンバーが帰りたがっているのは痛いほど分かったが、まだ1個も水たまりを見つけていないような状況では、帰るに帰れなかった。地形の先を眺めながら探索を進め、午後7時半近くに、漸く水たまりがありそうな地形を見つけた。他のメンバーに「とりあえず、あそこまで行こう」と伝え、遠くに見える水たまりらしきものを目指して進んだ。

確かに水たまりであった。ホドン川の近くに長径10mほどの水たまりが数個あり、辺り一帯が湿地帯になっていた。この湿地帯から森林地帯の縁までは、600mくらいの距離であった。他のメンバーに「あそこに見えている森林地帯の中の倒木を探したら、今日は終わりにしようね」と伝え、なんとかして皆の気持ちを奮い立たせようとした。長い、長い600mであった。午後8時10分、フルッレが倒木の下からキタサンショウウオのオスを発見した。奇蹟であった。この時期の日没は午後9時前後であったが、林の中は既に薄暗く、他のメンバーは見つけたことで満足して帰り支度を始めていた。「そんなんじゃ、見つけた証拠にならないだろう」と言ってはみたものの、辺りが暗かったことと私が調査道具を携行していなかったこともあり、とりあえず倒木とキタサンショウウオのオスの証拠写真だけを撮影して、帰路についた。

午後9時24分、キャンプ地に到着した。すぐに晩飯を食べ、午後10時からは○○さん主催の「サンショウウオが見つかったパーティー」と称した、アルヒと赤ワインの宴会がゲルの中で始まった。この席で彼からは「よくぞ見つけた」と賞賛されたのだが、ここで意見の食い違いが明らかになってしまった。○○さんも、サンショウウオ・チームの他のメンバーと同じく、キタサンショウウオの新しい生息地が見つかったことで満足する口のようで、私の「このままでは論文が書けないから、明日また同じところに行って、森林地帯やキタサンショウウオが隠れていた倒木といった、物理的パラメータのデータを採りたい」という意見は却下された。彼が言うには「そんなデータなんて、採る必要はない。『そこにいた』という事実が重要なんだ。それに明日は第1調査地に移動する日だから、行ってる時間もない」とのことであった。やれやれ、である。これで私が学術論文を書いた日には、しっかりと○○さんの名前が共著者として加わるわけだから、なんとも遣る瀬ない気持ちだけが募ってしまう。

そこから先は、サンショウウオ・チームを集めての密談である。データを採ることの重要性を伝え、皆には「○○さんは、ああ言ってるけれど、明日は早めに出発してデータを採りに行くよ」と念を押した。そして翌21日(日曜日)の朝、いつもは「のんべんだらり」と行動するサンショウウオ・チームの行動は素早く、他のどのグループよりも早く出発することが出来た。これも奇蹟であった。こうして午前11時に、第1調査地とは反対方向にある目的地に到着し、思い付く限りの全てのデータを採った。しかも、昨日の段階で見つけていた湿地帯の水たまりよりも近い場所に、湧き水を源流とする400mほどの流れを見つけることが出来た。この流れには20数個の淀みがあり、キタサンショウウオが産卵するには適度な環境に思えた。これらの淀みの大きさ・深さ・pHを測定していると、今度は、源流に近い流れから5mほど離れた倒木の下で、キタサンショウウオのオスの昨日とは別の個体を発見した。これで、この流れがキタサンショウウオの繁殖水域である可能性が一段と高まった。

こうして「ダルハディン湿地シンポジウム(2006年1月5日〜6日、ウランバートル・モンゴル教育大学で開催)」では、これらの結果を元にした発表をおこなうことが出来た。「あのとき無理をしてデータを採りに行かなかったら、今回の発表も無かっただろう」と思うと、妙に感慨深いものがある。

[脚注]
(1) 実は、この日の午後は別の場所でキタサンショウウオの探索をおこなう予定であったが、ズラさんに「先生方が皆でハスを見に行くから、一緒に行きましょう。調査は、明日やれば良いですよ」と、騙されてジープに乗せられ、花の湖(Tsetseg nuur)まで連れて行かれてしまった。ここで「騙されて」というのは、確かに「先生方が皆で」には違いないのだが、日本人は私ひとりだけだったからである。このように、遊び(彼女が調査よりも楽しいと思っていること)優先のズラさんと共同研究をおこなうのは、皆さんの想像を絶するほど大変な試練である。だが、このときほど、彼女のいい加減さを有り難いと思ったことはない。


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