鬼の霍乱


モンゴル・ウランバートルで、インフルエンザを拾って来てしまった(抗生物質が効いたのなら、インフルエンザではなく、細菌性の風邪であることをお断りしておく)。

2006年1月6日(金曜日)午後6時8分、モンゴル教育大学で開催されていたダルハディン湿地シンポジウムが終了した。シンポジウムに参加したモンゴル、ロシア、日本の教員・研究者は、その足で日本人が経営するフラワーホテル内の中国料理店へと向かい、午後7時31分、○○さん(金沢学院大学)とプパーさん(モンゴル教育大学)の乾杯の音頭を皮切りに、パーティーが始まった。総勢27名が、ロシア語や日本語の分かる教員、または通訳が必ず入る形で、5つの円卓に分かれた。

私の席は、中川雅博さん(近畿大学)の計らいで、動物系で固められることになった。私(動物生態学・両生類学)と中川さん(保全生物学・魚類学)以外に、モンゴル自然史博物館ジャブツマさん(Javzmaa: 哺乳類学)とアルタントウヤさん(Altantuya: 水棲昆虫学)、それに通訳のオトゴンさんが加わった。ジャブツマさんは哺乳類が専門ではあるが、2005年夏のダルハディン湿地調査で、ロタロタアムールイトウをさばいて剥製を作っていた研究者である。

午後9時38分にパーティーが終わり、私たち6名の日本人は○○さんのアパートへと帰った。この後、モンゴル人やロシア人が二次会へと向かったのかどうか定かではないが、それに巻き込まれないように即座に退散したわけである。その日は午前0時55分に就寝したのだが、夜中に咳が出て、何度も目覚めてしまった。初日の2日(月曜日)から、同室の藤則雄さん(金沢大学名誉教授)が、隣のベッドで就寝中に何度も咳をしているのは知っていた。私の咳の感染源が藤さんであることは、もはや疑いようがなかった。「その藤さんは?」と言えば、さっさと抗生物質を飲んで、表面上は風邪が治っているようにも見えた。

私の咳は、7日(土曜日)の夜半を回った頃から酷くなり、喉がガラガラで、おまけに頭も痛くなって来た。8日(日曜日)の朝、中川さんから風邪薬をもらって飲んだが、それも焼け石に水であった。熱も出て来て、とうとうダウンしてしまった。午後2時を回った頃、○○さんから抗生物質なのか、ただの熱冷ましなのか、何だか分からない薬を飲まされ、ベッドに横になった。その日は○○さんのアパートで午後4時20分から、モンゴル教育大学のお偉いさんを招いて、お別れパーティーが開催されていた。これには、どうにか参加することが出来たが、普段の1/3も食べることが出来なかった。頭がぼうっとして、まだ熱も高かった。○○さんも心配して、また何だか分からない薬を飲ませてくれた。その薬が効いたのか、そのまま午後9時には眠ってしまった。9日(月曜日)は午前4時46分に起床し、その足で帰国の途についたのだが、成田空港行きの飛行機の中でも咳は止まらず、周りの人々には随分と迷惑を掛けてしまった(1)。

唯一の救いはシンポジウムが既に終わっていることであったが、熱があることは自覚できたから、鳥インフルエンザが流行っているご時世に「空港で止められやしないか?」と冷や冷やものだった。日本に戻ってからは、1週間ほど寝込んでしまった(ホームページが更新されなかったのは、そのせいである)。日頃から頑健で通る私の「鬼の霍乱(かくらん)」であった。

[脚注]
(1) 帰国してから出回ったメールによると、○○さんも、佐野智行さん(姫路獨協大学)も、早坂英介さん(東北大学)も、私から移された(?)インフルエンザでダウンしていたそうである。藤さんは、既に免疫が出来ていたのか「ご高齢にしては元気だ」という話であった。ちなみに中川さんに関しては、関西空港行きの別便で帰国の途についたおかげで(?)、インフルエンザに感染したような話は聞いていない。


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