午前10時25分にホテルのフロントに荷物を預け、チェックアウトを済ませると、この4人でタクシーに乗って自然史博物館へと向かった。自然史博物館にはズラの大学時代の同級生が勤めていて、なんでも彼女が「4人で行くから宜しく頼む」と電話を掛けてくれたそうで、只で見学できることになった(とは言っても、入館料は幾らもしないだろうが......)。
午前10時48分、自然史博物館に到着すると、二手に別れて見学することになった。各部屋には、剥製標本、液浸標本、化石標本、等々が展示され、剥製標本を配置したジオラマが作られていた。入り口の右側にあるショップを覗いてから、まず3階にある「Theory of Mammals & Birds」の部屋へと向かった。この部屋には、タラバガン(シベリアマーモット[Marmota sibirica]: プレーリードッグに似た動物)、モグラ、ハリネズミ(オオミミハリネズミ)、トビネズミ(オオミミトビネズミ)、ムササビ、トナカイ、キツネ(コサックギツネ)、ウサギ、オコジョ、オオカミ(タイリクオオカミ)、等々の剥製が展示され、なぜかモンゴルにはいないはずのラマやカンガルーの剥製もあった(1)。
午前11時18分、次に「Animals of Forest」の部屋に入った。この部屋は、モンゴルが分布の西限となるオオツノジカのジオラマが展示物の目玉で、とにかく「でかい」という印象であった。説明書きには「体長2m70cm、体高1m95cm、体重400kg」とあった。他にも、おそらくクロテンと思われる動物(Sable)、ユキヒョウ(Lynx)、オオカミの仲間(Wolverine)、ヒグマ(Brown Bear)、ゴビグマ(Gobi Bear)、おそらくテンかオコジョ(Weasel)、やたらと尻尾が細いシマリス(説明書きなし)、トナカイ(Moose)、野生のイノシシ(Wild Boar)、等々が展示されていた。
午前11時30分、今度は「Animals of Steppe and Gobi Anthropology」という部屋に入った。この部屋にはタラバガンを中心とした草原地帯のジオラマがあり、その比較として、ライオン、ワニ、シマウマ、等々のサバンナの動物のジオラマが造られていた。草原地帯のジオラマには、フタコブラクダやガゼル(モウコガゼル、コウジョウセンガゼル)の剥製も飾られ、説明書きにはトカゲの仲間であるアガマの生息が示されていた。他には、ネコくらいの大きさのゴビのヒョウと思われる動物、体長1m20cmくらいの小さなゴビグマ、ウランバートルの北側100kmくらいに生息する野生のウマ、等々が展示されていた。
午前11時48分、2階に降りて恐竜の部屋を見学した。ここは一番大きいフロアで、中央付近には、南ゴビの「肉食恐竜(体長14〜15m、体重2〜3トン)」の完全骨格化石が展示されていた。他にも、7,000万年前の「ダチョウのような恐竜(Ostrich-like Dinosaur gallimimus, Ostrich-like carnivorous Dinosaur, etc)」の完全骨格化石、恐竜の皮膚の化石、等々の展示物が見られた。これとは別の恐竜の部屋には、尾を入れた大きさが1.5mくらいの「草食恐竜(Protoceratops andrewsi)」の「子供(hatchling)」の化石(7,000万年前の前肢、後肢、肋骨の化石で、尾を除いた体長は10cmくらい。復元図はカメレオンに似ている)、カメの化石(30cmくらいの大きさ)、南ゴビが昔は海だったことを示す魚類の化石(Imprints of ancient fishes)、18〜20cmの大きさの13個の恐竜の卵が集まった巣(Nest of Dinosaur's eggs)の化石、3mくらいの大きさのマンモスの牙の化石、草食恐竜の骨盤(2×2m)の化石、等々の多様な化石標本が展示されていた。
午後0時17分、次に入ったのは「Plants and Insects」の部屋であった。この部屋には植物標本が何点か展示されていたが、分類システムが滅茶苦茶なモンゴルの植物標本ということをかんがみれば、ここで私が紹介することに何の意味も見出せない。昆虫標本には、2,800万年前のムカシトンボ、シラミ、ダニ、チョウ、ミツバチ、サソリ、等々が収蔵されていた。他には、日本では見たこともない大きなクモ類2種(Lycosa singoriensis, Galeodes araneodes)が展示されていた(後者は10本ある手足が、やたらと長い)。
午後0時27分、待望の「Fishes, Amphibians, and Reptiles」の部屋に入った。この部屋には、Rana amurensis (シベリア森林ガエル)、Bufo raddei (シベリア砂ヒキガエル)、Eremias argus、Eremias vermiculata、等々のエタノール液浸標本が展示されていた。モンゴルの分布地図には、サンショウウオの仲間1種、カエルの仲間5種、トカゲの仲間6種の生息が示されていた。そのサンショウウオの仲間の1種である「キタサンショウウオ(Salamandrella keyserlingii)」は、フブスグル湖の西側(=ダルハディン湿地)を初めとする、少なくとも3ケ所に分布していた。
他にも部屋を2つほど回り、午後0時41分、1階へと降りた。1階にある鉱物の部屋を見学し、午後1時、ウンドラさんに言って、藤さんと一緒に回っているオトゴンさんに「もう終わりにしましょう」という電話をかけてもらった。ここまで「2時間ちょっと」という見学時間は、博物館を回るには短すぎたようであるが、その後のレストランでの昼食時間とホテルへ戻る時間を考慮すれば、妥当な線であろう。午後2時7分にホテルへ戻ると、プパ(2)、モンゴ、ビャンバーの3名の教員と自動車の運転手がフロントで待っていた。午後2時20分、その自動車で空港へと向かい、午後2時44分に到着、午後3時30分のチェックインと相成った次第である。
「モンゴルの自然史博物館なんて、どうせ見るところはないだろうから、せいぜい2時間もあれば全部、回れるんじゃないか?」という不遜な考えは、見事なまでに裏切られた。日本国内にある地方の小さな博物館と比較しても、確かに旧態依然とした展示法ではあったが、色々と勉強になることも多く、思いがけず充実した時間を過ごさせてもらったことは大きな収穫であった。
[脚注]
(1) これらの展示標本には名前のないものが多く、また名前が付いていても、モンゴル語表記であるケースがほとんどであった。そのため、ここで挙げた名前は、私の乏しい知識から「たぶん、そうじゃないか」という独断で、野帳に書き込んだものである。ちなみに、ウンドラさんには動物の名前に関する知識はなく、彼女が私の通訳に就くことを希望したのは「今後の通訳のために、私から日本語の動物の名前を教えてもらう心づもりでいたから」ということが、後々の話で分かった。
(2) このときの会話で初めて、プパの年齢が、私より1歳だけ年上の45歳であることが分かった。それまで私は、プパが私より一回り以上の年上だと思っていた。ちなみに、ズラがメールに書いて寄越した「Pupa先生わYunden先生の変わりに学長なりました」という日本語は、生物学部の「学部長」の間違いであった。