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富田林寺内町の探訪

江戸時代の町並みが残る寺内町(じないまち)をご紹介します

大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。

寺内町の成立と歴史(繁栄と衰退)

Tourist guide to Jinaimachi town, Tondabayashi, a historic district and heritage site of Japan, History Page 3/4
幕府直轄地

富田林村は元和元年(1615年)江戸幕府の天領(直轄地)となってから、淀藩の所領や大坂城代の役地となったこともあるが、明治維新まではほとんど代官支配地であった。江戸時代においても寺内町域ははっきりしていたが、明治以降、北側に人家が増し、いまでは切れ目なく家並みが続いている。

修行者、文人墨客来訪の地

町場は各地から人の集まるところであるから、身分を隠して住むには都合が良い。幕末には天下の志士が身を隠し、各方面に連絡するのに格好の地であった。長州の志士・吉田松陰は諸国遊歴の途中、嘉永6年(1853年)富田林の仲村家に約20日間滞在し、その後肥後熊本の藩士松田重助や生野義挙の中心人物、筑前の平野国臣も安政の末、富田林に隠れ住んで、昼は寺子を教え、夜は私塾を開いていた。その影響で文久3年(1863年)天誅組大和義挙に参加する者も出た。

(出典)
富田林商工会議所 「富田林」(昭和49年9月)、富田林教育委員会 「富田林寺内町」(昭和50年)よりそれぞれ抜粋して収録。
   幕末に吉田松陰が訪れた仲村家住宅
(大阪府有形文化財指定)
  重要文化財・(旧)杉山家住宅
格子の間に掲げられた墨蹟(山岡鉄舟筆)


右から「生前富貴学頭露身後風流怕上花」

明治時代に山岡鉄舟が杉山家を訪ねて、「杉山家の為(左端)」に書き残した作品
寺内町の繁栄と衰退

寺内町の隆盛は明治に入っても続きました。
明治16年(1883年)、それまで古市(現羽曳野市)にあった郡役所や警察署が富田林に移転。新時代にふさわしい橋普請が盛んに行われ、明治31年(1898年)には、現在のJR関西本線柏原駅から富田林駅まで鉄道が開通。それまでの街道筋とは別に国道170号線や楠公道路(富田林駅から金剛大橋に向かう国道309号線)も開通しました。明治22年(1889年)に発行された「河内国商工便覧」には、寺内町で営む木綿商、材木商、清酒醸造所などが数多く紹介されています。

急激な近代化が推し進められた明治末から大正時代、人の流れは次第に寺内町から駅前へと移っていきました。栄えた酒造業は大市場での競争力を失い淘汰され、近隣の農村に田畑を持っていた地主の多くは農地改革で大ダメージを受けました。車の普及はさらに町の衰退に拍車をかけました。

昭和20年代、寺内町とその周辺には映画館が4館あり、芝居やダンスも楽しめました。しかし、時代は変わり、商業都市として発展した寺内町もその衰退とともにかつての華やかさは影をひそめていきます。やがて大都市大阪の一衛星都市となり、それまでの隆盛が夢のような、静かな町に変わっていきました。

(出典)
「じないまち探求誌」(富田林市教育委員会文化財課発行、1999年3月)より一部抜粋。
 
日本の道百選・城之門筋
 
日本の道百選・城之門筋
寺内町の成立と歴史  歴史逸話
寺内町の成立と歴史 宗教自治都市
寺内町の成立と歴史 在郷町としての発展

寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退
寺内町の成立と歴史 繁栄と衰退(昭和30-50年代の頃)
吉田松陰 仲村家に滞在 - 嘉永六年二月・三月
桜田門外の変と富田林の木綿問屋
大久保利通が杉山邸に来たこと
郡役所新築に対する葛原氏の意見書 明治十八年
富田林開発記念碑 興正寺別院
木沢与平氏の「年代記」
富田林駅前の「楠氏遺跡里程標」
浄谷寺の釣鐘
歴史的建造物(一覧)  建築様式 
歴史的建造物一覧(寺院・町家)
歴史的建造物一覧(寺院・町家)(続き)
歴史的建造物一覧表(寺院・町家)
寺内町の建築様式
寺内町の建築様式(続き)
寺内町の町割(都市計画)・交通 歴史的町並み景観の保存・地域コミュニティー活性化
寺内町の町割(都市計画
東高野街道と石川の舟運
寺内町の入口(街道口)
歴史的町並み景観の保存
歴史的町並み景観の保存(続き)
富田林寺内町をまもりそだてる会
地域活性化への取り組み
 「カラー 歴史の町並」(文・那谷敏郎 写真・橋本治朗、淡交社刊、1975年初版)
既に絶版になっている書籍ですが、富田林市中央図書館の蔵書の中から見つけた1冊です。全国各地の歴史的町並みを著者が訪ねて書かれた紀行文で、富田林にも足を運んでおられます。富田林寺内町の歴史について、エッセー風にわかりやすい文章で記されており、小生のお気に入りです。出版社である淡交社編集部の事前許諾を頂戴しましたので、抜粋・引用の上、紹介させて頂きました。 (2012年9月10日、管理人)

Information


(富田林市提供、禁無断転載)


歴史(略年譜)
1561年 富田林寺内町の誕生
    (興正寺別院開基) 
1574年 浄谷寺、富田林移転
1582年 本能寺の変
1580年 豊臣秀吉 天下統一
1600年 関ヶ原の戦い

1608年 妙慶寺開基
1615年 江戸幕府の天領
1638年 興正寺別院本堂再建
1644年 杉山家住宅建造
1688年 51業種149店舗が商売

1720年頃 妙慶寺本堂再建
1751年 防火用心石碑
1753年 木口家住宅建造
1775年 町割が六筋八町に
1782年 仲村家住宅建造

1830年 浄谷寺本堂再建
1853年 吉田松陰仲村家に逗留
1854年 (南)葛原家三階蔵建築
1868年 明治元年
1875年 大久保利通 杉山家訪問
1883年 警察署、郡役所富田林へ
1898年 河陽鉄道富田林開通

1923年 大阪鉄道があべの橋開通
1926年 金剛自動車運行

1947年 農地改革
1957年 府教育委員会 町家調査
1983年 旧杉山家住宅 重文指定
1986年 城之門筋 日本の道百選
1990年 仲村家住宅 府文化財
1997年 重要伝統的建造物群保存地区選定

2007年 美しい日本の歴史的風土     百選
2009年 都市景観大賞「美しいま     ちなみ優秀賞」受賞
2014年 興正寺別院 重文指定
2018年 関西まちづくり賞受賞
2018年 重要伝統的建造物群保存地区・西側に選定地区拡大

歴史逸話
Art Gallery
Books
明治の明星派女流歌人・石上露子
東高野街道

ボランティア・ガイド



団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)

ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。


じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館)

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