作成:2015/3

関東大震災の跡と痕を訪ねて

番号 : 東京 T-14

江東区富岡の富岡八幡宮 --- 復興記念碑 ---

  • 所在地:東京都江東区富岡1-20-3
  • 対象:復興記念碑
  • 碑銘:復興記念碑
  • 形状:板状
  • 建立年月日:昭和11年12月
  • 交通:営団地下鉄 東西線「門前仲町」駅から徒歩6分
写真1 富岡八幡宮 鳥居付近より参道・社殿を望む

写真1

富岡八幡宮 鳥居付近より参道・社殿を望む

写真2 富岡八幡宮 社殿

写真2

富岡八幡宮 社殿 復興記念碑は社殿に向かってその左側にある

写真3 復興記念碑全景

写真3 復興記念碑全景

写真4 復興記念碑

写真4 復興記念碑

撮影:2015/3

富岡八幡宮について

<富岡八幡宮ホームページ(http://www.tomiokahachimangu.or.jp/)より>

御祭神 応神天皇(誉田別命) 外8柱

沿革

富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。

江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念されました。

また、庶民の信仰は江戸の昔から大きな歴史の変転を経て現代に至まで変わることなく篤く受け継がれ、今も善男善女の参拝は絶えず、特に毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せています。

復興記念碑

関東大震災で焼失した社殿は江戸時代神社の代表的建築にして華麗なものでした。焼失した社殿は昭和8年(1933)12月に復興建築として完成しますが、この事業の完成を記念して建立したのが復興記念碑です。

復興記念碑の碑文によると、第一期工事で昭和5年8月に社殿建築が竣工しました。第二期工事では昭和8年7月に儀式殿、社務所、舞殿、手水舎などが竣工し、第三期工事では昭和11年11月に神庫、合末社が竣工して、全ての工事が完成しました。復興工事の起工から完成まで11年を経ています。

この工事の完成から8年と数か月後には東京大空襲で再び焼失します。関東大震災と昭和の戦災は連続的に発生した歴史上の大惨事であることが実感されます。

 ⇒ 復興碑の碑文を見る

震災から復興した社殿は台湾産のひのき材を使用した色彩のない自然のままの木造建築でしたが、この社殿は東京大空襲で焼失しました。なお、復興記念碑にも関東大震災で焼け残ったのは七渡社*と絵馬舎だけとありますが、七渡社は東京大空襲の災難もくぐり抜け、この時に弁天池に避難した人は一命を取りとめたといいます。

現在の社殿は総鉄骨鉄筋コンクリート造りとして昭和31年(1956)に竣工しました。江戸時代の昔をしのび朱塗彩色の美麗なものになっています。

*七渡(ななわたり)社 富岡八幡宮の末社の1つで、祭神は市木嶋姫命(いきちしまひめのみこと)で七渡弁天とも呼ばれる。冨岡八幡宮が創祀される以前から祀られる地主神。




参考資料

江東区史 江東区役所 昭和32年 P1610-1613

富岡八幡宮ホームページ(http://www.tomiokahachimangu.or.jp/)