作成:2006/9
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 東京 T-31
写真1
眞性寺の地蔵菩薩坐像
醫王山東光院 眞性寺(しんしょうじ)の銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵の1つ)
東京都指定有形文化財(彫刻)
東京都教育委員会の案内板には
像の高さは2.68メートル。
深川の地蔵坊正元が発願し、江戸市中から多くの賛同を得て、江戸六地蔵第四番(巡拝の順番は三番目)として、正徳四年(1714)ごろ建立したものである。
とあります。
写真2
大震火災遭難者供養塔
関東大震災当時、巣鴨町は東京市15区内ではなく、東京府北豊島郡巣鴨町でした。巣鴨町の被害は全壊6戸で幸いに死傷者はありませんでした。
巣鴨町周辺は東北方面・信越方面・および常盤方面に往還する要路にあたることから避難者や救援者でごった返し、豊島区での救護人員は9月2日が最高で、7万8千人に達しました。(豊島区史 通史編)
このような状況下で巣鴨刑務所から囚人が集団脱走し、婦女強姦と略奪を繰り返している」という流言が流布しました。
確かに、巣鴨刑務所の外壁は九ヵ所倒壊し、囚人2,285名に対して200余名の所員では脱走防止困難な状態だった。9月1日夜には3、40名の軍人が出動し警戒に当たっている。そして2日夜、兵が全員引揚げた後騒擾が起こった。震災と火災におびえた囚人は一斉に怒声をあげはじめ「競うように安普請の検身所の壁を突き破り、屋根をはがしはじめた。刑務所側では全員が脱獄の気配濃厚と判断」、抜剣・発砲で騒ぎを収拾した。(豊島区史 通史編)
供養塔に刻まれている氏名は犠牲者ではなく、200名を越える供養搭建立に賛同した人々や世話人です。