作成:2015/7
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横須賀 YS-11
写真1
浄林寺の入り口付近 突き当りが覚栄寺で、手前右の石柱には浄土宗覺栄寺とある
写真2 境内と本堂
写真3
本堂前から墓地方向を望む 正面の大きな石碑が大震災供養塔
写真4 大震災供養塔
< 横須賀市 ホームページより >
本水山覚栄寺という浄土宗のお寺で、本尊は阿弥陀三尊です。
このお寺は、日本武尊の東征の折の尽忠者を弔った十王堂の跡に、 室町時代の永正10年(1513年)、載誉屋道上人が念仏宣布の 道場を建てたのが始まりと伝わっています。
墓地には、徳川時代、代々御船奉行を務めた向井家の政勝系統の墓があります。 「俗名向井伊兵衛」とあるのが政勝の供養塔で、古くから「長墓様(ながばかさま)」 と呼ぶ花崗岩(263cm)の逆修塔が政良のものというが、定かではありません。 他に向井一族の物と思われる宝篋印塔(ほうぎょういんとう)や五輪塔、地蔵尊 浮き彫りの碑などがあります。
本堂の裏には、「滝の井戸」と呼ばれる湧水があります。
この供養塔は関東大震災から8年後の昭和6年9月1日に建立されました。背面には震災殃死者・水難死者として35名の氏名が刻まれています。氏名の刻まれている位置によって、震災殃死者が13名、水難死者が22名とも取れないことはありませんが、さだかではありません。
発願人として、走水にある3つの寺院(大泉寺、覚栄寺、円照寺)とその住職の名前が刻まれています。供養塔は覚栄寺にありますが、走水地区の3つの寺院が合同で慰霊祭を執り行ったと思われます。
犠牲者は走水地区の人々であるとのことでしたが、水難死とは何があったのでしょうか。現地ではわかりませんでした。