作成:2015/7

関東大震災の跡と痕を訪ねて

番号 : 横須賀 YS-11

横須賀市走水 --- 覚栄寺の大震災供養塔 ---

  • 所在地:横須賀市走水(はしりみず)2丁目8-14 覚栄寺(かくえいじ)境内
  • 碑銘:大震災供養塔
  • 建立年月日:昭和6年9月1日
  • 建立者:大泉寺、覚栄寺、円照寺、走水区一同
  • 交通:京浜急行「馬堀海岸」より徒歩45分(行程約3km)あるいはバス「速水神社」バス停下車徒歩4分弱
写真1 浄林寺の入り口付近 突き当りが覚栄寺で、手前右の石柱には浄土宗覺栄寺とある

写真1

浄林寺の入り口付近 突き当りが覚栄寺で、手前右の石柱には浄土宗覺栄寺とある

写真2 境内と本堂

写真2 境内と本堂

写真3 本堂前から左手の大震災供養塔を望む

写真3

本堂前から墓地方向を望む 正面の大きな石碑が大震災供養塔

写真4 大震災供養塔


写真4 大震災供養塔

覚栄寺

< 横須賀市 ホームページより >

本水山覚栄寺という浄土宗のお寺で、本尊は阿弥陀三尊です。

このお寺は、日本武尊の東征の折の尽忠者を弔った十王堂の跡に、 室町時代の永正10年(1513年)、載誉屋道上人が念仏宣布の 道場を建てたのが始まりと伝わっています。

墓地には、徳川時代、代々御船奉行を務めた向井家の政勝系統の墓があります。 「俗名向井伊兵衛」とあるのが政勝の供養塔で、古くから「長墓様(ながばかさま)」 と呼ぶ花崗岩(263cm)の逆修塔が政良のものというが、定かではありません。 他に向井一族の物と思われる宝篋印塔(ほうぎょういんとう)や五輪塔、地蔵尊 浮き彫りの碑などがあります。

本堂の裏には、「滝の井戸」と呼ばれる湧水があります。

大震災供養塔

この供養塔は関東大震災から8年後の昭和6年9月1日に建立されました。背面には震災殃死者・水難死者として35名の氏名が刻まれています。氏名の刻まれている位置によって、震災殃死者が13名、水難死者が22名とも取れないことはありませんが、さだかではありません。

発願人として、走水にある3つの寺院(大泉寺、覚栄寺、円照寺)とその住職の名前が刻まれています。供養塔は覚栄寺にありますが、走水地区の3つの寺院が合同で慰霊祭を執り行ったと思われます。

犠牲者は走水地区の人々であるとのことでしたが、水難死とは何があったのでしょうか。現地ではわかりませんでした。

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