福井地震

マグニチュード7.1 1948年(昭和23)6月28日 16時13分発震

地震概要

< 「理科年表 2015」 より >

M7.1

福井県嶺北地方:『福井地震』:被害は福井平野及びその付近に限られ、死3769、家屋倒壊36184、半壊11816、焼失3851。土木構築物の被害も大きかった。

南北に地割れの連続としての断層(延長約25km)が生じた。

被害状況とその特徴

木造住宅の極めて大きな倒壊率

震源が人口の集中する平野の直下でしかも浅かったため、地震の規模に較べて極めて大きな被害となりました。南北方向の断層が地割れの連続として出現し、福井市および断層線に沿った町々では家屋が一瞬にして倒壊し、多くの圧死者をだしました。木造建築の被害が極めて大きく、断層線に近い町村(丸岡、春江)では全壊率が100%であり、福井市でも80%に達しました。

ライフラインの被害

鉄道、道路、電気や水道などのライフラインに大きな被害が生じました。地震と豪雨による被害の拡大。

鉄道:線路や基盤の変状、築堤の崩壊など。福井市付近で3本の列車が転覆しました。

道路:亀裂・沈下・移動など 浜坂部落付近では高さ60mの砂丘が大崩壊し、人家13、村民26、トラック1台、県道50mを一気に埋没しました。

堤防:福井平野の河川堤防に大被害が発生しました。地震発生が梅雨期であったため、河川堤防の改修工事は急いで実施されましたが、地震で弱体化した堤防は梅雨末期の豪雨で決壊しました。(福井県下で、死者行方不明者5名、流失全壊家屋998戸)

耐震性を示した鉄筋コンクリート造りの建物

鉄筋コンクリート造りの高層建築物としては大和百貨店の大破があるだけであり、鉄筋コンクリート造りの耐震性が確かめられた地震となりました。(大和百貨店は戦災で焼けた経歴があり鉄筋が弱くなっていたこと、や地盤が埋立地であったことおよび基礎が貧弱であったことが明らかにされています。この百貨店の崩壊の主原因は不同沈下で、昔の堀を埋めた跡の基礎が70cmも不同沈下した(大崎順彦 地震と建築)らしい。

福井地震以後

福井地震が契機となって、次のような対応がみられました。

  • ・気象庁の震度階は6まででしたが、震度階に当てはまらない倒壊率が生じたことから、この地震を境に震度7(激震、家屋の倒壊率30%以上、400ガル以上)が生まれました。
  • ・1950年の建築基準法の制定では、鉄筋コンクリート造の耐震規定に影響を与え、短期許容応力度や設計震度の規定が新設されました。
  • ・1951年に、京都大学防災研究所が設立されました。



参考資料

宇佐美龍夫 新編 日本被害地震総覧 東京大学出版会 1996

藤井陽一郎 日本の地震学 紀伊国屋新書 1967

編者 宇津徳治他 地震の事典 1987