餘部はその名の通り、長さ約310メートル、高さ約41メートルという大鉄橋である余部橋りょうのすぐそばに位置している駅である。
余部橋りょうが開通した明治45年の時にはまだ餘部に駅がなかったが周囲を海と山に囲まれた地形で、大雨や大雪などになれば道路が通れなくなり、陸の孤島になってしまう事から地元住民の請願で昭和34年にこの餘部の駅が開業した。
駅の入口には餘部の駅の建設の様子を描いた壁画があり、住民総出で駅の建設に携わり、天候で不自由されない暮らしをしたいという想いが強く感じた。
余部の集落は鉄橋の麓にあるので駅から集落まで急な坂を上り下りする必要があり、その坂の上り下りに5分位かかるが運動不足の人は息切れがし、体を動かす事の重要さを感じると思う。
だがそんな余部橋りょうで忘れてはならない事故がある。昭和61(1986)年12月28日に和風客車「みやび」が山陰特有の海からの強い風にあおられて橋から転落し、橋の下にあったカニ加工工場を直撃、その工場の従業員5名と「みやび」の車掌さん、計6名の犠牲者を出すと言う大惨事が起きてしまった。その事故現場には慰霊碑が建立され亡くなった方々のご冥福をお祈りすると共にもう2度とこの類の事故が起きてはならないという想いが込められている。
餘部の駅は集落との高低差が激しいので列車が来ない間は決して誰も近づく事のない孤立した空間になるが、余部の集落は小学校や郵便局、駐在所といった設備や、先程説明した慰霊碑のそばには喫茶店があったりと、そこそこ大きな集落なので、列車の到着時には学生などの利用者が何気に多い駅である。
(2002.12.16)