小倉からディーゼルカーに乗って、ゆらり揺られて進んでいくこと40分。日田彦山線の列車が北九州市を外れてから、一番最初に到着する駅が、この採銅所である。
駅名の由来になった銅は周辺の香春(かわら)岳でかつて採れたもので、歴史は古く、その鋳造は宇佐神宮の御神鏡や奈良の大仏を造る際にも大いに役に立ったようで、わが国の歴史に大きく貢献しているとも言えよう。
駅構内は交換設備を持ち、実際に列車の行き違いが行わている。また駅舎横には引込み線とホームの跡が残されているが、これは山から切り出した石灰石やセメントの原料を運び出すための拠点となっていたが、輸送形態が車になったために貨物の取り扱いが廃止になり、無人化になって今日に至っている。
採銅所の駅において特筆すべき点は駅名の個性よりも、開業当時から残る木造駅舎である。駅舎内の待合室に自動券売機や樹脂製のベンチが備え付けられているものの、洋風の装飾や駅入口の駅名看板はとりわけ見ものである。そんな駅舎の個性の強さが評価されて、駅旅を提唱しているライター杉崎行恭氏からは、新「日本の駅舎」百選として、NHKでは「にっぽん木造駅舎の旅」という番組の中で紹介されている。
日田彦山線の前身、小倉鉄道は数多くの木造駅舎を建てていたが、駅舎の解体が相次いで小倉鉄道時代の駅舎としては、これが最後の一軒だという。最後と言うことばだけに、できれば末永く後世に残してほしいと思うのは私だけではないと思う。
(2009.8.5)