四国にはスイッチバックの駅が2つある。1つは
坪尻でもう1つが同じ土讃線の新改である。この辺りは急勾配の連続で力のないSLにとっては長い急坂を登り続けることは困難で、どこかに休憩所と列車の交換設備を設ける必要性があった。新改の周辺は山奥で平地が全然ないことからスイッチバックという形をとり、利用者の見込みがなかったがゆえに信号場として開設したのが始まりだった。左上の写真でスイッチバックの駅のない所に微妙に勾配が造られているのが分かると思うが、坂の途中にミニカーを走らせると勢いよく走るのと同じようにSLもこの慣性の法則を利用して上り勾配を克服したのである。
後に信号場が出来ると地元の住民は信号場を駅に昇格させるように請願をし、この新改も駅に昇格。昔はポイントの切り替えも人の手によるものだったので駅員もおり、駅舎のまん前に商店が1軒あった。また道路も舗装されていなかったので新改の駅の利用者は駅から家まで歩く靴とお出かけ用の靴の2つを用意し、この駅ではこの靴を履き替えるための下駄箱も設置されていた。
現在ではポイントの切り替えもCTC化されて駅は無人化され、車の普及により利用者が極端に少ない駅になってしまい、駅前にあった商店も閉店し、廃屋がその面影を残している。
民家が1つもないと思っていたら、ホームのスイッチバックのポイント寄りに民家を1軒見つけた。よく調べてみるとホームセンターで売っている様な郵便受けやきちんと干されている洗濯物を見て人がきちんと住んでいて、今となっては数少ない新改の利用者がいる。
この新改には駅ノートが設置されていて、ノート入れとして木箱が用意されており、木箱なのになぜかゴージャスさを感じてしまった。新改の駅は
坪尻と違って道路が舗装されており、車でも行けるので鉄道だけでなく、車による訪問も多い。
山奥の駅は鉄道建設の苦難と、便利な時代が進むにつれて駅に遠ざかってしまったという、まさに栄枯盛衰を感じさせてしまった。
(2003.6.5)