県境付近の山間の山村にまるで忘れ去られたかのようにポツンとたたずむ小さな駅。因美線にある知和には、こういった形容がとても似合う駅ではないかと思う。
東津山と鳥取を結ぶ因美線は陰陽連絡のひとつの路線として担うはずだったが、今は伯備線と智頭急行がその役割のほとんどを占め、中国山地内の県境付近に位置する知和の駅は過疎の小さな駅というポジションに落ちぶれてしまった。
しかしながら、駅舎の建物は開業当時の面影を今に残している上に、周囲の風景に見事に溶け込んでいることもあって、この知和を愛する鉄道ファンも多い。トラベルライターの横見浩彦氏や秘境駅訪問家の牛山隆信氏もこの駅をたいそう気に入っており、実際に「鉄子の旅」では一緒に訪問をしている。
いちおう秘境駅という位置づけはされてはいるが、周囲は民家が点在し、駅舎を出て正面を見ると横に長い工場の建物の姿と、駅前の一本道の突き当たりの右角には新築の民家が建っている。
鳥取から因美線の始発列車に乗り継いで、7:02に知和に下車をして、駅舎の中に入ると、いきなりコンビニの弁当で朝ごはんを食べている人がいた。それが私の知和での衝撃的な出来事だった。最初はそのことを受け入れられずに、寒い朝空の下で新築の民家の所にある自販機の缶コーヒーで体を温めていた。
やがて駅で弁当を食べていた人が車で知和を後にして、ようやく私も知和の撮影を始め、駅ノートにも書き込みをした。その直前には弁当を食べていた人の書き込みがしてあり、名前もN氏であるということが分かった。
N氏が再び知和に戻ってくると、私に気軽に声をかけて来てくれたおかげで、すっかり気が楽になり、鉄道話に花が咲き、これからの訪問予定駅や、夜にサンライズに乗ることまで話してしまった。N氏が乗っている車の中を見てみると、線路際に見るような標識などが積まれていて、保線関係の仕事をしているという印象を受けた。実際因美線に乗っていると、事あるごとに減速をして徐行運転をする区間がいくつも見受けられる。おそらく、それだけ線路の規格も古くなっているのであろう。
せっかく打ち解けられたのも束の間。8:57に次の列車が来て、N氏とのお別れの時が来てしまった。1両編成のキハ120のワンマンに乗り込み、知和の駅が見えなくなるまで私はN氏にずっと手を振り続けていた。
(2009.11.28)