石勝線の夕張支線の終着駅、夕張。現在では最高級のメロンの産地として知られているがかつては炭鉱の町として全国的にも名が知られ、市の人口が12万人もいた時期があったが炭鉱が閉山された今は1万5千人となっていて寂しさは否めない。
元々は夕張線の終着駅で石炭輸送の貨物線の側線が何本もあったそうだが、昭和56(1981)年に千歳空港(現:南千歳)〜新得間に札幌から道東へ抜けるバイパス線の石勝線が開通し、夕張は支線の駅となった。
現在の駅は2度にわたる駅の移転によってできたもので、駅の横にはホテルMt.レースイがあり、スキー場にも直結している。現在の夕張の駅から初代夕張の駅までの廃線跡をたどってみると、今の夕張の駅から歩いて1〜2分の所のコンビニの脇のサイクリングロードが夕張市役所の裏の辺りまで続いているが、これが廃線の跡であり、夕張市役所の裏は2代目の夕張駅があった所だが現在はホームの跡形も残っていない。
そこから先は廃線の跡が若干途切れ途切れになっていて分かりづらくなっているが道道38号線沿いに線路を敷設していたみたいなので道道を歩いても問題はない。途中で映画の手描きによる看板が随所に現れ、激動の昭和の時代に封切られた映画の看板が多く、若かりし頃の銀幕のスターが描かれており、ご年配の世代が懐かしむようなものが多い。
そこからさらに歩くとやがてだだっ広い駐車場が見えてくる。この広々とした駐車場こそが初代夕張の駅構内の跡であり、ホームと駅舎は残されている。ホームには駅名標が残っていて、初代夕張の駅舎は石炭の歴史村の管理事務所として使われている。そこの駐車場の広さを見ただけでもこの夕張が昔は石炭で栄えた町だったことを物語っている。
ちなみに夕張の駅から石炭の歴史村まではバスで約10分だがバスの便はあまりない。とは言っても徒歩で40分くらいかかったので廃線跡を歩くには時間に余裕を持った方がよい。
夕張の駅の横のホテルMt.レースイだが、2003年4月12日に日帰り入浴ができる温泉「レースイの湯」をオープンさせているので列車で訪問した場合は新夕張へ引き返す列車を見送って、温泉につかり疲れを癒すのもいいかも知れない。
(2003.7.6)