鑑賞するだけでは飽きたらず、とうとう根付教室へ通ってしまいました。
根付に関しては、作品や根付師のことは話題になりますが、製作技法についてほとんど話題にされることはありません。残されている素晴らしい根付の数々は、根付師の努力の結果です。その努力を正当に評価するためには、根付製作がどれだけ手間暇のかかるものであるかを知らなければなりません。一つの根付を製作するために必要な期間は、平均2週間程度と言われます。過去の根付師の労苦を感じることができれば、根付作品に対する感動も倍増するに違いない。そう思いました。
通った教室は、駒田柳之氏の「手のひらの小宇宙を作る 現代根付彫刻入門」です。現在でも生徒のための教室が開かれていますが、私が通った期間は平成15年10月〜平成16年3月までの半年間。全8回シリーズです。初日には根付に関する話や、実物を見ながらの製作工程に関するオリエンテーションがありました。2回目以降は細かいスケジュールが決まっているわけではなく、道具作りの実演、製作技法の実演、生徒達が作成してきた作品鑑賞と批評アドバイスといった指導が行われました。
駒田柳之氏(以下「駒田先生」という。)は1934年東京に生まれ、15歳で父・柳水に弟子入りし、象牙彫刻、特に女性風俗物を学び始めました。12年後の1962年に独立し、その2年後に根付の研究・製作を開始しました。1981年に米国ロサンゼルスにて初の個展が開かれ、1992年に東京で第2回目の個展が開催されました。女物で有名ですが、男性や子供、動物など幅広い題材を扱っています。国際根付彫刻会会長をされておられ、現代根付の世界では非常に有名な方です。作品の一部はこちらに掲載しています。
駒田先生の根付教室は、以前から新宿の朝日カルチャーセンターにおいて教室が開かれてきましたが、私が通った教室は玉川高島屋の「コミュニティクラブたまがわ」で開催された、いわば第2の教室です。受講料は全8回で32,000円(当時の値段。コミュニティクラブたまがわの年会費は別途必要)、教材費として15,000円が必要でした。この教材費は、根付を製作するための彫刻刀やヤスリの道具、彫刻のための象牙や黄楊の材料ブロックが含まれていました。
<参考>
・現在、駒田先生の教室は次の2カ所で開催されています。
1.朝日カルチャーセンター(新宿住友ビル4階)
2.コミュニティクラブたまがわ(二子多摩川)
・教室の紹介は、駒田先生のご息女が主宰されているウェブサイト・香柳園のこちらのページをご覧下さい。
http://www.cc.rim.or.jp/~komada/j-carving.html
教室のある建物 |
教室入り口 |
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教室で道具として与えられた彫刻刀は、全て駒田先生のお手製でした。駒田先生による微調整が施されており、非常に彫りやすく、切れやすい刀でした。私は東急ハンズで以前に購入した道具を持っていましたが、それらとは比べ物にならないくらいに優れた彫刻刀でした。駒田先生は、左刃の創始者と言われる山田潮月(春江齋潮月)の系譜を継いでいます。よって、この彫刻刀も左刃用の彫刻刀となります。
今回、教室で学んだ重要なことのひとつは、良い根付を製作するためには、まず良い道具を持つべき事です。根付製作とは、まず道具づくりから、ということです。先生の意向としては、根付の製作技法を世の中に隠し立てすることなく、広く知ってもらいたい。そのための道具作りや彫刻技法は秘密にすることなく、オープンに伝えたいというところにあります。第1回目の教室でもそのことを宣言しておられました。全8回の教室のうち、今このように記録を起こしてみて思い返せば、半分以上はこの道具作りのための指導の時間でした。
現在、外国で安物の根付が大量に生産されています。意匠は真似ることはできるでしょうが、完全なコピーを作るためには、そもそも、まず道具作りから真似なければなりません。しかし、道具作りにはノウハウがあり、簡単には真似ることができない領域です。彫刻刀の形状や研ぎ方、ヤスリの材質、染料の調合、仕上げの技法など、全てにおいて伝統やノウハウがあり、外国人は即席には真似ることができません。 実際に根付を製作してみると分かりましたが、根付の製作は奥が深く、素人が簡単に立ち入れる領域ではありません。逆に本物の道具とその使用法を知っていれば、偽物を識別する手がかりになります。このような意味で教室は勉強になりました。
以下、日記風に各回の教室の模様を紹介いたします。大学ノート50ページに書き留めたメモの全て公開するわけにはいきません。ご興味のある方は是非、教室に通われて体得して頂きたいと思います。なお、このような形で教室を紹介することについては、予め駒田先生のご許可を頂いています。
10月18日。集まった生徒は約10名。見回すと若い人からご年輩の方まで年齢層は厚い。女性は5名。ご夫婦でいらしている方もいた。
先生手作りの彫刻道具が配布された。彫刻刀5本にヤスリが4本(単目とシャリ目の大小2本ずつ)、ブラシや見本用のペーパーヤスリが専用のビニルケースの入れ物に入っていた。彫刻刀は柳之スタイルと呼ばれるもので、鋼の棒から駒田先生が完全に手作りしたもの。
道具については、作業台となる万力の使い方やペーパーヤスリ、電動ノコギリ、回転工具(リューター)、トクサについて説明があった。特に、トクサとペーパーヤスリの関係について詳細な説明があり、ヤスリがけの仕上げの順序について、丁寧に順番を追うべきことが重要であるとの説明があった。小刀の作り方の説明も簡単にあった。回転工具についてお勧めの機種が紹介された。
彫刻用の材料も配布された。象牙材、黄楊材、黒檀材が数個ずつ配布された。今回の材料は駒田先生の手持ちの材料の中から分けてもらったもので、材料は不公平にならないよう生徒達にあみだくじで配布した。
作品の製作方針として、可能な限り既存の根付作品のコピーは作らないようにすべきことが示された。作品をコピーすると自分の腕以上に良いものができてしまうためで、自分の技術向上のためにならないばかりか、その作品が後世独り歩きしてしまうおそれがあるとのこと。根付作家にとって、"この作家はコピー品を作る人なのだ"との悪評判が怖く、特に外国人はオリジナルでないそのような行為を最も嫌うとのこと。この指示は教室で毎回のように繰り返し指示された。
駒田先生の流儀、左刃(ひだりば)の歴史についてご説明があった。その後、小刀の持ち方について実演とともに生徒への指導があった。左刃独特の持ち方があり、慣れるととても効率よく彫刻ができることが理解できた。
次にヤスリの使い方の説明があった。特に決まった持ち方はないのだが、色々なコツを教わった。根付彫刻と言えば小刀の彫刻が注目されがちであるが、おおよその形を材料から大胆に削りだしていくヤスリがけも面白いと感じた。
その後、今後の製作工程に関する説明があり、デザインを決定する図取りや材料へのノコギリの入れ方について説明があった。根付のデザインのポイントは、できる限り無駄な空間は空けずに、丸形の根付を作ることであると示された。また、逆さの杯型の意匠は安っぽくなるので注意することと指摘された。
配布された道具セット |
配布された材料
(くじで配布) |
左刃の彫刻刀の持ち方 |
教室の作業台と大学ノート |
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教室の指導風景 |
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11月1日。今回は前回とは異なる材料の配布があった。前回にはなかった鹿角の材料を分けて頂いた。鹿角は皮目を残して意匠の一部とすることに妙があり、根元のギザギザの部分("クラウン"と呼ばれている)も意匠に活用すると面白いとのアドバイスがあった。
象牙彫刻の仕上げとしてのトクサの使い方、磨き砂についての説明があった。
意匠についての説明が第1回に続いてあった。細かいデザインは難しく、自縛し、途中で変更は出来ないこと。デザインを一つ作成したら、それを元にして次の作品でバリエーションを作ってみることの大切さを説明された。自分の得意とする意匠や技の傾向をつかみ、発展させることが重要であり、根付師の作風は失敗の積み重ねから生まれてくるものであること。画家もそうであるが、いつも新しいデザインだけで作品を作っていこうとするといつかは行き詰まるもの。よって、作品を発展させる"バリエーション"が重要であること。それから、根付の意匠は"小さいものを大きく見せる"面白さがあり、工夫して欲しいとの指導があった。
根付の着色方法について説明が具体的にあった。駒田先生は日本画の顔料を用いて着色をするが、その配合には工夫があるとのこと。同じような着色根付で有名な稲田一郎氏の方法とは異なる技法について、実演を交えて説明してくださった。様々な試行錯誤をしたうえでのノウハウであり、駒田先生のご自宅にはそのテストピースが沢山あるとのことである。
ちなみに、先生によると、一郎の根付は日本画の顔料に膠(にかわ)を混ぜていて、そのため、一郎の根付には着色が禿げた手ずれの跡が多く見られるとのこと。膠は掌の水分でとれてしまうらしい。稲田一郎氏が、いつまでもピカピカの根付ではなく、愛玩すれば慣れが出てくるようにするためにそのような配合を行ったのかどうかは謎である。
本日は小刀の制作セットが配布された。第1回目の教室の時に別途、必要であるならば頒布するとのことで希望していたもの。内容は、ガスバーナー、ガスボンベ、特殊オイル2種(焼き入れ用、焼き戻し用)、金床、小刀の柄、鏨の棒、金工用の棒ヤスリであった。市販されていないものもあり、手ごろな価格で手に入れることができた。自分の好みに合わせた小刀が自宅で製作・調整できるので重宝する。
追加配布された材料 |
作業台
万力を台に固定して馬となる作業板を付ける |
工程の説明1
女性の根付の製作工程の段階をそれぞれ示したサンプル |
工程の説明2 |
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11月15日。冒頭に柔らかい木や芯を持った木の彫刻方法について説明があった。さらに、図案の方法として平面の絵からとってくる方法、鉛筆使いの方法について説明があった。特に、駒田先生が得意とされる人物の顔の図取りの方法について細かい指導があった。下絵を材料に描くときには、特に鼻の部分と後頭部の処理について注意を払うようにと注意があった。
今回は小刀の製作について実演指導があった。鋼の先端を削って柄に刺し、ガスバーナーにより加工。焼き入れや焼き戻し、ヤスリでの加工、砥石での加工について詳細な説明があった。最も難しい焼き戻しでは、温度変化の見極め方について事細かな注意があった。
小刀を作るためには約10工程の作業があり、なかなか難しい。一番難しいと感じたのは刀の研ぎで、マスターするためには10年以上かかるという。教室の最後に、柳之スタイルの様々な彫刻刀の刃の形を写したプリントが配布された。
小刀の制作
金床上で刃を成形しているところ
手前は2種の特殊オイル |
バーナーで小刀をあぶる |
研ぎの実演 |
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12月6日。今回は生徒が作成途中の作品をお盆に載せて披露し、駒田先生からの講評会が行われた。この講評会だけで教室の2時間があっという間に過ぎてしまった。生徒の作品は、馬、瓢箪、鈴、人物、鳥、将棋の駒、蛤などさまざまだ。
講評では、作品に高級感を持たせる技法や銘の入れ方、仕上げの時の紙ヤスリの使用方法、表面仕上げ用の特殊小刀の話、人間の顔の下絵の方法、彫刻時の材料から顔を出していく方法、動物の耳などの細かいパーツの彫刻方法などについて、生徒の作品を元に説明があった。
紐通し穴を空けるための回転工具の使い方や刃の頭の作り方の説明があった。また、リューターの性能や価格に関する説明、細かい作業をするときの照明の方法についても説明があった。最後に見本用の紙ヤスリを2枚配布してくれた。
私は、蝦蟇仙人(象牙)と猿の帯ハサミ(鹿角)のふたつの作品を完成させることを目標にした。蝦蟇仙人は個人的に京都・吉長派が好きなため、是非取り組んでみたい意匠。猿の方は、尾崎谷齋の有名な作品の帯ハサミを再現しようとした。後者については、谷齋の”写し”であることを先生に予め説明してから取り組んだ。
生徒の作品を講評 |
生徒達の作成途中の作品
お盆に乗せてひとつひとつ
に対してコメント |
作成途中の”蝦蟇仙人”
後にこれが
大変なことになる。。。 |
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1月17日。回転工具のリューターの詳しい説明があった。本格的な根付制作のために使い物になる道具は、アマチュアでも最低5,6万円以上のクラスの道具が必要。プロの場合は加工精度や馬力の問題から10万円以上のものを使っている場合があると指摘があった。
根付の材料取りに関して詳しい話があった。人間の顔の部分を中心に下絵の方法のコツを説明した。高円宮様から"どうして水商売の女性ばかりを彫刻するの?"とのご質問があった昔のエピソードを紹介した。柳之の存在価値は"顔"であり、顔の彫刻は非常に難しく、根付彫刻の展覧会に行っても数が少ない。若い頃は絵巻物や浮世絵の勉強をして、長い期間を経て柳之スタイルを完成させたという話を聞かせて頂いた。
今回は小刀の研ぎ方について実演があった。研ぎの際の手の添え方、金槌を用いた微調整方法の説明があった。研ぎは難しい。教室のある生徒は"自分で試しに作った小刀の切れ味は、柳之氏の小刀に及ばない。その差は研ぎだ!"と溜息をついていた。
2月7日。今回は作品の仕上げに使用するトクサの選び方、作り方、使い方の説明があった。太いものよりも目の詰まった細いものを選別することが必要とのことで、手製のトクサが見本として配布された。自宅でトクサの製法を確立するために10年以上を要したとのことであった。椋(ムク)の葉を用いた磨きに方法についても指導があった。
教室も終わりに近づき、いよいよ仕上げの方法についても指導があった。夜叉玉を用いた夜叉液の作り方。夜叉玉の選び方や染めの方法、水夜叉染めの方法について説明があった。また、トクサ、ヤスリ、磨き砂を用いた仕上げの順番についても指導があった。製作の中で磨きは根付師が最も嫌う作業であり、手間暇がかかる作業ではあるが、仕上げを怠ると作品が安っぽくなるとの指摘があった。
象眼の入れ方について説明があった。最初から象眼の穴は大きく開けないことや、思わぬ方向や位置に象眼の目が出てしまうことがあるので、穴あけは慎重にするべき事の指導があった。
夜叉玉、ムクの葉、トクサ |
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乾燥させたトクサの束 |
作成途中の
猿の帯ハサミ
(谷齋写し) |
胴と腕の間の
肉どりが難しい |
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2月21日。今回は小刀の作り方の復習があった。駒田先生は200本以上の小刀を持っており、同じ形でも大中小の大きさを揃えるといったバリエーションがあるとのこと。また、30分もあれば小刀は作れてしまうため、根付製作の途中で必要になった特殊な小刀はその場で作ってしまうとのことである。
教室の後半に生徒達の作品講評があった。
私の猿の帯ハサミ(鹿角)は断念し、蝦蟇仙人(象牙)に専念することとした。鹿角は非常に堅く、電動工具を用いない手作業のみでは加工が難しいことが分かった。将来、時間ができたときに電動工具を使いながら製作を再開することとしたい。
蝦蟇仙人の方はヤスリを用いたおおよその形作りは終了したが、この過程で大きな失敗をしでかした!
最初は、蝦蟇仙人座像のように、座った蝦蟇仙人の全体像を彫ろうとしていた。ところが、そもそもの図取りを失敗したため、恐ろしくバランスがおかしくなり、上半身しか残らなくなってしまった! しかも、上半身に蝦蟇を乗せる余地もなくなってしまった! これは、象牙がどんどん削れて面白い”ヤスリがけ”をいい気になって、やりすぎてしまったのが原因。元々小さな象牙の角材を用いていたため、無理は承知で進めていたのだが。。。 素直に諦めて上半身だけの現代風の人物の”トルソー”を作ることとした。作品講評で先生から”トルソーみたいだね。”とアドバイスを頂いたのが救いになりました。
教室の風景 |
研ぎの復習 |
トクサとメモの
ための大学ノート |
作業台 |
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3月6日。最終回は全体を通した復習。作品の講評もあった。
この時点で私のトルソーの進捗は30%。先生の指導を仰ぎながらであったが、作品を完成することは諦めた。
教室は次期に続けて参加しても良いし、時間がとれるようになったから再参加することも可能とのこと。このため、製作途中の作品はここでフリーズ。将来、自分にまとまった時間がとれ次第、チャレンジすることとした。教室に参加して半年後には何か一つ作品を完成させたいと意気込んでいたところであるが、誠に恥ずかしい限り。
未完成に終わった”トルソー”
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自宅の臨時作業台 |
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最後に、
以上の様に先生から教わるべき事は数多くある。現役の根付師達から学ぶことはまだまだ残されている。貴重な根付の製作技法の伝承という観点から、何か組織的に記録を残すべきではないだろうか。例えば、一つの根付を製作する一部始終を、仕事場の脇にビデオを置いて長時間録画しても良い。簡単なインタビューだけでは記録にならない。根付研究会や根付彫刻会は、可能な限り早期にこのような事業に取り組むべき事を提案したい。
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