鎌倉の大仏の後姿の画像をみてこのページをつくることにしました。
1)鎌倉大仏裏の古い建物とソウル景福宮の接点
2)窓際のとっとちゃん
3)韓国の識字率
などを書きたいと思っています。
2003年6月14日更新
(3)韓国識字率
自民党の方がまたまた問題発言をしたみたいで・・・。いつものことなんで「ああ、またか」としか感じず、気にしていなかったんですが、韓国での生活のことを思い出し触れることにしました。
自民党 麻生太郎政調会長 東京大学での講演での発言(朝日新聞より)
・・・日本の植民地配下での朝鮮人の創氏改名について、朝鮮の人々が
「満州で仕事がしに くかったから、名字をくれと言ったのがそもそもの始まりだ」と説明した。
「ハングルは日本人が教えた」と、日本の統治がハングルの普及に役立ったとも強調した。
上の新聞記事に連鎖し6月7日朝日新聞「声」より
1943年ごろだろうか、東京物理学校の同級生に「李さん」という韓国人の学生がいた。私より3,4歳年長で勉強家、人柄も良く周囲の尊敬を受け、理科実験グループのリーダー的存在だった。
ある日、実験が終わり校門を出たとき、李さんはグループの学生を呼び止め「吉田」という姓の名刺を配った。「すまないが、明日からは僕を吉田と呼んでもらいたいんだ」と言う。驚いて理由を尋ねた。李さんは「日本政府の命令なんだ。仕方がない」と答えた。私たちは押し黙ったままだった。60年たった今も、あの時の李さんの悲しそうな顔は忘れられない。
そのころ子供だった自民党の麻生氏は、現実の韓国人の悲しみは知らないと思う。一部の韓国人の不便を口実に、創始改名の正当性にすり替える主張を受け売りするとは、麻生氏の歴史感覚が分かる気がする。
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自分がお世話になった知的しょうがいしゃ施設は家族経営で園長夫婦とお母様(ハルモニ)によって運営されてました。「ハルモニ」と自分がはじめてした会話が「創氏改名」のことで「ヨシモト」という名前だったとのことでした。この後も「ヨシモト」、「ヨシモト」と何度も話してくれました。
「韓国の識字率」が約95%で「ローマ字みたいなハングルで何でこの数字なのか」とハングルがわかる方には不思議に感じられると思います。残りの5%というのが日本語教育を受けた世代みたいです。ハルモニが入所されてる方(知的しょうがいしゃ)にハングルを教わっているのを見たときはなんとも言えませんでした。園長は幼児期に母親から本を読んでもらえなかったのかなどいろいろ考えさせられました。
2004年1月1日更新
朝鮮日報「日本の歴史認識問題」へリンク
韓国新聞社朝鮮日報のホームページには上のようなコーナーが存在します。
今日(2004.1.1)、小泉首相が靖国神社を参拝したみたいです。
去年(2003.1.15)、訪れたときは「計算された挑発」というような扱いをされましたが、今年は元旦。個人でなく、国の代表者がなんでそんな日に行くのか不思議です。パフォーマンスというより誰かに脅かされているのでしょうか?アメリカの博物館に原爆を落とした飛行機が展示されると「抗議」しますが、アジアの人たちに日本人が与えた苦しみは「原爆」以上です。8月15日は日本は「終戦記念日」ですが、アジアでは「開放記念日」です。言われているとおり歴史の認識差はかなりあります。ちょっと残念です。韓国は旧正月なので明日はいつもどおりの新聞が発行されます。一面間違いなしです。
2003年1月7日更新
靖国参拝日韓三大紙報道集
朝鮮日報 1月2日付社説「所詮日本はこんな国か」
東亜日報 報道なし(日本語ホームページでは自粛したみたいです)
中央日報 1月4日付「靖国神社」
朝日新聞 1月4日付社説「靖国参拝――独りよがりに国益なし」
毎日新聞 1月3日付一面記事
「小泉首相が靖国に元日参拝、「初詣で」強調−−中韓は反発」
読売新聞 1月6日付社説[靖国・伊勢参拝]
「戦没者追悼は日本の国内問題だ」
***読売新聞に注目を。自分には小泉総理が「靖国神社」を参拝したこと自体より、「参拝をやめてほしい」という近隣国々の意見を無視したことが問題に思えます。
続報)朝日新聞記事より
小泉首相の参拝後、「どこの国でも、歴史や伝統、習慣の尊重をとやかく言わないと思う」と語ったが、この発言も韓国側には無神経に移っている。かつて日本は創氏改名や天皇崇拝強制など歴史や文化に介入した歴史があるからだ。
上の読売新聞の社説はまずいです。日にちがたった6日に、何で新聞の顔、「社説」に載せたのか、疑問です。中国・韓国の新聞報道しらなくて書いたのでしょうか?
2003年1月9日更新
韓国「竹島(独島)切手」を発行
韓国の独島切手発行により、無人島がまたメデイアに大きく取り上げられました。「独島」は隠岐島の北にある孤島で、長い間韓国、日本の間で自分の領土という主張が続けられてます。人が住めないのに譲りあえないのは、漁業水域に大きな影響を及ぼす上に、独島の周りは海流が恵まれているからとのことです。
日本では「竹島」のことを場所などを含め、本当に理解している方は少数ですが、韓国ではほぼ全員が知ってます。韓国で生活しているときは「独島、どう思う」と何べんも聞かれました。自分はビート武さん流(環境保護を聞かれ、人類が滅亡するのが一番と答えた)に「爆弾で壊せば言い争いがなくなるのでベスト」と答え続けてきました。
今回は小泉首相の靖国訪問報道のすぐあとで、いつも以上に虚しさを感じます。
切手収集家としては日本と韓国の間で「国同士の間で論議をよんだ切手」(友好切手の逆)が発行されて残念です。
韓国三大紙独島切手報道集
朝鮮日報
1月8日「独島デザインの切手」めぐり韓日紛争の兆し」
1月8日「郵政事業本部「独島切手を予定通り発行」」
1月9日社説「日本という国の偏狭さ」
1月9日「日本も「独島切手」発行を検討」
1月9日「朝鮮漫評 」
東亜日報
1月8日「独島切手、日本の抗議にも発売強行」
1月8日「「日本は内政干渉するな」切手発行で独島学会
」
中央日報
1月8日「「独島切手」を予定通り発行」
ヤフー「竹島」へリンク
ヤフー「独島」へリンク
2005年2月23日更新
鎌倉大仏とソウル景福宮(キョンボックン)
鎌倉大仏紹介ページへリンク
景福宮紹介ページへリンク
ちいさいころ、鎌倉の大仏に行く楽しみのひとつにリスへのえさ上げがあり、おかしを持って、大仏の後ろの壁をくぐり奥に行けば簡単にリスと接することができました。行くたびに疑問に感じたのが、ここよりさらに奥のフェンスで仕切られ、だれも入れないところに、木造の古い小屋の存在でした。直すことなく、壊すことなく、何で存在するのか不思議な建物が朽ち果てたかたちで存在しました。大仏の囲いの裏のスペースのさらに奥のフェンスで誰も近づけない薄暗いところだったので、何で大仏の前の明るくて人目に着くとこれではないのか、不思議でした。
それから、だいぶたち、ソウル、景福宮内にある博物館にて。日本が韓国を治めるために朝鮮総理府の建物を建設するのに、敷地内の歴史的建造物を壊したことを知りました。歴史文化を壊す建て方をし、ひどいことをしたもんだと感じました。
しばらくして、本を読んでいて、びっくりしました。なんと日本は景福宮を壊しただけでなく、価値のある建物は日本に持ち帰ったとのことでした。その上、そのひとつが鎌倉の大仏にあるとのことでした。つまり、上に書いた鎌倉の大仏の裏にある壊れそうな建物がもともと景福宮にあったそのものずばりでした。
これに気づいて、鎌倉の大仏に行って確かめようと決意してから、5年以上が経ち、やっと先日行ってきました。(友人と江ノ島にドライブに行ったときに鎌倉系由で帰ろうとしたときに突然思い出し、行ってきました。)
高徳院で拝観料を払い、大仏裏に直行。いざ、到着。「あれ、ないぞ。」。なんとそこには県の文化財に指定された白壁の建物が。昔を思い出し、売店でお菓子を買って、歩いて、ここ。やっぱり存在した場所にきれいな建物が。・・・・・・壊したのか、壊れたのか、自分の記憶違いだったのが・・・。なんど確かめてもそこにはきれいな建物。仕方がないので、お寺の方に確かめて帰ることにしました。
自分「このお寺には韓国の建物がありますか?」
職員「大仏の後ろの建物がそうですよ」
自分「あの白い建物ですか」
職員「そうですよ」
自分「あれって日本が景福宮から持ってきてしまったんですか?」
職員「いえ、韓国のお寺から寄贈をうけました」
自分「戦争の前で日本が韓国を治めていたときの話ですよね?」
「韓国に帰す気はないんですか?」
あとの会話は忘れてしまいました。
古い建物がなぜ、新しくお色直しされたのか。文化財の指定をうけたのか。その前の無残な姿が強烈にi印象に残っています。景福宮は今、昔の姿をとり戻すため、修復工事が行われています。もし日本が壊さなければそんなことをやる必要はなかったはずです。せめて鎌倉の建物でけでも戻すことはできないのでしょうか?景福宮をはじめ、日本は韓国の方たちにひどいことをしすぎました。
(つづく)
2005年5月5日更新
韓国政府が従軍慰安婦問題への理解を深めるための「サイバー歴史館」を作ったとのことです。日本語での表示は自分が試した限りは確認できていません。日本語の表示があれば日本側の理解も深まるような気がします。
慰安婦歴史館へリンク
2005年10月12日更新
黒柳徹子さんがヨン様に「窓際のトットちゃん」をプレゼント
2,3日前のテレビ番組で黒柳徹子さんがヨン様に「とっとちゃん」の本をプレゼントするのを見て、びっくりしました。戦時中に日本人が韓国人の親子が差別していることが書かれている部分があるからです。ヨン様はどう感じるんでしょうか?感想が聞きたいです。
ここより「窓ぎわのトットちゃん」より
「マサオちゃーん」
トットちゃんが、家から駅に行ったり、帰ったりする途中に、朝鮮の人が、住んでいる長屋があった。トットちゃんには、もちろん、その人たちが、朝鮮の人、ということは、わからなかった。ただ、わかっていることは、その中の一人の、おばさんが、髪の毛を、真ん中からわけて、ひっつめに結っていて、少し太っていて、先のとがった、小さいボートみたいな白いゴムの靴に、長いスカートで、胸に大きく、リボンみたいのを結んだ洋服を着ていることと、いつも大きな声で
「マサオちゃーん!」
と、自分の子どもをさがしていることだった。本当に、このおばさんは、いつも、いつも、マサオちゃーんの名前を呼んでいた。それもふつうなら、
「マ
サオちゃん」
というふうに、「サ」と「オ」にアクセントが、くるんだけど、このおばさんは、
「マ
サオちゃーん」
と、「サ」だけが大きくなって、しかも、「ちゃーん」と、のばすところが、高い声になるので、それが、トットちゃんには、悲しいみたいに聞こえた。
この長屋は、トットちゃんの乗る大井町線の線路に面していて、少し高く、ガケのようになっているところにあった。
マサオちゃんを、トットちゃんは知っていた。トットちゃんより、少し大きく、二年生くらいで、どこの学校に行っているかは、わからなかったけど、モシャモシャの髪の毛をして、いつも犬を連れて、歩いていた。
あるとき、トットちゃんが、学校の帰りに、この小さなガケの下を通ったときだった。マサオちゃんが、そこに仁王立ちに立っていた。両手を腰にあてて、えらそうな恰好で、突然、トットちゃんに、大きい声で叫んだ。
「チョーセンジン!」
それはとても憎しみのこもった、鋭い声で、トットちゃんは、こわかった。そして、なんにも話をしたことも、意地悪をしたこともない男の子が、なにか、憎しみをこめて、高いところから、自分に、そんなこと、いったことにも、びっくりした。
トットちゃんは、家に帰ると、ママに報告した。
「私のこと、マサオちゃんが、チョーセンジン!といった」
ママは、トットちゃんの報告を聞くと、手を口に当てた。そして、みるみるうちに、ママの目に、涙が、いっぱいになった。トットちゃんは驚いた。なにか、とても悪いことなのかと思ったから。すると、ママは、鼻の頭を赤くして、涙をふきもしないで、こういった。
「かわいそうに・・・。きっとみんながマサオちゃんに、「朝鮮人!朝鮮人!」というんでしょうね。だから、『朝鮮人!』というのは、人に対しての悪口の言葉だと思っているのね。マサオちゃんには、まだ、わからないのよ、小さいから。よく、みんなが、悪口をいうとき、、『馬鹿!』なんていうでしょう?マサオちゃんは、そんなふうに、誰かに悪口をいいたかったので、いつも自分が、人からいわれているように、『チョーセンジン!』と、あなたに、いってみたんでしょう。なんて、みんなは、ひどいことをいうのかしらね・・・・」
それから、ママは涙をふくと、トットちゃんに、ゆっくり、こう言った。
「トットちゃんは、日本人で、マサオちゃんは、朝鮮という国の人なの。だけど、あなたも、マサオちゃんも、同じ子供なの。だから、絶対に、『あの人は日本人』とか、『あの人は朝鮮人』とか、そんなことで区別しないでね。マサオちゃんに、親切にしてあげるのよ。朝鮮の人だからって、それだけで、悪口いわれてるなんて、なんて気の毒なんでしょう」
トットちゃんは、まだ、そういうことは、むずかしかったけど、少なくとも、あのマサオちゃんが、理由なく、人から悪口をいわれている子供だってことは、わかった。そして、だから、いつもお母さんが、マサオちゃんを心配して探しているのだろう、と考えた。だから、次の朝、またガケの下を通ったとき、お母さんが、かん高い声で、
「マ
サオちゃーん!」
と呼んでいるのを聞きながら、
(マサオちゃんは、どこに言ったのかしら?)
と思い、
(私はチョーセンジンという人じゃないらしいけど、もし、マサオちゃんが、また私に、そういったら、『みんな同じ子供!』といって、お友達になろう)と考えていた。
それにしても、マサオちゃんのお母さんの声は、いらだたしい、という感じと、不安とがまざった、特別のひびきで、長く尾をひいていた。そして、それが、ときには、そばを通る電車の音に消されることもあった。でも、
「マ
サオちゃーん」
それは、一度聞いたら、忘れられないくらい、寂しく、泣いているような声でも、あったのだった。
自分はボランテイアとして韓国で生活をしているときに、暇だったら読めばと韓国人の学生から渡されたすべてひらがなの「日本語」の教科書ではじめて知り、すぐにソウルで一番おおきい本屋「教保文庫」に行き、原作の内容を確かめました。昔に、日本人が韓国の方を差別していることは知っていましたが、当時、まわりに日本人はいなく、すべて韓国語での生活環境だったのでとんでもない衝撃をうけました。
余談ですが、「窓際のとっとちゃん」は手話のことや同級生の身体障害を持たれた方の書かれたりと、福祉的に学べることがたくさんの載っています。。