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”ハンセン病”ったがゆえに、家族をいわれなき偏見と差別に家族を巻き込まないよう、本名はおろか出生も秘密にされた。昭和63年に静岡の女性史研究家、市原正恵氏が、季刊誌「静岡の文化・秋号」で海人の本名・出生地(沼津市)・出身校を公表したのが最初だった”ようです。
誰しも生を受け、人生を無事に過ごすことは幸せなことです。37歳という短い生涯を終えた、海人。
教職にあった海人は結婚し長女も生まれ、人生これからというときにハンセン病を発病し、突然、絶望の淵に立ます。いわれなき偏見や差別から家族を守るため、名も素性も隠し療養生活をおくります、一時は精神錯乱状態になり、でもそこから立ち直り、短歌を始め、その終焉の時まで自分の情熱を歌に込め、自分の伝えたい事を世に発表してきました。海人は「光を失った人達」にそれが温かい光となってもどってくることを願って・・ |