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明石海人の思い |
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26歳の時にハンセン病を発病します32歳で長島の地に来た海人はかなりの病状悪化にもかかわらず、短歌を勉強し、34歳ごろから短歌を発表しその才能が開花しますが、歌集「白描」を世に出した年、昭和14年、37歳の短い生涯を閉じました。 |
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『私自身は人間である以上に癩者です。私が作る芸術品は世にいくらでも作る人があります。けれども、癩者の生活は我々が歌わなければ歌う者がありません。我々の生活を出来るだけ広く世人に理解してもらいたい。癩に対する世の感心を高めたい。自分の書くものが何らかの光となって数万の癩者の上に返ってくるように・・・・。それが私の念願なのです。明石海人などという名がどんなに広まろうとも、そのことは私にとって、何のよろこびでもありません。』と、「日本歌人」の前川佐美雄へあてた手紙に、その歌人としての海人の心境を伝えています。
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