Come on… 


 こんなことは生まれて初めてだ。
いや、厳密に生まれて初めてかどうか知らないが、少なくとも物心ついてから今までこんなことはなかった。
朝起きて、隣りのベッドにジョージがいないなんて。
 べつにけんかしたわけでも家出したわけでもない。
ちょっと手に入れたい希少品の材料があって、それが出るというのでハンガリーまで買い付けに出かけたのだ。今までなら二人一緒に行くところだが、店を閉めるわけにはいかない。それでジョージだけ行くことになったのだ。
 姿現わしできるんだから、何も一泊二日で行かなくてもよさそうなものだが、ついでだからとルーマニアのチャーリーのところまで足を伸ばすことになったのだ。
それを聞いたおふくろが、それならチャーリーに届けてくれとあれこれとジョージに持たせていた。
 次々とジョージのリュックに詰め込む品々を見ておいおいと思ったけど。大の男が今さら母親の手作りの菓子なんか喜ぶんだろうか。替えの下着なんか自分で調達するだろうよ。
ジョージを見ると、やっぱりげんなりした顔をしていた。
 出発前に、情けない顔で俺に言ってきた。
「予定を変更して先にチャーリーにこれを渡しちまいたいよ。万一だれかに荷物の中身を見られでもしたら、俺はそのままドナウに身を投げてくるぜ」
そんな不穏なセリフを残してジョージはパシッ! と姿を消した。
 その日はさすがに忙しかった。普段二人でやっていることを俺一人でやるんだから当然だ。だが、幸い繁忙期の夏休みではないからまだいいさ。後から思うと、忙しくてかえって良かったんだろう。次の日は定休日だったから、忙しいのは今日一日と思うこともできた。
 やばいと思ったのは、その日の夜だった。
 夕食のときもやけに静かだった。
 お袋と親父は、今ごろジョージはどうしているかとか、チャーリーは元気だろうかとかそんなことを話していたけれど。
俺はなんだか口が回らなくて、適当に相づちをうっていた。
 そして早々に自分の部屋に引き上げたのだが……。
 部屋が広い……。
 俺たちの部屋は、二人で使ってるからといって兄弟たちの部屋の2倍の広さがあるかというと、決してそんなことはない。むしろ一人当たりの面積にすれば半分近い狭さなのだ。そこへもってきて、以前は実験道具や親に見られたくないものやいろんなものがあったんだ。それやこれやを店舗のほうに移した後は、随分部屋がすっきりして清々したものだった。
なのに今はがらんとして、部屋の隅が暗く見える。
 決して寂しいとか心細いとか、そんなガキっぽい感傷ではない。多分だれにも分かってはもらえまい。おかしい。普通じゃない。当然あるべきものがない。ある日突然自分の歯が全部抜けていたら変だと思うだろう。いきなり身長が半分になったとしたら、世界が変わって見えるだろう。強いて例えるならそんな感じだ。
 静かすぎて広すぎて、一人で何をしていいのか分からない。
 今までだって、二人でいてもいつもずっとしゃべってたり遊んでいたわけじゃない。それぞれ勝手に本を読んだりして黙ってる時間は当然俺たちにだってある。
 だけど、二人でいて黙っているのと、一人でいて話し相手もいないのとでは全然違う。1時間もすると俺は耐えかねてビルのところに転がり込んだが、ビルは冷たく、俺がおかしいと言い放った。一人で部屋を占領できて喜ぶべきだとか、自分の部屋に話し相手がいないのは普通だとか言うんだ。そしてその状況に慣れるべきだと言って、俺を部屋に入れてもくれずに鼻先でドアを閉めやがった。
 くそ〜、頼りがいのある兄貴だと信じていたのに。
 孤独な上に裏切られて傷ついた俺は、もうさっさと寝てしまうことにした。
もう寝ようぜと言う奴もいないし、明かりを消すぞと断る必要もないし。ほんとに寝るのか? 俺。
 あいつもきっと今ごろこんな変な気分……てことはないか。だよな。あっちは久しぶりにチャーリーに会えてるんだ。積もる話もあるだろう。なんたってチャーリーのドラゴンの話は一晩中聞いていたって飽きないんだから。
 じゃ、俺だけか? 家族の中で俺だけか? このわけの分からない喪失感を抱えているのは。
 何だか理不尽だなあなどと思いながら、羊を560匹ぐらい数えた辺りで、ようやく眠りについた……ような気がする。




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