Misty Night
夜の8時も過ぎれば、魔法界一の繁華街だというのに人通りはほとんど途絶えてしまう。秋になると霧の日が多くなるのはロンドンでは例年のことだが、この年は夏からずっとだ。冷たく、濃い霧が毎夜のようにたちこめていた。 ガラス越しにそんな通りの様子を眺めて、フレッドは小さく舌打ちした。その窓ガラスも、ただのガラスに見えて実は何重にも魔法がかけられて住人の安全を守っている。当然フレッドとジョージの住んでいる部屋のことであるから、ただ守るだけではなく反撃態勢を整えている。 「……辛気くせえ……」 わずかに眉間に皺を寄せて、フレッドはつぶやいた。 「どっちが?」 さして興味もなさそうに問う声に、フレッドは部屋を振り返った。ジョージはテーブルの上で羽ペンを動かし続けていた。 「外のこと? それともそっちの売上計算書か?」 顔も上げずに、軽くあごでテーブルの向かい側を指して、そう付け加えた。テーブルの上にはいろいろな種類の伝票や書類が取り散らかっていた。 「両方さ」 言いながらフレッドはめんどくさそうにテーブルに戻ってきてどさりと腰掛けたが、椅子に背中を預けたまま、ペンを取る様子はなかった。そんなフレッドに、ジョージはようやく顔を上げて、羽の先で早くやれと促した。 二人ともまだ仕事用のマゼンタのローブを着たままだ。この後また店と製造室のある階下へ降りていって一仕事する予定だ。台所のシンクではスポンジが勝手に食器を洗っている。夕食は冷蔵庫に作り置きした材料で適当に作ったシェパーズパイと缶詰の野菜スープだけで済ませた。以前は仕事が忙しくて面倒くさいとよく外で買ってきたりもしたものだが、このごろはどこの店も閉まるのが早い。二人の自炊する回数は多くなった。 「明らかに下がりすぎだ」 フレッドが憮然とした表情で言った。 「仕方ないさ。夏休みと同じわけにはいかないだろう」 ジョージは努めて軽い調子で答えた。 「そうじゃない。まじめ路線のほうだよ」 フレッドは背中を椅子から離して身を乗り出し、自分の前にあった羊皮紙を1枚ジョージに突き出して見せた。 ジョージは羽ペンを置いて軽く溜息をつき、紙を受け取った。集計の数字など見るまでもない。いわゆるまじめ路線商品の売れ行きがこのところ右肩下がりに減っていることは言われるまでもなくわかっていた。 「消耗品じゃないからな。魔法省にはもう行き渡ってしまったし、ある程度頭打ちになるのはしょうがない」 「だからって!」 「言いたいことはわかってるけど!」 二人は同時に、床に放り出された『日刊予言者新聞』に目を落とした。開かれたそのページには、でかでかと広告が載っていた。 『ハーティ社の護身セット。あなたに代わって呪いをはね返します。(許されざる呪文を除き78種類の呪いに有効 ※当社実験による)』そんなうたい文句の入った写真の中では、W.W.W.製そっくりの帽子と手袋とマントを身に付けた魔法使いがオンレジや黄色の光線をはね返してにっこり笑っていた。 明らかに、この広告が出るようになってからW.W.W.の「盾の帽子」や「盾の手袋」などの売り上げが減少したのだ。後から同じような広告を出したところで、かえって二番煎じに見られるだけだ。だからW.W.W.の商品全般の広告の中で、少しだけまじめ商品を目立たせるようにしてみたのだが、他の商品が商品だけに一般人の信用は呪詛返し専門と思われるハーティ社のほうに流れたようだ。 「絶対俺たちのパクリだ」 フレッドが吐き捨てるように言った。 「どっちみちこれで稼げるのは今だけさ。こんな時代はいつまでもは続かない。少なくとも俺はそう信じてる」 ジョージは霧の立ちこめた窓の外に目を移し、自分自身に言い聞かせるようにそう答えた。 その男がW.W.W.に来たのは、もう閉店間際だった。パーシーとは違った意味で神経質そうな、いかにも小心者の(ジョージの表現によればミステリー小説では最初に殺されそうなタイプの)中年の男だった。 お目当てはもちろん例のまじめ商品。手にとって値踏みするように眺め回し、ひっくり返して確認している。よほど用心深い人間なのかとジョージが多少あきれて見ていると、 「ハーティ社のものよりちょっと高いようだね」 と言ってきた。またか。このところ何度も聞かれることだ。 「そうですね。多分製法と材料が違うのでしょう。でもあちらは安い分、何か大事なものが抜けているかもしれませんよ」 ジョージはにっこり笑ってそう言ってみせた。商売敵を誹謗する気はないが、これぐらいは言っても問題ないだろう。実際フレッドとジョージは、ハーティ社の製品の値段には疑念を抱いていた。 この客がそれに納得できなければそれでも構うもんか、と内心で開き直っていたのだが、意外にも男はジョージの言葉に食いつくように迫ってきた。 「やっぱりそうか! そうなんだな!」 「え、え? な、何がです?」 ジョージは思わず2、3歩後ろに下がった。 「これだよ!」 男は鞄の中からマントと帽子を取り出した。ハーティ社のものだ。帽子は大きく二つに裂け、マントは肩の辺りが茶色く変色していた。男はそれをジョージのほうに突き出すように握りしめて、訴えるようにしゃべり出した。 「わたしがこれを買ったのは1か月ほど前のことだ。幸いデスイーターに出くわしたことはないが、先週街中でぶつかった男に財布をすられそうになった。わたしが大声を上げると、そいつは逃げながらわたしに杖を向けた。だがわたしはこれを身に付けていたから安心していたんだ。ところがどうだ! 呪いを受けた途端、帽子はこのとおり破れてしまった! もちろん多少の効果はあったんだろう。致命的なことにはならなかったが、おかげでわたしの耳が……耳が……!」 耳がどうなったのか分からないが、思い出すのもいまいましいのか、恥ずかしくて言えないのか、男は唇を噛んで言葉を切った。 「それで……」 ジョージが先を促すと、 「二度とあんなことがあっては困る! こっちのはちゃんと効き目があるんだろうな」 「それはもちろん。なんといっても魔法省のお墨付きですから」 「だが、実際の使用例はあるのかね?」 「えー……」 それを言われると、今まで問題があったと指摘されたことはないが、役に立ったと感謝されたこともない。追跡調査まではしていない。でも効果には自信がある。そう言おうとしたとき、 「ではここで試してもらえないかね?」 男がそう申し入れた。 「目の前で実際に見て確信できたら買おうじゃないか」 「では、僕がこれを身に付けますからお客様が……」 すぐに応じたジョージの言葉を、その男はさえぎった。 「いや、それでは呪いがわたしにはね返るだろう」 「そりゃそうですよ。でも大丈夫ですよ。すぐ反対呪文で助けてさしあげますから」 「いや、それでもわたしは嫌だ」 「ではあなたが身に付けると?」 「しかしもし効果がなかったら困るからそれも嫌だ」 わがままな奴だな、とジョージはむっとした。よほど懲りるような耳になったのだろうか。じゃあどうしたいんだ。 「君はたしかさっきもう1人いたな」 君がもう1人いたとは頭の悪い表現だとジョージは思ったが、まあ言わんとするところはわかる。 「君たちで実験してもらいたい」 男は、名案だといわんばかりの顔をしているが、ジョージはもう面倒くさくなってきて、買わずに帰ってもらってもいいと思った。もちろんそう言うわけにはいかない。しかしフレッドが何と言うかな。そう思いながらしぶしぶフレッドを呼びにいった。 他の客の相手をしていたフレッドはジョージに呼ばれて入ってきたが、いきさつを聞くとやはり渋い顔をした。 商品には自信がある。何しろ試作段階で二人でさんざん実験したのだから。完成するまでは二人とも結構情けない格好になったものなのだ。一時的とはいえ、わざわざ呪いにかかりたい人間はいない。完成した今となっては呪いをかける側がむしろ問題で、杖を振られればタイミングをはかりやすいが、はね返った呪いに対処するのはかえって難しい。呪いをまた盾の呪文ではね返しても、それがまたマントや帽子によってはね返されて延々ラリーが続いてしまう。うまいことよけることができれば、部屋の中が壊れる。ましてやここには大事な商品がいっぱいなのだ。 フレッドは思わず、ちらとジョージを見やった。明らかに、どうでもいいや、という顔をしている。それでフレッドは中年男に向かって素早く笑顔をつくった。 「お客様、よろしければ当店で実験したときのデータをご覧に入れましょうか? それでご納得いただけると思いますが」 普通は外部の人間に見せるものではない。異例の大サービスだ。ところが、 「いや、そんなものいくらでも捏造できる。わたしはこの目ではっきり確かめないうちは信用しない」 「でしたらそれをハーティ社に突き返して交換してもらったらどうです? 無理にここで買わなくても」 フレッドは男の猜疑心の強さにあきれて、とうとうはっきり(フレッドの弁によれば なけなしの理性を総動員して真綿で五重にくるんだ言葉で)追い返そうとした。ところが今度はその男は、フレッドの言葉に食いつくように迫ってきた。 「行ったんだ! 行ったとも! これは不良品だった、新品と交換してくれとね。ところがあの連中ときたら、これが呪いのせいで壊れたという証拠がないと言ってとりあわなかった。それだけじゃない。あろうことか、わたしが自分で壊しておいて強請っているのだろう、警察を呼ぶぞと恫喝したんだ!」 フレッドとジョージは困惑して顔を見合わせた。 「もうあんなところに行くのはごめんだ。しかしこんな社会情勢では何もなしでは安心できない。さ、分かったら早くわたしの目の前で効果を証明してくれたまえ」 なんだこいつは。この商品をそんなに欲しがるということは、気が小さいくせに盾の呪文も使えず、その上反射神経も鈍いと告白しているようなものじゃないか。決して胸を張っていいことじゃないんだぞ。なのになんだ、その横柄な態度は。と、フレッドとジョージの頭の中にはマシンガンのように悪口雑言が浮かんだが、学生時代のようにそれをそのまま口に出すようなことはさすがにしない。とりあえず店の客に対しては。 どうしても欲しいという客に、売らないから帰れとは言えない。この男1人ならどうでもいいが、こういう奴に限って逆恨みする。口コミというのは案外侮れないものなのだ。 「分かりました」 とうとうフレッドが了解の言葉を口にした。 「その代わり、一つ条件があります」 「条件?」 「そのハーティ社製のマントと帽子、こちらにください」 中年男は一も二もなくオーケーした。それを聞くと、ジョージは黙ってコイントスをした。 |
お話のほうもちょっとまじめ路線でございます。 ベリティの存在は多分無視(笑)。 絡ませて書くのがめんどくさいだけであって、他意はございません。(誰か信じる?) |