明治時代になってからは、旧物破壊思想のもと、松本城天守も売却・破壊の運命にさらされました。天守が競売されたのを憂えた市川量造らの努力により、幾多の困難を克服して天守を買い戻し、保存に貢献しました。

松本城

しかし、その後は荒廃が進むばかりでした。その有様を憂えた松本中学校長小林有也らは、明治34年天守保存会を設立して11年かかり明治の大修理を終え、天守を倒壊の危機から救いました。

松本城

松本城は、姫路城、彦根城、犬山城とともに四つの国宝城郭のひとつです。市民からは別名烏城とも呼ばれ親しまれています。

松本城

天井に城の守り神を祀った最上階は廻り縁がなく、窓も極端に小さくなっており、居住性よりも武備を重視した時代の趨勢を示しています。西の窓からは北アルプス、東の窓からは美ヶ原などの美しい山並みが眺められます。

松本城

松本城近くにある旧開智学校(重要文化財)は、明治6年5月に開校され、校舎は明治9年に新築されて昭和38年まで90年間使われていた、わが国で最も旧い小学校のひとつです。明治の文明開化を象徴する代表的な建造物です。貴重な教育資料が展示され、年配の人には懐かしい教科書などもあって興味深い施設です。

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