この道 : 国道142号線





 国道142号線は、長野県佐久地方と諏訪地方を結ぶ国道だ。起点は北佐久郡軽井沢町。終点は諏訪郡下諏訪町。2005年度版の道路時刻表(2005年10月現在で未HTML化)によると終点は岡谷市内の国道20号線交点ということになっているが、具体的にどの交差点をさしているのかがはっきりしないため、今回は下諏訪町内にある20号交点までを紹介することにする。「岡谷市終点」とは、湖北トンネルを通る新道側のことなのだろうか。なお、同書では142号線の総延長を77.3kmとしている。
 山によって隔てられた両地域を結ぶこの道は、旧中山道の一部をほぼトレースする形で制定されている。旧宿場名で言うと、沓掛、追分、小田井、岩村田、塩名田、八幡、望月、芦田、長久保、和田、下諏訪が142号線にあたる区間になるわけだ。途中の和田峠からは、霧ケ峰や美ヶ原といった高原リゾート地へもアクセスできる。
 142号線のスタートは、しなの鉄道の中軽井沢駅前にある中軽井沢交差点から。この場所は北から伸びて来た146号線の終点にもなっているが、実質的に国道18号線の一部となっており、道を行き交う多くの人も142号線がここから始まることを知らない。




 146号線は嬬恋村から始まり、浅間山東麓を通って軽井沢に至る。鬼押しハイウェー、日本ロマンチック街道、白糸ハイランドウェイなどの高原道路に接続するための道路としての性格が強い。
 中軽井沢と言う駅名は、街道時代の沓掛宿の名から変じて成立した名前であるらしいが、駅周辺はあまり宿場らしい雰囲気では無い。むしろ宿場町の雰囲気を残しているのは一つ西側の追分宿の方だ。「追分」とは、主要な街道と脇往還(大道の枝道の中でも重要度の高い道)との分岐点であることをあらわす地名で旧街道沿いによく見られる名前だが、この追分宿は全国各地の追分の中でも最も知名度の高いものの一つであろう。
 142号線が通っているのは、18号線バイパスに対する旧道の方とは言え、さすがに18号線伝いは交通量も多い。特に碓氷峠近くの軽井沢駅前に服などを扱うアウトレットモールがオープンした関係もあるらしい。
 北佐久郡御代田町を抜け小諸市に入ったら、18号線を外れて今度は国道141号線の方へと左折。上掲写真の交差点がそうだ。ここから小諸市の南隣・佐久市内にある分起点に到達するまで、141号・142号の重複区間が続くのだが、142号のおにぎりは起点から佐久市内分岐点に至るまで目に付かない。
 佐久市内の142号線=141号線は新開地を走り続ける。というよりも佐久市全体が新興地の性格を持っているのだろうか。道沿いの建物はみな新しいのだけれど、空き地も目だってどことなく散漫な印象だ。




 旧中山道伝いのはずの142号線だが、街道時代を偲ぶよすがはあまり無い。そんな中で追分宿近くの中山道六十九次資料館の看板が目立った。立ち寄ってはいないのだけれど。
 長野県には「信濃の国」という県歌がある。この県歌(ないしはそれと同様のもの)というのは1道1都2府43県の全てに存在するわけではないが、「信濃の国」は長野県の人情や地理、気候風土を過不足なく伝えるものとして評判も高い。
 その一番の歌詞は、「信濃の国は十州に 境連ぬる国にして 聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し 松本 伊那 佐久 善光寺 四つの平は肥沃の地 海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき」というものだ。少々長くなったが、ここで詠われる松本・伊那・佐久・善光寺の四つの盆地はそれぞれが明確な特色を持っている。142号線がここまで走ってきた佐久平は、軽井沢を擁す上に高原式の農業で知られる野辺山につながっていることもあり、どこか高原リゾート地の風情がある。他三つの平らに比べて日本的でないと言えばそうなのかもしれない。その意味では、佐久市南部付近の142号線は佐久らしい風景の中を走るコースだと言える。道沿いには花壇があり、文字通り華やいだ雰囲気の中を行く。「コスモス街道」の通称がある国道254号線との重複区間となっている関係もあるのだろうか。



 佐久平以外の三つの盆地についての極私的印象。松本平を端的に象徴するものは安曇野。南アルプスと中央アルプスに挟まれた伊那地方は「伊那谷」とも呼ばれるように天竜川によって穿たれた南北に長い低平地だ。善光寺平は長野県内最大の盆地で、その名の通り善光寺(長野市)を中心に都市部が発達している。
 道はやがて佐久市に吸収合併された旧浅科町・望月町域を抜け、北佐久郡立科町に入る。立科町は地図で見ると異様に縦長の自治体で、市の北と南では気候や文化風習も大きく違いそうだ。この地名からは白樺湖や蓼科高原ばかりを強烈にイメージしてしまうが、この町は山の反対側の佐久平にまでその一部が突き出しているのだ。
 立科町の隣は小県郡長和町。旧長門町と和田村が合併して成立。旧町村名の一字ずつを取って新自治体名としたわけだ。特に旧和田村域まで来ると道は完全に山村へと入る。このあたりは旧中山道に沿って道が敷設されている。近年の急速な開発によって街並が大きく変わってしまったとも考えにくいのだが、その割りに道沿いにあまり街道的な雰囲気は無い。一応本陣は残されているらしく、和田宿ステーションという施設もあるらしい。その他ではお蔵のある屋敷はちらほらと目に付くのだけれど。



 長和町のような折衷案型地名は住人同士の遺恨は残りにくいのかもしれないが、少々腰砕けな印象を受けるのも否めない。
 中山道の旧宿場・和田宿と諏訪宿との間に横たわるのが和田峠だ。車で走ってみても二つの宿場の間にはずいぶんと隔たりがあるように感じたのだが、実走距離にして20kmほども離れているらしい。そこに加えて道中が峠道であることも考えれば、徒歩での移動が当たり前だった近世以前なら、二つの宿場の間を移動するだけでも一日仕事だったのだろう。そんな中山道屈指の難所・和田峠に差し掛かる。
 もっとも、現在では有料の新和田トンネルが開通しており、かつての難所も思いのほかあっさりと抜けてしまった。旧道の方は、細い九十九折の道を峠の最高所まで登るらしく、意外に大型トラックの往来も多いらしい。味わいのあるドライブが楽しめるのは間違いなく旧道の方だろう。旧道はビーナスラインにも接続しており、ここから霧ケ峰や美ヶ原へのアクセスも可能である。



 今回の国道ドライブは助手席参戦だった。ドライバーがいわゆる「酷道」を嫌ったため、たかり同然の同乗者としては新道セレクトに否やもなかったのである。
 諏訪地方に臨む和田峠南面はかなりの急斜面になっているらしい。もちろん車の走行に危険を及ぼすほどの斜度ではないのだけれど、峠の上のほうから諏訪湖の湖面近くまでを一気に駆け下るような印象だ。あっという間に下諏訪町の市街地近くにまで到達してしまう。
 道すがらには、長い下り坂でフットブレーキが利かなくなってしまった車のためらしい緊急避難所が何箇所か設置されている。一見側道のような避難所の先は短いながらかなり急勾配の上り坂になっており、その行き止まりには衝突時のショックを吸収するためのものと思われる古タイヤがセットされている。山奥の国道では時々見かけるものだけれど、できれば御世話になりたくない構造物だ。エンジンブレーキを上手く利用し、フェード現象を回避するように心がけたいところだ。



 左写真が国道20号線との交点・大社通り交差点。下諏訪町内にある。142号線は写真右に向かって伸びており、そちら方向に進んでいけば佐久・軽井沢方面に行き着く寸法である。
 冒頭触れたように道路時刻表では142号線の終点を岡谷市としているが、ここ大社通り交差点から先、142号の路線番号が表立って現れてくる場面は一切無くなってしまう。仮にこの交差点から岡谷方向に向かって142号線が続いているのだとしても、二桁国道20号線との重複区間としてだろう。この交差点が実質的な142号線の終点であるとしてしまっても良いような気がする。
 なお、これまた再度のアナウンスとなるが、有料の新道湖北トンネルを通れば名実ともに岡谷市内で20号線と接続することになるので、あるいはこちらが142号線の正規ルートとして設定されるようになったのかもしれない。



 




ロケ地:未定
今回使用した車
インテグラ・タイプS(排気量:不明)

国道142号線総括
 一応、旧中山道という触れ込みのルート。全区間通してそこそこの高規格を誇っているが、風景は平凡でドライブコースとしては可もなく不可もなくと言ったところ。ビーナスラインとの接続ルートと考えるのが妥当な線だろう。
 道自体は良く整備されているが、山道が連続するのでパワーのある車での走行が望ましい。今回の搭乗車は友人の車でその点に関しては全く問題なかった。長野仕様車の可能性あり。


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