この道 : 国道21号線




 国道21号線は、岐阜県瑞浪市を起点とし、滋賀県米原市を終点とする101.4kmの1級国道である。起点は国道19号線との交点、終点は同じく8号線との交点となっている。岐阜県美濃地方を真一文字に横切るような形になっていて、その途中には岐阜県の県庁所地である岐阜市もあり、県内の基幹道路としての重要度は高い。
 木曽川縁を走る起点直後の東濃、市街化の進んだ中濃、数々の史跡や道自体にも歴史的な街道の面影が残る西濃、そして日本一の湖・琵琶湖に臨む終点付近と、沿道風景の変化の幅も大きく、ドライブコースとしてもまんざらではないような気がする。
 起点は土岐・瑞浪市境付近にある山野内交差点。ただし、ここから3kmほどの間は19号線との重複区間となっており、一見しただけではここが21号線の起点であるとはまず気付かない。付近の19号線の中でもかなり地味な部類に入る交差点だ。しかし、ロードマップ、道路時刻表、現地キロポストなどの情報を総合すると起点はこの辺りになるし、はてなダイアリーでもここが起点であると明言されており、おそらく起点なのだろう。



 21号線の実質的なスタート地点は、19号線からの分岐点である土岐市内・大富交差点だ。この19号線交点は、起点とは違いかなり大きな交差点となっている。この場所から北上を開始する21号線が、19号線と中央自動車道・土岐ICとを結ぶアクセスルートとなっているためだ。
 分岐後すぐから道は傾斜し始め、やがてインターチェンジを通り過ぎた辺りからは本格的な山道の様相を呈してくる。この辺りは土岐市と可児郡御嵩町を隔てる山岳部なのだけれど、さすがに2ケタ国道だけのことはあって、番号の大きい3桁国道のような険しい道のりとはならない。カーブこそ多いが登坂車線などもある走りやすい道だ。
 この国道に与えられた「21号」というシリアルナンバーが、かつては希望に満ちた未来の象徴だった「21世紀」という単語を連想させるためか、道沿いに「21」という数字をその名に使った施設をいくつか見かけた。しかし、そのうちの一つであるモーテルは既につぶれていた。その現実に、実際に迎えてみれば決して希望ばかりではなかったこの21世紀が連想される。ともあれ、少し前までは雑木林が広がるばかりだったらしいこの道沿いも、近年になって急速に開発が進んだらしい節がある。
 土岐御嵩の境界がある峠付近には、道の駅「志野・織部 陶遊館」がある。




 道の駅、志野・織部。規模は中程度といったところ。織部を名乗るだけあり、施設内のいろいろなものが陶器で作られているが、それらが織部焼きなのかどうかは不明。
 御嵩の峠を越え、御嵩町の中心へと向かい坂を下り始めると、間もなく前方の山肌にそそり立つ巨大な岩の群れが視界に飛び込んでくる。これが鬼岩で、岩の付近は景勝地になっていることもあり、鬼岩公園として整備されている。温泉もあるようだ。
 この鬼岩を右手にやり過ごして少し行くと、御嵩町でも東の外れに当る集落に入る。過去には産業廃棄物処理場の建設をめぐり、町長が暴漢に襲撃されるという血なまぐさい事件があった町という予備知識しかなかったが、もちろん実際にはそんな殺伐としているばかりの町ではない。左手は主に水田、反対の右側には民家が目立つ。このあたりはまだ正しく農村そのものの風景で、商店の類はほとんどない。道行く車の台数がさほど多くないこともあり、むしろのどかでさえある。
 この界隈の道沿いで、気になる店を見つけた。右参照。




 「金箔コーヒー」に「へぼめし」。「へぼ」とは、いわゆる蜂の子のこと。屋号もズバリ「はちのす」。
 蜂の子は東濃の郷土食か。
 御嵩町はわりあいと東西に長い町で、町内には旧中山道の宿場跡が2ヶ所残されている。東の御嵩宿と西の伏見宿だ。御嵩宿周辺は、旧街道沿いにしてはいささか牧歌的に過ぎるくらいだったけれど、伏見宿周辺は道沿いに、古めの民家が建ち並んでいる。もちろん江戸時代から残っているような建物というわけではないのだけれど、決して今風の家でもない。そういう目で見ていると、往時の風景の断片ぐらいは残されている感じだ。このあたりでは伏見宿本陣跡の石碑の他に石造りの道標や常夜灯がよく目に付くのが印象的なのだが、それらの全てが中山道時代の遺物というわけではなさそうだ。一目瞭然に新しいものは別にしても、大正時代ごろに建てられた碑もあった。
 御嵩町の外れから可児市にかけては国道のバイパス化が進んでいる。かなり高規格の道路で、基幹道路の面目躍如である。
 21号線の可児市内区間は短い。かつての渡し場にとって変わったらしい新太田橋で木曽川を渡り、美濃加茂市内へ。



 木曽川を渡ってからしばらくの間は、21号線と41号線の重複区間となっている。道沿いに立っているおにぎりが、21と41の縦に並ぶ仕様からもそのことは一目瞭然だ。土岐市内の21号線は19号線によって完全にマスクされていたが、41号は21号に覆い隠されることなく存在しているわけだ。
 ただこの区間は、2国道の重複区間になっているわりには、それほど大きな道というわけでもない。極端に狭い道というわけでもないのだけれど、しかし美濃加茂市役所前後の1km程度は、やはり交通量に比して頼りない道であると言わざるを得ない。
 もっとも、近辺は商店や住宅が建ち並ぶ地域で、拡張性に乏しいであろうことも容易に予想できる。そのために41号線の方に関しては、美濃加茂市街地を避けるべくバイパス化が進んでいる。上写真が41号バイパスと21号線の交点である太田本町4丁目交差点。もちろん、頭上の高架線が41号バイパスである。



 41号バイパスの高架線をくぐりぬけた辺りから、前方には巨大な山壁が立ちはだかってくる。果たしてこの先迂回路があるのか、トンネルを通って反対側に抜けるのだろうかなどと思わずにはいられない圧倒的な存在感だ。
 加茂郡坂祝(さかほぎ)町は、急流を舟で下る「日本ライン下り」で知られる町である。「さかほぎ」という難読地名すら町興しに利用しているようだ。東濃と中濃とは急峻な山岳によって仕切られており、まさにその境目に位置する坂祝町近辺は平地に乏しく大規模な市街地が発達しにくく、利用できるものは何でも利用しながら観光を基幹産業の一つに据えるのが合理的なのかもしれない。
 特に勝山西交差点から先、標高265mの城山麓あたりでは、21号線はJR高山本線とわずかな平地を分け合うようにして、時に洞門の中をくぐりながら各務原市へと進んで行く。



 各務原市東部・鵜沼近郊では、地形の関係からあまり大きな道は作れないようだが、やはりどうしても多くの車が21号線に集中するようだ。市部にしてはやや田舎びた印象のある道なのだけれど、大型トラックをはじめ、かなりたくさんの車がこの道を走っていく。進行方向左手、木曽川の対岸には国宝4城の一つである犬山城の望楼式天守閣が小さくながらも姿を見せている。
 各務原市内には、航空自衛隊の岐阜基地がある。21号線は、県都である岐阜市に近づくにつれて広い大きな道になり、それにつれて交通量も増していくのだけれど、道行く車が発する騒音をかき消してなお余りあるほどの轟音を発しながら、戦闘機や輸送機など、自衛隊関係の飛行機がひっきりなしに空を飛んでいる。人ごとながら、あまり快適な住環境ではなさそうだ。



 国道21号線は、一応岐阜市を通り抜けて伸びる道なのだけれど、実際には岐阜市の南の端をなぞっているようなニュアンスが強い。特に各務原方向から21号線に乗って岐阜市に入ると、一瞬岐阜市内を走ってすぐに羽島郡岐南町に入り込んでしまう。
 この岐南町の、その名もずばり岐南IC交差点は、国道22号線、および156号線との交点になっている。この交差点で交わる大道を、左に曲がれば22号線、右に曲がれば156号線である。
 岐阜市、岐南町と21号線は高架と地上部側道の二段構えになっている。岐阜の中心部を南へと迂回しながら長良川を渡ると、穂積市、そして大垣市となる。21号線は、またしても大垣市街を迂回するコースを取る。今度は北周りだ。しかし郊外地を通って道を設置したかいもあってか、片側二車線というそれなりの高規格を確保している。風景は比較的単調になる。



 大垣市域を抜け不破郡垂井町に入った辺りで、道は再び対面通行になる。緩い勾配の上り坂、進行方向右手にはJR東海道本線の列車が姿を現す。一時期このページのトップに掲載していた写真の区間だ。
 道幅が狭くなったとは言うものの、交通量はかなり多い。北へ向かえば琵琶湖北方面への抜け、南へ走れば養老地方を経由して伊勢湾岸に至る国道365号線との交点があり、また名神高速道路の関ヶ原インターチェンジも存在する交通の要衝となっているからだろう。古い街道筋に沿って大まかに言うと、21号線が中山道、21号線以北の365号線が北国街道で、21号線以南の365号線は伊勢街道となる。高速道路を使わずに岐阜滋賀の両県を行き来する車の大半はこの21号線を走ることになる。



 不破郡関ヶ原町といえば天下分け目の決戦地だ。ただし、古戦場は21号線の進路よりも少し北に位置し、主だった史跡もそちらに分布している。21号線沿いに存在する関ヶ原合戦関係の史跡となると、家康の最初陣地である桃配山と、町内に二ヶ所ある首塚のうちの東首塚あたりか。しかし、関ヶ原町内にはこの他にも壬申の乱関係の史跡や常盤御前の墓、古代三関の一つ不破関所跡もある。この不破関を越えれば、そこから先は文字通りの「関西」だ。もっとも、現在では不破関以東を関東と呼ぶことはなくなってしまったのだけれど。
 JR関ヶ原駅や役場のある周辺が関ヶ原町の中心部となるのだろうか。個人経営の商店が多く目に付く。かつての中山道・関ヶ原宿だった地区である。ややレトロな雰囲気の民家は旧宿場町のお約束的光景となっている感がある。
 関ヶ原周辺は血で血を洗う大合戦の舞台となったこともあり、江戸時代の旅人には今でいう心霊スポットのように思われていたらしい。日が落ちてから近くの道を行くのは極力避けたというが、21世紀の現在でも、旧関ヶ原宿から旧今須宿へと抜ける辺りの道は、沿線に民家の一つとてない峠道となっている。




 不破関と、鈴鹿関、愛発(あらち)関の三つのことを古代三関という。
 ちなみに、江戸時代の天下四関は東海道から箱根と新居、中山道から碓井と福島。
 関ヶ原町今須地区を抜けると、滋賀県米原市に入る。道は平坦かつ直線的で、あまり特徴はない。道沿いにも水田が広がっているばかりだ。この区間の21号線に関して強いて特筆すべきことを上げるとしたら、右手の東海道線と左手の名神高速道路によって挟み込まれていることだろうか。古代から現在に至るまで、日本の主要な交通網が似たようなルートを選んで敷設されていることが分かる。
 道なりに進んで行くと、一旦は坂田郡近江町に入ることになる。米原市は旧坂田郡の米原町と山東町が合併して成立した市なのだが近江町だけはこれに参加しなかったため、新米原市と近江町の境界線はかなり複雑な形になっている。国道8号線との交点西園寺交差点は、その近江町内にある。これ以降終点まで、21号線は終点まで1桁国道8号線に飲み込まれる形になるのだけれど、交差点の形としては南北に伸びる8号線と東から伸びてきた21号線が交わる三叉路になっている。




 ちなみに、合併後の市名は「まいばら」。旧町名は「まいはら」。全国的には「まいばら」駅の知名度の方が高かったための措置だと言われる。
 21号線の終点は、起点の特定にあたっても利用した「はてなダイアリー」によると、「米原町役場入口」となっている。現在では市制が施行されているため当然にその名は変わっていると思われるが、変更後のことまではフォローされていなかった。
 21号線の道路時刻表、および種々のロードマップを見る限りでは、21号線の終点は起点と同様に8号線の途上に存在しているようだ。位置的には西園寺交差点から1kmあまり南に下ったところ、米原駅の東側あたりになると思われる。しかし厄介なことにこの付近には、小さいわりに複雑な形の交差点が3つほど集中しており、果たしてその中のどれが終点となるかの確証がない。その3つの交差点名とは、北から「米原警察署北」、「米原警察署前」、「米原駅東口」である。このうち、南の二つについては古いロードマップの中でもそれぞれ「米原警察署前」、「米原駅東口」とされていたので、最近になって交差点名の変更が行われたことはなさそうだ。「米原町役場入口」からの名称変更が行われているとすれば「米原警察署北」交差点だろう。ただこの交差点は、1国道の終点とするにはいくらなんでも規模が小さすぎた。
 結局よく分からないので、「米原警察署前」交差点の写真(左上)と、「米原駅東口」交差点の写真(右)を掲示しておく。おそらく、「米原警察署前」が本来の終点だろう。




 国道の制定理念を考えれば駅に接続する交差点こそが終点に相応しいような気もするが。 




ロケ地:名古屋市営駐輪場(名古屋港)
今回使用した車
自転車/イオン社製(排気量:乗り手次第?)

国道21号線総括
 総延長は100km強。これだけの長さなら、起点直後にかなりの上り坂があるが、自転車慣れした人ならばサイクリングにちょうど良い程度の長さだろう。
 車で適当に流すのも悪くない。


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