この道 : 国道249号線





 国道249号線は、石川県七尾市にある川原町交差点を起点とする国道だ。この交差点は249号のほかに、159号線、160号線の起点にもなっている。このうち、159号線はその終点をも249号線と同じくしており、いずれも石川県内の金沢市を目指す道路である。ただし、スタート直後から南下をはじめてほぼ最短コースで終点を目指す159号線に対し、249号線は能登半島最北端付近まで大きく迂回して金沢を目指すルートだ。偶然の一致か、総延長は249.9km。単純に七尾-金沢間を結ぶ道として159号と比べると、距離にして180km、所要時間では3時間のロスとなる。全区間を通して走る実際的なメリットは、無い。要は、能登半島の各市町村と、金沢市・七尾市を結ぶ道なのだ。
 ただし、249号線はほぼ能登半島を内海側と外界側とに分断する丘陵地帯の縁をなぞるような形で伸びているため、七尾市の北に位置する七尾湾側と日本海側の連絡には向かない。ちなみに、地元では七尾湾岸の地方を内浦、その反対側の日本海側を外浦と呼ぶことがある。覚えておくと何かと都合が良い。
 起点・川原町交差点が3国道の起点であることは既述の通り。ただ、159号線、160号線にはそこが起点であることを示すポストが存在しているのに、249号線にはそれが無い。3桁国道(旧二級国道)の中でも、100番台とそれ以外ではその重みにかなりの隔たりがあるためだ。




 249号線の走る能登半島だが、どうしても過疎地であることを認めざるを得ない。区間によってはガソリンスタンドを探すことさえ難儀するので、ここを走る時は、早め早めの給油が無難だと思われる。
 スタート後まもなく、道は七尾市役所やJR七尾駅など七尾市の都市機能の中枢を担う施設の目の前を通る。このあたりが七尾市の中心になるだろう。
 駅近辺の中心市街地を越えて先に進むと、道は二手に分かれる。七尾市内和倉温泉を通る本線と、それを避けるバイパスである。和倉温泉は、JR北陸本線の特急・「しらさぎ」の終着駅にもなっており、長期低落傾向にある能登の観光地にあって一人気を吐いているイメージがある。バイパスが設置されたのも、和倉温泉付近の交通量が相当の物であることを示すものだろう。また、和倉温泉駅からは、この先半島先端の珠洲市まで249号線と双子のように寄り添っていくのと鉄道が発着している。



 
 バイパスルートを進んだ場合、道が良いのでついつい先を急いでしまうが、高田ICに入る直前でこれを降りないと、自動的に能登有料道路に接続する能越自動車道(田鶴浜道路)に運ばれてしまう。能登有料道路は、金沢市の北隣・河北郡内灘町と鳳至(ふげし)郡穴水町を結ぶ自動車専用道路だ。
 その鹿島郡田鶴浜町。田鶴浜とはよく言ったもので、バイパスと本線が合流して少し行ったあたりでは、田畑の向こう側に七尾湾が見える。民家も多くなく、鶴でも飛んできたら本当に絵になりそうだ。虚心に見れば、のどかな風景なのだが…。



 田鶴浜町の北にあるのが、同じく鹿島郡の中島町だ。「演劇の街」という独自の方向性を打ち出しての町おこしをしている。近年では、仲代達矢氏率いる無名塾の公演も行なわれており、話題性においては一定の成功を収めているようにも思える。しかし、最近になって大型墓地誘致の話が持ち上がっているらしく、国道沿いにもこの計画に反対の意思を示す看板が掲げられていた。
 ともあれ、249号線は中島町内でももっとも開けた集落を横切っており、田鶴浜町内に比べれば開けた印象だ。コンビニなどは、この機を逃すとこの先しばらく見当たらないので注意。町内、能登島方面への分岐があるツインブリッジ口交差点付近には、道の駅「なかじまロマン峠」もある。




 なかじまロマン峠。それほど大きくはないが、交通の要衝に手堅く配されている?
 なおも北上。鳳至郡穴水町に入る。中島町内ではかなり内陸に入り込んだ位置を走っていたためほとんど目に付かなかった海が、再び視界に飛び込んでくる。左手すぐ脇にのと鉄道のレール、その奥の緩い傾斜地にに黒い瓦の平屋建て民家、右手には護岸で隔てられた七尾北湾、時には日本最古の漁法といわれるボラ待ちやぐらが組まれているのが見える。漁業の町として積み上げてきた歴史が見て取れるようだ。そして、湾のさらに向こうには、能登半島の先端に続く山並みも見える。
 地図で見ると良くわかるが、能登半島は金沢平野からまっすぐ北に伸びているのではなく、途中から東向きに曲がっている。穴水町はちょうどその曲がり始めに位置している。従って、249号線も穴水町内で東へ。金毘羅の交差点で右折することになる。
 交差点周辺は能都有料道路の終点近くということもあり、それなりに開けている。ちなみに、まっすぐ走れば程なく輪島市に入るが、249号線に付き合っていくと、輪島市に入るのはまだ数時間先の話だ。



 金毘羅交差点は少し海から離れたところにある。右折直後はまだ海辺の道に復帰するのだが、その少し先からしばらくの間、能登の里山を走ることになる。なお海辺を走り続けるルートもあるが、それは249号線ではない。
 ここから先の249号線は、里山と海岸線を交互に繰り返すようなルーティングをしている。海岸沿いの道は風光明媚だが、さすがに区間が長いために、ずっと走っていると単調さを感じるようになってくる。山間の集落を走る道は、海辺ほどの華やかさは無いが、アクセントとしてはちょうど良いだろう。なお、大きめの集落やそれがさらに発展した市街地は、押しなべて海岸線に発達していることも付記しておく。
 穴水町から東隣の能都町に入るのも、内陸部に入り込んだ地点である。



 しばらく内陸部を走った後、249号線は再び湾岸ルートに復帰する。能都町近辺の海岸風景は、穴水界隈のような純粋な漁村風景というよりも、若干マリンレジャーを意識させるものだ。事実、観光客向けの施設が点在している。
 海とは反対側になる沿道左手には、民家が多い。丘陵地が迫っているため、奥行きはさほどでもないように思えるが、まず住宅地といってもよさそうな地区もある。このあたりも、穴水あたりとは違った印象を与える要因だろう。
 能都町には縄文遺跡として有名な真脇遺跡があり、「世界一の縄文土器」を売り物にしている。これは、249号線の道すがら、海辺の縄文遺跡だ。件の土器は遺跡から出土した物ではなく、近年作成された物のようだ。ただ、日本以外に縄文土器、ひいては縄文時代が存在していたかどうかは定かではない。



 道は、能登半島の自治体としては例外的に面積の小さい内浦町に入り、再び里山へ。次に海岸線に出た直後にあるのと鉄道松波駅は、恋路行きのきっぷが買える駅として人気の場所だ。
 内浦町は小さいながらも市街地域が発達しているが、その一部に249号線の案内表示があいまいになる箇所がある。問題の区間はバイパス化もされているようで、バイパスを行くと丘陵地、本線を行くと恋路海岸沿いの道になるのだが、そのためにかえってミスコースしやすくなっているのかもしえない。なお前述の恋路行きのきっぷとは、この海岸沿いにあるのと鉄道恋路駅行きのきっぷのことだ。
 恋路駅を過ぎたあたりで、道は能登半島の最先端の街・珠洲市へ。



 恋路駅の両隣の駅では恋路行きのきっぷが買えるが、当の恋路駅には、恋人たちを待つ幸せの鐘があるらしい。
 珠洲は、七尾以来の市部だけあって、これまで通り抜けてきたどの町村よりも市街地が発達している。ただ、そのためにかえって国道の高規格化が行なわれずにここまで来た面もあり、市街地の一部には生活道路と見紛うばかりの、センターラインが消滅するライトな酷道区間がある。対向車とのすれ違いにはちょっと気を使う。もっとも、道を行き交う車の絶対数は少ないので、さほど問題視するほどのものではないのかもしれない。
 街の中心地よりも先にはいろいろなレジャー施設があるが、249号線は能登半島の最北端に位置する禄剛崎近辺には向かわず、珠洲市役所付近の吾妻橋詰交差点で左折、北上する。そして、道は程なく西進を開始。
 ここから先の道は峠越えになっており、標高231mの大谷峠から先は、日本海を見ながら走るコースになる。この地点では、前方には外海、自分が進んできた方を振り返れば内海を見ることができる。いずれにせよ、前に進み続ける限り内浦の穏やかな海はこれで見納めとなる。



 珠洲市内一部区間に存在する酷道は、日本各地に数多ある同類の中ではまだまだ序の口レベルだが、走っていて本当に国道なのか不安になる水準の道であることは間違いない。
 峠を下っていく途中に、平時忠の墓がある。「平家にあらずんば人にあらず」の言葉で知られる人物だが、時忠は、壇ノ浦の戦いの敗北をもって平家が滅亡した後は、能登に配流の身となっていた。坂を下りきったあたりの浜が、時忠一行がそのときに流れ着いた浜だ。日本海側の海岸線は、おだやかな内浦と打って変って、岩場が日本海の波に洗われる荒磯となっており、かつて流刑地とされたのもうなづけるような、秘境めいた光景が展開されている。
 外海側に出たことで、ようやく終点方向に向けて道がUターンしたことになる。Uターンする国道というのも珍しい。




 249号線の進路とは正反対に位置する、能登最北端禄剛崎灯台。近辺の秘境指数は高い。
 珠洲市の日本海側は、断崖絶壁が波打ち際に迫っている箇所も多い。海食崖なのだろうか。その地形の関係上、民家さえもまばらだが、裏を返せば住人が皆無というわけではないのである。近くには古くから続いている揚浜式塩田もあり、この地域にも昔から人が住んでいたのだろう。ちょっとした脅威ですらあるが、近代化された生活こそが人をこの地から遠ざけている物なのかもしれない。
 加越能100万石の三代藩主・前田利常のときには塩手米制度がしかれ、その時から塩は藩の専売品となった。塩手米とは塩と米を定められたレートで交換する制度だが、そのレートは米1に対して塩が5か6ぐらいだったそうだ。
 揚浜塩田があるあたりからが、波の花で知られる曽々木海岸だ。ただし、これは冬のもので、それ以外のシーズンにはこのあたりの海も穏やかな表情を見せている。
 道はどんどん西進し続ける。垂水の滝と窓岩があるあたりから先が輪島市だ。輪島はかなり東西に長い街である。




 窓岩ポケットパーク付近から見た曽々木トンネル。曽々木海岸の奇岩地帯はこのあたりまで。
 荒々しい岩場で知られる曽々木海岸だが、わずかばかり先に進むとまとまった広さのある平地に出る。この地区の中ほどを流れる町野川によって削られた地形なのだろうか。このあたりは、高校や郵便局もあるかなり発達した集落だ。曽々木交差点で左折して宇出津町野線に入り、少し山側に向かうと平時忠ゆかりの上下両時国家がある。
 この集落は249号線側から見ると、奥行きはあるが間口が狭い形になっている。少し進んでいくと曽々木海岸のような断崖ではないが、行く手は再び起伏に飛んだ傾斜地になっていく。名舟海岸あたりから、道は本格的な上り坂になるのだが、坂を登りきったあたりには道の駅「千枚田ポケットパーク」がある。四季折々の表情を見せる千枚田だが、やはり黄金の穂波がゆれる秋口の景色が壮観だろうか。




 能登配流となった時忠は、様々な辛酸をなめたが、子孫はこの地の領主となった。時国家の始まりである。
 千枚田以降も若干のアップダウンはあるが、再び広い低平地に出たあたりが輪島の市街地だ。奥能登観光の拠点となる街に相応しく、ホテルや旅館が多く建ち並んでいる。道行く車の中にも、観光客らしい他県ナンバーが目立つ。市街地の道は決して広くは無いため、宿泊客のチェックインが始まる時間帯には流れが悪くなるらしい。輪島の街は朝市でも有名で、朝は朝で道が混み合うのかもしれない。強烈な逆光写真だが、上が輪島の中心河井町付近の様子。
 ホテルや旅館が建ち並ぶ地区の外縁部は、ごく普通の住宅地が広がっていて、その区画も抜けると、あとは山間の道だ。この道中で、輪島の隣町である鳳至郡門前町に入る。門前町側の山の中、浦上交差点付近には輪島の特産である輪島塗の漆器に使われるアテの原木がある。アテは地方名らしく、一般にはヒノキアスナロと呼ばれる木らしい。
 また、この浦上交差点で249号線を外れて右折し、西保海岸方向に向かうと間垣の里にたどり着く。もっとも、輪島市内からであれば海岸線を直進する方がアクセスルートとしては一般的だろう。



 「門前町」という名前は普通、文字通り寺社の門前に成立する町のことだ。それが自治体の名前となっているのも不思議な感じがするが、鳳至郡門前町はかつて、その名にたがわず大寺院の門前町だった時代がある。曹洞宗の総本山・総持寺は、もともとこの町にあった。明治時代になって建物が火事によって失われ、現在の横浜市鶴見区に移ったという経緯があり、現在門前町に残っているのは総持寺祖院である。
 門前町内で249号線は再び日本海に行き当たる。このあたりは能登半島の西海岸なので、夕方であれば水平線の向こうに沈む夕日を見ながらのドライブとなる。道の駅「赤神」で夕日を待ってみるのもいいかもしれない。
 門前町あたりの海岸も、冬場には波の花が見られる。鳴き砂の浜・琴ヶ浜もこの近く。249号線からは外れるが、カルスト地形の発達した関の花、松本清張の小説「ゼロの焦点」の舞台となったヤセの断崖、義経伝説の残る舟隠しなどの景勝地が連続する能登金剛も近い。
 能登金剛は羽咋郡富来(とぎ)町の海岸沿いに位置しているのだが、249号線はもっと山側の農村地帯をまっすぐ南に走り抜け、羽咋郡富来町の中心部へ。




 この付近の国道は近年になって再整備されたらしく、道の駅もそれに付随して設置されたようだ。
 富来町は、増穂浦に打ち寄せる歌仙貝という貝で有名なのだそうだ。日本小貝三名所の一つであるとのこと。ここには世界一長いベンチもある。また、10世紀前後にユーラシア大陸の日本海沿岸に栄えていた渤海国との交易の拠点だった時代もあり、現在ではその歴史を町おこしに活用している。
 魚のいない水族館、道の駅「とぎ海街道」などの施設がある町の中心を過ぎると、249号線は増穂浦近辺に出、道はまた海辺に戻る。富来近辺の海岸線は、前述した能登金剛の南端部になる。これもまた249号線の経路上からは外れるが、巌門(がんもん)が約30kmに及ぶ能登金剛の南部におけるハイライトだろう。



 富来町の隣は、同じく羽咋郡に属する志賀町だ。最近では、富来町との合併計画が進められているようである。原子力発電所のある町で、町内にはそれに付随する施設も存在する。原発はどうしても人の少ない地域に建設される傾向があるが、志賀町もその例外ではない。合併話も原発も根っこの部分ではつながっていると言えよう。その原発は、海岸部に立地しているため、249号線から間近にその様子をうかがうことはできない。
 ちなみに志賀町は、能登半島内浦側と外浦側の距離が最も近接する場所に位置している。従って249号線も、数時間前に走り去ってきた経路と丘陵地をはさんで数kmの所のところを走っている。
 志賀町の市街地もさほど広くは無く、やがては郊外地に入る。ただ、民家は少ないなりにいかにも農村然とした雰囲気でもなかった。南に羽咋(はくい)市と境界を接しているためだろうか。



 羽咋市は、能登一ノ宮である気多(けた)大社のある街だ。また、UFOの目撃例がしばしばあったこと、羽咋に伝わるフォークロアの中にもUFOとの関連を思わせるものがあったため、近年ではUFOの町として売り出している。UFOというとなにやら胡散臭い感じがするが、それに引っ掛けて開設された施設・コスモアイルには、宇宙開発華やかりし時代に実際に使用された宇宙船が数点展示されており、見応えがある。
 羽咋市は市部だけあり、中心地は能登路の市町村の中ではかなり発展している部類に入る。市街地の北などで能登道路に接続していることもあり、時間帯が悪ければ渋滞につかまることも十分予想される。ここから先の道は、JR七尾線に沿うような形で延びている。
 その中心部を抜けた所にあるのが、千里(ちり)浜だ。奥能登の海岸のように傑出して風景の美しいわけではないが、車の走れる砂浜のドライブコース・なぎさドライブウェイがある。走るだけならタダだが、塩分を多く含んだ砂地の上を走るので、ドライブ後のケアは欠かさずおいた方が無難なのかもしれない。



 羽咋市近郊まで来ると、郊外の道にも奥能登のそれほどの長閑さは無くなってくる。まだ直接的に県都・金沢の影響を受ける金沢圏とは言いがたいが、それでも北陸三県では最大の都市である金沢市に近づいているためだろう。都会的ではないが、さりとて農村的でもない道を走っていくうちに、羽咋郡志雄町、同押水町と抜けていく。249号線沿いには特筆するほどのものは無いが、押水町にはなんと「モーゼの墓」がある。
 押水町とかほく市の境界付近にある免田交差点で、249号線は七尾市起点で袂を分かった159号線と合流する。羽咋近辺の249号線は外浦街道と呼ばれるのだが、これに対して159号線は内浦街道(七尾街道とも)呼ばれている。内浦と外浦の二つの街道が結ばれることで、能登半島環状道路の体を成しているわけだ。
 免田から終点金沢市までは、159号線と249号線の重複区間になる。とは言え、圧倒的に番号の若い159号線と合流したことで、249号線が道路案内看板など、表に出てくることはほとんどなくなってしまう。



 どうやらモーゼの墓の根拠となっているものは竹内文書らしい。「青森県にキリストの墓が…」という話で有名な「古文書」。
 かほく市は、2004年3月1日に旧河北郡の3つの町(高松町・七塚町・宇ノ気町)が合併して誕生した市である。道路上に残る看板などには、旧地名がそのまま使われているものも多く、歴史の新しさを感じる。
 もともと3つの町として存在していたために、発展した市街地などは市内各地に分散している感があるが、このあたりまで来るとだいぶ街並みに賑わいが感じられるようにもなってくる。
 さらに先に進むと、同じく河北郡の町でありながらいまだ独立した町として存続している津幡町に入る。ここまで来ると完全に金沢市のベッドタウンとなり、沿道でも大型店舗などが目に付くようになる。そして、道は津幡町内でバイパス化。高速道路並みの高規格道路になり、富山県から延びる国道8号線とクロスするような形で金沢市内へ。



 8号線が金沢市街の北端をかすめるように走っているのに対し、159号・249号線は金沢市郊外の森本地区に入り、そこから一直線に金沢市の中心部を目指す。森本から先の区間は、金沢市内でも比較的古くから発展していた地域のためか、道路の整備が思うに任せていない感があるが、最近になって本格的な再開発がはじまっているようだ。それでも、現行の道路状況では富山及び能登方面からやってきた交通量を裁き切れていない感じである。時間帯にもよるだろうが、ここから終点までの流れは決してよくない。
 次第に賑やかさを増していく道沿いの風景を見つつ南進。金沢市内でも特に小京都的風情を色濃く残す卯辰山麓のひがし茶屋街の脇を抜け、浅野川を渡って少し行くと、JR金沢駅に程近い武蔵交差点にたどり着く。左手間近には、北陸の海の幸が集まる金沢の台所・近江町市場がある。ここが159号線及び249号線の終点だ。
 これまでの道のりを思えばとにかく交通量の多い交差点で、近くに車を停めるるような暇も無く、先へと流れていかざるを得ない。そして249号線の終わるこの交差点から始まる道路こそが、伝説の国道157号線なのである。




 近江町市場。車で来ても駐車場に困るのは事実だが、海鮮好きには色々な意味でおいしい。






ロケ地:道の駅 上平ささら館
今回使用した車
サニー(排気量:1500cc)

国道249号線総括
 地元民でもなければ観光以外の目的で走ることのなさそうな路線と言えるが、ドライブコースとしては及第点。時間と気持ちに余裕があれば楽しく走れる。白眉は奥能登の海岸線だが、壮観も連続すると飽きてしまうか?
 


▲BACK