国道42号線は、中部地方から紀伊半島にかけての、黒潮洗う太平洋沿岸地帯を伸びる国道だ。起点は静岡県の浜松市内で、比較的近年になって、三重県の津市から延長されてきたものらしい。この交差点は150号線の終点にもなっている。一応50万都市の道なのだが、典型的な郊外道路であるため、周囲には何も無い。
起点から10km強、浜名郡新居町までは1号線との共用区間となっている。写真は遠州灘沿いを走る新居町内区間。新居町から先は42号線の単独区間で、とりあえずは渥美半島の先端・伊良湖(いらご)岬まで、道が続く。起点から伊良湖岬までは66.4km。
その先、フェリーで伊勢湾口を横断し、三重県鳥羽市の鳥羽港入り。このフェリー移動は経路の断絶ではなく海上区間、すなわちれっきとした国道の一部に位置付けられている。国道を一言で定義するのは難しいが、「車での移動に供される交通網」と言ったところか。広義での「国道」は物理的な道路ばかりではなく、もう少し観念的なものと考えた方が良いのかもしれない。
それはさておき、旧来の起点が三重県内にあったことからわかるとおり、42号線は紀伊半島側のほうがはるかに長い。鳥羽港から終点の和歌山市まで、403.3kmもの道のりが続く。
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他に海上区間のある国道は58号、279号、280号などで、いずれもフェリー移動。しかし、42号線の海上区間はいずれ伊勢湾口道路に取って代わられる可能性がある。
しかし東京湾アクアラインが大コケした今、似たような性格のこの計画は、一体何処へ流されていくのか。
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国道1号線と別れる潮見坂付近では、畑が目に付く。愛知県豊橋市に入り、次第に1号線から遠く離れ、42号線が独立路線であることがはっきりするようになってもこの傾向は変わらない。道沿いには畑が多い。
その中に暮らしてしまうとわかりにくいものなのだが、愛知県は工業生産額日本一の工業県であるのと同様、農業県らしい。さらにその中でも花卉類に強いとのことである。42号線は、そんな農業立国・愛知の屋台骨を支える地域を東西に貫いて伸びるようになった。今から10年程前の、平成6年の話である。それまでは、地元で「表浜街道」と呼ばれる普通の地方道だった。この表浜街道は豊橋市街をかすりすらしない、市域の南のはずれを海沿いになぞるだけのような道だった。
天下の国道、しかも42号というかなり若い番号を与えられて10年を経たにもかかわらず、表浜街道は相変わらずのカントリーロードである。車の窓を開ければ、有機肥料系の臭いが鼻をくすぐる。道沿いには白菜、キャベツなどの葉物野菜を栽培する畑が広がっている。起伏に富んだ丘陵地一面に緑色のじゅうたんを敷き詰めたようになっていることも珍しくなく、見慣れない人にとっては逆に壮観かも知れない。
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牛もおるでよ、カントリー国道(ロード)42号線。
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42号線の名誉のために断っておくが、この道沿いに畑しかないわけではないのだ。時折は、昔から半農半漁でやってきたらしい民家が集まった集落の中を通り抜けることもある。やはり土地が余っているのだろう、昔ながらの立派な御屋敷が多い。街道沿いに「新屋」(正式名称を忘れてしまった)を配し、その奥に母屋を備える構造の家が当たり前なのだ。
しかし、「田園風景がしばらく続いた後、小さな集落が姿を現す」がくりかえすので、この区間の車窓風景はどうしても単調になる。この単調な変化を繰り返しながら、豊橋市を抜け、隣の田原市に入る。我ながらかなりおざなりな内容のレポートだと思うが、事実である。
もともとは渥美郡の田原町と赤羽根町が合併して成立した市なので、42号線道中の看板などを見ても、旧町名を塗りつぶして新市名に書き換えているのが目に付く。
田原市に入っても風景は相変わらずだ。変化と言えばこれまた豊橋市内から続いている細かなアップダウンの繰り返しだけである。42号線は、田原の中心地さえ通らず、あまりドライブ向けとは言えない区間が長く続く。とりえは車の少ないことか。
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道沿いで見つけた「観光地曳網」の看板。半農半漁の家の小遣い稼ぎなのか。
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地図で見る限りだと42号線は遠州灘(太平洋)から近い場所を伸びているし、豊橋から田原にかけては実際に海食崖ないしは海岸段丘のような高台の地形上に設置されているのだが、どうやら防風林らしい林や民家、ビニールハウスなどの遮蔽物によって視界を遮られ、海を眺められるビューポイントには恵まれない。42号線をシーサイドラインではなく、カントリーロードとしてしか紹介できなかった所以はこの辺りにある。
しかし、目には見えないが太平洋を流れる黒潮の影響を確かに受けているのも事実で、年末の段階で道沿いに老人クラブ手植えのパンジーが咲いていたり、黄色い菜の花畑が視界の中に飛び込んできたりもするのだ。観光協会のキャッチコピーなどで「常春の国」などと表現されるのは伊達ではない。さすがに真冬だし、沖縄ほどでもないので「暖かい」とまでは言えないが、とりあえず「寒くはない」と言っておけば語弊がない程度の気候なのである。
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ここまででこれでもかと言うほど42号線に対する垢抜けないイメージを念押ししてきてしまったが、赤羽根漁港の前後あたりから、観光地渥美半島の意地を見せ付けるかのような看板や施設がちらほらと目に付くようになってくる。赤羽根の港はそれほど大きくはないが国道からでも間近に見えるような位置にあり、これでようやく42号線が海に近い道である事を実感できるだろう。近くには、このあたりの海の波情報を教えてくれるらしいWebサイトの看板などもある。
他には、渥美半島の先端・伊良湖岬付近に何軒かあるホテルの看板や、あつみ花の村、フラワーパークなどの看板もそろそろ出始めるだろうか。中には伊勢戦国時代村の看板まである。これは名前の通り、伊勢湾を渡った三重県側のテーマパークだ。地味に秘宝館の看板も出ているが、これも鳥羽側のもの(現在も営業中なのかどうかは怪しいが)なので誤解のなきよう。
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道沿いの雰囲気が若干は変わってきたあたりで渥美郡渥美町に入る。「田原市」への合併参加を拒んだので渥美半島で唯一の町として存続している同町だが、時代の流れに抗しきれないものでもあったのか、最近になって田原市との合併に合意するに至ったようである。
渥美町に入ってもやはりビニールハウスの類はよく目に付く。中で何が栽培されているのかは外目にはよくわからないが、トマトなどの野菜だったり、場合によっては観光客向けイチゴ狩りのイチゴが栽培されている。特徴的なのがいわゆる「電照菊」で、これはハウス内のキクに夜間も電気の明かりを浴びせ続けることで、正月など任意の季節に花開かせるように細工したものだ。夜に渥美町に来ると、電照菊のハウスが淡い青紫色に発光していて、高台からハウス群を眺めるとちょっとしたイルミネーションのようなのだそうだ。
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そのうち無くなる?渥美町の42号線おにぎりを記念パチコ。
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まがりなりにも渥美町の独立を下支えしてきたものの一つが観光だったのだろうか。最前のハウス地帯から少し進むと、42号線は独特の雰囲気があるソテツ並木の道になる。近くにある渥美フラワーパークのトロピカルなムードを盛り上げるための演出なのかもしれない。この並木が続いている区間は、フラーワーパークの前後1〜2km程度である。フラワーパークは渥美半島の観光スポットとしては古参で、忌憚の無いところを述べればやや古臭い印象もあるが、一周回ってそこに妙味があるともいえる施設だ。近くにはメロン食べ放題やイチゴ狩りを売りにした店があり、周辺は小さいながら観光スポット化している。
フラワーパークを通り過ぎて少し行くと、42号線はかなり急な上り坂に差し掛かる。普通の車であれば越えられないほどの急勾配ではないし、見通しの悪いカーブもあるが、危険度の高いブラインドと言うほどではない。中部地方側の42号線唯一最大とも言える山場であり、見せ場でもある。
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上り坂の頂辺りでこれまでの道のりを振り返る。今まで見ることのできなかった海岸線が美しい。
崖の下には日出(ひい)の石門や、島崎藤村の「椰子の実」碑がある。
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心臓破りと言うほどではないにせよ、それまでの感覚からすれば一気に駆け上がるような坂には違いない。そこを越えると長い下り坂があり、坂を下りきった辺りで右方向に曲がっていくと、道の駅「伊良湖クリスタルポルト」がある。もともとは知多半島の師崎(もろざき)、そして三重県の鳥羽港を結ぶフェリーの発着場だったのだが、道の駅として再整備されたものである。起工に至っていないどころか計画そのものにも先行き不透明感が付きまとうが、将来的には伊勢湾口道路に取って代わられることになるのだろうか。
とりあえず現状では、42号線と259号はここを発着する伊勢湾フェリーによって、鳥羽-伊良湖間の海上区間を結んでいる。ここから鳥羽までは、約50分の船旅となる。
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写真は田原市のものだが、同じ物は道沿いに多く見かける。やはり伊勢湾口道路の実現を望む地元の声は強いようだ。
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一応ここからは船旅パートなので閑話休題。
浜松市から伊良湖までに至る中部地方側の42号線は、現状のままではその存在意義を疑問視せざるを得ない。国道とすることは良いとしても、観光道路としての利用が関の山なら42号と言う若く重要な番号を与える価値はない。
確かに静岡県の大都市・浜松市から始まって、愛知県東三河地方の中核都市である豊橋市を走り抜け、渥美半島の先端部に通じるため、一見しただけならそれなりに有用な路線のようにも見えるのだが、42号線の経路と、都市活動が行われる豊橋の市街地とはまったく有機的に結びついていないのである。田原市、渥美町にしても同様。浜松市といくらか観光地化されている渥美半島の先端部を、点と点で結ぶだけに終始している感が否めない。この道が42号線に昇格した理由は、やはり「その先」にあるのだ。そして、冒頭で提示した疑問に戻る。東京湾アクアラインが大コケした今、似たような性格の伊勢湾口道路計画は、一体何処へ流されていくのか。
余談はここまで。以下、関西編へ続く(予定)。
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