御旗楯無もご照覧あれ(甲斐路) 2003年9月15日 搭乗車 ヴィッツ |
|
---|---|
眠れないままに 上田原の別離 海野宿黎明 はるかなる旅路、さらば佐久よ 海の口 野辺山・鉄道最高点 武田神社 富士西麓越え 朝霧高原 おざなり駿府城 帰還 |
眠れないままに朝の光を仰いだ。時間は午前5時半。同室のおぢ様がたのいびきが気になって、眠りが浅くなるたびに目がさめた。時間的に、もう一度眠りにつくことは難しいだろうと思い、前夜同様にジェットバスでくるくる回りながら目を覚ました。建物の外に出ると、空気がひんやりと冷たい。空は白々と明けかかってはいるものの、山にさえぎられて日の光は射していない。今日の日程は少々苦しいかもしれない。早出してもそれがマイナスになるようなことはあるまい。夜露でぬれた車に乗り込み、エンジンをかけ、カーナビに今日最初の目的地を入力する。武田神社。山梨県甲府市にある、武田氏の居館跡だ。その関係で今回は信玄公礼賛が甚だしいので、そういうのが苦手な人はこの先は読まないことをお勧めします。 一応昨夜のうちに目的地までのルーティングと所要時間の計算はしておいた。7時出発で10時に現地着の予定。八ヶ岳東麓を通るコース。高速は利用しない。しばらく待っていると、ナビが推奨ルートを表示した。私の想定したルートと同じだ。高速道路利用を勧めないのは、所要時間的に大してうまみが無いせいか、それとも前回の一般道路優先設定が生きているためか。まあ、それはどうでも良い。到着予想時刻は8:30少し過ぎ。所要時間もおおむね事前の計算どおりだったようだ。 このたび3度目の国道18号を、今度は佐久方面に向かう。さすがに3回目ともなるとネタにすることが無い。とにかく走った。夜が明けきらぬ時間と言うこともあり、車が少ないため、サクサク進む。がしかし、坂城町に入るかどうかのあたりで前方に某コンビニのトランクが立ちふさがった。営業車だけあって律儀に制限速度を遵守している。と言うより、若干法定速度を下回っている。もっとも、馬なり(?)で走っていると、武田神社到着が予定よりもずいぶん早まってしまいそうだ。神社だからよっぽど早くても大丈夫だろうが、そんなに急いでも仕方が無いので、コンビニトラックのもっさり走行に漫然とお付き合いした。 上田市に入って少ししたあたり。例のもっさりトラックはわき道に入っていずこかへ消えていった。もっさり走行が功を奏し、武田神社着が程よい時間になりそうだった。ナビが指し示す到着予定時刻は、出発時に表示されていた8:30に戻っていた。と、その時。ナビの表示に大変なものを発見してしまった。「板垣信方の墓」。脇に名勝・旧跡を表す点三つの地図記号。これは間違いない、板垣殿の墓だ。板垣殿は信玄公の傅役だ。瞼の裏に菅原文太似の老将の姿がちらつく。不覚!このあたりが上田原だったかッ!あわてて地図の縮尺を小さくし、板垣殿の墓の位置を調べるために周囲の詳細図を表示させた。しかし、詳細図のはずなのに、再び表示された画面に「板垣信方の墓」の表示は無かった。なぜだ!?声にならない叫びとともに、とにかく次の交差点で右折し、「板垣信方の墓」と表示されていたらしきあたりへ向かう。うろうろしている間に表示が復帰するかもしれない。しかし、運命は非情だった。板垣殿の墓の位置を示す文字は何も表示されない。道行く人に尋ねようにも、あまりに早朝なので誰も歩いていない。それでもしばらくは周辺をうろうろしていたが、結局墓を見つけることはできなかった。すっかり意気消沈して国道に戻る。 上田市街のはずれ、国分寺から程近いところで吉野家を見つけ、殺伐と朝食を摂る。思えば姫路の朝も、健康ランドでひとっ風呂浴びてから吉牛というコースだった。いっそ旅の朝の定番儀式にしようかなどと考えながら、並盛を食む。時計を見ると、なんだかんだですでに6:30。車に戻ってナビを見ると、板垣殿の墓を探すのにうろうろしたのと、思いがけずまともな朝食をとった関係で武田神社の到着予想時刻が9:00頃にまでスライドしていた。程好い頃合である。良き哉、良き哉。 ![]() あっという間に小諸市を抜け、佐久市内へ。しかしもう、馴染み深い佐久平駅周辺は通らなかった。しないに入ると間もなく国道141号に入り、佐久市の南へ抜けるルートを急ぐ。この2日で妙に見慣れてしまった壱萬里温泉の前を通る。今日は祝日(敬老の日)だが、マスターは仕事だそうだ。今ごろは忙しく出勤準備をしているのだろうか。マスターよ、ありがとう。私は旅立ちます。今から、山越えの道に挑みます。 ナビの妙なルーティングに辟易しながら、佐久市の南、南佐久郡臼田町に入る。ここには日本では二つしかない五稜郭・竜岡城跡がある。もう一つはもちろん函館のものである。五稜郭という形態は特徴的なのだが、どういういわれのある城なのかは分からなかった。私の戦国レーダーに引っかからないのだから、江戸時代の城だろうと思うことにして、先に進む。上田原のことを失念していたのだから私の戦国レーダーも焼きが回っているのかもしれないが、むしろ今日の道沿いで気になる城はいま少し先にあるのだ。五稜郭という縄張り自体が洋物なのである。南蛮渡りとはまた違う、洋物という言葉の微妙なニュアンスが伝わるだろうか。後に調べたところによると、文久3(1863)年の建設だそうな。確実に山は近づきつつあるが、まだ急な登りは無い。 ![]() 小海町の南、南佐久郡南牧村に入る。今回携行したMAXマップル関東2003年7月1日版では、南牧村の特産品はポッポ牛乳になっている。そんなに有名な特産品だったのか、ポッポ牛乳。実は結構飲んでいる。そういえば最近、ホモちゃんの元気牛乳が行きつけのスーパーからなくなって寂しい限りである。 話が恐ろしく脱線した。今走っている道が佐久甲州街道である。その名のとおり、佐久と甲斐をつなぐ道であり、信玄公率いる武田軍も、この道を通って佐久平方面に進軍している。そして、信玄公の初陣の時に使われたのもまた、この道であった。天文6(1537)年、前年に元服を済ませた信玄公(当時は晴信)は、父・信虎に従って佐久海の口城に平賀源心入道を攻めていた。しかし信虎は、この城が容易には落ちないと見て軍をまとめて甲斐に引き返すことにした。その時、信玄公は自ら殿軍を望んだ。信虎は最終的には要望を受け入れた。そして、信虎率いる主力部隊が退却をはじめた時、信玄公は手勢を引き連れ、海の口城にとって返した。武田の主力が退却したと思って臨戦態勢を解いていた海の口城は、再び戻ってきた信玄公の軍によって、あっという間に落とされ、城主平賀源心は首を討たれた。しかし、信虎は奇策によって敵を倒した信玄公を評価することがなかったという。「甲陽軍鑑」に見られる話である。史料としての信憑性をしばしば疑問視される「軍鑑」の記述なので、半ば伝説視されることも多い逸話だが、その海の口城があったのが、南牧村。小海線佐久海の口駅近くには、海の口城跡を示す看板もある。できることならば寄って行きたい城であったが、ルートガイドがほとんど無い山城のようで、朝の早い時間に一人で山に分け入る気にはなれなかった。海の口を過ぎたあたりから、ヘアピンカーブの連続で高度を稼ぐ。 ![]() ![]() ![]() 野辺山には日本鉄道最高地点がある。この日本鉄道最高地点は、JRの最高地点でもあった。標高は1375m。ちなみに、ここを走っているのは前出のJR小海線である。日本鉄道最高地点とJR鉄道最高地点、それぞれに標柱が建っているが、日本鉄道最高地点(左写真)の方には、幸せの鐘のおまけつき。何ぞ願い事を心に思いながら鳴らすと良い事があるらしいのだが、ここを訪ねたのはまだ朝早い時間。近くに民家などは無さそうだったが、さすがに朝っぱらからカランカランと鐘を響かせるのも気が引ける。鐘と標柱を遠巻きに見るようにするにとどめておいた。 鉄道最高地点を通り過ぎたあたりで道は山梨県に入る。山梨県最初の町は、北巨摩郡高根町。むしろ、この界隈は清里と呼んだほうが直感的だろう。道沿いには高原リゾート地らしいなにやらおしゃれな店も建ち並んでいるが、時間が早いのでまだ開店すらしていない。お土産を買うとしたらこのあたりだろうかと当たりはつけていたのだが、認識が甘かった。まあ、進んでいくうちに良き所もあるだろうと思っていたが、141号はむしろ清里をかすめるようにして流れる道路らしい。お土産屋がそれ以降の道沿いからまったく姿を消したわけではなかったが、数は多くなかった。しかも、ほとんどが開店前。これはまずいな、と思っているうちに道はぐんぐん下っていく。行く手をふさぐかの如く前方に在った山の稜線が、どんどん上の方に上がっていくように見える。名前も知らないような山だが、低地で育った人間には驚異的な高さである。開け放していた窓から流れ込んでくる空気も、日が高くなってきたこととあいまって熱気を帯びてきた。道の駅南清里の近くも通ったが、時間が時間なのであまりにぎわっていない。仕方が無い、腹をくくって武田神社へ向かおう。BGMは、この旅何度目か分からない「武田信玄」のテーマ。見える、八ヶ岳山麓の棒道を疾駆する騎馬武者の姿が、母衣を背負って走る騎馬武者の姿が、武田の軍旗をたなびかせて走る騎馬武者の姿が。騎馬武者ばかりだが、とにかく気分は武田武士。御館様、今参りますぞ。韮崎市、北巨摩郡双葉町と抜けて甲府市に入る。道は若干混んでいた。 ![]() ![]() ![]() 塩山市の菅田天神社には前述の武田家家宝・楯無があるそうだが、時間的にそちらを回っていくのは苦しそうである。甲府駅前の信玄公の像を拝んで、山梨県を去ることにした。山梨県内で立ち寄ったのは実質武田神社だけと言うことになるが、致し方ない。甲府駅近くの路地に車を停め、小走りで南口(?)付近にある信玄公の像を見に行く。像の前まで行くと、旅行者らしい外国人が信玄公の像を何枚も写真に収めていた。信玄公の威名は南蛮にまで轟いているらしい。南蛮人(紅毛人?)の次に、これも旅行者らしいカップルが信玄公の前で写真を取り、その次になってようやくデジカメと携帯で像の写真を撮影することができた。これで、山梨県内においてなすべきことはすべて終わらせたことになる。若干財布の残りが心もとなくなっていたので、近くにあったATMで金を下ろしてから、南へ向かう。進むコースは、甲府市から富士西麓を射して伸びる国道358号線である。 358号は富士山に真っ向から挑む道ではない。しかし、甲府市の南隣にある東八代郡中道町、その先の西八代郡上九一色村と進むにつれ、道がグングン高度を増していくのが分かるなかなかの山岳コースである。この、実際に358号を走った時まで、上九一色は「かみくいっしき」だと思っていたのだが、正しくは「かみくいしき」らしい。新聞報道などでよく目にした文字だが、まったく気づかなかった。不幸にして、この村を語る上で避けて通れないのがあの教団にまつわる話題だろうが、教団施設の跡地と言うのがどこにあるのかは分からなかった。その後、第三セクターが跡地をテーマパーク化し、それもこけたと言う。358号はこの村を縦貫するように走っているが、村内でも比較的開けた集落の多くはこの道沿いにあるのだと思う。それを踏まえたうえでこの村のイメージを語るなら、過疎化の進む山村の感は否めない。斯様な小さな村にのしかかる過去の負債の大きさ思うと、何だかやりきれない気持ちになってくる。 ![]() ![]() 道の駅を出てから、やはり名前は聞いたことがあるまかいの牧場のそばを通り抜け、白糸の滝の脇をかすめ、富士宮道路に入る。あきれるほど長い下り坂である。今走っているのは富士宮市だが、こんな牧歌的な高原が果たして「市」なのだろうか、などと疑問をもったものだったが、この下り坂によってあっという間に富士宮の市街に出てしまった。思いのほか順調な道のりであった。139号は直進すれば西富士道路に入り、さらに西富士道路は東名高速道路富士ICと接続している。そこからまっすぐ名古屋に帰った場合、到着時刻は・・・・・・およそ14時?今回、車は今日の18時までの約束で借りている。4時間早く返したところで別に料金が安くなるわけではない。もうちょっとどこかに寄って行こう。静岡県内でよるべきところは・・・・・・。遠州地方はまあ、比較的容易に遊びにいけるから、やはりこの近辺がいいな。と言うことで、静岡市にある駿府城にいってみることにした。それでもさしあたっては東名に乗り、最初のSA・富士川SAで食事にした。夜に来れば夜景がきれいらしいが、真昼間なので臨海部の工場群の無骨な姿が見えるばかりである。SAでも、ちゃんとしたレストランとショッピングセンターのフードコートを思わせるスナックコーナーではだいぶ料理の内容が違うので、できればレストランの方に入りたかったのだが、黒山の人だかりだったために断念。ここで、高速スナックコーナーの新機軸?を体験し、富士川ラーメンと言う名のしょうゆラーメンを食べた。何がどう富士川だったのかは不明。 富士川SAを出て、由比町に入ったあたりからの景色は東名高速でも屈指の景観だろう。駿河湾沿いの長い下り坂をすべるようにして走っていく。このあたりでは、東名の隣を国道1号線が走っている。国道1号前線走破もいつかは達成したいものだ。思えば、国道19号線の全線走破を目標に始まった今回の旅も当初の目的はすでに果たし、そろそろ終盤を迎えようとしている。 高速は、清水ICで降りた。富士ICからはわずか一区間である。高速利用の意味はもう一つ薄かったかもしれない。さて、清水ICの名からも分かるようにここはかつて清水市だったところである。現在は静岡市との合併が成り、清水市と言う行政区分は消滅している。厳密にいえば違うのだろうが、どうしても静岡市に吸収合併されたイメージが強い。新市名は、なんとなく遺恨が残りそうな決まり方をしたような記憶もあり、そのことが気にかかる。旧清水市付近の名所と言えば三保の松原だろう。8kmにわたって続く松原は、新日本三景の一つに数えられている。ただし、私は三保には行かなかった。あくまで駿府城を目指す。 ![]() 駿府城を出てからは、きわめて速やかに東名高速に乗り、名古屋を目指した。久しぶりに走る日本坂トンネルは、何だかえらく立派に整備されている。片側三斜線になっているのだ。昔この長いトンネルでは玉突き事故があり、多数の死傷者を出す日本交通史上未曾有のトンネル事故となったことがある。その時の教訓が生きているのだろうか。なにやら生々しく、軽い恐怖感を催す。それにしても、高速利用だと静岡-名古屋間は思いのほか近そうである。わずか1時間弱で豊橋の検札所(なぜこんなところに検札所があるのかはいまだに不思議なのだが)につき、そこから40分ほどで名古屋ICに着いた。レンタカー屋に車を返却したのがおよそ17時50分。今回は極私的旅行初の2泊3日という長丁場だったが、概ね満足の行く旅だった。初日の木曽路、松本城、二日目の川中島、戸隠、善光寺。そして最終日の野辺山、武田神社。どこが一番思い出深かったかと尋ねられれば、「いずこの地も」と答えるより他にあるまい。 なお、この旅を終えた時にレンタカー屋でスタンダードクラスの10%割引券をもらえた。また、ポイントカードのポイントがたまり、1000円分の割引も受けられるようになったとのこと。期間限定なので、この初冬にはカローラクラスに搭乗して日帰り旅行に出かけたいものである。 |