美濃飛騨駆け抜け旅〜世界遺産を行く〜
何回も 搭乗車種:コロナエクシブ、マークU
前置き
富山県(福光〜五箇山)
白川村
荘川村
ひるがの〜郡上八幡
岐阜市近郊





 最近、自分用の車が欲しくなった。直接の契機となったのは関西方面への旅でレンタカーを利用し、かつての愛車の走行性に思いを寄せてしまったことだが、このコーナーの準レギュラーである陰介さん(仮)が車を買ったという情報を聞きつけてしまったこともある。専用機に対する思いは尽きないが、もし車を購入した時に走るコースはすでに決めてある。それが国道156号線である。岐阜県岐阜市に始まり、富山県高岡市まで延びる(と思われる)この道は、道中に風光明媚なスポットが何ヶ所もあり、ドライブコースとしては最適である。なお、一応今回の話は北國街道編の姉妹編に当たる。北國街道編は随分先行して書き上げたが、美濃飛騨編は上梓まで随分時間がかかってしまった。北國街道編が東海→北陸の流れだったので、今回は金沢から岐阜に至るまでのルートを。

 このルートは、金沢の下宿先と実家の行き来に頻繁に利用したルートであった。特に、実家への帰省に使うことの多いルートであったが、実は156号に合流するまでが一苦労であった。当時下宿していたアパートからだと、金沢市街とは正反対、金沢大学の奥地に広がる山の中へと分け入り、そこからまず富山県福光町にまで抜けなければならない。実は金沢大学自体が、すでに結構山の中に入り込んだところに立地している。それより奥地なのだから。相当の山だと言って差し支えない。道なき道、と言うほどではないが、冬場は閉鎖されるという明らかに未整備の、一車線しかない典型的山道をどんどん山奥に向かっていくのである。途中にある集落も明らかに山村の趣であり、北陸の中枢都市である金沢市の一部であるとはとても思えない。

 初めて走ったときは、本当にこれでいいのだろうかと思ったものだったが、道は富山県に入ったあたりで、急に広くなる。ちょうど三軒茶屋などと言う思わせぶりな名前の集落のあたりだろうか。もっとも、広くなるとは言っても、周囲の景色は山そのものである。相変わらず目印となるものに乏しく、ある程度の慣れがないと不安を感じてしまう道であることは確かだ。それでも一応道路標識などはあったはずである。それに従って走っていくと、西砺波郡福光町の市街地にたどり着く。市街地とは言っても、ごく規模の小さなものなので、車で5分も走れば抜けてしまうようなものだ。その小さな福光市街のほぼ中央、福光駅前の交差点で右折し、国道304号を南下し始める。福光市街を抜ければ、そこには農村の風景が広がっている。福光の北東、礪波市がある砺波平野あたりの田園風景は、散居村という特徴的な集落の形態で有名だが、福光近辺では別にそのような特徴は見られないようだ。

 農村地帯というと片田舎のイメージが付きまとうかもしれないが、この道は随分整備されていて、見通しも良い。おそらくは東海北陸自動車道の福光ICにつながる道であるためだろう。信号も少ないし、程なく東砺波郡城端町に入る。このあたりは静かな田園地帯のようだ。城端町の南部地区は山になっているが、ここから岐阜方面に向かう場合、ここに始まって、以降岐阜市近くまでずっと山間の道路を走り続けることになると言って良いだろう。若干勾配のきつい坂道を一気に登り、高度を稼ぐと、そこには五箇山トンネルがある。かなり長めのこのトンネルを抜けると、そこは平村。先ほどまでの農村風景から変わって、山村の景色が広がっている。小栗栖と言う、少し気になる名前の看板を見ながら、先ほど登った高度の何割かに相当する長い下り坂を下っていく。結構カーブもきついが、平村の中心部と思しき、商店などが密集した集落まで下ると、国道156号線と合流する。ここで右折すれば岐阜方面。左折すれば高岡方面である。ここでは当然右折する。ここからしばらくは、庄川沿いに走っていく。さて、五箇山トンネルと言う地名が物語っているように、このあたりは合掌造りで有名な集落がところどころに点在している。156号沿いからでは合掌集落全体を望むことはできないが、村上家などの建物は156号沿いにある。私はここに寄ったことがないが、ちょっと休憩がてら見てみるのも良いだろう。私がこのルートを利用するのは、大抵金沢から愛知に向かう場合だった。金沢から五箇山付近までの所要時間は約40分ほど。この地点は休憩利用には向かなかったのである。ただ、合掌集落に関しては、お隣上平村にも、そのまた隣の岐阜県大野郡白川村にもある。都合の良い地点で寄ってみることができる。とにかく分岐のない道なので、ひたすら道なりに走っていく。2003年5月現在、東海北陸自動車道富山県側の始点となっている五箇山IC(五箇山・飛騨清見間は未完成)を越え、しばらく行くと道の駅上平がある。合掌造りをモチーフにしたらしい建物で、このあたりの特産品などを売っている。栃餅や岩魚の甘露煮などを買ったことがあるが、素朴な品が多い。この先しばらく走っていくと、白川村にも道の駅白川郷があるが、土産品の充実度では上平の方が上かもしれない。

 上平村を抜けると、そこはもう岐阜県である。金沢市を出て1時間足らずで岐阜に入れるわけである。おそらく、高速道路を利用した場合でも、ここに至るまでに大きく迂回しなければならなず、下道よりも距離的に損をする関係で1時間程度かかるであろう。もっとも、これは当時の私の住処が金沢市のどん詰まりにあり、金沢東ICなり西ICなりに到着するのに相当時間がかかった関係もある。今となってはもはや関係のない話かもしれないが、五箇山・飛騨清見間が開通しない限りは、東海北陸自動車道を利用するメリットはないと言えよう。ちなみに、一度陰介さん(仮)と同道して156ルートを使おうとした時には、金沢西ICから高速を利用している。金沢大学奥山道ルートは、一般の金沢市民(および近郊地区の人)にはあまりにも利用しづらいルートだからだ。なお、道の駅上平近くからは、金沢の奥座敷、湯涌温泉近辺につながる道もあるが、こちらの道は冬期は閉鎖されるようである。だいぶ話が横道にそれてしまったが、愛知県民の私にとって、岐阜県はまがりなりにもお隣の県である(心象的には静岡県のほうが近かったのだが)。岐阜県には入りさえすればある意味で愛知は目と鼻の先のように錯覚してしまうようなところがあったため、1時間で岐阜にまで到達してしまったのはある意味で衝撃ですらあった。実際には、岐阜県は南北に長い。同じ県内でも、白川村から岐阜市あたりまでは相当な距離である。

 上平村と白川村の境界はかなり入り組んでおり、156号を道なりに走っているだけで、岐阜県と富山県を交互に走り抜けていくような感じになる。完全に岐阜県に入り込んでからしばらくは、建物もまばらな道を走ることになる。やがて、感覚的には川というよりは湖に近い庄川沿岸地帯を抜け、道の駅白川郷に至る。上平村に比べて土産物のレベルが劣るなどと書いてしまった白川郷だが、ここからは世界遺産になっている白川合掌集落が近い。道の駅でなくとも、こちらでいろいろ買い込めるためであろう。156号線荻町の交差点で直進すると合掌集落の真ん中を走り抜けていくルート、右折するとバイパスとなっている。合掌集落の真ん中ルートは、観光地であり、生活道路でもある。シーズンでもなければ渋滞はしないだろうが、観光するでもなくサクッと走り抜けたいのであれば右折するのが賢いだろう。ちなみに私は、白川の合掌集落の様子を車内から見たことはあるが、車をとめて観光したことはない。右の写真が、かろうじて一枚撮影できた白川郷の写真である。これはおそらく集落の中でもはずれの方にある一軒家を撮影したもの、と言うことになるだろう。本当はもっと何軒も密集しているし、賑わってもいる。ちなみに撮影時期は3月末頃。沿道には随分雪が残っているが、路面上は綺麗なものだった。ちなみに、荻町交差点よりも少し富山県側に行った鳩屋の交差点から、白山スーパー林道が始まっている。料金は3000円強。さすがに見晴らしは随分良い。山をはさんだ反対側は、石川県石川郡尾口村だが、石川県方面に抜けようという場合の時間短縮効果はさほど期待できない。なお、夏期しか走ることができない。

 白川村近辺は、その地形の故か大小さまざまのダムがある。従って道も湖の湖畔を走る機会がちょくちょくある。合掌集落のあたりを抜け、湖畔の道が白川街道と呼ばれるようになり、しばらく行くと保木脇と言う地区がある。注意していないと見落としてしまいそうだが、このあたりに『帰雲城埋没地』という看板がある。こう書くとただの城の遺構のようだが、この帰雲(かえりぐも)城跡は、そんじょそこらの城跡とはちょっと違う。ここには埋蔵金伝説が存在しているのである。伝承では本能寺の変後、金森長近の飛騨統一戦が行われていた時期、この城を拠点にしていた内ヶ山氏は、領内にある金山からの収入で、城内に莫大な軍資金を用意していたのだという。結局内ヶ山氏は、長近に恭順の意を示したのだが、会談を終えて居城に帰ったその晩、地震による山津波が起こって城と城下町を飲み込んでしまった。帰雲城は、城内に大量の軍資金を抱え込んだまま地中に没していると言うわけだ。一説には、帰雲城の瓦は金色に輝いていたとか。そこまで行くと少し胡散臭くなってくるが、ロマンあふれる場所には違いない。ただ、残念ながら一応埋没地ということになっている場所が、本当に帰雲城跡なのかどうかは怪しいし、城そのものの存在も史実と伝説の境界付近で危うくさまよっている。なお、帰雲城伝説に関連して、城下に住んでいた名医が、城の滅亡を予知して城下から逃げ出したと言う昔話もある。この名医は、人の脈を取ることで病人の状態を的確に見抜くことができたと言うが、ふとしたことから帰雲城下の人々は、見るからに健康体であるのに誰一人として脈を取れないことに気付き、この城が滅びの運命にあることを悟ったのだと言う。他にもいろいろな伝承・伝説は存在しているようである。帰雲城の存在、そして埋蔵金伝説も、強ち事実無根の話とは言えないのではあるまいか。

 帰雲城埋没地から少し岐阜側に進むと、旧遠山家民俗館がある。外見は合掌造りの一軒家で、中には古民具などが展示されているようだ。再び南下を開始すると、程なくして巨大なロックフィル式のダムが見えてくる。これが御母衣ダムである。御母衣ダムのある御母衣湖畔には、荘川桜がある。この2本の桜の巨木は、もともと今はダムに水没した村の中に立っていたものだが、かつての村人達が、そこに村があったことの証として残した、という経緯がある。山深いところに立っている関係で、例年ゴールデンウィーク中に満開となるとのこと。ちなみに御母衣ダムは、水力発電目的で建設されたダムのようである。今から50年ほど前、高度経済成長に伴って電力が不足し、その不足電力を補うためのものだったわけである。かつては電力の確保のために一つの村を犠牲にし、現在にいたっても原子力発電でいろいろな不祥事を起している。何かを得るためには何かを失わなければいけない、そういうものなのかもしれないが、いつまで電力の確保のために狂奔する時代が続くのだろう。御母衣湖を過ぎてからしばらくすると、荘川ICがある。高速道路を利用する場合は、このあたりから高速に乗ると都合が良いだろう。もっとも、富山方面に向かう場合は、次の飛騨清見まで一区間しか開通していない。名古屋方面に向かう場合は、すでに一宮JCTまで全通している。参考までに東海北陸自動車道の概要だが、ほとんどの区間が片側一車線となっているため、前方に速度の遅い車が走っていると、追い越し車線が設定されている区間まで後についていかなければならないと言う弱みがある。一応暫定一車線と言うことになってはいるが、果たして全線二車線化される日は来るのだろうか。また、都市部以外の区間は、結構地面から高い場所を通っているのも特徴と言えるだろう。沿線の集落や市街を、低い所に見ながら走る区間もある。

 さて156号だが、荘川村で158号と合流したあたりから、越前街道(飛騨街道)と呼ばれるようになるらしい。旧白川街道とは白川郷あたりと高山市を結ぶ街道(現在の国道158号)となり、そこに岐阜市方面からのびてきた越前街道が合流するような形になっている。道が高鷲村に入ったあたりが、ひるがの高原である。周囲の雰囲気は高原のリゾート地っぽい感じになる。果たして全国区と呼んでよいものかどうかは微妙であるが、中京地区の人間には、そこそこなじみの高原であろう。ただ、高度そのものはそれほど高くないため、夏でもすごく涼しいと言う感じではなさそうだ。平野部の蒸し暑さが無く、気温が高いなりにすごしやすい、そんな場所であろう。冬場はスキーでも賑わう場所だ。

 高鷲村の街中を抜けると間もなく、道は長い下り坂に入る。156号と158号の共用区間となっているらしい、うねうねとうねる隘路を下りきったあたりで、郡上郡白鳥町に入る。しらとりではなくしろとりである。このあたりから、道路沿いの風景が、山奥の村のそれから、日本の田舎、という感じに変わってくる。この微妙なニュアンスの違いは、なかなかうまくは伝えられないが、私個人が”ふるさと”と言う言葉を聞いて思い浮かべる、心の原風景に近い街並みだ。白鳥町内から、道は長良川に沿って続いていく。岐阜市に至っては、鵜飼いが行なわれる大河川として知られる長良川だが、このあたりでは、まだ山間を流れる比較的小さな川である。道の駅白鳥を過ぎ、東海北陸自動車道・白鳥ICから程近い、白鳥の中心市街地付近で、国道158号は、再び156号と分かれて西進していく。それに沿うようにして山中へと伸びる高架道路の光景も印象的である。この高架は、中部縦貫自動車道の一部、油坂峠道路。二つの道が向かう先は、福井県大野郡和泉村。九頭竜湖のある村である。ちなみに白川村も荘川村も大野郡であったが、こちらは岐阜県大野郡である。同じ名前の郡部が、これだけ近い地域にあるというのも紛らわしいような気がする。岐阜方面に向かう私は、なおも156号線を南下し続ける。

 156号は、郡上郡大和町に入ると、右手に長良川、長良川鉄道、そして東海北陸道の高架を見る道になる。このあたりは、特に何があるというわけではないが、不思議と郷愁を誘われる場所だ。夏の夕暮れ近くにこの道を走ると、特に気分がよさそうである。まさにドライブにちょうど良いコースであろう。実際には私の生まれ故郷とは似てもにつかぬ風景であるにも関わらず、そこはかとなく漂う懐かしさは、八幡町に入ったあたりで頂点に達する。郡上八幡と言えば、お盆の時期に、夜通し踊り続ける総踊りで知られた場所だ。町内には大鍾乳洞や郡上八幡城などの観光地もあるし、オートキャンプ場もある。都会の喧騒を忘れたい、という気分になったら、このあたりを訪ねてみるのも良いかもしれない。私自身は訪ねたことは無いが、山をはさんだ反対側、武儀郡板取村あたりも、豊かな自然が残されているようだ。月並みな言い方なので少し気がさすが、命の洗濯、ができそうである。

 やがて道は美並村に入る。行政区分としては村だが、岐阜市や高岡市などの都市近郊を別にすれば、156号線沿いの町村の中では、比較的開けた町であろう。村という響きに伴うイメージが、上平村から荘川村に至るまでのそれに塗り込められてしまった影響かもしれない。沿線で特に目を引くものは無いが、ここは日本の人口重心地がある村である。美並IC近くには日本まん真ん中センターなる施設もあり、地図と、人口分布の上ではちょうど日本の中心がこの村内になるらしい。もっとも、人口重心地は、全国の人口動態に左右されてしまうため、他の市町村に移ってしまうことがある。手持ちの地図では、美並村内あたりで、国道156号の脇に郡上街道の文字が振られている。いろいろと呼び名の変わる国道だが、それだけこの道が古くから重要な交通路であったと言うことだろう。

 道の駅美並を越えると間もなく、美濃市。少しの間は山間の道が続くが、さすがは市部と言おうか、開けた土地に出ると、急速に都市化が進む。富山県福光町からここに至るまで、何だかんだで2時間強ほどかかるだろうか。ここまで、比較的長い時間、両側に山が迫る箱庭的な風景を見続けているので、このあたりの変化はちょっとしたカタルシスなのかもしれない。さすがに美濃市の中心市街に入るあたりから道行く車の数が増え、それに伴い道幅が広くなる箇所も出てくる。周囲の風景は雑駁な地方都市のそれとなる。そのまま関市に入っても、沿道の景色に大きな変化はない。このあたりから岐阜市まで何kmと言う看板が良く目に付くようになり、同時に名古屋の文字もちらほらと見かけるようになる。信号が多くなり、時には車の流れの悪い箇所も出てくる。ほんの少し前までは、快適に流れる道を走ってきただけに、いくらかストレスのたまる状況であるとは言えよう。そんなドライバーの気持ちを知ってか知らずか、岐阜市内に入ると道は格段に良くなる。岐阜市突入直後、156号(岐阜東バイパス)は岐阜城のある金華山によって市街地から隔てられた地区を走るため、それまでよりも田舎を走っているかのように錯覚するが、岩戸トンネルを抜けると、視界に岐阜の市街地が飛び込んでくる。これ以降も南下を続ける場合、名古屋市の反対側あたりに抜けるまでは、ほぼずっと市街地域を走り続けることになる。岩戸トンネルを抜けて道なりに進んでいくと、岐南交差点にたどり着く。今回の姉妹編、北國街道編にも登場した交差点である。156号を走ってここに至った場合は、右折するとあの時の滋賀・福井経由金沢行きルートとなる。この先は、北國街道編で記したルートを逆行するだけになるので、今回はこのあたりで筆を置くことにしよう。しかし、岐阜富山経由ルートにはもう一つ、国道41号ルートがある。そのルートについて記したところで、美濃飛騨編は初めて完結を見る、こととしたい。