近くて遠い「県内」・能登一周(能登半島) 2001年4月11日 搭乗車種:コロナエクシブ |
|
---|---|
あの頃 金沢から能登へ 押水・羽咋 七尾近辺 当初の目的を果たし 穴水〜珠洲 折り返し地点 輪島近辺 |
今は昔、私がまだ大学生をやっていた頃、農村に入り込んで一週間ほどかけて調査を行うという実習があった。企画の性質上泊まりこみで行うもので、しかも夏場のことであったので体力的にもなかなかきついものではあった。さらに悪いことには、私の寝床は微妙に劣悪だった。一応キャンプ場のような施設で一週間生活していたのだが、諸事情により、参加人数分の部屋が確保できなかったのである。正確にはコテージ型の部屋が日程等の都合で必要数押さえられなかったため、全日程の半ば頃から野郎どもは大型のキャンピングカーのようなところに住処を移す羽目になったのである。我が研究室の男女比は2:5で女性の方が多かったが、例えそうでなかったとしてもやはり追い出されたのは男であろう。こちらはちゃんとした建物でなかったため、テレビはなく、水周りも貧弱であった。さらに困ったことに、ベッドが二つしかなかった。その部屋に私も含め三人が寝泊りすることになったのであるが、その面子の中で体格的に一番小さかった私は、ベッドではなくソファーで寝ていた。車のドアをあけたら真正面にデンと据えてあるソファー。いわゆる通り道に置いてあった。どうにも落ち着かない位置。キャンプ場なだけにジェイソンみたいな殺人鬼が現れたら、真っ先に殺られそうなポジション。声をあげる暇もなく殺されて、あとに残った二人はピチャピチャという水の滴る音で目を覚ます。不審に思って音のするクローゼットか何かを開けてみるとそこに死体がつるされており、そこから流れる血のしずくが床に赤い水溜りを作り、そこから例のピチャピチャという音が・・・・・・。傍らには電気をつけなくて良かったな、というメモ。そういう貧乏クジ感あふるる寝場所だった。 なお、肝心の何の調査かという部分であるが、説明は意外に難しく、そこで暮らしている人たちの生活全般に関するもの、といったところだろうか。実際には、参加者それぞれが自分なりのテーマを選定し、それに関するレポートを書き発表まで終えて完結する実習である。私が選んだテーマは高齢者の暮らしについてであった。加賀は門徒持ちたる国だし、能登も似たようなものであったため、真宗関係の話がよく聞かれたので、そちらも魅力だったのだが、テーマがかぶりそうだったので回避した。また、サルタヒコにまつわる祭事もあり、それにも食指が動きかかったが、同じ理由でやめた。結局お寺関係のテーマを選ぶ人は予想通りいたが、神事については誰もテーマに選定しなかった。やっときゃ良かったなあ、サルタヒコ。 もちろん我が研究室では毎年恒例のイベントなので、毎年色々なところに行っているのだが、私達の代は能登半島のとある町で調査を行った。 この調査実習だが、普通は夏の一週間だけで論文のために必要な情報を全て押さえることは出来ない。従って、具体的に論文の骨子を組み立てていく段階で疑問点や不明な点などが生じれば、追加調査という形で現地に赴くこともある。私も全体での調査のあと、二回ほど現地を訪れたことがあった。一度目は電車、そして二度目が自分の車。今回語る話である。 思えばこの能登行きが我が愛機・エクシブの初仕事であった。実際にはすでに実家から下宿先までの移動で300km以上走っているし、そもそもそれ以前に実家で奉公していた時期に走行距離は80000kmを超えていたのでので初仕事も何もあったものではないかもしれないが。今にして思えば、所有権そのものは移っていなかったにせよ、80000kmを超えた頃から私がこの車に乗るようになったのだなあ。80000km目からは一緒にメーターを回したのが昨日のことのようで。それはさておき、実家から下宿先までの移動などは、リーマンの痛勤と同じようなものである。本格的にこの車でどこかに出かけようとしたのは、この時が初めてだったといってよかろう。 調査に伺う数日前に先方に連絡を入れておき、訪問日時の確認などを行っておく。このあたりは一般的な「取材」の手法と大差ないであろう。インフォーマント(調査対象者乃至は情報提供者のこと)はいつでも良いと言ってくれた。朝の9時ぐらいからでも良いということだったが、さすがにその時間に間に合うように金沢を出るとなると、かなりの早出になる。それなりに余裕を持っていきたいので10時半ぐらいにさせていただいた。○○時半という時間設定をするたびに、なんだかあいまいで優柔不断な決め方をしてしまったような錯覚に陥るのはなぜだろう。 さて、金沢から能登半島方面への移動だが、よほど切羽詰っているのでなければ一般道を使っても時間的には知れている。金沢市を抜け、川北郡津幡町、宇ノ気町、七塚町、高松町と言った具合に国道伝いに北上していけばよい。七尾市や富山県氷見市などに向かおうと言うのなら倶利伽羅峠を越えて高岡市まで行き、そこから北上しても良いかもしれない。話がそれてしまったが、この時はタイトな、というほどではなかったが一応相手先のあるスケジュールだったので、余裕を持つために8時半頃家を出て、有料道路である能登道路を走るルートを選んだ。金沢市の北、川北郡内灘町からスタートし、鳳至(ふげし)郡穴水町(アナスイではなくアナミズ。なんとなく)まで至るこの道路は自動車専用有料道路ではあるがいわゆる高速道路ではない。JHの管轄ではないらしくハイカも使えないようである。そのわりにはどの車も思う様飛ばしているのはご愛嬌と言ったところ。東西の金沢ICから内灘ICまでのルートのいたるところに案内標識があるところをみると、県外からの観光客の利用者も考慮して作ったものであろう。道中何箇所かに料金所があり、そのたびに料金を請求される、個人的には「竹の子剥ぎ」と呼んでいるタイプの料金体系になっているので、料金所でもたもたするのを嫌う人は小銭は用意しておいた方が良いかもしれない。 内灘町内・海浜向陽台のT字路を右折すると、自動的に能登道路に入る。しばらくはいかにも海が近い感じの防風林っぽいところを走るが、やがて視界が開けてくる。まず最初の料金所があり、そこでお金をおさめると広くまっすぐな道に入る。左手間近には海が迫り、道路の直下は砂浜である。いかに日本海でも荒れるのは冬だけである。いくぶん肌寒いとは言え、すでに4月。春霞の海はベタ凪であった。もっとも、当然の如く海水浴シーズンでもないし、サーファーなどもいない。眺めは抜群に良い場所だが、どうしても侘しげに見えてしまう。潮風にさらされて随分くたびれてしまった感じの物置のような建物が一層その雰囲気を盛り上げる。色で言うならセピア色の景色か。 このあたりは片側2車線で見通しがよく、どうしてもスピードが出る。一応制限速度は設定されているが、そんなものを守ろうとする車は露ほども見当たらず、あっという間に海沿いの景色とはお別れである。道路の走っている場所自体は相変わらず海岸線に近いところなのだが、防風林などのせいで波打ち際を見ることは出来なくなる。ここからはほぼ全線そういう雰囲気になり、ついさきほどまでの景観はどこへやら、娯楽的要素を廃したいかにも実利第一の道路という感じになるのである。 と言って途中通り過ぎていく町に見るべきものがないというわけではない。途中の押水町は日本国内にありながらモーゼの墓があるという、青森県戸来村(現・新郷村)と並ぶ不思議の町である。モーゼは大魔神よろしく紅海を叩き割った、あのモーゼである。どういうわけか終戦後、米軍がやって来てこの墓のあたりを調査していったとか。調査結果は一切不明。そういう不思議な噂もある。なぜモーゼと日本の片田舎が結びつくかについてだが、これは竹内文書という古文書にそう書いてあったらしい。戸来村にキリストがやって来たという説の根拠になっていた古文書も確か同じような名前であった。なんか大昔のトンデモ本っぽいこの古文書だが、出所そのものはかなりきちんとしたところであることだけは断っておかねばなるまい。 近くには日本で唯一の車で走れる砂浜、千里浜なぎさドライブウェイがある。最近ではテレビが漂着した映像が記憶に新しい浜である。なお、この浜は確かに車で走れるが、走った後のメンテナンスはきちっとしておいた方がよさそうだ。来るまで走れるというのは、普通の乗用車で走ってもタイヤがズブズブと砂の中に沈まないと言うだけで、濃い塩分を含んだ水や砂が車の腹側に入り込まないとも限らないためだ。のんきに車で走ったはいいが、気がついたら車が目に見えないところでボロボロに腐食していた、などということの無いよう。聞くところによると、金沢市内のレンタカー屋の中には千里浜禁止と言うところもあるとか。 押水から少し北に行った羽咋市はUFOの町ということになっているようだ。こちらは押水町のモーゼ以上に関連性が良くわからないが、どうやら目撃情報が多いらしい。UFOにちなんでか市内にはコスモアイル羽咋という施設もある。宇宙開発に関連する資料が色々展示してある博物館みたいなところだが、目玉はどうやらガガーリン(アームストロングだったかしらん)が地球に帰還する時に使ったかなんかのカプセルの本物が展示してあるところか。詳細はあまり憶えていないのが申し訳ない限りだが、大気圏突入の時の熱で表面が焦げ、有害物質まみれになっており、手を触れないで下さいなどという注意書きがあるあたりに無言の迫力を感じてしまう。触れると発癌するそうです。ザクは燃え尽きたがこのカプセルはがんばって耐えたようである。余談だが、NASAがスペースシャトルコロンビアの残骸に手を触れてはいけないと警告していたのを思い出す。 また、市内の気多大社はオオナムチを祭神とする能登一宮である。オオナムチは大国主、大黒様で好色な神様で、そのおかげかどうか縁結びの神様として売り出されているようだ。もっとも、どういうわけかカップルで行くと別れるスポットの噂もある。 道中にはこんなものがあるが、当然そこによっている余裕などはなかった。速やかに徳田大津ICまで走り、そこで降りる。そこから七尾市方向に走るが、今回の目的地は七尾ではない。大津のT字路まで出ると、進路を左方向(北)へ。右(東)に曲がると七尾市内に入る。日本一高いホテルとして有名な加賀屋のある、和倉温泉がある。 能登道路を降りた直後は鳳至郡田鶴浜町だが、間もなく中島町へ入る。ここが今回の調査地。町そのものは結構広めで、町域に入ってしばらく走り、海近くの集落へ。そこでインフォーマントにひとしきり話を聞き、用事を済ませて外に出ると時間はすでに12時近い。 海が近かったので、とりあえず車は路中のままで、海辺へ出る。駐禁の取締りをやることもないだろうし、通行の支障になることもないだろう。5分ほど歩いて防波堤の上に出た。やはり穏やかな春の海。とんびの鳴き声でも聞こえてきそうなほどのどかな風景である。このまま金沢に戻っても良い。が、今帰っても時間的には中途半端になる。能登道路を使えば一時間強、一般道を使えば二時間あまり。一度家に帰ってしまうとなかなか新たに行動を起こそうという気にはならない。といって半日うだうだ過ごすのも何なので、そのまま能登半島の突端の方まで走ってみることにした。思えば石川で暮らして3年余りが過ぎていたが、能登を走ったことはなかった。 そんなわけで町内唯一のコンビニであるサークルKで例の如くミルクティーなんかを買い、一路北を目指す。いかにもローカル線と言った趣ののと鉄道七尾線と並んで走る。以前に補充調査に来た時は電車利用であった。七尾市まではJR七尾線が走っている。和倉温泉まではまがりなりにも特急も通っている。そこから先はこののと鉄道しかない。走る電車は一日数本の世界らしく、通勤通学時間でもなくなれば小さな無人駅ですることもなく随分長いあいだボーっとすごさなければならない。紛れもない過疎の光景であろう。しかも、その体制ですら常に赤字を発生させ続けていたらしく、輪島に至るまでの一部区間までは廃線となっているようだ。バスで代替輸送をするとか。 昨今、新しい道路建設についての論争がかまびすしい。片や維持費もまかなえないような道路を建設している余裕などないと言い、相対する陣営は過疎地域の振興のために道路は必要だと言う。私は調査テーマが高齢者の生活であったが、これは調査地域に住んでいる人の中に、実感として分かるほどたくさんの高齢者がいたためだ。逆に子供や未成年はあまり見なかった。そこで暮らしている人の中には、車の運転はおっかなびっくりで、必要最低限しか使わないと言う人も多くいたが、そのような人たちが高速道路を使うことはあるだろうか。また、高速道路が出来たと言って、若い人が能登に戻ってくるだろうか。調査地域の若い人の中にはやはり、金沢で就職したと言う人が多いが、その人たちでさえ故郷に戻るかどうか微妙に思えた。東京や他の大都市ほど住環境が苦しければ、郊外や周辺地域へと人が流れていくこともあろうが、金沢市内および近郊の土地には随分と余裕がある。金沢は確かに北陸三県では最大の都市だが、地域の経済を牽引していくにはやはり力不足であろう。能登に高速道路を作っても、逆に人を都市部に吸い寄せられて終わりそうな気もする。 そんなことを考えさせられるのと鉄道を左手に、波の穏やかな七尾北湾を右手になお北上を続ける。しばらく北上を続け、穴水町・金比羅の交差点で右方向へ曲がる。そのまま北へ向かえば輪島にたどり着くが、とりあえずは能登半島の先端部・珠洲市を目指す。穴水町は東方向へ鉤型に曲がっている能登半島の、曲がり始めの町である。町並みや穏やかな内海の風景を見ていると、海と共に歩んできた町、という印象である。実際のところは良くわからないのだが。さて、金比羅で右折するルートはR249である。この道伝いに走っていけば自動的に珠洲市までつけるのだが、途中は山の中の道を走ることになる。あくまで海岸線を走りたいのならば、比良駅前の交差点を右方向に曲がると良い。このときはとにかく能登半島を一周することを最優先にしていたので地図で見るかぎり走行距離が短くなりそうな山道を走った。が、やがて車は心もとない山道へ迷い込んでしまった。能都町に入っていることは確かだが、気がつけばR249を外れてしまっているようだ。それでも珠洲市までの案内標識はぽつぽつと立っている。道に迷った時、何だかんだ言って最後に頼れるのはいつもこの案内標識なのかもしれない。これを信じて走っていけばとりあえず目的地に着くことは出来るはずだ。けっして最短ルートとは限らないが。 迷いながら走っていくと、再び海沿いの道に出た。やはり道路脇を走っているのと鉄道能登線の駅名を頼りに地図を見ると(信号が滅多にないので随分タイミングはずれてしまっていたが)どうやら県道288号を抜けてきたらしい。非常に無駄の多いコース取りだったらしく、単なるタイムロス以外の何物でもなかった。久しぶりの信号待ち、藤波信号で暫時思案に暮れる。見れば世界一の縄文土器なるものが近くにあるようだが、時間は押し気味になっている。渋滞にも捕まっていないし、信号もほとんどないが、思った以上に時間がかかっている。単純に移動距離が長いのだ。あまり悠長に走っていると予想外に帰投が遅くなるかもしれない。やむを得ずショートカット気味のルートを採用する。能都町宇出津新交差点、右方向に曲がれば真脇縄文遺跡や九十九湾の脇を通るルートだが、ここは直進し、なおもR249を行く。再び森の中の道。しばらく走っていくとまた海沿いの集落に出る。ここまでのルートの中では比較的人の多い地区と言えるが、それでもやはりうら寂れて活気がない感じがする。そこからはまたまた海沿いの道。さすがにこれだけ海沿いの道が続くと少し飽きが来るかもしれない。思えば羽咋から七尾に抜けたあたりからずっと右手に海を見ている。能登半島の東海岸は富山湾とそれに付随する内海で構成されている。日本海の荒々しいイメージとはかけ離れたのどかで牧歌的な海がひたすら続いている。春先と言うこともあって眠くなりそうな景色である。 恋路海岸という妙にメルヒェンな名前の海岸沿いの道を走り、軍艦島という妙に勇壮な通称を持つ見附島の脇を抜け、ひたすら半島の先端を目指す。それにしても、道沿いにはコンビニ的な店が一軒もない。小さな個人商店ばかりで、車は路駐しなければ入れそうにない店しかないのだが、海沿いの道ということもあって路肩は非常に狭い。とてもこんなところで停まる気にはなれず、空腹とのどの渇きを覚えながらもただただ漫然と車を走らせる時間が流れた。気がつけばガソリンも心もとなくなってきている。しかし、持ち合わせもない。どこかに金融機関はないものか。とにかく細心の注意を払いながら走っていくと、飯田と言う名前らしい地区の中に郵便局を見つけた。ここでいくばくかの金を下ろし、先を急ぐ。地図を見るとしばらくスタンドはなさそうだが、能登半島の本当に先っちょ、寺家というところにガソリンスタンドのマークがある。とりあえずドライバーの方は道すがらにあったホームセンターで缶コーヒーを買って一息ついた。残念ながら食べ物は売ってなさそうだった。 それにしても車内の時計はすでに2時半を表示している。中島町を発ったのが正午少し前だったのだから、思いの外時間がかかっているようだ。まぁ、ここまで着たら能登半島の最先端部は近い。このまま引き返すも、前進を続けるもさしたる違いはなくなって来ている。「やめときゃよかったかな」と、ともすれば後悔にさいなまれそうになる気持ちを奮い立たせ、先へと進む。珠洲市もしばらく走っていくと、人通りの一層少ない地区に出てしまった。とにかく人も少なく車も少ない。非常に人恋しい、寂しい気分になってくる。さらに悪いことには道が随分細くなってきてしまった。つい先ほどまではまがりなりにもセンターラインつきの道路だったのが、気がつけば全くの生活道路のような細い道になってしまっていた。もっとも、対向車とすれ違う恐れもほとんどなさそうだ。道を間違ったかと思い、地図を手にとって見るも、そこには他に道らしいものはかかれていない。かなり縮尺の小さい地図だから車の通れそうな道はほぼ全て記載されているだろう。それにしても不安だ。海からの距離は対してないはずなのに、全く海が見えない。また、ガソリンスタンドが近いはずなのに、民家すらまばらになってしまっている。本当にこんなところにスタンドがあるのだろうか。本当に心細くなった時、ガソリンスタンドらしきものを見つけた。道端の看板などからこのあたりの地名が寺家と言うのはわかっていた。すると、これが地図に書かれていたスタンドか・・・・・・。現物は農協の給油所みたいなものだった。確かにガソリンスタンドで見かける給油用の装置(名称不明)はあるのだが、完全に野ざらしだし、詰めている人がいない。ただで給油するわけには行かないし金を誰に払えばいいのかも分からない。これはおそらく土地の人が共同で使うためのものだろう。そういう結論に達し、次のスタンドを目指す。 エンプティが近づいているっぽい雰囲気はあるのだが、そんな状態をあざ笑うかのごとく急に道が上り坂になり始めた。次のスタンドは、禄剛崎近くにある狼煙という集落(?)にあるようだ。隣には「観光センターあすなろ」の文字。今度はまともなスタンドだろう。そう言えばこのあたりは有名なランプの宿の近くのようだ。今でこそ「有名な」と言う冠も違和感なくつけられるようになったランプの宿だが、本の十数年前までは本当に知る人ぞ知る隠れ宿だった。そもそも照明にランプを使っていたのも電気が通っていなかったためだとか。今ではそのようなこともなくなってしまったが、相変わらず付近に民家などはない。これからもずっとそうなのであろう。山奥でもないのに隠れ里じみているというのは結構珍しい。 さて、禄剛崎灯台への案内板を右手に見ながら車はなおも走り続ける。そろそろスタンドがあるはずなのだが、それらしいものは見当たらない。道はちょうど禄剛崎あたりが折り返し地点になっており、再び輪島・金沢方面へと向かいはじめている。目立たないから見落としてしまったのだろうか。 少し高い崖の上から、西日を受けて照り輝く日本海を眼下に見ながら輪島方向へ向かう。このあたり、眺めは良い。また、つい先ほどまでの内海とは違い、ここは正真正銘の外海である。海の向こうはユーラシア大陸。立山連峰を見晴るかしながら走っていた内裏側とはまた違った味わいがある。広大な広がりを感じさせる太平洋を見るのともまた違った、日本海独特の味であろう。このあたりには海沿いの崖にへばりつくようにしてぽつぽつと家が立っているが、そこで暮らしている人の暮らし向きと言うのはどんな感じなのだろう。1軒か2軒の家があってそのあとあとしばらくは建物すら見当たらない、といったありさま。北海道の原野ではないが、隣のうちまで何kmと言う世界が確かにそこに存在していた。 今度は右手に日本海を見ながらまたまっすぐな道を延々走って行く。気がつくと道はなだらかな下りになっていた。下のほうに見ていた水面がほぼ真横にあり、道路沿いの岩場に当たった波が砕け、白い飛沫を上げている。う〜ん、まさに日本海。今回冒頭の方で日本海も荒れるのは冬場だけ、などと書いているがそれでもやはりこういう景色が日本海っぽい。しかし、確かに勇壮な光景ではあるが、車が塩水をかぶりそうなのは若干気を使う。塩と言えばこのあたりには揚浜塩田もあるそうな。このあたりは曽々木海岸と言うらしい。敦賀あたりにもそういう地名があったような。ありふれた名前ではないだけに、何か共通するいわれでもある名前なのだろうか。 このあたりでは特によく目に付く看板がある。またたび酒の看板である。このあたりの名産か何かだろうか。百獣の王さえも酔わせる酒の王・またたび酒。などというありもしないキャッチを考えてしまうほど興味を持ったが、どこに行けば売っているのだろうかと思いながら先へ進む。すると道の駅があった。道の駅・千枚田ポケットパーク。このあたりは千枚田が有名で、秋の実りの時期には黄金の穂波がさぞ美しいのだろうが、この時は収穫の時期には半年近くある4月の中旬であった。名にしおう千枚田も遠目には単なる段々畑にしか見えなかった。さて、この道の駅にまたたび酒を売っていないだろうかと思い、寄っていこうと考えたのだがあまりにも活気がない。時間はすでに四時を回ろうかという時間。もしかして本日の営業は終わってしまったのだろうか。折悪しくと言おうか、なかなか対向車が途切れず、駐車場に入るのさえも難儀しそうだったので、結局立ち寄るのはやめてしまった。 千枚田地帯(?)を抜けてしばらくすると輪島の市街地である。雰囲気的には良くも悪くも熱海的な印象だった。もっとも、若干狭めの表通りの両側にホテルなどが迫っている風景を見てそう思っただけである。裏通りなどをつぶさに見たわけではないので、このあたりの感想はあまりあてにならない。輪島と言えば朝市が有名なのだが、実際にそこを走っていた時間はすでに四時過ぎ。歩道には中学生か高校生か、制服姿の子供達の姿。曽々木海岸かどこかで見た案内標識では金沢まで100km以上あり、本当に県内かよ、とツッコミを入れたくなるほど恐ろしく遠い道のりのように思えた。輪島まで来るとまがりなりにもというか、名実共に県内と言う感じがしていくらか安堵感も生まれてくる。市街地の外れあたりでようやくガスを補給し、一息つく。ここからは一気に穴水町まで南下し、そこから能登道路に乗る。本当に随分長いこと走る羽目になったものだ。出来れば門前町。富来町、志賀町を抜けて羽咋まで抜け、完全なる能登半島一周の形にしたかったのだが、時間的にも体力的にももうそんな余裕はない。 なお、もしそちらのルートを行くと、松本清張の『ゼロの焦点』(『点と線』?『砂の器』?)で有名になったという能登金剛、ヤセの断崖がある。月ミス、火サス、金エン、土ワイあたりのクライマックスに登場する危険な岩場の走りであったかもしれない場所である。ちょっと辺鄙なところにあるのが難だがなかなかの壮観である。能登の海はどこもきれいだが、このあたりの海もご多分に漏れずきれいである。 結局そこからさらに二時間近く走り、家に着いたのは七時近く。まだ長時間走ることに慣れていない時期だったということもあり、結構疲れました。能登半島一周を計画する人は結構多そうだが、それなりに計画を立てて望んだ方がいいかもしれない。甘く見てると火傷する・・・・・・かも。老婆心ながら申し上げまする。 |