若狭路に吹く熱風〜小浜バイト旅行
2001年7月28・29日 搭乗車種: コロナエクシブ




 うだるように暑い、2001年7月半ばのことだった。

 金沢というと北国とか雪国というイメージを持っていたのだが、そんなことはない。実際に暮らしてみれば、雪こそ多いが夏場は普通に暑くなる土地柄である。それでも、30℃ちょいがいいとこなので、35℃はザラに出る我がホームに比べればいくらかはマシだし、土地っ子の友人の前では「何をこの程度の暑さ」みたいな顔をしていたが、暑いものは暑い。水鳥は一見優雅に水上を泳いでいるようだが水面下では必死に水をかいているのだ。それと同じである。暑いと言うと余計暑くなるから暑くないつもりですごすのである。こう書いてたらなんだか違うような気がしてきた。

 夏は暑いのが相場なのだが、あまりの暑さゆえに、うちにいるときはエアコンガンガン使いまくり―の、移動は車使いまくりーの、ゲーセン行きまくり―の(これはいつもの事だが)してたら、家計が火の車になりそうな気配が漂ってきてしまった。ただでさえ燃えるような暑さなのに、その上ご丁寧に火の車。なんと暑苦しい表現か、などとは思わなかったが、当時の私はとにかくやばそうだという危機感をもち、バイトを探していた。7月のはじめには交通量調査のバイトで1万円ほどもらっており、そこそこ潤っていたはずなのだが、それでも夏が越せそうになかったのだ。

 まずは学校に行き、バイトを探した。舞台の設営などをいくつかこなしたが実入りが少ない。JAで米の袋詰のバイトも入れてみたが、8月末の話。情報誌もひと通りチェックしたが、短期のバイトはない。そんな時、わらにもすがる思いで、iモードに頼ってみた。

 短期のバイトとして参院選の出口調査があった。日給1万円。これはおいしい。もしうまくいったら、iモード様様である。絶対ドコモさんに足を向けて寝たりしないし、孫子の代までドコモユーザーたることを誓おう。とか何とか言いつつ、現実過去に2台、よりによってドコモ社制の携帯を壊しているし、やはりDシリーズの携帯を一つなくしている。先ほどの誓いなど鴻毛の軽さなのであろうか。なんといい加減な男だろう。

 まぁ、それはさておきとりあえず電話してみる。
「すいません、アルバイト募集の広告を見たんですが。」
「どちらでご覧になられましたか?
「モバイルanです。」
「モバイルワンですか?」
「anです。」
などという電話口特有のまどろっこしいやり取りを経て、どうにか話をつけることができた。大体電話での応対と言うのは結構うっとうしいものがある。名前を名乗るにしてもどういう字を書くか説明しなければならない。いつも電話で字の説明をする時、その説明があまりにもスマートでないのに暗澹たる思いになるものである。特に実家住所なんぞは田舎特有の読み方が難しい地名なので厄介だ。何とか良い方法はないものか。

 などと思いつつ、聞けば現在人員が十分足りていてキャンセル待ちの状態らしい。で、それでもよければ登録するとの事。仕事にありつくためにはここで熱意を見せなきゃならん。というわけで「どこまで行けますか?」と聞かれたとき、「県内と両隣の県までなら大丈夫です。」と答えておいた。平成大不況の最中、生半可なことでは金など稼げんのだ、などと意気込んではみたものの、珠洲(能登半島の先端。県内とは言え金沢からは恐ろしく遠い)とかに行く羽目になったらどうしようと不吉なことを考えたりもした。でも、雇い主側もそんな殺生はするまい、と自分の都合の良いように考え直す。人生にこういう発想法は肝心である。

 それから1週間ほどの後、参院選のバイトの事を忘れかかっていたある日、電話がかかってきた。市外局番が東京のものだったので少し不審に思いながら電話に出てみると、出口調査で欠員が出たのでもし良かったら入って貰えないか、との事。「はい、大丈夫です。」と二つ返事で快諾。と、そこまでは良かった。が、調査地を聞き唖然とした。
「場所は福井県の小浜です。前日から泊り込みで行っていただきたいんですけど。」

 電話の向こうのお姉さんの声はあくまで優しかったのだが、言ってる内容はかなり衝撃的だった。小浜?確かに隣の県だけど、めちゃくちゃ遠くない?しかも、電車利用の経路を説明してくれている。天使の歌声のような耳に心地よい美声による説明だったのだが、遠まわしに電車使えって言ってるのだろうか。こんな優しそうな人が。人間不信になりそうだ。などと思ったが後の祭り。あまりのショックの大きさにピーヒャラピーヒャラと祭囃子が聞こえてきそうだ。しかし、今さら断ることもできず、そのまま事前説明会の日取りを聞き、それに参加することになった。東京の人から見れば金沢も小浜も似たようなもんなのかなぁ、などと思いながら。

 説明会の会場は金沢駅近くの某ホテル。

 結構力入ってるなぁ、などと思いつつ指定の日時に現地へ。受付を済ませて待っていると、東京から来た風の人たちがやってきて説明をはじめた。

 どうやら、交通費は申請すれば全額負担してもらえるらしい。当然といえば当然だが。しかし、宿泊の事は何も説明がない。そして、ついに宿泊に関する話はないまま説明が終わってしまった。「以上で終わりです。何か質問はございますか?」と聞かれ、さすがに宿泊の事が気になったので、説明して貰うように言ったところ、全体説明が終わった後個別に説明するとの事。その時初めて、50人近く集められた部屋の中で、小浜くんだりまで出かけていく人間が自分ひとりであることを知った。ある種特殊任務のようではあったが、にしても、参加者が三々五々退室していくなかで1人説明を受けるのはなんだか寂しいものがあった。

 ところでその説明の内容だが、さすがに小浜は遠いので車(高速道路)の利用はOKらしい。電車の乗り継ぎのキツさを切々と訴えようとしたが、その必要はなかった。ちなみに燃費の計算は一律リッター10kmでやるとの事。我が愛車の燃費はリッター11km弱なので、多少お徳か?などと、そんなことを考えるほどに経済的に逼迫していたのである。それと、宿泊の場合、1泊2食付で、宿泊手当てが6000円つくとの事。もちろん、宿泊費本体は経費で落とせる。

 それを聞いて俄然やる気がでてきた。これはいわゆる「アゴ、アシ、マクラつき」だ。金をもらえて旅行ができる。ひゃっほう、なんてすばらしいバイトだ。自分で自分の変わり身の早さにあきれながら、なんて得な性分なんだろう、とも思った。それと電話のお姉さん、片時でも悪く思ってごめんなさい、である。

 帰り道、チャリンコをこぎながら小浜旅行の計画を練り始めた。とりあえず移動は長そうだから、BGMの充実を図ろう。陰介さんに頼ろうかな、などなど。

 完全に物見遊山の気分になっていた。が、前かごに積んだ資材を見て、少し緊張感を取り戻した。この資材が何かはまた後ほど。


 福井県小浜市は県の南部、京都府と隣接しそうな位置にある。小浜と言えば人魚の肉を食べて何百年も生き長らえた八百比丘尼の伝説で有名であろう。

 伝承によると、ある時小浜あたりで珍しい魚が取れたのだという。そこで、それを食べてみようと言うことになり、近郷の主だったものがその魚を食べる宴会に招かれたのだが、やはり得体の知れない魚など薄気味悪く、誰一人口にはしなかった。皆、その場は食べるふりをして懐に隠したり、帰路で道にその魚の肉を捨てるなどしていた。

 しかし、1人の男が肉を捨てないまま家に帰った。すると、父親の帰りを待ちわびていた娘が何か土産はないのかとせがむ。酒が入っていた男は、ついうっかり酒席で出され、そのまま懐にしのばせたままにしてあったあの魚の肉を、娘に食べさせてしまった。あとになって青くなったものの、後の祭り。しかし、幸いなことに娘の体にはその後も変調はなく健やかに育っていき、無事に嫁にやることが出来た。

 だが、娘の悲劇はそれから始まった。数十年が過ぎ、夫が死んでも、娘は若いままで一向に年をとる気配がない。やがて、わが身の不幸を嘆いた娘は出家し、その後数百年を行きたのち、故郷の小浜で亡くなったのだという。これが八百比丘尼の伝説で、彼女が食べた肉が人魚の肉と言われるものだ。もっとも、人魚とは言ってもアンデルセンの童話に出てくる人魚姫のようなイメージではなく、むしろ人面魚の態に近いものらしい。

 それはさておき、石川方向から小浜市に向う場合、ほぼ福井県を縦断しなければならないような場所にある。前日に地図で確かめてみたところ、我が実家から横浜、あるいは大阪近くまで行くのとほぼ同等の距離である。やはりバイトでのこのこと出かけてくような距離ではないのだ。しかし、だからこそバイトしに行く価値があるのだ。人がやらないことをやる。道なんてものは俺が通った後にできるのだ、みたいな感じで闇雲に気持ちを奮い立たせてバイト当日、というか選挙前日。

 金沢を発ったのが午前11時くらい。私の旅企画の中では相当遅い出発である。所要時をは4時間と見て現地到着は午後3時前後を予定。その後下見や適当に観光をする計画だった。

 その日は7月の終わり、まさに盛夏の時期ということもありうだるような暑さだった。車のエアコンもほとんど効いていない・・・というより、確かに温度は低くてもあまりに日差しが強いため、運転してても汗が噴出してくる始末。太ももをじりじり焼かれるのを感じながら、ハーパンはやめときゃよかった、などと思いつつ国道8号をひたすら南下。はっきり言っていつものコース。大してかわりばえはしないながらも、歌など歌いながら車を走らせること2時間あまり。福井県鯖江市に入ると、いつものファミマでカレーパンとミルクティーを購入。そばでも買えばいいのだろうが、運転しながら食おうとすると、どうしてもパンとペットボトル入り飲料に落ち着くのある。(--;)なんと貧しい食生活か。

 だいたい私は車の運転中は特に、休憩ができない。休もうとして、直ぐに走り出したくてウズウズしてくるのである。飯のために移動を中断するなどもってのほかで、トイレ休憩以外はほとんど取らない。ゆえに我が旅の日程は強行日程になりがちで、同行の友人などはかなり疲労するようである。まことにすまぬ。

 この段階でBGMを『夏服(aiko)』から珠玉のアニソンマイベストへ。昨日今日のガンダムファンでありながらノリノリで『哀 戦士』(この旅のために用意)を歌っていると若狭路への期待感も高まっていく。思えば20年遅れで1人ガンダムブームがやってきてるのだなあ。

 道は鯖江市を抜けたあたりから山に入り、そこから間もなく海沿いの断崖の上(多少誇張アリ)を走ることになる。間もなくと言っても20分以上はかかるが。ハンドル操作を誤れば死ねる。やはりそばなんか食ってる場合じゃないのだ。そもそも運転しながら食うな、という問題かもしれないが。

 とにかく、片手にパンを片手にステアリングをという節操のない体勢で運転しながらさらに30分ほど。道は敦賀市内に入り、8号本線から少し外れて進路をバイパスへ。敦賀の市外を迂回して、再度8号本線に合流。この合流地点を左折すればいつもの帰省ルートだが、今回はこのまま直進。いよいよ未体験ゾーンへ入っていくわけである。毎度の事ながらこの瞬間はわくわくする。気分はあくまでトレジャーハンターだ。心のBGMはもちろん「川口浩探検隊」である。

 ところが、事前に地図で見た感じでは割と海沿いの道を走るつもりだったのだが、実際には意外と変化の乏しい山間の農村みたいなところを走ることになった。まぁ、別に美浜町が悪いわけではない。勝手にイメージを膨らませたほうが悪いのである。
 とにかく特に見るべきものもないのでひたすら車を走らせる。BGMは『ガンダムシングルコレクション』へ。

 『シャアが来る』・・・・・・。変な歌である。思わず笑っちまいました。『翔べ!ガンダム』や『アムロ永遠に』くらいまではちょっとノスタルジックな感じでよかったのに。多分、作詞、作曲、そして歌っている人はそれぞれまじめにシャアを盛り立てようとがんばったのだろうが。この三者が渾然一体となって何とも言えずへんてこなハーモニー(歌なだけにハーモニーという言葉がしっくり来るなぁ)となって、私を笑いの渦に誘うのである。一人の車中で必死に笑いをかみ殺す姿は客観的に見てさぞかし不気味なものだったであろう。通行人にその姿を見られてないことを祈るばかりである。

 その後曲は『ララァのテーマ(仮)』や不思議な語りつきの歌を経て再び『哀 戦士』へ。中だるみの気分をもう一度引き締めたところでZ時代へ突入。森口博子は結構難しい歌を歌ってたんだなぁ。素人考えでは何度か転調があるような気がするんですが、どうでしょう、コゲさん。この辺になるともう歌を知らないので、沈黙。

 そうこうするうちに小浜市へ到着。会場となる小学校を探しうろうろ。二つともわりとわかりやすい場所だったので、下見は比較的つつがなく終了。ところが、今夜の宿を探す段になって一苦労。

 小浜駅前の民宿だったのだが、道は狭いし結構入り組んでて探すのに手間取る事しきり。グルグル回りまわって海へ出ること3度あまり。海水浴客がうようよいる海岸通を走りながらなんとなく、空しい気分になる。なんだか夕日に吼えたい気分である。すでに日も西の空に傾きかかり、ステレオから流れるZZのオープニングと思しき曲がさらに哀愁を誘う。

 ふと一日中運転し通しだったことに気がついて、下車。道路案内を見ると、舞鶴とか、後瀬山とか書いてある。ずいぶん遠くまで来たものだなあ、と変に旅情を誘われながらも再度宿探しにトライ。どうにか見つけることに成功。時間はすでに午後5時。名田庄村に行ってみたかったのにお流れに。名田庄村は最近話題になった陰陽師・安倍晴明から始まる土御門家の領地があったところで、陰陽道ゆかりのものがあるらしい。行ってみたかったのだが、涙をのんで取りやめ。晴明神社にも行ったほどの陰陽ラー(陰陽道に関心のある人)だと言うのに。

 結局その日はそのまま宿へ。ここで初めて翌日の仕事のパートナーとご対面。わりとまじめそうな人で安心した。もし、E原君のような身の丈190cmあまり、眼力だけで相手を殺せそうなナチュラルボーンファイター系の人だったらどうしようと思っていたのだが。逆に自分のあまりにくつろいだいでたちが相手の人にどう見えたか少し心配になった。Tシャツ、ハーパン、サンダルにのっぽさんみたいな帽子。改めて書いてみるとなんと怪しい男なのだろう。その格好で出口調査などしようものなら、あっという間に選管に取り押さえられていたであろう。

 何だかんだで疲れたので、部屋に入るとぼんやりテレビ。部屋においてあったパンフによると、小浜は海産物がいいらしい(海がすごく近いので当然と言えば当然)。あとお寺も多いとか。すごく好みっぽい場所なのに、今日観光できないとなると翌日の観光は絶望的なので、再び暗澹とした気分になる。

 『恋のから騒ぎ』を見て眠りにつく。宝満さんは面白い。ホームセンターかんぶん。


 翌日、かなり早起きして、投票所へ。日光をさえぎるものがない場所で投票を終えた人にひたすらアンケート。都市部だったらもっと非協力的だったんじゃないかと踏んでいるのだが、小浜の人たちの優しさに支えられて作業がはかどり、仕事は3時過ぎに終了。

 帰りは高速を使うとしても2時間はかかる距離なので、あまりのんびりもできず急いで観光物産館(のような店)へ。そこで名産品の小鯛の笹付けを購入。どうやら、「言わずと知れた」レベルの有名特産品なので、これに関しては皆まで言うまい。自分用ではなく実家へ宅配便で送付・・・しようとしたのに、あまりにお上品な量だったために宅配料金のほうが高くつき、それではあんまりだと言うことでかまぼこもセットにすることになった。売店のおばちゃんが知り合いに似ていて、なんとなく他人のような気がしないのでつい情にほだされてしまった。ちなみにその知人は22歳のうら若き女性なのでおばちゃんに似ているといわれていることを知ったらさぞ気を悪くするだろうなぁ。その後帰宅の途へ。

 帰宅後、調査に使った資材を宅急便で東京に送った。できれば当日中にということだったのだが、いろいろ都合が悪くわがままを言って翌日にさせてもらった。これを送ることができて、やっと肩の荷が下りた。何しろ、その辺でなくそうもんなら、ものがものだけに結構重大な責任問題になりかねない。公職選挙法違反とか。

 こうやって振り返ってみると、あまり観光はしてませんでしたなぁ、この旅。