燧ケ岳-2/3

2011年10月28日(金)

長蔵小屋550~635沼尻640~859長英新道との分岐915~945俎嵓950~1019柴安嵓1040~1105俎嵓1110~1210熊沢田代(昼食)1230~1319広沢田代~1410御池・駐車場

 5時50分発。
 小屋の周りは霜柱と氷でバリバリだった。今朝も-6度だったそうだ。湿原も霜で真っ白だ。

 長英新道の登山口近くまで来ると、燧が朝焼けでオレンジ色に染まっていた。
 沼尻の手前まで来ると、燧の山容も変わってきた。あの尖ったピークはミノブチ岳だろうか。 

 沼尻の休憩小屋はもう閉められていた。ここで尾瀬沼の対岸から昇った朝日を浴びた。

 ここから尾瀬ヶ原へ行く道と分かれて燧ケ岳へ向かって行った。
 木道を10分も歩くと涸れ沢を登るようになり、大きな石や岩を登ったり跨いだりするようになって来た。

 そもそもこの「ナデッ窪コース」は、最も急峻なコースで、ナデとは雪崩のことだそうである。つまり、「雪崩れる窪」ということらしい。
 
 ここは雪崩はもとより、雨が降ればたちまち沢になってしまい、登下山できなくなってしまうだろう。それで長英さんが「長英新道」を切り開いたのかも知れない、などと考えながら登って行った。
 正面に見えるミノブチ岳(多分?)が、まるで主峰のように見える。
 周りのダケカンバは全て落葉し、見るからに寒そうだ。
 途中で若者に一気に追い越された。若い人は元気があって羨ましい。私は背後の尾瀬沼を見下ろしながら一服。
 (尾瀬沼を見下ろす。背後のピークは日光白根山)

 しかし、この窪んだ登山道は風の通り道のようで、冷たい風が上から吹き降ろして来る。長くは休んでいられない。

 今まで一気に登って来た沢を左へ20mほどトラバースして、隣の涸れ沢を登って行く。
 周りにハイマツが現れると、急登になった。酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせながら登って行く。時々、振り返って尾瀬沼を見て元気をもらう。

 やっと道がなだらかになると雪が現れた。アイスバーンになっている所もあった。

 再び、急登を登って行く。今まで正面に見えていた緑色の岩峰が左手になり、右手のミノブチ岳はもうここより低くなっていた。

 ミノブチ岳の後ろへ回り込むと、正面に俎嵓(まないたぐら)が見え、すぐに長英新道との分岐があった。時に8時59分。ここは展望がいいので一服して行こう。

 ここからは眼下にミノブチ岳と尾瀬沼が見え、その奥に白根山や男体山、女峰山など日光連山が立ち並び、皇海山らしき山も見えた。はるか遠くには富士山まで見える。


(分岐からの俎嵓)

(分岐からの展望)

 俎嵓を登っている人達の声が聞こて来る。さて、私も俎嵓へ行こう。
 ここからは霜解けのぬかるんだ道を登って行く。日陰はアイスバーンになっていた。周りはハイマツになり、高山らしくなって来た。

 そして、ついに左手に最高峰の柴安嵓が見えて来た。山頂に立っている人まで見える。ここから尾瀬沼を見ると、長蔵小屋からは柴安嵓がミノブチ岳と御池岳の真裏になっていることが良く分かる。

 ガレ場を登り、一つ目の岩峰を左から巻いて露岩の急登を登り、やっと標識や三角点、祠がある俎嵓へ到着。9時45分だった。こんなに時間がかかるとは思わなかった。



(やっと柴安嵓が見えた)

(左:ミノブチ岳、右:御池岳)

(祠がある俎嵓)

 私が俎嵓へ着くと同時に、反対側からオジさんが一人登って来た。御池から登って来たという。そのオジさんと柴安嵓へ向かって行った。

 しかし下りが大変だ。アイスバーンの下りである。ハイマツに掴まりながら一歩一歩慎重に下って行った。

 運動靴で来たというオジさんは、時々、悲鳴のような声を出していた。

  (写真左:俎嵓からの柴安嵓)
  (写真右:俎嵓の下り。運動靴のオジさんが下って行く)

 鞍部からアイスバーンの急登を登り、やっと柴安嵓へ着いた。山頂には昨夜小屋で談笑した男性2人組がいた。お互いに挨拶を交わす。

 山頂からの展望はバツグンだった。眼下(西側)に尾瀬ヶ原が広がり、その奥に至仏山と笠ケ岳が見え、北には平ケ岳から越後三山の駒ケ岳や中ノ岳が見え、荒沢岳まで見える。少し右に目を転ずれば会津駒ケ岳が見え、さらに右に目を転ずれば日光連山が並び立つ。


(尾瀬ヶ原と至仏山、左の峻峰が笠ケ岳)

(左から平ケ岳、中ノ岳、駒ケ岳、荒沢岳)

 展望も十分楽しんだので、ボチボチ下ろう。オジさんは温泉小屋へ出て、三条ノ滝を見て帰るという。私はまっすぐ御池へ下るため俎嵓まで戻らねばならない。