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2. 開院して数ヶ月経った頃
平成7年(1995年)

飯田選手との出会いと、仲間との協力
以前のホームページのトップ写真が、25年以上にわたって飯田選手と私のツーショットだった理由には、はっきりとした背景があります。飯田覚士選手は、若田接骨院の歴史を語るうえで欠かせない存在です。彼が有名になるにつれて、若田接骨院の名前も広まり、知名度が上がっていったのは紛れもない事実です。最近では、若い世代に「飯田覚士っていうボクシング選手を知ってる?」と聞いても、「え?誰ですか?」という反応が返ってくることが多くなりました。時代の流れを感じますが、私と同世代の方はご存知の方が多いと思います。当時の彼の人気は本当にすごかったのです。

飯田選手と私と山本先生
飯田選手と私と山本先生

開院して間もなく、プロボクサーの飯田覚士選手が、当時のマネージャー岡沼さんの紹介で、ほぼ毎日のように来院するようになりました。(岡沼さんは現在も若田の体操教室に通ってくれています)
そして、開院から3ヶ月ほど経ち、少しずつ患者さんが増えてきた頃、私の同級生である山本正大先生(写真左)に、彼が独立して開院するまでの約半年間、手伝ってもらっていました。

中日スポーツ記事「野茂流トレでパワーアップ」
1997年4月23日 中日スポーツ 9ページ
(世界戦に挑戦する前)

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