地域(西日本)
六甲山の地蔵 ボールをもった少女の像 ナナちゃん ホッピングばばあ
カーネル・サンダースの呪い 動く少年の像 深泥池の怪談 牛女
指宿スカイラインのテケテケ? 処女懐胎 犬鳴村のうわさ 14の墓標
広島太郎 宍道湖うさぎ 愛錠 切らずの神木
球児の神様 J氏の残したもの 尊攘派の怨念


 六甲山の地蔵

 六甲山ドライブウェイにはお地蔵さんがある。このお地蔵さんは、普段は「バイバイ」をしているような手つきなのだが、もし手招きされてしまうと、帰り道で事故にあうのだという。

 六甲山には首なしライダーやターボばあちゃんも出る。関西地区のドライブコースの中では定番であるため、都市伝説の吹き溜まりとなるようだ。
 





 ボールをもった少女の像

 兵庫県西宮市の市立墓地にあって、夜になると手を振るのだという。横に振るだけなら別に問題はないのだが、おいでおいでをされると、された人の身に危険が迫るらしい。さらに、この墓地に来たその足で六甲山に向ってはいけないのだと言う。墓地をとおった後六甲山へドライブに行くと、必ず事故に遭うからだ。

 六甲山のお地蔵さんの話と似ている。地理的に近いせいもあるのだろうか。ドライブで行ってはいけないと言うあたり、特に結びつきを感じる。
 





 ナナちゃん

1、名古屋駅前にあるナナちゃんの足の間をくぐるといいことがある。

2、ナナちゃんの足元で待ち合わせをしたカップルは別れる。

3、頂戴したメールの中から抜粋
『私は名古屋に住んでいますが、ナナちゃん人形について聞いたことがあります。
それは深夜、ナナちゃん人形が笑うというもので、その笑い声を聞いた人は死ぬそうです。
なかなかすごいですね。』

4、JR名古屋駅の上に建ったセントラルタワーズがツインビルなのにあやかって、ナナちゃんも双子になるらしい。


■参考(情報提供:ナナ夫さん)

名古屋に住んでいる大学生です。
ナナちゃん前で待ち合わせすると別れるというジンクスですが、
思い当たることがあったのでカキコさせてもらいます。
管理人さんも名古屋の方のようなのでご存知かもしれませんが、
あのあたりではそれなりにナンパが行われているようです。
もちろんセンパ近くや金山駅ほどではないのですが、
僕の友達にナナちゃん前で待ち合わせして
時間に遅れたばっかりに彼女をかっさらわれて
そのまま喧嘩別れしたやつがいるので(笑)ふと思いつきました。

※ナナ夫さん、情報提供ありがとうございました。

 ナナちゃんは見慣れぬ人にはかなりインパクトの強い存在である。また、地元の人にもちょっとした思い入れがあるようで、ある種名古屋の顔役にもなっているようである。そのためか色々な噂があるようだ。1,2番は共によくあるタイプの話なのかもしれない。ただ2に関しては、投稿の情報にもあるように、それなりの根拠があっての話のようだ。

 3番は当方宛にいただいたメールから。もしこの話が真実なら大問題だ。ナナちゃんのいる場所はいわゆる繁華街・歓楽街ではなくても、週末となれば若者が深夜までたむろしているような場所。おまけに近くにはホームレスの人たちも暮らしているという立地。深夜といえどナナちゃんの笑い声を聞く人は相当な数にのぼるのでは・・・。

 最近三十路を迎えたナナちゃんだが、4の話はビルの竣工時期から考えても比較的最近の話である。ナナちゃん人形それ自体がそれなりに由緒のあるものらしく、双子といえるほどよく似た人形をもう1体用意することは難しそうだが。

 ちなみにナナちゃんについて簡単に説明。近鉄名古屋駅前にあるデパート『名鉄セブン』の入り口付近に立っている人形(マネキン)で、色白ですらっとした長身(6m10cm)の女性である。そのため、よほど大柄な人でない限り股下は普通に歩いてくぐれる。あまりに背が高いので少し窮屈そうにしているのはご愛嬌。2002年4月に三十路を迎えた。
 ただ妙齢の女性がイベントの時にしか服を着せてもらえないというのは少し問題かと・・・。
 実はスイス生まれの3人姉妹だったらしく、姉妹は大阪と札幌にいたようだが、2003年現在で健在なのはナナちゃんだけらしい。

 





 ホッピングばばあ

 愛知県豊橋市多米町と静岡県湖西市の間にある多米峠に現れるという謎の老婆。彼女は着物を着て下駄を履いているのだが、そのような動きにくそうな格好でもひと跳び4mの跳躍力を誇るという。夜中に峠を通る車をジャンプしながら追いかけ、事故に遭わせてしまうのだという。

 (異常な跳躍力で)飛び跳ねる老人の話は割と良くある話だが、これは特に出現する場所が特定されている例。

 ジャンピングばばあ、とも。管理人の地元の話だが、問題の峠はこれといって幽霊話のある場所ではない。むしろ、豊橋市内から静岡県に抜けるもう一つのトンネル「本坂トンネル」の方が心霊スポットとして有名。
 





 カーネル・サンダースの呪い

 1985年、阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝を果たした。そのとき、興奮したタイガースファンは道頓堀に繰り出していった。が、ファンの熱狂振りは尋常のものではなく、近くにあったカーネル・サンダース人形の胴上げをはじめた。カーネル人形はこの年の優勝の立役者、ランディ・バースにそっくりな体型をしていたため、バースの身代わりに胴上げされていたのである。
 胴上げはしばらく続いたのだが、やがてカーネル人形は道頓堀へとまっさかさまに沈んでいってしまった。ある阪神ファンが、後に道頓堀を探したのだが、結局カーネルは見つからなかった。
 1985年以降、阪神が優勝から遠のいているのは、そのときのカーネル人形の呪いのためだと、大阪の一部ではうわさされているという。



■参考(情報提供者:通りすがりさん)

道頓堀カーネル騒動の顛末は「探偵ナイトスクープ」で放送されてました。
あの人形はダイブ直後にどこかの学生に引き上げられたため、
あとから川底を探しも見つからなかったわけです。

※通りすがりさん、情報提供ありがとうございました。

 道頓堀のカーネル像が川の中に放り込まれるシーンはテレビでも放映されたという有名な話。この話は、その後二度と見つからなかったカーネル人形の呪いで阪神の成績が悪いのだ、という話。もちろん真偽のほどは確かめようがないのだが。

 ところが実際のところカーネル人形は、川に投げ込まれた直後、ある学校のサークルに所属する学生達に引き上げられていた。その後はサークルの部室に置かれたり、神社でお払いを受けて祀られたり、波乱万丈の余生(?)を送っている。ただし、引き上げた直後の段階で、すでに下半身を失っていたらしく、今は別の下半身を接いだ形となっているようだ。呪いとは、下半身を無くしたことによるものだったのだろうか。

 と、以前の寸評の中ではここまで書いていた。しかし、本来ヒマネタであるはずなのに(?)、全国ネットのニュースなどで大々的に報じられたとおり、2009年の3月10日に問題のカーネル人形の上半身と思われるものが道頓堀川の戎橋付近で発見されている。これを機に付近の再捜索を行ったところ、バラバラになっていたパーツが次々と発見され、これで伝説も終焉かと言われるようになった。もっとも、20年以上の時を経て発見されたカーネル人形は素材の地の色が出たのか暗灰色に変色しており、暗い水底から呼び起こしてはいけないものを呼び起こしてしまったかのような鬼気迫る印象の外見になっていたのも事実だ。最初上半身だけで発見されたのも、某所の部室に祀られていたカーネル人形との話を考え合わせると、、不思議な符合を感じさせられる。
 





 動く少年の像

 京都の円山公園にある少年の像は夜になると動く。

 この少年の像はタケシ君やヒロシ君と違い、実際に円山公園にある。新聞配達の少年の像で「働く少年の像」という名前である。動くと働くの字面が似ているところから生まれた話なのではないか。
 





 深泥池の怪談

  1966年10月6日、京都で実際にあった話である。
 午前一時ごろ、あるタクシーの運転手が祇園あたりでホステスとバーテンの三人組を拾い、京都大学医学部付属病院の前でおろした。
 時間が時間なので、その日の仕事はこれで終りだと思っていると、誰かが助手席側のドアをこつこつとたたいた。ふと見ると、女性が運転手のほうを覗き込んでいた。40歳くらいだったという。よく見れば頬がこけているようだった。
 いったんは乗車を断ろうとしたが、見たところ病院の患者らしく、気の毒になったのでドアをあけ、送っていくことにした。行き先を尋ねると、女性は深泥池の横まで」と答えた。
 運転手は、女性を後部座席に乗せるとタクシーを出した。女性の体からは強い消毒臭がしたそうだ。特に会話を交わすことはなかったが、時折ルームミラーを通して後部座席の女性を見た。ミラーの中の女性もそれに気づき何度か運転手を見返した。
 そうこうしているうちに深泥池付近につき、運転手が「どの辺です?」と声をかけたときには女性の姿が消えていた。
 運転手はとっさに女性が車外に飛び降りたのではないかと思った。後部座席の窓が空いていたためだ。そのため警察に通報することにした。
 そして上鴨警察署から警官が派遣され、京大病院から深泥池までの道筋にそれらしい形跡がないか捜査されたのだが、女性の姿や事故をにおわせるものは何も見つからなかった。
 事故の痕跡がまったく見当たらないので警察側はこの通報を半ば運転手の思い違いのように言った。運転手本人も強くは反論できなかったが、彼の同僚が後にこんなことを言ったという。
「行きつけのバーのマダムがあの時京大病院の前で、お前の車に女が乗り込むのを見てるんや。長い髪が風にゆれるのが見えてゾーっとしたんで、今でも覚えてるんやて。」


 京都について調べている時にたまたま見つけた話。典型的タクシー怪談、ヒッチハイクする幽霊の話だが、ややイレギュラーなので独立した話とした。

 「事件」の発生場所、発生日時がはっきりと特定されている点でかなり特殊な例と言えるだろう。しかも、かなり有名な実話らしい。幽霊云々の部分はともかく警察沙汰になる騒ぎは実際に起こったようである。

 深泥池は京都市の北にある池で、昔から怪談が多いようだ。病院が近いということで、「入院患者が入水自殺した」とか「池のほとりに病院の死体置き場があった」とか「この池に飛び込んだものはそこにたまった泥のせいで死体が二度と浮かび上がらない」とかのうわさはかなり以前からあったようだ。上記のタクシー怪談はそうした数ある深泥池の怪談のうちの一つ。

 上の話ともっとも関係があると思われる話は、「博愛会病院(深泥池の近くにあった病院)で亡くなり、解剖用遺体として京都大学医学部に搬送された女性の幽霊が出る」というものがある。

 なお、「2人同じ場所からスタートして、右回りと左回りで深泥池の周囲を回ろうとしても、途中で両者が顔をあわせることがない」という内容が、怪談めかして語られる事もあるようだ。これは深泥池周辺の散策路の構造上当然のことなのだそうだが、私は未だにそのカラクリが良くわからない。
 





 牛女

  西宮市の甲山には、道路の真ん中だと言うのに岩のある箇所がある。昔から、この岩をどかそうとすると工事関係者に不幸があるので、結局岩は残ったままになっているのだが、道が完成した後も妙なことが起こるようになった。その岩のあたりに牛女が出るのだと言う。
 あるとき、バイクでやってきた人たちが、その岩を蹴ったりして騒がしく通り過ぎると、はるか遠くのほうから獣のように四つんばいになった女が追いかけてきた。彼らは全速力で逃げたのだが、次々に事故を起こし、皆亡くなったのだという。


 関西方面では有名な話らしい。

 週刊誌に取り上げられたこともあるようだ。ただし、そのバージョンでは顔が女で体が牛の牛女がバイクに乗って(どうやって?)追いかけてくるのだそうである。
 





 指宿スカイラインのテケテケ?

 雨の深夜、指宿スカイラインを走っているときに、バックミラーを覗き込むと、車でない何かが追いかけてくるのだと言う。よく見れば、それはヘルメットをかぶった上半身だけの人だということである。下半身がなく、当然足もないので手で走ってくるのだが、そのスピードは尋常ではない。しかし、実際に振り返ってみると何もいない。あくまでバックミラーに映っているだけなのだという。

 下半身がなく、上半身だけで走ってくる妖怪といえば、都市伝説では「テケテケ」である。しかし、この話はバックミラーには映っていても、肉眼では見ることができないというところが変わっている。さるマンガの中で見たことのあるモチーフだが、厳密にはいわゆるテケテケと全く同じ物ではないのかもしれない。
 





 処女懐胎

■情報提供:長崎奉行さん

一人の少女が突如として妊娠した。
その少女には子どもができるようなことをした覚えは無かったが、調査を進めていくうちに意外な事実がわかった。
彼女は以前に琵琶湖へよく遊びに出かけていて、どうやらそれがまずかったらしい。
結論として、琵琶湖畔にある雄琴温泉から湖に流入した精子が彼女を妊娠させた、ということになった。

※長崎奉行さん、情報提供ありがとうございました。



■参考(情報提供:ブローカーさん)

その噂、週刊誌で読んだ事があります。ず〜と現代ヴァージョンですけど。
琵琶湖畔―雄琴といえば、東京の吉原、岐阜の金津園などと並ぶ有名ソープランド街。
そこから琵琶湖へ排出される大量の水の中に精子が混じっていて、琵琶湖を泳いでいた女の子が妊娠しちゃった・・・っていう噂でした。
残念ながらかなり前なので、その雑誌名などは覚えていません。勿論“地元で流行っているジョーク”ぐらいの紹介の仕方でしたけど。

※ブローカーさん、情報提供ありがとうございました。

 琵琶湖と雄琴の組み合わせがあってはじめて成立する話だろう。その点では非常にローカルな話なのだが、都市伝説ではどういうわけか処女懐胎の話が良く聞かれる。もちろん大抵は、『聖母マリア』のような話ではなく、上の話と大同小異のもっともらしい理由付けをされた話である。
 





 犬鳴村のうわさ

 九州屈指の心霊スポット・犬鳴峠近くの山中には、俗に『犬鳴峠』と呼ばれる隠れ里がある。
 この村へと向かう途中には、「この先、日本国憲法適用されません」と書かれた看板があり、さらに進むと異様な雰囲気の住人たちの暮らす集落がある。そしてその辺りには、この住人らによって破壊されたと思しき自動車の残骸が残されている。


■類話(情報提供:土井さん)

私も九州人ですが、福岡の地元人である友人より前々から犬鳴峠の話は聞いていました。いわく犬鳴峠は前々から有名な心霊スポットだそうです。まあ、2ch発祥の都市伝説かどうかはしりませんが2chより前から話としてあるのは事実のようす。ただし、憲法が通用しない云々は友人からは聞いていません。

友人から聞いた「地元にもともと伝わる話」では若干様相が違います。
「犬鳴峠付近に犬鳴村というのがあった。そこは朝鮮人村で、そこに近づく日本人は殺された。そのため、犬鳴峠に近づくと・・・」
この先が地元でも話がいくつかあるそうで、おおむね
1)殺された人の幽霊が出てのろい殺される
2)朝鮮人に殺される
の2種が主力だそうです。現在は1)が主流とのこと。なぜなら犬鳴村はもうなくなっているからとか。ただし2)は「まだ朝鮮人が多くすんでいる」という理由がつく様子。少なくとも地元では犬鳴峠は肝試しスポットとして有名で、「あそこはマジで出る」「犬鳴峠はヤバイ」というのは口間知れ渡っているようです。
友人の解釈では、朝鮮人差別が原因ではないかとのこと。なぜならどちらにせよ朝鮮人が話にからむからです。

事実は不明ですが、犬鳴峠自体は前々から心霊スポットとして有名だったのは間違いないようです。そこにこの朝鮮人村の話が加わり、人口に膾炙するうち時代的にあわない部分が削れて「犬鳴村」の話になったのではないでしょうか。


※土井さん、情報提供ありがとうございました。

 もともとはコラムの中でしか取り上げていない話だった。まず村自体の噂があり、2ちゃんねるを舞台として「日本国憲法適用されません」や狂人の噂が付け加えられ、伝播していったのではないかと考えていたのである。そして、犬鳴峠までもが2ちゃんねる発の噂であるかのような誤解を与える書き方をしていたため、土井さんの情報が投稿された。「日本国憲法」などの話は、マイナーであるにせよ、もともと口承の噂の中の1パターンだった可能性が高い。

 それにしても、2ちゃんねるとその亜種の掲示板で好まれる噂のようで、いくつかのキーワードを元に検索してみると、掲示板でのやりとりが上位に多く表示されるのが面白い。こういう情報が心霊スポットサイトなどに取り込まれ、さらに拡散していくのだろうか。
 





 14の墓標

 
1991年3月14日、当時工事中であった広島市の新交通システムの橋桁が落下し、下の県道で信号待ちをしていた車を押しつぶすという惨事があった。この事故では14人の死者が出た。
 その場所にはかつて14基の墓があり、工事のためにいずこかへと移したのだと言われる。


 果たして現場近くには本当に14の墓があったのだろうか。さるテレビ番組では「高速道路は昔墓地だった場所を結ぶような形で伸びている事がある、なぜなら墓地は買収が容易だから」というようなことも言われていたから、その伝で行けばもしかしたら墓はあったのかもしれない。しかし事故現場となった県道(広島高速交通アストラムラインの上安駅付近とのことである)は工事前から交通量が多かったと言われ、墓があったとしても昨日今日の話ではあるまい。個人的には過去にもそのような墓はなかったような気がする。興味深いのは墓のあるなしよりもむしろ、わざわざ非科学的な内容で事故の合理化を行おうとする人間心理の方だろう。

 ちなみに最近の資料ではこの事故による死者数は15名とされており(やや古いと思われる資料では「死者14名・負傷者9名」としているものもあるが、「死者15名」の場合は負傷者数が8名になっているので後になって1名が亡くなったのだろう)、せっかくの因縁談も台無しの感がある。
 





 広島太郎

 
一昔前、広島の街に「広島太郎」とあだ名されるホームレスがいた。大抵のホームレスがそうであるように、いやむしろ平均以上に近寄りづらい雰囲気を醸していた太郎は、いつしか広島で知らぬ者が無いほどの有名人になっていたが、その素性について知る人間はいなかった。一説にはかなりの素封家だったとも言われるが、その秘密が明かされないうち、太郎はその消息を絶った。
 


 広島太郎は、広島に実在したホームレスである。上にある通り、広島ではかなりその存在を知られた名物ホームレスだったようだが、世捨て人のような彼の過去を知る者はほとんどいなかった。そのために、その正体についてはさまざまな憶測を呼んだようである。

 ここ最近、広島太郎は広島の人の前に姿を現さなくなった。すでに亡くなったとも、はたまた生きているとも言う。一方では、二代目太郎と呼ばれる人物も現れたとのことである。
 





 宍道湖うさぎ

 島根県松江市の宍道湖ほとり。島根県立美術館の芝生に12羽のうさぎの像がある。その12羽のうち、湖側から数えて2羽目が、幸せを呼ぶうさぎだと言われている。このうさぎを西の方角に向きながらなでてやるとご縁や幸せがやってくるし、シジミの殻を供えるとご利益は倍化される。 

 近年では観光ガイドにまで紹介され、宍道湖うさぎのところを訪ねてくる観光客は引きも切らず(かどうかは定かではないが)、2羽目のうさぎのまわりには、訪れた客が残していったと思われるシジミの殻が多く残されている。宍道湖うさぎは実寸大程度のうさぎの像で、彫刻家・籔内佐斗司氏の作品。1999年の作。

 私も現物を見てきたが、西に向かってなでてやる事も、ましてやシジミを備える事も忘れてしまった。だからかどうか、宍道湖訪問後特に幸せになったという実感は無い。
 





 愛錠

 愛知県知多郡美浜町にある野間灯台は、地元のカップルが多く訪れる定番のデートスポットとなっている。海岸べりと言うデート向きの地形に加え、縁結びの御利益もあるからだ。末永い愛情を願うためには当地を訪ねるだけでは不足で、この場所にあるフェンスに南京錠をかける必要がある。 

 錠前をかけることで二人の愛を誓う場所は、このほかにも平塚市の湘南平や神戸市のヴィーナスブリッジなどがある。もっとマイナーな場所も含めれば、全国至るところに同じような若者習俗が存在していそうだ。

 恋人同士の結びつきや愛情を、錠前によって具象化しようとする発想それ自体は分からないでもない。しかしやはり、小道具に武骨な錠前を選ぶ情念の深さに戦いてしまうのも事実である。





 切らずの神木

 名古屋市内の国道41号線、東片端交差点近くに、注連縄を巻かれた楠の古木が立っている。ともすれば通行の妨げになりそうなこの場所に、場違いな巨木が残ったのにはわけがある。かつてこの道の拡張工事が行われた時、木を切り倒そうとした工事関係者が相次いで不幸に見舞われ、ついに昔のまま残さざるを得なくなったためだ。

 名古屋では案外と広く、かつもっともらしく語られている話ではあるが、くだんのクスノキは実際には地元の人たちの保存運動が実を結んで残されたものである。運動が始まったのは、祟りがあったからではなく、土地の歴史の生き証人である古木を残したいという思いからだった。詳細は、「たわごとのとなり」を参照されたし。

 将門首塚や、かつての成田の大鳥居など、みだりに手出してはいけない神聖な遺物の話は多い。西宮の牛女伝説にも一脈通じるものがある。神木伝説はその中の最たるものだろう。国内に同種の言伝えは多いと思われる。本来神聖なものである鳥居や、無念の思いを残して死んだ人物を慰める墓標のみならず、単なる樹木でも年数を経れば神性を帯びるという発想は優れて日本的である。多神教的であると言っても良い。





 球児の神様

 山口県下関市には亀山八幡宮という神社がある。特別有名な神社と言うわけではないが、春のセンバツ・夏の甲子園大会を控える時期になると、遠来の高校球児の参拝を受けることも多い。実は、誰が言うともなしに広まった、知る人ぞ知る野球の神様なのである。

 亀山八幡宮の祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・仁徳天皇の四柱である。その顔ぶれから言えば野球に格別のご利益があるわけではないが、それでも球児の参拝を受けるようになったのは理由がある。

 50年ほど前に近くのガソリンスタンドの従業員が休憩中に野球をしていて、軟球が神社の鳥居の額に書かれた「亀山宮」の山の部分にすっぽりとはまり込むと言う出来事があった。神社側はあえてそのボールを取り除くことはしなかったのだが、その頃から地元校が高校野球大会で活躍し始めたため、一部で野球の神様のような扱いを受けるようになったのだという。こうした信仰は民間信仰の範疇に含まれるものらしく、基本的には神社側から大々的にアナウンスされることはないようだ。





 J氏の残したもの

 2008年の夏。愛知県地方では不気味なうわさがまことしやかにささやかれていた。「9月13日に岡崎市を巨大地震が襲う」。
 しかし結局それらしい地震は発生せず、2008年の9月は過ぎていった。


 東海地方は、古くから東海地震の潜在的脅威を指摘されている地域である。その地域性から、愛知県内では時々世間話のネタにされたうわさで、小さな扱いながら一部マスメディアにも登場したことがある。

 ルーツは、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」を地で行く某予言者の予言に求められるのだが、世間話として語られる時にはその内容の不気味さばかりが注目されたか、しばしば「どこから発信された情報か」と言う部分が脱落した状態で語られていたようだ。怪情報の正体が単なる「予言」であると周知されていれば、さほどの話題性は獲得しなかったのではないか。

 ちなみに同時期の岡崎市では、記録的な水害は発生している。





 尊攘派の怨念

 幕末期、新撰組による尊攘派への襲撃が行われた池田屋。現在跡地は京都市の繁華街の一部になっているが、この場所に出る店は不思議と流行らず、短期間のうちに入れ替わっていくのだと言う。

 さる京都人から聞いた話。果たしてどの程度のサイクルで店が変わっていくのか、客観的な情報も無く、話者の主観によるところがもっぱらの話であるが、池田屋跡という場所に何かしらの因縁を感じていると言う事なのだろう。地元京都においてさえメジャーとは言えない話なのかもしれないが、同様のことは過去に数度、耳にしたことがある。

 ちなみに、この記事を書いている2009年10月現在、池田屋跡では居酒屋「はなの舞」が営まれている。