三河国の古地図 (天保8年〔1837〕)
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天保8年〔1837〕頃の 振草郷の村々(幕政村)
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別所村・寄近村の古地図 (文化11年〔1815〕頃)
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本郷・岡本のさいの神 病や災害から村人を守る守り神 本郷平から与良木峠に登る途中
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峠道の馬頭観音 (天保13年〔1842〕制作) みな,やさしい表情をしている。
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本郷から九十九折りの坂道を登った
与良木峠にある「地蔵」(首はあるが, 通称「首なし地蔵」と呼ばれている。)
隣の石塔は,横死(不慮の死)含霊供養塔)
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本郷平から森山を見下ろす。
煙突のある建物が湯浅酒造所
左の半円形の山は御殿山。 右下の坂道を下ると柳瀬川原。
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森山坂を下った寄近橋から見る
柳瀬川原に注ぐ手前の段々の滝
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議定論騒動のあった柳瀬川原
表に「溺死亡霊供養塔」,
裏に「文化四丁卯年六月八日」 と彫られている。
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中設楽の東側(写真左)に
「設楽城」のあった城山が見える。
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中設楽にある
「秋葉」を指す道標
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中設楽西の冨田新田
正面の山は,「大坂山」
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中設楽大坂山の麓にある
大坂杜氏の墓(元禄6年建立)
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中設楽の西方,御殿山を臨む
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緩やかな坂を下り,
せきれい橋を越した直後の右側
の空き地が菅沼屋敷跡地
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せきれい橋の袂にある 「一称一礼」, 「金光明最勝王経」 と刻まれた石碑 (明和4年建立)
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 (廃校前の中設楽小学校)

中設楽小学校跡地
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旧墓地にある石碑・高さ約180cm (「金光明最勝王経」と刻まれている。)
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城山の設楽城跡
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山田用水の取水口付近
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山田用水完成の碑
「水路竣工の碑 菅沼黙郎」と刻字。
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加賀野の楽壱王神社と子安様
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楽壱王神社隣にある子安様
天井に下図中央の花鳥図がある。
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加賀野ー中設楽の間にある三十三所観音
高い碑の左から,「高皇白衣観音経一千部供養塔」,
「金比羅大権現」,「役の行者」,「法華経供養碑」などが並んでいる。
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旧浦川村のあった現在の静岡県浜松市佐久間町浦川
地域取締役日名地董作の屋敷があった。
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浦川南宮神社を経て、この道を登っていくと「川角」に出る。日名地董作が急を聞き駆けつけたのは、この秋葉山信仰の道だったか。
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東栄町下田の長養院。
明治初期に再建されている。
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百姓を支援した僧保水がいた大谷村龍谷寺は, 学校(現在廃校)の上にあったという。
(現在の豊根村〔旧冨山村地区〕、左端は佐久間ダム湖)
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龍谷寺僧・保水の署名のある古文書
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大谷村、市原村は、明治初頭全村神道化。少ない信者が再建した「天竜山龍谷禅寺」)
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武八らが裁判のために 出頭した「赤坂役所」の門
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議定論日記で, 武八らが駆け込んだ
西大平藩陣屋の表門
(平成14年〔2002〕に再建)
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赤坂宿の大橋屋(元鯉屋)
(武八らが泊まった桜屋は現存しない。)
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JR磐田駅南にあった
中泉陣屋表門
(移築され現在個人宅の門)
(静岡県磐田市内)
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(加賀野の子安様と楽壱王神社, 加賀野の子安様の天井絵(YouTube) |

江戸時代の旅道具
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武八ら商人が宿泊した公事宿
亭主紀伊國屋利八建立の
「為諸國郡邑旅人菩提」 (東京都新宿区内)
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紀伊國屋利八建立の供養塔
三面に出身地,俗名、死亡年月日がびっしりと刻み込まれている。
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紀伊國屋利八建立の供養塔の説明
紀伊國屋利八は,天保13年11月,贈収賄事件に関係し,遠島処分となった。
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紀伊國屋利八建立の
「弘法大師御作 子育地蔵大菩薩道」の碑(天保11年建立,高さ約160cm,東京都足立区内)
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