足の速い亀のロケッティア
「ふたつのスピカ」雑感
  ふたつのスピカ・・・NHKにてアニメ化され一気にメジャー作品の仲間入りをしていますが、私がこの作品を知ったきっかけは、某読書系サイトででした。ちなみにお達者クラブ系も入ってます。そこでたびたびこの作品タイトルを目にし、少し気になっていたのですが、ふと書店でこれの1巻を目にし、試しにと購入。以後、はまり込み、残りを一気に大人買いしたのでした。
  ちなみにアニメ版は見てません・・・だって、存在を知った時には深夜放送でしたし、私は朝型人間なもので(^^ゞ

  2010年、日本初の有人宇宙船「獅子号」墜落事故より10年。その事故で母親を失った主人公鴨川あすみは、宇宙飛行士を目指し、東京の国立宇宙学校に入学する。墜落した「獅子号」宇宙飛行士の幽霊、ライオンさんに励まされながら……。
  宇宙飛行士を目指す若者たちの物語、といえば、現代或いは近未来SFでは定番のようなストーリーですが、このお話に出てくる少年少女は、みなそれなりに「事情」をかかえています。
  主人公のあすみはもちろんのこと、極め付きは「宇喜多マリカ」でしょう。
  未読未見の方には、ネタバレになりますが、彼女の苦悩はひとえに自分自身が「2番目の存在」であること。「生まれてはいけない存在」であること・・・つまり「ヒトクローン」であることです。そして、「一番目のマリカ」は、子供の頃のライオンさんにも会っているという縁の不思議。
  マリカのこの苦悩は実に「SF的な苦悩」でもありますが、果たして自分は「生きている人間」といえるのかという根源的な苦悩にも繋がっています。実際にクローンとして生まれてきた者が現れたとき、我々はどう接するべきなのか?果たして、本当に人として受け入れることが出来るのか?そのクローンである者が、深い苦悩を抱えた時、我々はいかなる言葉をかけるのか?いや、かける言葉を持ちえるのか?・・・などと考えたり・・・言葉の上では陳腐なものになるのかもしれませんが、近江圭(あすみ達のグループの一人)がかける以上の言葉は、私は持ち得ないなぁ・・・

  ところで作中でもふれられるのですが、宇宙計画は莫大な国家予算をかけながらも、常に深刻な事故の危険性をはらんでおり、その存在は決して奇麗事だけではありません。宇宙への夢をテーマにしつつも、この作品のいいところはその問題からも目をそらさずに描いているところでしょう。描ききっているのかどうか?は別にして。作品の素朴な絵柄から(つまり表紙から)は考えられないシビアな面も持ち合わせております。

  ライオンさんの励ましもあり、あすみは幼い時からひたすらに走り続け、宇宙への切符へと近づいているようです。しかし、先にふれた奇麗事ではない部分、おそらく「獅子号」の事故、そしてあすみの父、トモロウにも関係してくる宇宙計画の暗部が、果たしてあすみ達の行く手にどのような影を落とすのか、現在刊行されているコミックス(2005年6月5日現在にて、8巻)ではまだ窺い知れません。しかし、伏線の張り方から考えるに、いずれその暗部はあすみ達の前に姿をあらわすのでしょうね。その時、あすみ達はどうなるのか?このコミックスでは、実は大人たちの中にもあすみ達の理解者は出てきそうなので、そういった人たちの協力も、物語の鍵を握るのでしょうね。また、そういった周囲の理解と協力を得て、ことを為す・・・それも「大人」になるということなのですから。

  ところで小生のこの駄文のタイトルですが、原作にてあすみの幼馴染にして、宇宙学校での仲間、府仲野くんがあすみを評した言葉です。実に的確に主人公を評しています。そして、こうも言っています。

  「単純で地味ィな努力の好きな奴なんだよ。」

  言葉だけなら、ちょっとひがみの入ったけなし言葉です。でも、コミックスを読めば分るのですが、彼は全然けなしていない、むしろ彼女を最大に認めた発言と取れる内容です。もちろん、そうではない自分をシニカルに捉えている部分もあるのでしょうが。

  宇宙飛行士は、単なるエリートではなく、いわばパワーエリートです。少なくとも地上で普通に暮らすよりも、遥かに高い専門能力と身体能力を要求されるのは、間違いありません。
  身長146センチのあすみが、その高みを目指す、少なくとも目指すべきスタート地点に着く為に、なみなみならぬ努力を積んだことを認める府仲野くんの名台詞だと私は思いますよ。

  「ふたつのスピカ」・・・「プラネテス」とは、また違う意味で新時代のSFコミックであると思います。



「ふたつのスピカ」原作 柳沼行 メディアファクトリー刊行
アニメーション版の公式サイト・・・http://www3.nhk.or.jp/anime/spica/
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