ロケットの光と影

◆ロケットとミサイルという兄弟関係◆

始まりは果たしてどちらだったのだろう・・・

 ロケットの始まりを何とするか?
 一般的には、中国の飛火槍だと言われています。名前の通り、空飛ぶ槍。単純に言えば、槍にロケット花火をくくりつけたものと思えばいいでしょう。
 ここまで読んでピンと来た方もいらっしゃるでしょうが、これはミサイルの第一号でもあります。
 ミサイルとロケットの関係は非常に根深いもの、はっきり言えば一卵性双生児といっても過言ではありません。

 事実、あの悪名高き「V2ロケット」を開発したのは、戦前ドイツの惑星間旅行協会の面々であり、「遠い空の向こうに」をご欄になった方なら憶えていらっしゃるでしょうが、ホーマー達がロケット研究の参考に用いたのは、タイトルは失念したものの、確か弾道研究の資料であり、まぎれもなくミサイルの弾道軌道の研究書でした。
 ミサイルとロケット、どちらが先かといえば、ミサイルの方がお兄さんなのは、間違いなさそうです。

◆冷戦構造とロケット◆

 大陸間弾道弾(ICBM)を突きつけあう、米ソ冷戦構造の時代。
 ロケットは国威高揚の象徴に利用されました。若き日のホーマー・ヒッカムJrを感動させたスプートニクの輝きも、月に人類を運んだアポロもそういった目的のもとに生み出されたものでした。さらに言えば、これを根底から支えた力のひとつとして、米ソそれぞれが大戦終了時に接収した旧ドイツの研究データであり、人材だったのですが・・・
 ところで、この時期、ロケットの性能向上とミサイルのそれはシンクロ率が非常高かったと思われます。ロケット先端のオービター、この指令船ユニットの姿勢制御に用いられるオートジャイロとそれを支えるベアリングの品質向上が、弾道ミサイルの命中率を飛躍的に高めたと聞いたことがあります。
 うーん、何だか書けば書くほど気が重くなる話ですね(-_-;)

◆日本のロケット研究◆

 さて、翻って日本の場合はどうなのでしょう。
 ずっとさかのぼると、秀吉の朝鮮出兵にまで辿り着くらしいのですが、近いところでは、戦時中。
かの悪名高い「桜花」になります。
 人を殺すために、人を乗せる、それも自爆専用の「有人ロケット機」・・・
 実際に桜花がどの程度の戦果を収めたのか、詳細は闇の中ですが、かつてはドイツとともに、航空工学ならびにロケット工学の最先端を走っていた日本も「戦争」という状況下では、他に技術の活かし場所がなかったとはいえ・・・
 1952年の航空研究禁止解除に至るまでの間、敗戦という歴史的事実のため、日本のロケット研究は完全にストップします。その間、世界に誇るべき日本のロケット、航空工学のエンジニア達の多くは「自動車産業」へと流れていきます。「スバル(富士重工)」なんか、典型的な例ですね。彼らがいかに優秀だったのは、その後の日本の産業構造を考えればご理解いただけるものではないかと。
 そして、1955年、東大宇宙研によりペンシルロケットの発射実験が開始され、本格的に日本製ロケットの歴史が始まるのです。
 途中、カッパ、ラムダという歴史をはさみつつ、ここから現在のH2Aに至る日本のロケット開発史が展開されるのですが、ロケット技術というのは軍事技術と紙一重、というより表裏一体です。当時もいまも偏った論調の目立つ日本の言論界。色々と目に見えにくい障害があったことでしょう。

 ところで以前にも書きましたが、日本のシャトル計画は無人機。現実的に考えた場合、これは技術の向かう方向としては正常なのですが、野次馬的には少々面白くない(笑)
 国際宇宙ステーションにモジュール「きぼう」を組み込んだ時には、是非とも有人シャトルを種子島(ここが肝心!)から打ち上げてほしいものです。その頃には、H3に世代交代しているかもしれませんが。

 日本のロケット関連の研究というと、東京大学や宇宙開発事業団をすぐに連想されてしまいがちですが、富山大学など、他の機関でも地道ながらも様々な研究が行われています。
 宇宙旅行がそれほど難しくなくなった時、私たち(或いは次の世代)は各種施設のの壁面に埋め込まれているであろうネームプレートにより、それをうかがい知ることが出来るかも知れません。というより、そうなることを願ってやみませんが・・・

◆終わりに◆

 幸か不幸か、日本のロケット研究はいまのところ、ミサイルとの蜜月関係は築いておりません。出来れば、平和時のまま、第2のV2、あるいは桜花を生み出すことなく、実用ロケットの道を歩んでほしいものです。そういう研究予算に使われるのなら、税金を納めるのに抵抗ありません(笑)
 冗談はともかくとして、ロケットは現在人類が宇宙空間に足を伸ばすための、唯一の手段です。有人機というよりも宇宙空間でのロケットの原理を考え出したのは、ロシアのツイオルスキー、そしてそれを一般的な観念に推し進めたのは、J・ヴェルヌ。この二人が思い描いたであろう未来が、ロケットとそれに関わる人々に訪れることを願ってやみません